第二話 夕方のお散歩
学校指定の鞄を持ってあたしは校門をくぐった。校舎についている大時計を見てみるとまだ五時だった。あと一時間ほど時間を潰さないといけない。
一人で街に出て行っても必要以上のお金を持っていないのでやることなんてない。
どうしよっかなー。そもそも鍵を家に忘れてさえいなければこんなことを悩まずにすんだんじゃないだろうか。でも、いまさら後悔したっておそいし……。ほんと、どうしよっか。
そんな感じであたしはこれから何をしようかな、と考える。
とりあえず、適当にこの辺りを歩いて散歩をしよう。適当に歩いてれば時間も潰れるはずだ。
あたしはそう思って適当に散歩をすることに決めた。
いつも散歩なんかしないあたしに決まった道なんてない。だから、思いついたままに適当に道を曲がる。
信号を渡った先の道を右に曲がり、住宅街のような場所に入り、適当にぶらつく。歩いてる途中でおんなじ場所をまわってるってことに気がついて曲がるのは止めて真っ直ぐ歩く。
何分か真っ直ぐ歩いていたらいきなり視界が開けた。そこに見えたのは地面を埋め尽くすほどに生えた野草と、川幅の広い川だった。こういうのを土手、っていうのかな。初めて見たからよくわからない。
あたしは、ゆっくりと土手の上の道を渡り、足を滑らせないように慎重に坂を下る。それでも、何回か草で足を滑らせて転びそうになった。そして、転ばずに下りきった、と思って油断した途端に転んでしまった。い、痛い……。
で、下りきってから気がついたんだけどちゃんと草が抜いてあって滑らないようにしてある道があった。なんであたしはこんな痛い思いをしておりなきゃいけなかったんだ!、と怒りが湧いてきた。結局はまわりをちゃんと見てなかったあたしが悪いんだけどね。
あたしは、転んだときにぶつけたお尻をさすりながら川に近寄る。
川の水は綺麗とはいえないけど汚いともいえない。まあ、普通の川。何匹か魚が泳いでいるのが見える。なんていう魚なんだろう。
そう思いながらあたしは草の上に座り込む。なんとなく腕時計を見てみると時間は五時半だった。お母さんが帰ってくるまであと三十分だ。
後三十分間あたしはここでぼーっとしてようかな、と思う。だって、なんかここって風が気持ちいいし、夕日がすごい綺麗なんだもん。それに、こうやって草の上に座ってるのもいいかなって。
そういうわけで、あたしはここでぼーっとしていることに決めた。こういうところでぼーっとしたことなんてないからなんか新鮮な気持ち。
今、日が沈みかけて世界は真っ赤に染まってる。
こういう場所、こういう場面で瀬条先輩に告白できたらいいなーとか考える。ドラマとか小説とかそんな感じに。それに夕日が出てたら恥ずかしさで顔が真っ赤になってても気づかれないだろうし。あ、もしかしたら、顔が赤くなってるのを見られたくないからドラマとか小説とかの登場人物は顔が赤くなったのを見られたくないから夕日が出てるときに告白をしてるのかな?
それでもやっぱりすごいな。好きな人にちゃんと告白ができるなんて。あたしには絶対に無理だ。今日だってチャンスはあったのに自分でだめにしてしまったんだ。
瀬条先輩に告白できなかった、ということを思い出してしまいあたしは少し暗い気分になってしまった。そよそよー、と風が吹いてきてあたしの髪をなびかせる。なんだか、あたしのことを慰めてくれているような気がした。でもちょっと寒い。だからといって上に着込むものなんかないから我慢するしかない。
それでも、なぜだか視線が右に左に、と動く。無意識になにか暖かくなるようなものを探している。
と、ふとあるものを見つけた。暖かくなるものではない。だったらなにかというと、それはねこじゃらしだ。
先端にふわふわしたものがついているそれはあたしの好きなもののひとつだ。なんでかっていうとこれで猫と遊ぶことができるからだ。
あたしは無造作にねこじゃらしを一本抜き取る。先端の部分を軽く握ってみる。ふわふわの感触が手に伝わってくる。さわり心地は結構いい。
近くに猫がいれば遊んであげられる。でも、どこをどう見たって猫の姿は見えない。残念。
猫がいないことがわかったあたしはねこじゃらしを指でくるくると回す。いまさらだがねこじゃらしには少し悪いことをしたかなって思う。あたしが抜いてなかったらまだまだ生き続けられてたかもしれないのに。
このまま捨ててしまうのも可哀想だから家に持って帰ろう。確か花を数本だけ入れるのちょうどいい花瓶があったはずだ。それに水を入れてそこに挿しておけば一応生き続けてくれると思う。
こういうことでわざわざ深刻に考える必要なんてないと思うけどね。でも、やっぱり想ってあげて大切にする気持ちって大切なんだと思うんだ。好きなものに対しては特に、ね。
あたしの好きなものは猫とそれに関連するものと、瀬条先輩。猫とそれに関するものは大切にしたい。瀬条先輩にはあたしのことを大切に、してほしい、かな?
