毒花と害虫
誰かが言った。
「この国は腐っている」
涙でぬれた言葉を期に、私たちは、動き始めた。
「ロージア・イシュメイア・ガンヴァルディ!本日をもってお前との婚約を破棄する!」
この国の第一王子、アフィードがそう高らかに宣言したのは、国王ユーリディス8世の戴冠10周年記念パーティでのことであった。
その場に集まったこの国の王侯貴族だけでなく、他国からの賓客の視線を一身に受けながら、王子と、その横に寄り添うようにして立つ少女と相対したロージアは、落ち着いて口を開く。
「アフィード様。お戯れもほどほどにしてくださいませ?ここは、王のご即位10周年をお祝いする場でございますわよ?」
それを聞いて額に青筋を立てたアフィードは、隣に立つ、はかなげな美少女、男爵令嬢であるリリー・フォン・バーレイの肩をそっと抱き寄せ、言葉を続ける。
「ふざけているのはお前だろう!しらばっくれるな!
お前は、俺の婚約者と言う立場を利用して好き勝手に振る舞ったうえ、俺に対しても尊大に振る舞い、さらに、俺がリリーと愛し合っていると知ると醜い嫉妬心から陰湿ないじめを彼女に繰り返した!
よって、俺への不敬罪と彼女への傷害罪、器物破損罪などで、公爵家から貴様の籍を抜き、国外追放とする!」
その言葉と同時に、王子の後ろから数名の取り巻きが同調の声を上げる。
その光景にざわざわと辺りが騒がしくなる中、ロージアは、落ちそうになったため息を寸でで留めた。
「王子。いろいろ申し上げたいことはございますが、一つだけ。「貴方でもわかるよう」申し上げますわね」
「この期に及んで俺を侮辱するのか!さっさと出ていけ!」
頭に血をのぼらせた王子の言葉に、王子の側近の一人が剣の柄に手をかけ、
その瞬間、駆け寄ってきた衛兵によって、王子も、男爵令嬢も、王子の取り巻き達も、皆拘束される。
「いい加減にせぬか!どこまで恥をさらせば気が済むのだお前は!」
わめき散らす王子に、怒気を抑えきれていない、低く、良く通る声が落ちる。それでも何か言おうとする王子を視線で黙らせると、このパーティの主催者であり主役である王が、臣下の礼を取るロージアに対して、頭を下げた。
「すまなかった。ロージア。そなたには、ずいぶんと苦労をさせてしまった」
「そんなっ陛下!頭をお上げください!そのようなお言葉は不要です。私こそ、望まれた役をこなすことができず…」
一国の王が、他国の者が見る前で臣下に頭を下げる。その行為が持つ大きさはさすがにわかったのだろう。王子はさっと顔色を変える。
「父上!このような女のために頭を下げるなど…」
「黙れ!この場がどのようなもので、「誰」がいるのか、わかっていないとは言わせないぞ!
お前は、自分自身の愚かさを他国にまで知らしめたのだ!こればかりはかばいようがない!
そこまでしてこの女と添い遂げたいのなら、お前の望みどおり、王の名のもとにガンヴァルディ公爵令嬢との婚約を取り消そう!
同時にお前の王位継承権も剥奪し、クリストフの王位継承順位を繰り上げる。お前にはもう、王家の者と名乗ることを許しはしない!
