第六話 ~説得②~
同盟反対派の中心人物であった平手政秀を信長が論破したことで、那古野城では斉藤道三との同盟に向けた動きが一気に活発化することとなりました。
しかし、皆が同盟の為に懸命に働いているにも拘らず、城の中の空気はどこか暗いです。
原因は解っています。
平手政秀が「隠居する」と宣言し、屋敷から出て来なくなったのです。
政務をさぼって何処かに行こうとする兄と、それを諌めようとする平手政秀。
日常だったそんな光景が、見られなくなった。
表面的には、たったそれだけのことなのに、しかし、城からはいつもの明るさが消え失せていました。
勿論、平手政秀の隠居を防ごうと、私などは、毎日のように彼の屋敷を訪れています。
だけど、彼は「自分は後見役には向いていなかったのだ」「私のような老骨は、もはや、隠居すべきなのです」等と言うばかりで、誰が、どんな説得をしようと、それを聞き入れてくれません。
自分は要らない人間なのだと、完全に無気力状態になっているようです。
自害する気すらなくなっているようなので、とりあえず、自害フラグは折れたようなのですが、これでは意味がありません。
まさか、私が、彼を説得する手助けになれば、と作ったあのゲームでこんな結果が訪れることになるとは。
歴史を変えることの難しさと、それが禁忌である理由を、身を持って実感することになりました。
今日も、文官達の手伝いが一段落した後、私は平手政秀の屋敷へと向かっています。
彼が、こうなってしまった原因は間違いなく私にあります。だから、私が何とかしなければ!
そんな義務感にも似た感情によって、今の私は突き動かされていました。
しかし、平手政秀の屋敷に着くと、どうもその雰囲気がいつもと違うことに気が付かされます。
まさか、思い余って自害したのでは…そんな、最悪な想像が脳裏に浮んできます。
けど、どうやら、その想像は外れていたようでした。
「ああ、もう、だから、誰も爺さんが後見役として相応しくないなんて考えていないって」
「爺さんが、後見役として相応しくなかったら、それこそ、相応しいやつなんて居なくなっちまうっつうの」
そんな元気な声が、家の中から聞こえてきます。
声の質から判断するに前田利家でしょうか?
乱暴な言葉使いといい、多分間違ってはいないでしょう。
「後見役ってのは、後ろでその成長を見守る役のことだろ、それなら、爺さんは十分に果たしているさ」
丁度、彼の言葉が途切れたタイミングで、私は屋敷へと上がることになりました。
「おう、姫さんじゃねぇか。
姫さんからも言ってやってくれよ。
爺さんが、自分は後見役として相応しくないからこのまま隠居するって言い張って、こっちの言うことを聞かねぇんだ」
私に気が付いた彼がそう話しかけてきます。
私はそれに頷きながら、前田利家の横に座りました。
「平手お爺様は、どうして、自分が後見役として相応しくないと考えているのですか?」
私は、最早、何度彼に尋ねたか解らない質問を再び口から出しました。
そして、その質問は、今まで、一度も彼が答えてくれなかった質問でもありました。
「そういや、そうだな。
遊戯で負けたぐらいで、後見役を辞めて隠居するなんて言い出すなんて、爺さんらしくないぜ?
何か他にも理由があるのか?」
私の質問を聞いた前田利家がそう反応します。
そして、それ故か、平手政秀はこの質問に対して初めて口を開きました。
「私が後見役に選ばれたのは、今は亡き信秀様に、説得・交渉・調停などの能力が認められたからです。
殿が当主となった後に、家中で孤立することがないように、私が選ばれました」
「殿様が今現在孤立しているから、その責任を取って隠居するとか言うつもりじゃないだろうな」
「まさか、私はそこまで無責任ではありません
私が、自分を許せないのは、その責任を果たす為に、殿の才能を潰してしまおうとしたことです」
「???」
訳が解らないといった様子で、首を傾げる前田利家。
私は、というと、彼の言葉から彼を説得できる手段を探し出そうと、全意識を耳に集中させて、彼の言葉を聞き入っていました。
「殿が家中で孤立しないように、最大限努力していた私は、やがて、ある壁にぶつかりました。
私を含めて家中の人間が皆、殿の主張を理解できないのです。
それが、今までの常識を超える凄い発想なのだ、ということは、漠然と解っていました。
しかし、理解することは出来なかった。
自分が理解できないことを、他人が理解できないであろうことを、誰かに説得できると思いますか?