そんなことを考えていると恥ずかしくなってきたので頭をぶんぶん、と振る。他の人から見たら怪しい行動だっただろうけど、結果的に少しだけ恥ずかしさが和らいだ。
そして、またあたしは先輩のことを考え始めちゃう。それで、また恥ずかしくなってきた。しかも、今度は顔が火照ってくる。恥ずかしさを抑えるためにあたしはもう一度頭をぶんぶんと振る。それでも、またまた先輩のことを考え始めちゃって恥ずかしくなる。
そんなことを何度か繰り返しているといつの間にか辺りは薄暗くなり始めていた。腕時計に目をやると五時五十分をさしてた。
今から家に帰ったらちょうどいい時間になっているはず。それに、あたしみたいな女の子が暗くなってから一人で出歩いてるなんて危険だしね。
そういうことで、そろそろ帰ろう、とあたしは立ち上がる。あたしは先ほど抜き取ったねこじゃらしをしっかりと握る。これは絶対になくすわけにはいかない。あたしはあたしの好きなものをぞんざいに扱う無粋なまねが大っ嫌いだ。
そんなあたしのポリシーにしたがってあたしはこのねこじゃらしを枯れるまで大事にしてあげると心に決めた。
あたしが家についたのはそれから三十分後だった。途中で少し道に迷ってしまい予定よりも遅くなってしまった。
でも、とりあえず無事に家につけたことにはほっとする。迷子になって家に帰れなくなった、なんてことになったらしゃれにならないからね。
お母さん心配してるだろうなあ、と思いながらあたしは呼び鈴を鳴らした。
こんな時間になって自分の家の呼び鈴を押すことになるなんて思わなかった。いつも、六時以降は外に出ないようにしてる。危ない目に会うのは嫌だから。
そんなことを考えていると鍵のはずされる音が聞こえた。その直後に扉が開けられる。
案の定心配したような表情を浮かべたお母さんが出てきた。
「た、ただいま〜」
あたしはお母さんの顔色を窺うような微妙な表情を浮かべてそう言う。こういうときってどんな表情を浮かべればいいのかがよくわからない。こういうことって初めてだから。
なんて言えばいいのかなぁって考えてるとお母さんが先に話しかけてきた。
「ゆかり、こんな遅くまでなにしてたのよ」
「鍵を家に忘れてたから適当に散歩をして時間を潰してたんだ。遅くなって、ごめんなさい」
「そうだったの。……まあ、いいわ、何もなかったから。でも、次からはちゃんと鍵を忘れないようにするのよ」
「は〜い」
「さ、早く入りなさい。最近は寒くなってきたから外にいたら風邪ひくわよ」
「うん。今もちょっと寒いしね」
そう言いながらあたしは家に上がる。家の中は風が遮られているおかげか外よりも暖かかった。
「手はちゃんと洗っておくのよ」
「わかってるよ。風邪なんてひきたくないよ」
そう言ってあたし洗面所へと行く。風邪を引いて寝込むなんて嫌だ。毎日学校に行ってたら瀬条先輩に告白するチャンスが訪れるかもしれないから。
こんなこと考えるんなら自分から行動したほうがいいに決まっている。でも、学校でも思っていたようにあたしには勇気が足りない。だから、今日みたいにチャンスがあっても逃してしまう。
いっそのこと、風邪で休んだら瀬条先輩が来てくれるかな、とか考えてみる。
あたしが風邪をひいて休んだって聞いて心配してお見舞いに来てくれるかもしれない。そして、横になってるあたしの手を握って、大丈夫?って聞いてくれるんだ。そのとき、あたしはとってもどぎまぎしてるんだけど少しずつ落ち着いていく。それで、本当に落ち着いたときにあたしは先輩に好きです、って伝えちゃうんだ。
……なーんて、そんなこと絶対に起こるわけないよね。先輩の性格からして心配はしてくれると思うけどわざわざ家にお見舞いに来てくれるなんて絶対にない。
瀬条先輩は生徒会の先輩であたしはその後輩。たったそれだけなんだよね。先輩にとっては。
でも、あたしにとっては違う。あたしにとって先輩は大好きな人。大切なのかとか愛してるのかとか聞かれてもあたしは首を傾げるだけだと思う。でもこれだけは言える。あたしのもってるこれは恋愛感情なんだって。
そんなこんなでいろいろと考えながらあたしは手を洗う。ねこじゃらしは洗面台の隅においている。水は散らさない方がいいかな、と思って出来るだけ静かに手を洗った。
手を洗い終えたあたしは二階の自分の部屋へと向かう。ねこじゃらしは忘れずにちゃんと持っている。
自分の部屋に入るとあたしは花瓶を探す。その間、ねこじゃらしは机の上においておく。
「花瓶、どこにおいたかな」
