第十九話 好きな人との通学路
朝起きたら足の痛みはほとんどひいていて普通に歩けた。でも、そんなのはほんの些細なことだ。
今日はお母さんの宣言どおりにいつもよりも早く起こされた。いつもよりも早い朝食。お父さんは、いつもどおり新聞を読んでいた。
どうやら、お父さんはこの時間には準備を済ましているらしい。
いつもよりも早く起こされたあたしをお父さんは複雑な表情で見てる。たぶん、お母さんが昨日のことを話したんだ。うん、絶対にそうだ。お母さんなら喋ってると思う。
楽しそうな表情を浮かべるお母さん、複雑そうな表情を浮かべるお父さん。そして、今日博斗さんに告白をするってことになって気持ちが落ち着かないあたし。今日の大西家は全員いつもと違う気持ちで朝食を食べた。
そして、今にいたる。
「お、お母さん、そ、そんなものつけるなんて恥ずかしいよ」
「いいじゃない、ゆかりなら絶対に可愛くて似合ってるわよ。好きな人がいるんならちゃんと綺麗に着飾らないと」
今あたしはお母さんと一緒に鏡の前に立っている。とっくに髪はしっかりととかし終わってる。ついでにいうと着替えも終わってる。それなのに何をしているかっていうと、
「最初は慣れないかもしれないけどずっとつけてたら慣れるわよ。私だって昔はつけてたのよ」
そういってお母さんはあたしの了承を得ずに髪を黄色のリボンで結ぼうとする。あたしは止めようとしたんだけど止める暇も無いくらいに鮮やかな手つきでささっと結んでしまった。
目の前の鏡に映ったあたしはいつもよりも子どもっぽく見えた。黄色が子どもっぽさを際立たせてるんだと思う。
だから、あたしは急いで頭のリボンを取ろうとしたんだけど、お母さんに腕を掴まれてそれはできなかった。
「取ったらだめよ。せっかく私がつけたんだから」
「やだ!恥ずかしいからつけたくない!」
あたしは必死になったせいか子どもっぽく、嫌だ、ということを主張する。
「その姿でそんなふうに恥ずかしがってると我が娘ながらすっごく可愛いわ。うん、大丈夫。それなら絶対に博斗君もあなたに惚れてくれるはずよ」
子どもっぽく主張したのが間違いだった。お母さんの勢いは止められそうにないような状態になってしまう。
どうしよう、と恥ずかしさでうまく回らなくなっている頭で考える。けど、考える必要はなかったようだった。
「あ、もう、こんな時間ね。ゆかり、早く行かないと遅れるわよ」
「ほ、ほんとだ。急がないと」
あたしとお母さんは時計を見る。時計は今の時刻が七時五十分だということを告げている。いつも家を出る時間から十分もオーバーしていた。
あたしは急いで鏡の前から離れ鞄を持ち上げながら自分の部屋を出る。お母さんがそのあとをついてくる。
「絶対にリボンははずしちゃだめよ」
どうやらあたしを見送るためではなくあたしにリボンをはずせないようにするためについてきたようだ。
「うん、わかってるよ」
外に出てお母さんが扉を閉めたのを確認してからリボンをはずそう、と考えていたあたしは適当に返事を返す。
「やっと、リボンのよさに気がついてくれたのね」
お母さんがそんなことを言っているがあたしは気にせずに靴をはく。そして、外に出た。
そこであたしは固まってしまった。お母さんにいってきます、って言おうとしたんだけど、それは叶わなかった。
なぜなら驚いて思考が停止しかけていたからだ。
「あ、あれ?ゆかりちゃん、この時間にはもうとっくに家、出てるんじゃなかったの?」
あたしの視線の先には博斗さんがいた。
「あ、あの、えっと、その」
いつもはつけてないリボンをつけている姿を見られたせいであたしはすっごく恥ずかしくてどうすればいいかわからなくなる。数秒後にあたしはその場から逃げるように体を反回転させようとしたんだけど誰かに両肩を掴まれてそれは出来なかった。
後ろを見るとお母さんがいた。それも、すごく楽しそうな笑みを浮かべた。
お母さんはあたしの肩を掴んだまま博斗さんへと近づいていく。
「おはよう、博斗君」
「はい、おはようございます」
お母さんのあいさつに対して博斗さんは少し頭を下げながらあいさつを返す。それからあたしはまだ博斗さんにあいさつをしていないのを思い出した。
「あ、あの博斗さん。お、おはようございます」
「うん、おはよう。ゆかりちゃん」
お母さんに返したときとは違う親しげなあいさつ。いや、親しげっていうのはあたしの主観も入ってるから正確じゃない。でも、お母さんに返したときよりも随分と柔らかい口調だった。
あたしはそれが嬉しかった。博斗さんがあたしのことを少しは親しい人だって思ってくれているってことだから。
「博斗君、ゆかりがリボンをつけたこの姿、すごく可愛いと思わない?」
「お、お母さん!な、なに聞いてるの!」
あたしはすごく焦りながらお母さんにそう言う。
「ゆかりは、博斗君の感想を聞いてみたくないのかしら?」
お母さんはあたしの耳元で囁くようにそう言った。
確かに、博斗さんがどう思っているかっていうのはすごく気になる。けど、今は博斗さんの言うことなら何を聞いても恥ずかしくなるだけのような気がする。