そのようなことは、誰にも不可能です。
だから、私には、家中を説得する為に、殿を家中で孤立させない為に、殿の主張を皆が理解できるものへと変えてもらう必要があった。
自らの責任を果たす為に、殿に逆らってまで、皆が理解できることを主張する必要があったのです」
「ふーん、何であそこまで、爺さんが殿と意見対立していたのかは理解したけどよ、でも、どうしてそれが後見役を辞めることを繋がるんだ?」
「あの遊戯をやっている最中に、私は、殿が主張されていた軍制の利点をはっきりと理解することが出来ました。
あれは、正に画期的という他ないものでした。
そして、同時に私は自分が許せなくなった。
私は、これほどまでに素晴らしいものを生み出せる殿の才能を、自分が責任を果たすというそれだけの理由で、潰そうとしてしまっていたのだと。
後見役というのは、本来、後ろから支えつつ、その才能を伸ばしていくのが仕事です。
けれど私は、信秀様の期待に応えようとして、その才能を潰そうとしてしまっていた。
本末転倒というべきでしょう。
私は殿を支えることの出来ない、才能を伸ばすどころか潰してしまうような、そんな古い人間なのです。
そして、そんな自分が後見役などという地位にいることは、害悪にしかなりません」
「だから、そんなことないって言っているだろうが」
平手政秀の独白に前田利家が反論します。
「だいたい、爺さんは、自分のことを過小評価し過ぎだって。そもそも…」
再び前田利家の説得が始まりました。
私はそれを聞き流しながら、思考に没頭します。
何故、平手政秀は、自分が後見役として相応しくないと思っているのでしょう?
自分に課せられた責任を果たす為に、兄の才能を潰そうとしたことに罪悪感を覚えているからです。
ならば、どうすれば、彼が後見役として相応しいのだということを納得させられますか?
兄の才能を潰そうとしたことへの罪悪感を払拭してやれば良いのです。
どう言えば、その罪悪感を払拭させることが出来るでしょう?
貴方は兄の才能を潰そうとしてはいないと説得しますか?
いや、無理です。
彼が兄の主張に真っ向から反対し、妨害していたのは紛れもない事実。
それを誤魔化すことは出来ません。
兄の才能を潰そうとしたのは、別に罪悪感を覚えるほどのことではないと説得しますか?
無理でしょう。
自分に厳しいところがある平手政秀が、そのようなことを認めるはずがないです。
罪悪感を払拭させることは無理です。ならばどうすればいのでしょう?
その罪悪感を糧に、これからも兄、信長を支えてくれと説得するというのはどうでしょう?
「………、失敗したのなら、それを次に活かせばいい、………」というのは彼が以前に言った言葉です。
これから、その罪を償う為に、死ぬ気で信長を支えればいい、と説得すれば?
いや、駄目です。死ぬ気で、などと言ったら、本当に自害してしまう可能性があります。
それでは、意味がありません。
これから、その罪を償う為に、どんなに苦しくとも、生きて、兄、信長を支えてくれ、と説得すれば?
うん、これなら、何とかなりそうです。
さて、方針は固まりました。私も説得に参加することにしましょう。
「爺さんが、後見役に相応しいってのは、この城にいる皆が解っているんだ。
あの遊戯だって、姫さんが皆と協力して、殿が爺さんを説得しやすくする為だけに作ったんだぜ」
思考の海から、現実に意識を戻すと、まだ前田利家の説得が続いていました。
しかし、平手政秀はそれを聞き流すばかりで、余り効果は上がってはいないようです。
その説得が一時的に途切れた隙に、私は口を開きました。
「確かに、平手お爺様が、兄様の才能を潰そうとしていたのは紛れもない事実です」
「………」
「おい、何言ってんだ、姫さん!」
私の言葉に、平手政秀は頷くように俯き、前田利家は反発します。
私はそれを無視して話を進めました。
「ですが、才能を潰そうとしてしまったからといって、この重大な時期に、後見役を辞めるというのは、余りに無責任ではありませんか?
平手お爺様は、この時期に、貴方が後見役を辞めるということが、世間一般でどのように受け止められるか、理解していますか?
『後見役であった平手政秀殿までが、殿を見限った』
そう受け止められることになるのですよ」
「そ、そのようなことは…」
私の言葉を聞いた平手政秀が反論しようと口を動かそうとします。
しかし、そこから先の言葉が出てくることはありませんでした。
彼も理解したのでしょう。どう言い繕うが、世間はそのように判断してしまうと。
「ない、そう言い切れますか?
無理でしょう。世間の評判とはそういうものですから。
お爺様が以前に仰ったではないですか。
『間違ったのなら、やり直せばいい。失敗したのなら、それを次に活かせばいい。本当に怖いのは、間違ったことに、失敗したことに気が付かぬ、気が付いても逃げ出してしまうことだ』と。
平手お爺様は、逃げているだけです。
私には、貴方が、兄様の才能を潰そうとしてしまったという罪悪感から、ただ、逃げているようにしか見えない。
兄様の才能を潰そうとしたことは、確かに、大きな過ちでしょう。
しかし、ならば、その過ちの分までも、これからはどんなに苦しくとも生きて殿を支えていこうと、なぜそう思わないのですか!
