第十章 友達の言葉
お昼休みになった。この時間になるまでに短い休憩が何回かあったんだけどそのときは真由美ちゃんも亜美ちゃんも話しかけてこなかった。たぶん、まとまった時間の中で話したいんだと思う。
短い休み時間を使ってあたしはどうにか自分でも納得できるような嘘を考えた。今はあたしのお昼ご飯であるお弁当を机の上に置いてどこかに矛盾がないか確認しているところ。
「ゆっかりー、一緒にお昼、食べるわよ」
元気な、どこか弾んだ声でそう言いながら真由美ちゃんがあたしの席に来た。
「わたしもご一緒してよろしいですよね」
真由美ちゃんとは対照的な静かで丁寧な声が後ろから聞こえてきた。けれど、どこか楽しむような声色が隠れきっていない。
後ろを見てみるとそこに亜美ちゃんが立っていた。
「う、うん。い、いいよ」
あたしは二人に対してそう言った。あたしの言葉に二人は頷いて近くから椅子を持ってきた。
真由美ちゃんと亜美ちゃんはあたしの一番仲のいい友達。でも、今は一番逃げたい存在だ。だって……。
「それで、ゆかりはなんで英語の小テストのときににやけてたのよ。教えなさい」
お弁当の箱を開けながら真由美ちゃんが少し強い口調でそう言う。
「まあまあ、真由美さん。落ち着いて聞いて差し上げましょう。そうじゃないと話してくれないかもしれませんよ」
落ち着いた冷静な声色で亜美ちゃんはそう言う。
真由美ちゃんと亜美ちゃんは対照的な性格の持ち主だ。真由美ちゃんが明るく快活な感じで、亜美ちゃんがおとなしく物静かな感じ。
そんな二人と知り合ったのは中学生のころ。ちなみに二人は小学生のころから知り合っていたらしい。
初めて話をしたときはなんとなく気が合うな、と思っていた程度だった。しかし、いつの間にか五年間ずっと同じ学校、同じクラス、という仲になってしまっていた。
あたしが一人でそんなことを考えている間に真由美ちゃんと亜美ちゃんは勝手に話を進めていた。
「そうね。だったら、じわじわと核心に近づいていくわよ。亜美も手伝うのよ」
真由美ちゃんが亜美ちゃんの言葉に答えるようにそう言う。
「はい、言われなくても手伝ってあげます。まあ、でもゆかりさんはわかりやすい反応を返してくれるのであなた一人でも出来ると思いますが」
「それは、わかってるわよ。二人で一人の人間を追い詰めていくことに意味があるんじゃないかしら?」
「確かに、そうですね。そちらのほうが一人で追い詰めるよりも数倍たのしいでしょうね」
真由美ちゃんと亜美ちゃんはあたしにとって不穏な発言をしていく。今すぐここから逃げたい。でも、もしここから逃げ出したとしてもすぐに真由美ちゃんに捕まってしまうと思う。
だから、二人に諦めてもらうような方法を考えなくてはいけない。その為に嘘を考えたのだがいざこの二人に話しかけられると自分の考えた嘘も意味のないようなもののような気がしてくる。
「じゃあ、まずは質問していくわよ。それからどんなふうに追い詰めればいいか最適な方法を考えるわよ」
「はい、わかりました」
真由美ちゃんと亜美ちゃんはどうするかを決めてしまったようだ。あたしはぼろを出さないように気を引き締める。どこかで失敗したらどうしようもないと思うから。
「ゆかり、これからわたし達であなたに質問をしてもいいわよね」
絶対に断らないだろう、と思っているのが声から伝わってくる。たしかに、ここで断ったら怪しまれる。もしかしたら、二人だけで変な方向に話を持っていくかもしれない。
なので、あたしは断ることが出来なかった。
「別に、いいよ。あたしが答えられる、範囲なら」
取りあえず逃げれるような一言を付け加えておいた。というか、あたしに話をまとめさせて一気に聞くつもりなんじゃなかったんだろうか。真由美ちゃん、自分で言ったことを忘れたのかな?
