第十八話 お母さんは恋愛好き
「博斗さん、あの、ここでおろしてください」
あたしは扉の前に立ち呼び鈴を押そうとした博斗さんを止める。
博斗さんはあたしを家の中まで入れてくれようとしているらしいがこの姿はあまりお母さんには見せたくなかった。
だって、すっごく恥ずかしいから。
「だめだよ。無理して立ったら足に悪いよ。だから、中までちゃんと運んであげるよ」
そう言って博斗さんは呼び鈴を鳴らしてしまった。あたしはそれを、うわ、ど、どうしようという感じの気持ちで眺めていた。
博斗さんにおんぶをされているあたしは博斗さんの行動を止めるための術は口で説得する、という方法しかない。だから、今みたいにあたしの言葉を無視して行動されたらどうしようもない。
あたしのすごく焦っている気持ちをよそに扉の鍵が開けられる音が響いた。
「……どちらさまで―――って、後ろのいるのはゆかり?」
お母さんはすごく驚いているようであたしと博斗さんの顔を交互に見比べている。
「えっと、ただいま、お母さん」
驚いているお母さんにあたしはそう言う。他に何を言えばいいかわからなかった。
「ええ、おかえり……じゃなくて、だれ?その人」
そりゃあ、まあ気になるよね。自分の娘が知らない人におんぶされて帰ってきたりしたら。
「この人はあたしの学校の先輩で、足をくじいちゃったあたしをここまで運んでくれたんだ」
「そういわれれば、ゆかりのところの制服を着てるわね。……わざわざ、ここまで運んできてくれたんだ。ありがとうね」
お母さんはそう言いながら博斗さんに微笑みかけた。
「別にお礼なんていいですよ。僕がやりたいって思ってやったことなんですから」
「あら、そうだったの。ふーん……。そういえば、あなたの名前ってなんていうのかしら」
お母さんはの表情は微笑から友達に向けるような友好的な笑みに変わった。お母さんはあたしと違って顔見知りをしないような性格だった。
母娘なのになんでこんなに違うんだろう。
「瀬条博斗です」
「博斗君って言うのね。わかった、覚えたわ。これからも、ゆかりのこと、よろしくね」
「はい、任せてください」
博斗さんとお母さんが自己紹介を済ませる。お母さんが一方的に博斗さんの名前を聞いただけなんだけど。
「あ、そうだ。ゆかりのこと忘れてたわ。玄関にいれてあげるから、ゆかりを下ろしてもいいわよ」
お母さん、あたしのこと忘れるなんてひどいよ。
「はい、じゃあ、ちょっとだけ入らせてもらいますね」
当然博斗さんはあたしがお母さんに忘れられていて少し悲しんでいることに気がつかず玄関へと入っていく。
それから博斗さんは扉の方に向き直ってしゃがみこんであたしをおろした。博斗さんから離れたことで少し寒気を感じた。
「ゆかりちゃん、足、大丈夫?」
でも、あたしはすぐに寒気なんて忘れた。なぜなら博斗さんの顔がすごく至近距離にあったからだ。
「ま、まだ、少し痛みますけど、こうやって座っていたら平気ですよ」
「そう、だったらそこまでひどくないってことだね。うん、よかったよ」
少しだけど、博斗さんは安心したように笑ってた。
「じゃあ、僕はもう帰るね。また明日、ゆかりちゃん」
「は、はい。あ、あの、博斗さん、今日はありがとうございました」
「うん、どういたしまして」
そう言って先輩は立ち上がる。
「じゃあ、僕はこの辺で帰らせてもらいますね」
「ええ。また、来たくなったら来てもいいわよ。博斗君なら私はいつでも大歓迎だから」
「そうですね。では、またいつか機会があったら訪ねさせてもらいます」
「ふふ、次はどんな機会があって来てくれるのかしらね」
それは皮肉のようだけど皮肉には聞こえなかった。たぶんなにかを楽しんでいるような、期待しているような声に聞こえたからだと思う。
「えと……、では、さようなら」
博斗さんはお母さんの言葉に戸惑っているようだった。けど、結局玄関から出て行こうとしながら挨拶をした。
