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『若き鷲の剣』(一)

十弦目は『飛翔』

恐れと高揚を意味する、羽ばたきの最初の一音


 空を舞う(ファルド)は、イリュカに二人の少年を思い起させる。

 彼等が、七歳。彼女もまた七つの頃の記憶が、ぼんやりと浮かんでくる。

 一羽なら、寂しげな背中の銀髪の少年の姿が。二羽の、兄弟らしく空中でじゃれあう鷲ならば、彼の肩を揺さぶって慰める金色の髪の少年が加わってくる。

 彼等二人には生涯一度の刻に、イリュカも立ち会った。

 イリュカだけでなく、何千人もが目撃をした。

 エトルリオンの民人、ルードナールの民人。共に、両国を繋ぐ階を少年王子たちに見、新しい未来を微かに予感した。

 埋め込まれた予兆は静かに芽吹き、人を突き動かす。

 歯車は回り始め、人の子の歴史が動き出す。

 西の大地ロズウェル・コーオンの変転の中に、イリュカは踏み出し、ファルドを追いかける。

 ファルドは夢にして未来。翼は過去を切り開き、力強い羽音は癒しの調べを後に引く。


    ◆


 それは、晴れやかな初夏の午後に営まれた。

 二つの王国を隔てる中立地帯の中で、最もレンドヴェールよりに位置する丘陵地である。

 丘は満遍なく瑞々しい緑に覆われ、さしずめ天上に住まわれる神々が差し向けた、この上ない絨毯といえた。

 なだらかな中腹には、向かいあわせに二つの巨大なテントが張られていた。その周囲を、二揃えの美々しく整えられた礼装の騎馬隊、歩兵部隊が取り巻き、粛々と控えている。

 一方の騎馬隊の最後方には、レンドヴェールから徒歩で駆けつけた民人達がひしめいている。彼等はそれぞれ、向こう側のテントの居る何者かを一目見ようと目を凝らしていた。

 衆目を集める者はただ一人。

 促され、褐色の髪を持つ人々の間から、唯一銀髪をもつ人影が現れた。背は、屈強な兵の腹あたりという少年だった。

 朗々と読み上げられた誓約書が少年に委ねられ、儀式は滞りなく終えられた。

 見守ったエトルリオン国王アルディオンと、ルードナール国王グランデルド。二人は、内なる思惑と苛立ちを今は置き、友和の美酒を交わし、高く兵士や民衆に掲げ歓声を煽った。

 こうして、一つの条件の下、二国間に友和条約が結ばれた。

『レンドヴェール領主スレイダの娘フローゼ、現ルードナール国王妃たる彼女の一子イステュールを、レンドヴェールの正当な後継者と見なす事を、エトルリオン王国は承認する』

 自治領レンドヴェールを一属領地として擁するエトルリオン王国が、破格の譲歩を強いられた上での、条約締結であった。

 もとより。ロズウェル・コーオン最大の領土をもち、最強国と自他ともに認めるルードナールに、対等な立場を望めるわけのないことは明白な事実である。だが、若き獅子王アルディオンには、交戦という最悪の事態を、覚悟した日々もあった。

この日まで、鷹帝と呼ばれる野心家グランデルドは、あえて戦端を開かず、遠まわしにエトルリオンを脅迫してきた。

 遡って八年前。屈するか戦乱かの選択を迫られたエトルリオンは、提示された条件を飲み、不可侵同盟を結んだ。

 それは終わりではなく、ロズウェル統一に野心を燃やすグランデルドにとっては、序曲にすぎなかった。

 自治領レンドヴェールにのみ今は残る、白き魔族の末裔たち。その血に噂される伝説の予知者を、グランデルドは己の野望の最上の助けにする企みの始まりであった。

 望み通りの伝説の具現が、今日の主役。イステュール・レンドヴェール・ルディア。当年七歳に至った、ルードナール王国の第三王子である。


    ◆


 祝賀の振る舞いは、居並ぶ歩兵部隊にも回ってきた。

 グランデルド王は満身の愉悦にあるのだ。極上のぶどう酒が樽ごと引き渡され、出来立てのビールも次々に供された。

 この為に馬車で連れてこられた給仕女たちが、パンやいぶし肉を籠に下げ、兵士たちの間を回り始める。

 その中に、ひどく体格の立派な、どこかスカートの裾さばきのきごちない女が二人居た。真っ直ぐに、どうやって連れてきたのかは不明な幼女を腕に抱える、屈強な男に歩みよった。