まあ、いいや。考えた嘘の中から質問に答えればいいんだから。
「じゃあ、まずはわたしから行くわね。昨日の放課後、何か嬉しいことでもあったのかしら?」
これは、ある程度予想していた質問だった。だから、考えていた嘘の中からそれにあった答えを引っ張り出す。
「うん、昨日散歩をしてたら猫をたくさん見つけたんだ。それで好きなだけ猫に触れたから嬉しかったんだよ」
二人には自分の好きな人だけではなく、あたしの好きなものも教えてある。だから、この答えにおかしなところなど一つもないはずだ。
「そうなのね。確かに、ゆかりならその程度のことで喜ぶでしょうね」
真由美ちゃんがあたしの嘘を信じてくれたことにほっとする。これで、なんとかなるかな、そう思ったのに、
「それは、嘘ですね」
亜美ちゃんが冷静な声で一言。あたしはその言葉を聞いた瞬間にぎくり、とする。
「ゆかり、何をそんなに驚いているのかしら?」
にやにやとした笑みを浮かべながら真由美ちゃんがそんなことを言う。その瞬間に驚いた表情をこの二人に見せたらだめだと思った。しかし、時はすでに遅くもう二人には気づかれてしまっている。
「本当は、瀬条先輩に関してなにかあったので嬉しいのでしょう?」
「そ、そんなことないよ」
極力表情を変えないようにしながらあたしは言う。でも、自分で聞いててもわかるくらいに声色が不自然だ。
「本当に〜?ゆかりって猫に関して何かあった場合は絶対にあんな顔しないわよ〜。猫に関して何かあったらゆかりは純粋な表情を浮かべてるわ。なのに、あの時は少し欲望が混じってたわ。まあ、簡単に言えば恋心みたいなものね」
「ちょ、ちょっと待って。真由美ちゃんってあたしの後ろの席だからあたしの顔、見えないんじゃないの?」
「振り返ったときににやけてたのよ。ゆかりの顔。自分では気づいてなかったのかしら?」
「え?そ、そんなこと、な、ない、はず」
そうは言ったものの自信はない。あの時あたしは恥ずかしいと思っていたはずだが、にやけていなかった、とは言い切れない。
それくらい、今日先輩と一緒に帰って先輩と話をすることはあたしにとって嬉しいことなんだから。
「瀬条先輩に関して何かあったのよね」
さっき、亜美ちゃんが言ったことと同じことを繰り返すように真由美ちゃんが言う。
「さあ、ずばっと話しちゃいなさい。そうしたら、楽になるわよ」
真由美ちゃんの中ではあたしが瀬条先輩に関してのことで嬉しいことがあったと決定されているようだった。
「絶対に話さない!」
あたしは少し強い口調でそう言い返す。これだけ強い口調で言えば絶対にもう諦めてくれるだろう、と思って。
「ふふ、瀬条先輩に関して何かあったってことは否定しないのね」
「あ……」
真由美ちゃんの言葉にあたしは小さくそんな言葉をこぼしてしまった。
「ゆかりさん、まだまだ甘いですよ」
亜美ちゃんが微笑みながらそう言う。
本当にどうしよう。二人ともどんなこと聞いてくるんだろう。でも、もう諦めて本当のことを話すしかないようだ。
下手をしたら変な方向に話が広がっていくかもしれない、とあたしは思ったからだ。
「もしかして、恋人になってもらえたの?それとも、デートの約束?」
好奇心旺盛な子供のように瞳をきらきらさせながら真由美ちゃんがそう聞いてくる。
「そ、そんなんじゃなくて、ただ、一緒に帰る約束をして、話をする約束をしただけ」
「えー、それだけ?面白くないわね」
「でも、今までのゆかりさんにしてみれば結構進んだんじゃないでしょうか。それに、とり方によればデートともいえるんじゃないでしょうか」
つまらなさそうにしている真由美ちゃんに対して亜美ちゃんはあたしに祝福をするような微笑みを向けている。
「確かに、そうね。今までのゆかりは話すことすらしなかったものね。わたし達からしてみれば奥手すぎるにもほどがある、いい加減にしろ、って感じだったものね」
「ま、真由美ちゃん、そんなふうに思ってたんだ」