「ええ、さようなら」
お母さんにそう声をかけられると同時に博斗さんは玄関から出ていった。
「……あれが、ゆかりの好きな人かしら?」
扉の閉まった直後に言われたのはそんなことだった。
「そ、そそ、そんなのじゃないよ」
あたしはうろたえつつもそう答える。けど、呂律がまわらなかったのであたしが慌てているというのはばればれだった。
「隠さなくたっていいじゃない。まあ、ゆかりの場合はばればれなんだけどね」
うう、ほら、やっぱりばれてた。
親に好きな人がばれるっていうのが一番恥ずかしいような気がする。何でかっていわれるとよくわからないんだけど、たぶん一番身近にいる人だからだと思う。
「最近、ぼーっとしてることが多いから誰か好きな人が出来たんじゃないかなあ、とは思ってたんだけど今日ゆかりの反応と博斗君を見て確信したわ。ゆかりは博斗君に恋をしてるのね!」
お母さんのテンションが高くなり始めている。もしかして、お母さんこういう話が好きなんだろうか。
というか、恋、なんて大きな声で言わないでほしいよ。ただでさえお母さんに好きな人がいるって知られて恥ずかしいのに更に恥ずかしくなってくる。
「もし付き合うなら私は大賛成よ。博斗君みたいな子にならゆかりのことを任せられるわ」
妙にハイテンションになったお母さんは恥ずかしくて何もいえないあたしを置いてどんどん話を進めていく。
「ゆかり、明日にでも告白しちゃいなさい!こういうことは早くしたほうがいいわよ。博斗君、来年には卒業しちゃうんでしょ?そうなったら、会う機会なんて滅多にないんだから!」
お母さんの言ってることはもっともだ。でも、まあ今日、沙織と話した結果、明日告白するっていうことになってるんだけどね。
お母さんがそんなことを知るはずが無い。それにあたしがそんなことを言えるはずが無い。だからあたしはお母さんの話を聞いていることしか出来なかった
「そうなると、明日はきちんと身だしなみを整える必要があるわね。ゆかり、明日はいつもよりも早く起きるのよ。というか、起きなかったら私が起こしてあげるわ」
あたしが何も答えないからかお母さんは勝手に話を進めていく。とにかくお母さんを落ち着かせようとあたしはお母さんに声をかける。
「お、お母さん、ちょっと落ち着いて」
「ん?私はちゃんと落ち着いてるわよ」
いや、だいぶ暴走気味だったよ、という言葉は飲み込んだ。たぶん、今のお母さんにはそんなことを言っても意味がないと思ったから。
「と、そんなことよりも、夕ご飯にするわよ。ゆかりが帰ってこないから私、待ってたんだからね」
「あ、ごめん」
「まあ、別にいいわよ。博斗君と仲良くなるために博斗君と一緒に散歩でもしてたんでしょ?だったら、許してあげるわよ」
子供のような楽しげな表情を浮かべながらお母さんは言った。
「……」
何かを言い返そうとしたけど何を言っていいのかわからなかった。しかも、それが恥ずかしさに拍車をかける。結果、あたしは下を向いて俯くことしかできなかった。
「うん、うん。若々しくて純情な恋心っていいわねー。すぐに感情が表に出てくるからわかりやすいのよ。でも、博斗君の前でそんな状態になったらだめよ。まっすぐゆかりの気持ちを伝えないと伝わらないのよ」
「お、お母さん。そ、その話はもうやめて、ゆ、夕ご飯にしようよ!」
あたしは無理やり大きな声を出してこの話を中断させた。早く終わらせないと延々と続きそうな気がしたからだ。
「あ、そうだったわね」
お母さんはそう言ってリビングの方へと行く。さっき自分で夕ご飯にしておこうと言いながらもう忘れていたみたいだ。
あたしは、玄関に座ったまま長い息をはく。それから大きく息をすう。それを数回繰り返し気持ちを落ち着かせるとあたしは左足だけで立ち上がって壁に手をつきながらリビングまで行った。