アフィードを助長させたおぬしらもだ!全員、爵位継承権をはく奪の上、二度と王都に立ち入ることを禁じる!」
結局、こんなことになってしまった。
落ちた言葉の重さに、ロージアは、そっと目を閉じた。
***
ここ、リューディア国の王の座は、代々、正室の長男が継ぐ決まりになっている。
それは、建国以来300年もの間、継承者が死亡しない限り崩されることはなく、アフィードもよほどのことがない限り、国王となるはずだった。
しかし、アフィードにとって、その責は重過ぎ、いつしか逃げ出すようになっていた。
もし、アフィードの周りに、王族としての自覚を促し、教育を施す者だけがいれば、いつか彼も、自覚をしただろう。
しかし、彼を操り人形とし、旨い汁を吸おうとたくらむ者もいて。
そのような者を処刑するにも、彼らは単に「おつらいでしょう」と同情の言葉をかけ、あたかも第一王子の心に寄り添わんとしているように見せているだけで、直接的な罪状もないため、処分することもできず、結果的にアフィードは、己に厳しいことを言うものを遠ざけ、時には処刑し、甘い言葉をささやくものだけをそばに置くようになった。
アフィードに苦言を呈して役割を追われた者の中には、己の無力を嘆き、自害する者もいたという。
ならば第一王子の王位継承権を破棄させればいいのではという意見も出てくるであろう。
確かに、王家に男児は後二人いるが、よほどのことがない限り前述のとおりの伝統を崩すこともできず、国王も、わが子である第一王子を「病死」させる決断を下すことができず。
そんな中だからこそ、婚約者であるロージアには、アフィードの矯正という役割をいつしか期待されるようになっていた。
子どもの頃は勉強や乗馬、護身術、マナーなど、大人になればそれに加えて公務。その度に逃げ出そうとする王子を止め、切々と王族の役割を説き、王位継承者としての自覚を呼び覚まさんとして、そして、結果的に、王子にとって煙たい存在になってしまった。
ロージアがなまじ優秀であるため、何度も比べられてしまったこともいけなかったのだろう。
そんな中、王子に媚びないが厳しいことも言わず、言葉を一度も否定せず、その態度と見た目で王子の心を掴んだ者が現れた。
バーレイ男爵家令嬢、リリー・フォン・バーレイ。
王子に取り入るために家から送られてきたのだろう彼女を注意深く見ていると、なんと、王子だけではなく、特に王子に近く、身分も高い側近(腰ぎんちゃく)をも瞬く間に落していったのだ。
男爵家への警戒レベルを上げ、公務の合間に王や重役とともに調べを進めているさなか、即位10周年記念式典後のパーティでのあの出来事であった。
***
王の決定にわめき騒ぐ王子一行は、衛兵に引きずられるようにして会場から強制退出させられた。
その際、
「……?」
出席者の一人である青年が、悲しそうにその一行を見て、その視線に気づいたであろうリリーが、唇を噛み、気まずげに目をそらしたのを、ロージアは確かに見た。が、今はそれよりも。と、この場で「元」が付くようになった第一王子の方を向く。
「そうですわ。アフィード様。一つだけ」
「私王から勅命をいただきまして、リリー様について調べさせていただいておりましたの。
影で自傷したりご自身のドレスを破ったり持ち物を汚したりするご趣味がおありだと報告を受けたのですが、こちらは王の手の者からも報告をただいておりますわよ?
このような彼女ですから、どうか今後も支えてあげてくださいませ」
***
結論から言うと、身分のなくなったアフィードとリリーは、婚約することはかなわなかった。
兵士に先導されたロージアは、暗い階段を下りて行く。
コツコツと響く足音と、進めば進むほど暗さを増してゆくそこは、先にいるものの罪の大きさを表しているかのよう。
「ここから先は、一人にさせていただけないでしょうか」
「しかしっ!」
「大丈夫ですわ。扉越しにちょっとお話しするだけですから」
ロージアがそう告げると、兵士たちは顔を見合わせ、
「何かありそうな気配を感じましたら、すぐに参ります」
「ええ。ありがとうございます」
わがままを聞き入れてもらえ、ほっと微笑み、扉をくぐった。
「久しぶりね。リリー・フォン・バーレイ」
足音が聞こえたのだろう。牢の向こうで、はっと顔を上げる彼女に声をかける。
ふんわりと柔らかそうだった髪はほつれ、顔は痩せこけ、大きな眼だけがギラギラと光る
「この国で地位を手に入れるため、王子を初めとする、伯爵以上の子息をたぶらかして取り入り、さらにあなたの実家は麻薬や奴隷など、数々の不法事業の末端を担っていた。
結果、言い渡された罪状は、国家反逆罪。ここまでで間違っていることはある?」