「あんたから好きな人を聞いてからずっと進展がなかったからつまらなかったのよ。どんな恋話でも進展がないと面白くないものなのよ」
身を乗り出しながら真由美ちゃんがそんなことを言った。あたしは少したじろぎながらも、
「そ、そんなものなんだ」
と答える。
「そう、そんなもんなの。……それで、亜美は今の話を聞いてどう思った?」
真由美ちゃんは椅子に座りなおしながら亜美ちゃんにそう聞く。あたしは真由美ちゃんが亜美ちゃんに具体的に何を聞いたのかわからなかったけど、亜美ちゃんにはわかったようだった。
「悪くないんじゃないでしょうか」
悪くないって、何が悪くないんだろう。亜美ちゃんの言っていることもあたしにとってはさっぱりだった。
この二人はときどき、あまり言葉を交わさずに意思が疎通していることがある。それだけ、二人が長い間一緒にいたということなんだろうけど、蚊帳の外のあたしはただただ困ったように二人を見ていることしかできない。
「やっぱり、亜美もそう思うのね。ゆかりはなんで瀬条先輩が今までろくに喋ったこともないゆかりと一緒に帰ってくれるなんて約束してくれたと思う?」
その言葉で真由美ちゃんが亜美ちゃんに何を聞いたのかわかった。今まで瀬条先輩と話したことのないあたしが一緒に帰れるなんて約束をすることついてどう思う?、って聞いたんだ。
なんとなく先輩が今まで話したこともないのにあたしと一緒に帰る約束をしてくれた理由はわかってる。
あたしが先輩と同じように猫に姿を変えることが出来るからだ。それがあたしが先輩と話をすることが出来るようになったきっかけで先輩があたしと一緒に帰る約束をしてくれた理由なんだと思う。
先輩もあたしと同じような感情を抱いているんだと思いたい。けど、それは希望的観測過ぎると思う。
よく考えてみればあたしが先輩と同じように猫に姿を変えることが出来たから、なんて二人には言えない。それに、もし、言ったとしても絶対に信じてもらえないと思う。あたしだって、最初は自分自身に起きたことだったのに信じれなかったんだから。そんなことを全く関わってない人に話したら信じてもらえるどころか心配されるかもしれない。熱でもあるの、とかそういう感じに。
だから、あたしは真由美ちゃんの質問に対して一番無難な答えを返した。
「そんなこと、わかんないよ」
「そういう一歩引いた考え方がゆかりらしいというかなんというか。まあ、あんたはそういうふうに思ってるのね」
頷きながら真由美ちゃんはそんなことを言っている。
「真由美ちゃんは、どう、思ってるの?」
「わたしはたぶん亜美とおんなじように思ってるわよ。亜美から、聞いてみれば?」
真由美ちゃんは自分で喋るのが面倒くさいのか、それとも本当に亜美ちゃんと同じように思っているのかそんなことを言う。まあ、なんにしろ亜美ちゃんに聞け、ということなんだと思う。
だから、あたしは亜美ちゃんに聞く。
「えっと、亜美ちゃんは、どう思ってるの?」
「わたしですか?わたしは、ゆかりさんあなたは瀬条先輩にそれほど悪い印象を持たれていないように思います。もしかしたら、ゆかりさんのこと、結構気に入っているのかもしれません」
「え、え、え?……そ、それって、ど、どういうこと?」
亜美ちゃんの単なる憶測による言葉のはずなのに、あたしはすごく動揺する。少しずつあたしの顔が赤面しているような気さえする。
対して亜美ちゃんはそんなあたしの様子をさほど気にした様子もなく話を進める。
「ゆかりさんは知らないのですか?瀬条先輩は結構人に対して好き嫌いが激しい方のようなんですよ。彼、気に入った人以外とはあまり関わらないらしいです」
「なんで、亜美がそんなこと知ってるのよ」
「情報というのは重要なものですから、わたしの情報の網は広く広がっているんですよ。そこにたまたま瀬条先輩に関する情報が引っかかっただけですよ」
「どんな所に広げてたらそんな情報が引っかかるのよ……」
どこか呆れたような声で真由美ちゃんは言う。
