第九話 一日の終わり
今、あたしは勉強机の前に座ってぼーっとしている。勉強がはかどらないというわけではない。今日のことを思い返しているだけだ。
嬉しいことがあったときはいつもこうしている。あたしは文章をまとめるのがあまり得意じゃない。だから、こうやってその日にあったことを頭の中で考えるしかない。
あたしは日記とかに文章で書くよりもこうやって頭の中で描くほうがいいような気がする。それは、文章で書くのが苦手だから、というのは関係なくだ。
あたしが残していたいのはいい思い出だけ。それもとっておきにいいものだけ。だから、文字にして残さないと残らないような思い出はいい思い出とはいえないような気がする。
だから、あたしはこうやって頭の中で一日の間にあったことを思い描くだけ。
今日は、本当にいろんなことがあった。朝は猫になってて驚いたり、戻れないんじゃないだろうか、と思って不安になったりした。そして、それ以上に先輩に抱いてもらったりしてとても嬉しかった。それに、先輩もあたしと同じように猫になれるってことを知った。
夕方は、朝とは違う不安を持って先輩に会いに行った。あたしは、朝、先輩に嘘をついてたからそのことを先輩が知ったら怒るんじゃないだろうか、と思って。だけど、予想に反して先輩は全然怒っていなかった。そのときはすごく安心した。もし、嫌われてたりしたらあたしどうしていたかわからなかったと思う。好きな人に嫌われる、なんていう経験は今まで一度もなかったことだから。
その後は、先輩と話をした。それほど、特別な話をしたわけではないけどあたしはそれだけで嬉しかった。けど、話している途中で沈黙ができてそのときにいきなり眠くなってあたしは眠ってしまった。そして、目が覚めて寝ぼけていたあたしは先輩に抱きついてしまった。
そこまで思い出して、いきなり恥ずかしくなった。今日のあたしは先輩にとんでもないことをしてしまった。ちゃんと頭が起きているときなら絶対にしないことだ。
そういえば、先輩はあたしに抱きつかれてどう思ったんだろう。あのときの先輩の声は焦っていたように聞こえた。
まあ、確かにいきなり異性の人に抱きつかれたら焦ると思う。というか、あたしは同性でも焦る。
だから、当然の反応を返されたということしかわからない。焦っていただけなのか、それとも焦りと一緒に別の感情を抱いていたのかということはわかるはずがない。別の感情というのはあたしが先輩に抱いているような好きな人に向ける感情とかのことだ。
うーん、とあたしは考えてみる。けど、それだけでわかるはずがない。あたしは先輩のことを全て知っているわけでも超能力者でもないんだから。
あたしは、机に突っ伏す。本当に先輩はあのときどんな感情を抱いてたんだろう。溜め息と共にそんな想いがあたしの頭の中に浮かぶ。
とりあえず、あたしは頭を起こして頬杖をつく。それから、窓際を眺める。
あたしの目に映ったのは花瓶に挿した昨日とってきたねこじゃらし。まだまだ元気そうで先の部分のさわり心地は気持ちよさそうな感じだった。
あたしは頬杖をついていないほうの腕をねこじゃらしのほうへとのばしていく。そして、先っぽの部分を軽く握ってみた。
やっぱり思ったとおり。さわり心地はいいままだった。
何回か軽く握っては軽く放すを繰り返す。それから、花瓶からねこじゃらしを抜き取りなんとなく先っぽの部分を甘噛みしてみる。なんだか少しだけ安心するような気がする、
そのままあたしは再度ぼーっとしていた。
昨日は結局あの後あたしは寝てしまった。本当はぼーっとした後に勉強するつもりだったのにいきなり強烈な睡魔が襲ってきたからだ。
頭を振ったり手をつねってみたりとしたけど、全然効果なし。ついにはまぶたを開けてられなくなった。
仕方ないのでねこじゃらしを花瓶に戻したあたしはそのままベッドに横になって眠ってしまった。
あのときのことをあたしは後悔している。今日は小テストがある日だった。昨日はすっかりそのことを忘れていた。