あたしは、そう声に出す。あたしは、一人になると独り言を言いやすくなるのだ。まあ、誰かがいるのに独り言を言ってるっていうのは気味が悪いけどね。
時計を見てないから正確にはわからないけど五分くらいで花瓶を見つけた。それは、小さな水色の花瓶だ。お父さんが何かでもらったというものをもらったのだ。
あたしは早速洗面所へと行き花瓶の中に水を注ぐ。それから、すぐに部屋に戻るとあたしはねこじゃらしをさっき水を入れた花瓶の中へと入れる。
あたしは花瓶の中へと入ったねこじゃらしを眺める。
色合い的には少し寂しい。でも、あたしはこれくらい落ち着いた色合いのほうが好きだ。落ち着いた色合いだと心も落ち着くような気がするからだ。
あたしはねこじゃらしの先端のふわふわした部分をつんつん、とつつく。あたしがつつくたびにねこじゃらしはゆらゆらと揺れる。あたしにはその揺れ方がなんだか猫のしっぽみたいに見えた。
ちょっと面白くなってまたつんつん、とつついてみる。やっぱり、揺れ方が猫のしっぽみたいに見える。
だから、あたしはつつきながら小さく、にゃー、と呟いてみた。
あんまり猫には似ていなかった。それに、誰もいないんだけどなんとなく恥ずかしい。それでも、つつくごとに、にゃー、と呟く。
やっているうちになんだがどんどん楽しくなってきた。……あたしって暇なのかな?普通暇じゃない人ってこんなことやらないよね。
でも、まあたまにはいいよね。こうやって、無駄に時間を潰すのも。……あれ、でもよく考えてみれば最近はよくこんな感じに無駄に時間を過ごしていたことが多かった気がする。たしか、先輩のことが好きだって気がついてからだったと思う。
もしかしたら、今度の期末試験は大変かもしれない。まだまだ期末試験は先の話だけど勉強はあんまりやってた記憶がないし……。
ま、まあ、これから頑張ればいいよね?絶望的な点数を取らない限り大丈夫なんだし。まだまだ、時間もあるんだから。そうと決まれば今日の夜から頑張ろう。何事も早いにこしたことはないからね。
「ゆかりー!ご飯だから降りてきなさーい!」
お母さんが呼んでる。早く降りないと。
「わかったー。今すぐ行くねー」
あたしは返事をすると花瓶に挿したねこじゃらしから手を離した。あたしはなんとなくねこじゃらしの方に手を振りながら部屋を出る。
そういえば、なんだか最近はなんとなく、で行動していることが多い気がする。うーん、先輩のことばっかり考えてて精神が不安定になってるのかな?
いや、でも自分でそんなこと診断できるんなら安定してるのかも。まあ考えてもわかる分けないか。
それよりも、今日の夕ご飯はなんなんだろう。美味しいものだといいな。
そう考えながらあたしは下へと降りた。
ご飯も食べ、お風呂にも入り、勉強もした。今日はもう寝るだけだ。
あたしは勉強机の前から立ち上がり欠伸をしながらベッドのほうへと歩いていく。あたしは勉強をしている間中ずっと眠かった。うん、やっぱり勉強をサボるのが習慣化してたみたい。これは早く直さないといけない。眠気のせいでなんの勉強をしていたのかいまいち思い出せない。
今日の復習をしていた気もするし、明日の予習をしていた気もする。もしかしたら、全く意味のない場所を勉強していたかもしれないし、本当は何もしていなかったのかもしれない。
これは本当に大変だ。前は勉強の中身を覚えていないことはあってもどんなことを勉強したかぐらい覚えていたはずだ。
とりあえず、今日はもう寝よう。こんなに眠いと考える気力もなくなる。
そう思ってあたしはベッドに横になろうとした。けど、あたしの目に映ったあるもののせいで中途半端な状態で止まってしまった。
あたしの目に映ったものそれは、家に帰ったときよりも一回り大きくっているねこじゃらしだ。
あたしは目をこすって見間違いじゃないんだろうか、ともう一度ねこじゃらしを見る。でも、見間違いじゃないってことをはっきりと確かめようとした途端に耐え難いほどの眠気が襲ってきて視界がぼやける。何度か目をぱちぱちさせてみる。
それでもやっぱりだめだ。眠気には抗うことはできない。
仕方がないのあたしはそのままベッドの上に横になる。確かめるなら明日でもいいよね。明日になったらなくなってる、なんてことはありえないだろうから。
目を閉じると意識は深いどこかへと沈んでいきそうになっていく。このときあたしはもうねこじゃらしのことは考えていなかった。
考えていたのは、今日も先輩、夢の中に出てきてくれるかな?だった。