あたしは二人のやり取りをちゃんと聞いていなかった。何でかっていうと驚いているからだ。瀬条先輩が人の好き嫌いが激しいような人だとは思わなかった。あんな性格だからどんな人とでもおんなじように接してる人だと思ってた。
亜美ちゃんの話では気に入った人以外とはあまり関わらないらしい。ということはあたしは先輩に気に入られているってことになるんだろうか。あたしと話してて嫌がってるって雰囲気もなかったし。
そう思うとなんだかとっても嬉しくなってくる。あたしが先輩に抱いているような感情を先輩が持ってるってわけじゃないけどそれでも全然かまわない。だって、気に入られてるってことは先輩にあたしと同じ感情を持たせることが出来るってことだから。
うん、なんかやる気が出てきた。先輩にあたしを好きにさせるってことが無理なことじゃないってことがわかったから。
どうやったら好きになってくれるかなんてわかんないけど、取りあえず出来ることだけはやりたい。その出来ることの一つが今日、先輩と話をすることだ。
昨日は眠気のせいでいまいちまともに話せなかったけど今日はいろいろなことを話そう。
ふと、先輩が「僕たち、結構気が合うんじゃない?」と言ったのを思い出した。あの時は動揺したりしていて冷静に考えられなかったがあの言葉は先輩があたしのことを気に入ったってことを伝えてたんだ。
だから、あたしは確信する。先輩はあたしのことを気に入ってくれてるんだって。
先ほどよりも嬉しく、顔が綻んでいく。
「ゆかりは、なに一人で笑ってるのかしら?」
「瀬条先輩に気に入られていると思って嬉しいんだと思いますよ」
二人だけで話していた真由美ちゃんと亜美ちゃんにあたしが笑ってることが気づかれた。な、なにされるんだろう。
「ふーん、そうなのね。やっぱり嬉しいわよね。好きな人に気に入られてるってわかったら」
そう言って真由美ちゃんはずいっとあたしのほうへと顔を寄せてくる。そしてあたしの耳元で囁くようにいう。
「この際だからついでに告白もしちゃいなさい。どうせ帰るときと瀬条先輩と二人っきりなのよね。これはもうチャンスとしか言いようがないじゃない」
「そ、そんなこと言ったって、む、無理だよ。心の準備とかいるし、は、恥ずかしいし……」
あたしは、微かに頬が上気していくのを感じながら真由美ちゃんと同じように小声で答えた。
「心の準備とか恥ずかしいとかは関係ないわよ。必要なのは勢いよ、勢い。勢いさえあれば何とかなるわよ」
「勢いなんて無理だよ。先輩が一緒にいるだけであたし、舞い上がちゃってどうすればいいかわかんなくなるんだから」
「そういうふうに冷静さを欠いていたほうが勢いでいきやすいものなんですよ。一番効果的なのは舞い上がる前はずっと瀬条先輩に告白することを考え続けることです。そうすれば、自分の知らない間に告白してるんじゃないでしょうか」
亜美ちゃんまでもがあたしに顔を近づけてそんなことを囁いてきた。
「確かにそれが一番ゆかりらしい告白の方法ね。ゆかりが冷静な状態で告白してるところなんて想像できないもの」
真由美ちゃんは想像できないようなことをあたしにやらせようとしてたんだ。そんなふうにあたしは頭の中で苦笑する。
「といわけですので、ゆかりさん。今から瀬条先輩と一緒に帰るまでの間、先輩に告白することだけを考えてください。そうすれば、あなたの望みどおり告白できるはずですよ」
「な、なにが、というわけなの?それよりも、なんで二人ともあたしに告白させようとしてるの?」
あたしが告白するという方向で話をまとめようとしている二人に対してあたしはそう言う。そして返ってきたのは、
「おもしろいからよ」
「おもしろいからです」
という、全く同じ返答だった。あたしはもう何も言えなくなった。何を言っても意味がないような気がしたから。
そして、そういえば、まだお弁当食べてないな、とか今の話題とは関係ないけど結構重要なことを考えていた。