 他の兵と同様に、男は正規軍歩兵部隊の黒と緑を基調にした礼装に身を包んでいる。

「ランドックのケイオン殿か?」

 女の一人は丁寧だが、それが威圧感を与える口調で言った。

「コブを持った男と聞いてきたが、本物のコブだな」

 もう一人の女は、砕けた調子で幼女を見下ろした。

「コブじゃないよ。イリュカだよ」

 言い返したイリュカの口に、ケイオンは無言で籠から取り上げた焼き菓子を詰め込んだ。

 イリュカがこの仕打ちに不貞腐れたことは言うまでもない。

 条約締結式の間、歩兵部隊の最後方に配置された父親の背中、厳密には、礼装のマントの下、背中のコブよろしく張り付いてイリュカは我慢してきた。

 まあそれも、丘陵地の手前で待つ母親から勝手に離れ、イリュカが部隊の後を子馬でつけてきたせいなのだから。父親の怒りは最もな話しではある。

 その上、耳元でずーっと『もう降りていい?』繰り返したことは、最悪に悪かったかもしれない……。

「シーゼリン殿からの依頼か?」

 ケイオンは、現在遂行中である仕事の依頼人の名をあげた。

 なぜか示し合わせたように数十人だけケイオンの周囲にたむろす礼装の男たちが、顔を見合わせ杯の手を止めた。

「多くは不要。目立たぬようにとの仰せだ」

 若いが目つきの鋭い男を二人選び、ケイオンは後の者に遠慮はいらんと声をかけた。

 実際には二十歳後半という若さだが、彼は厳しい面差しと落ち着き払った態度のせいで、年齢を多くみられる。

 彼の一声に従う者たちは、ルードナールの正規軍ではない。頭数を揃えるために、依頼を受けた傭兵集団。ランドックと呼ばれる、腕には覚えのある傭兵たちだった。

 二人は頭領に習って、正規軍の礼装を脱ぎ捨てた。女たちが用意した、古ぼけたマントを羽織りフードを深く被る。

「イリュカも来ないかい。面白いものを見せてやるよ」

 砕けた調子の女が、話しかけてきた。勿論、喜んでついてゆきたいが……。父親の顔色を伺うイリュカを、ケイオンは再び抱え上げ、女たちと歩き出した。

「イステュール様が、エトルリオンの王子に連れ出された。

 二人の行方を見失って、近衛隊は青くなっている」

 女は声を低くして、それでもはっきりと事の次第を告げた。

 ケイオンはもう一人の女の方に親しみがあるのか、そちらも伺った。

「派手にレンドヴェールの住民の中に入り込むわけにもいかないので、部隊長は女傭兵ごときに、土下座寸前で頼みにきた。

 何ごともなく帰れたら、自慢になるねぇ」

 こちらは女傭兵で、もう一人の堅苦しい女はシーゼリン配下の女剣士、というところ。似たような剣の道でありながら、二人の風采には歴然と差が生まれている。ともに美人ではあるが、男性じみた精悍な、といっていい容姿の整い方であった。

「子供がいると紛れやすいね。イリュカ? バレないように、ヤバイ時は母さんって呼んでおくれよ?」

「うん。いいよ」

 間髪入れない返事に、女剣士は目を細めて笑った。

「いい度胸だよ、この子は。女にしておくには惜しいねぇ」

 さぐるようにケイオンを見た女傭兵の意図を、幼いイリュカが測れるはずもない。逆にケイオンは己の渇望を指摘され、厳しい面差しを堅持した。

 男に生まれてくれたなら。という願いは、つい一人娘のイリュカを男扱いし、危険と思しき場所に連れ出してしまう。

 しかし、尋常ではない状況に居合わせても、泣き叫びもせず、深い緑の瞳をカッと見開いて父の挙動を見守るイリュカは、女傭兵に見抜かれるまでもなく、ケイオンの期待に足る可能性を秘めていた。


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