それなのに、博斗さんがなんていうのか聞き逃さないようにあたしは耳を傾けていた。
「え?……似合ってると思いますよ」
その言葉を聞いたとき恥ずかしさで早まっていた心臓の鼓動が恥ずかしさとは別の感情で高鳴ったような気がする。
少し、足元がふわふわして、思考がうまく働かない。ただ、もっと、似合っている、と言ってほしかった。
「と、ゆかりちゃん、それよりも早く行かないと、学校、遅れるよ」
腕時計を確認した博斗さんがそんなことを言う。
「は、はいっ!」
ぼーっとしていたあたしは反射的に返事をする。その声は上ずってたような気がする。
「博斗君、ゆかりのこと、頼んだわよ」
「はい、事故とかに遭わないように気をつけます。……それじゃあ、行こうか、ゆかりちゃん」
博斗さんはそう言って歩き始める。あたしは、
「じゃあ、行ってきます。お母さん」
と、言って博斗さんについていく。後ろから、「ゆかり、頑張るのよ」と、聞こえたような気がした。
「ゆかりちゃんのお母さんって明るい人だね」
今あたしと博斗さんは学校への道を急ぐでもなくゆっくりと歩くでもなく普通の速度で歩いている。
「やっぱり、博斗さんもそう思いますか?お母さん、あたしと違って誰とでも普通に話せるんですよ」
博斗さんと話しているとリボンのことも気にならなくなってきた。やっぱり、博斗さんと話していると落ち着くような気がする。
それとも、舞い上がりすぎちゃって逆に行動が落ち着いているようになるだけなのかな?
昨日は思わなかったそんなことを考えてみる。でも、考えたからといって答えがでるようなものではないような気がした。だから、あたしはこのことを考えるのを即座に止めた。
その代わり、博斗さんと話すことにだけ集中する。
「うん、確かに、あの人、初対面の僕と話すとき親しげだったよね」
「そうでしたね。お母さん博斗さんのこといきなり名前で呼んでましたからね。あたしのお母さん、気に入った人だと最初から名前で呼ぶんですよ」
「それって、僕がゆかりちゃんのお母さんに気に入られてるってこと?」
「はい、そういうことだと思いますよ」
というか、そうじゃないとお母さんがあたしに博斗さんへと告白するように言わないはずだ。
ふと思い出したんだけど、今日は沙織と一緒に博斗さんに告白をする日だ。起きてからお母さんにドタバタさせられてたせいで忘れていた。
そういえば、博斗さんは沙織と一緒に学校に行かないのかな?二人は幼馴染で家が近いって言ってたから毎日一緒に学校に行っているような気がする。
「博斗さん、あの、沙織はどうしたんですか?一緒に学校にいかないんですか?」
気になったからあたしは聞いてみた。もしかしたら、風邪でも引いて休んだんじゃないだろうか、とか考えてしまう。
「沙織は文化祭に出す絵を完成させるって言って先に行ったよ」
風邪じゃなかったんだ。よかったあたしの悪い想像がはずれて。でも、文化祭に出す絵って。もしかして沙織、美術部なのかな?
「沙織ってもしかして美術部、なんですか?」
「うん、そうだよ。生徒会長をして放課後に時間が無いから朝早くから学校に行って絵を描いてるんだ」
確かに、生徒会に所属していたらイベントの前は特に忙しい。放課後、全ての時間が潰れてしまうことなどよくあることだ。
「沙織はすごく絵がうまいんだよ。今度の文化祭で見てみたらどうかな」
「はい、そうしてみます」
その後にあたしは、よかったら一緒に見に行きませんか?、と聞こうと思った。けど、今日、告白するんだっていうことを考えたら言わない方がいいと思った。
だって、博斗さんがあたしじゃなくて沙織の方が好きだっていったのに一緒に見に行ったらたぶん、あたしは邪魔になる。もし二人がそう思っていなくてもあたしは二人きりにしてあげたかった。
だから、あたしは先ほど言おうと思った言葉をうっかり言わないようにするために胸の中にしまいこもうと思った。、そのために、大きく息を吸った。
朝の少し冷たい空気があたしの肺を満たす。この行動自体に意味なんかない。でも、気持ちは大事かな、と思いこれは意味のある行動なんだ、と思ってみた。
「ゆかりちゃん、なにしてるの?」
「え?えと、あ、あの、あれです!朝の爽やかな空気を吸って今日一日に備えて気持ちを落ち着かせようかな、って思ったんです」
あたしは驚いてしまって嘘をついてしまった。しかもとっさだったからすっごくべたで不自然な嘘になっちゃった。
「そうなんだ……。朝の空気って落ち着くよね。理由は聞かれてもわからないんだけどね」
博斗さんはあたしが嘘をついていないと思っているようだ。
そういえば、博斗さんと話をしてて不思議に思われることはあったけど疑われたことは無かったような気がする。
なんでそんなにあたしの言っていることを信じてくれるんだろう。他の人と話してるところは見たことないけど、こんなにも信じていないとは思う。
なんで、だろう……。
このときは何故だかあたしにとって都合のいいような考えが浮かんでこなかった。