バーレイ一族は、まるで国の転覆を狙っていたのではないかと思わんばかりに、叩けば叩くほどほこりが出てきた。
「貴方たちには感謝しているのよ?不法事業の大元の中には、どんなに調べても全くしっぽをつかませてくれない、しかも、下手に裁くこともできない、国の中枢にいた公爵なども含まれていたのだから」
ここまで、彼女は無言。ただ、告げられた内容や待ち受けている未来に対して、彼女の顔は穏やかそうに見えた。
「元第一王子は、冬場になると凍死者も出る北の辺境の砦に飛ばされ、性根を叩きなおされているわ。他の取り巻き達もそれぞれ爵位継承権を抜かれ、家からも名を抜かれたわね。その後どうなったか全員を追い切れてはいないけれど、傷害未遂を犯して処刑された者もいるわ」
ここで言葉を切って、彼女を見つめた。
元王子や、その取り巻きの話しになっても、特に感情を動かした様子はなく。
ため息を落として、続ける。
「始め、貴方がアフィードに近づいた時から、バーレイ家についてはずっと調べさせてもらっているわ。
その中で、とても興味深いことが分かったの」
少しの感情の揺らぎも見逃さないよう、目を見ながら続ける。
「バーナード・フォン・バーレイ。
王子の側近だったけれど、王子をたしなめたため嫌われ、役を解かれる。
後、己の不甲斐なさを嘆く文を残し、自害。
歳の離れた、あなたの兄ですわね?」
告げると、初めて彼女の表情に、色が見えた。
目を揺らし、血の気のない薄い唇を開く。
「にいさまは、」
漏れる声はかすれきっていて、それに痛々しさを感じながら、ロージアは耳を傾けた。
「あの男の側近になった事を、とても誇りに思っていました。
私は小さかったからよく覚えていませんでしたけど、大きな手で撫でてくださって、優しい目で笑ってくださって、あの男を支える。と。
なのに、それなのに。」
彼女がうつむくと、滴が一つ、落ちるのが見えた。
「兄が責任を感じて死んでも、あの男はずっと好き勝手やって、おんなじことを繰り返して、悲劇のヒーローぶっていろんな人の人生狂わせて。殺して。
なのに全部なかったことになって。王子だったら、何をやっても許されるのですか?!
そんなの、許せなかった。
こんな国、大っ嫌いだった。滅ぼすことは無理だけど、ダメージを与えたかった。
私たち一族、みんなの気持ちです」
叫びと、その後の、消えそうになる声。
彼女たちが行ったことは、反逆罪。全く反省していない様子に、立場的に怒りを感じなければいけないはずのロージアは、けれど、苦しげに胸を抑えた。
「……そうね…私たちは、無力すぎた。伝統にとらわれすぎて、あの元王子が起こすことに、蓋をすることしかできなかった」
湧きあがる無力感に、唇を噛む。
ここまではいかなくとも、国に失望を抱いた者は多いだろう。
王子にかかわって自害したり不当に処刑された者は、一人ではないのだ。
更に、実際、パーティでことを起こす前から、他国でも噂になっていた。
「無能を野放しに、有能な者を処刑する国家」と。
「ねえ、リリー。本当のことを言ってくださらないかしら」
暫くの沈黙ののち、ロージアは口を開いた。
「なんの、ことですか?私たちが行ったのは、国家に対する復讐。それだけです」
バッサリと切り捨てたリリーに、けれど、ロージアは確信を深めた。
「おかしなことがあるの」
「まず、今回、アフィードの件で直接処刑された、貴方にも誑し込まれた、アフィードの取り巻きの者たち。
みんな、伯爵以上の爵位を持つ家の子息だったり、親が爵位以上に国で発言力を持っていて国が直接手出ししにくかった人たちばかりなの。
王子に取り入った人の中には、普通の子爵や男爵家の者たちもいたのにね。
まるで、貴方がそういう人たちばかりを選んで誑し込んでいったようだったわ」
「なっ…!いくらロージア様と言えど、」
「しかも、ね」
顔を真っ赤にして反論しようとしたリリーを遮るように、言葉を続ける。
「貴女、自分を傷つけたり持ち物を壊したり汚したりするの、確かに一人の時に行っていたけれど、全く辺りを警戒する様子が見られなかったらしいわね。
まるで、「見られることを期待していたようだった」そうよ。
しかも、アフィードが私を「断罪」しようとしたのが、他国の目が多くあったあの場。
聞けば、貴女にそそのかされたらしいわね?」
「それから、家について。
貴方たち一族が犯罪に手を染めていたのは間違いないわ。
問題は、男爵家を逮捕してから、芋づる式に、証拠不十分で手を付けられなかった貴族たちが見つかっていったことなの。
今まで数十年にわたって、一切証拠をつかませなかった人たちが、よ?