無理して起きてでも勉強をするべきだった。もしかしたら、勉強しているときに今日のテストのことを思い出せていたかもしれない。机に置かれた小テストを見てあたしはそう思う。全く答えがわからない。
今日あるテスト、というのは英語の小テストだ。単語の問題と英文の問題がある。
ちなみに、英語はあたしの一番苦手な教科。なんか日本語と文法の並びが違うから覚えにくい。
それに、最近では、どうせあたしは海外に行かないんだから英語なんか勉強しなくても大丈夫、とか思ってる。まあ、でも、そういうわけにもいかないんだろうけどね。日本国内でも外国の人を見かけることがあるからね。もしかしたら、話しかけられてしまうかもしれない。
そういうときに英語が必要になるんだと思う。あたしみたいに海外に行かない人にとっては。
そこまで考えてあたしは小テストと睨めっこをするのをやめた。わからないものはわからないんだから潔く諦めよう。
そう心の中で頷いてあたしは別のことを考え始めた。
今日は放課後に先輩と話をすることが出来る。今日はどんな話をしようか。
先輩の好きなものとか趣味とか聞いてみたいな。あ、誕生日っていつなんだろう。
今までまともに話したことがなかったから聞きたいことがどんどん思い浮かんでくる。先輩のことについて知りたいと思う欲も止めることが出来ない。
そういえば、どこかに連れて行ってくれるって昨日言っていたような気がする。どんな場所に連れて行ってくれるんだろう。すっごく楽しみだな。
「おい、大西」
「は、はいっ?」
静かな教室の中でいきなりかけられた声に驚いてあたしは焦ったように返事をする。あたし何かしたのかな?
「なにをにやけているんだ?今は授業中でしかもテスト中のはずだが」
「え?」
先生にそんなことを言われてあたしは慌てて自分の顔を触ってみる。
さすがに、にやけていたかどうかはわからなかった。でも、にやけていたような気もする。先輩のことを考えて少し楽しい気分になってたから。
そう思うと、すごく恥ずかしくなってきた。
「あの、す、すみません」
顔を俯かせたくなって頭を下げてあたしは先生に謝る。当然、頭は下げたままだ。
「いや、まあ、他のやつに迷惑をかけていないから別にいいんだがな。ただ、気を緩めすぎるなよ」
先生は苦笑しながらそう言ってあたしの席から離れていった。それから、五分後に小テストの時間は終わりテストは回収された。
結果はわかりきっているので正直楽しみなんかではない。むしろ、返ってきてさえほしくない。
とりあえず、今はこれからの授業に集中しなくちゃ。今度はまともな点数を取れるようにするために。
あたしがそう思っていると後ろの席の人に肩を叩かれた。
確かあたしの後ろの席はあたしの友達の高橋真由美だ。肩に垂らされた茶髪が真由美ちゃんの特徴だ。
それよりも、真由美ちゃん授業中になんの用だろう。そう思いながらあたしは後ろをちらり、と振り返った。
振り返ると顔にあたしにとって不吉な笑みを浮かべた真由美ちゃんの顔が見えた。そして、真由美ちゃんはメモ帳に書いた文字をあたしに見せる。
そこに書いてあるのは『昼休みになったら詳しく話を聞かせてもらうわ。今の間に頭の中で話を整理しておきなさいよ』だった。たぶん、話を聞かせてもらうというのはあたしがにやけてた理由だと思う。というか、それ以外のことは絶対にないと思う。
どうしよう。本当のことを言うのはためらわれる。真由美ちゃんだと絶対にあたしをからかったりするからだ。そんなことになればたぶんあたしは恥ずかしさでどうすることも出来なくなると思う。
考えないと、真由美ちゃんにからかわれないようにする方法を。そういえば、亜美ちゃんもいるんだった。大木亜美。亜美ちゃんもあたしの友達だ。
本人はまだあたしと話をする、とは言っていないが真由美ちゃんと一緒になる可能性は大だ。
そうなればあたしは二人からからかわれることになる。
こうなったら仕方がない。二人には悪いけど嘘を言おう。自分の身が何よりも一番だからね。
そう心の中で頷いてあたしは授業中に自分でも納得のいくような嘘を考えてた。