それでもう一度調べなおしてみたら、バーレイ男爵一族は、その件で送られた手紙や書類を、一切処分していなかった。そこからあっさりと心臓部まで辿ることができたの」
いつしか、彼女は唇をかみしめて黙りこんでいた。
「貴女たちバーレイ一族が動いた結果、
身分などが邪魔をして表だって処分を言い渡すことができなかった元王子やその取り巻きを一掃せざるを得なくなった上、犯罪に手を染めていた貴族たちも一網打尽にできた。
今、アフィードに取り入っていた貴族たちは、肩身の狭い思いをしているわ。
あいつらは二度と、国政に口出しはできないわね
言ってみれば、貴女たちは、自分たちも病巣となることで、国の癌を根こそぎ表に浮き上がらせたの」
「ねえ、リリー。
貴女は、貴女たちは」
「ただの、貴女の想像です」
凛とした声が、辺りに響く。決意を宿したまっすぐな目が、ロージアを射抜いた。
「私たちは、国に復讐するために動いた。それ以上でもそれ以下でもございません。
私は、あの男やその取り巻きを体で誑かした悪女で、一族は、奴隷や麻薬密売に手を染めた犯罪者。
私たちは反逆者であり、処刑されるべきですわ」
「リリー、でも、」
「これ以上、申し上げることはございません。お引き取り下さいませ」
その後、彼女は一切口を開くことがなく、1ヶ月の後、バーレイ一族は皆、処刑台へと登って行った。
***
レナード・フィッツジェラルド・ヴィングスレイは、人払いの済ませた書斎で、自らに届いた手紙を読んでいた。
手紙に記された日付は5年前。丁度、彼らが処刑される前日。
旧友であり、領地をついでからもずっと親交の厚かったヴィルヘルム・フォン・バーレイからの物だった。
彼らが処刑されてから5年。思い返す。
バーレイ一族のことについては、ロージアが思っていたことが公然の秘密となっていたが、あくまでも正式な出来事としては、バーレイ一族が、自分たちの利益のため娘を使い元第一王子やその側近を誑かし、犯罪に手を染めたということになった。
この国は、自分たちに都合の悪いことをまた隠すのか。とレナードやロージアを初めとして抗議したが、証拠がない。と、表向きの理由である国家への復讐ですら、なかったことになった。
バーレイ一族が、国の建て直しという自分たちの願いを口にしなかったのは、「男爵と言う身分の低い一族が身を挺して上層部の不始末を片付けようとした」という国の不名誉にしかならないことを表に出したくなかったからだろう。
その献身でさえ裏切ろうとする国の上層部をそろそろ見限ろうかと思っていた時の、手紙である。
手紙には、正確に彼ら一族の願いが書かれていて、にんまりと笑いながら最後の一枚を見る。
『惜しむらくは、娘のリリーを犠牲にしてしまったことである。
私は、父親失格だ。
リリーは、私たちの願いのために、健気に己の恋心に蓋をして、最期まで悪女として振る舞い、秘密を守り通した。
この手紙を君へと送ったのは、君たち一家にだけは、本当のことを知っておいてほしかったからだ』
手紙を読み終えると、レナードは一つ、大きく息を吐いて、外に控えているであろう執事を呼んだ。
「ジョージを呼んできてくれ」
思い出すのは、パーティ会場からリリーが連れ出されるとき、二つの視線がまじりあったあの一瞬。
リリーの気持ちは変わってなどいなかった。その事実を、妻どころか恋人さえ作らず、跡継ぎを弟に譲った己の息子に伝えるべく、執事を使いに出した。
それから20年。ヴィングスレイ侯爵一家と、元第二王子の妃となったロージア王太子夫人の地道な努力の結果、バーレイ一族は名誉を回復し、今では、忠臣として歴史に名を残している。