過ちを犯したのなら、その分も、これから頑張って取り戻せば良いではないですか」
「…姫様は、この老骨に、随分と厳しいことを仰る。
犯した過ちを、これから挽回せよ、などと、そのようなことが出来るとお思いですか」
「これは『出来る』『出来ない』ではなく『やるか』『やらないか』の問題でしょう。
このまま、一生、その罪悪感を持ちながら、何も出来ずに死ぬか。
それとも、その罪悪感を紛らわす為に、苦痛を味わいながらも、生きて過ちを償うか
要するに、そういう問題ですから」
「はは、そうですな。その通りです」
泣いたような、笑ったような、呆れたような、その平手政秀の返答は、複雑な感情が入り混じった声でした。
そして、彼は、姿勢と衣服を正し、再び口を開きました。
「姫様、利家殿。いま少しばかり、時間を頂きたい。
お二人の説得で、この政秀、目が覚めました。
ですが、この老骨が、心の整理を終えるまでは、もう少し時間がかかります。
どうか、それまでは、お待ちください」
そう言った彼の瞳には、光が戻っていました。
これは、説得に成功したと考えて良いのですよね?
そう思った瞬間、私の胸は安堵感で一杯になりました。
私のせいで、平手政秀が無気力状態のまま死んでしまうという、最悪の状況だけは避けられたようです。
本当に良かった。あのままだったら、私こそが罪悪感で潰れそうになっていたことでしょうから。
説得を行っていてくれた、前田利家には感謝しなければなりませんね。
「解りました、それでは、今日はこれで帰らせていただきます。
平手お爺様がよき答えが出せるように、期待しています。
さぁ、利家殿、帰りましょう」
安堵感に包まれたまま、私は、そう言って屋敷を出ることにします。
「あ、ああ、そうだな。
それじゃ、帰らせてもらうぜ、爺さん」
そして、私の言葉を聞いた前田利家も、そう言って、私と共に屋敷から出ました。
そういえば、彼と共に歩くのは、以前、護衛をしてもらった時以来です。
そんなことを考えながら城に向かって歩いていると、唐突に、彼が口を開きました。
「相変わらず、姫様は凄いねぇ」
「どうしたのですか?行き成りそんなことを言って」
「俺が幾ら言っても、考えを変えてくれなかった爺さんを説得しちまうんだからさ」
「私だけが説得した訳ではありませんよ。
利家殿がその前に、平手お爺様は後見役に相応しい重要な人間なのだ、そう言っていてくれたからこそ、彼は受け入れてくれたのです。
それに、以前に私が説得の為に彼の屋敷に行ったときは、そもそも、質問に答えてもらえませんでしたから」
「それでも、十分に凄いと思うぜ。俺にはできねぇよ」
「そんなことありませんよ。利家殿だって、もう少し場の空気を読むことが出来るようになれば、あのくらい簡単にできるようになります」
「おい、そりゃ、俺が場の空気を読めない人間だって言っているのか」
「実際、読めないことが多いでしょ。この前の遊戯の時だって、平手お爺様が落ち込んでいる横で、兄様が勝ったことを大喜びしていましたし」
「そりゃ、確かに、あれは俺も悪いことをしたと思ったけどよ。
だから、ああやって爺さんのことを説得しに行った訳だし、別にいいじゃねぇか」
それで、平手政秀の屋敷に居たのですか。確かに、態々、説得の為に訪れるなんて意外だな、とは感じていたのですよね。
「そんなことを言って、反省していないと、
いつか、空気を読まずに、兄様の前でぶち切れて殺傷事件を起こし、出奔することになりますよ」
「おいおい、幾ら俺でも、流石に殿様の前でそんなことはしねぇよ」
いや、史実で貴方は、それで信長の弟を殺して、二年間も浪人することになっていますから。
平手政秀の説得を手伝ってくれたことで彼には借りが出来ましたから、如何にかしてあげたいのですが。
かといって、殺された相手も、性格が最悪とはいえ私の兄なので、私が取れる行動も限られているのですよね。
まさか、私が前もって暗殺する訳にもいきませんし。
「そうだと良いのですがね。
ともあれ、平手お爺様を説得してくれてありがとうございました」
「別に、俺は自分の為にやったんだから、お礼を言われるようなことじゃねぇよ」
「それでもです。貴方がどう思おうと、間違いなく私は貴方の行動によって救われました。
もし貴方が何か困ったことがあったら遠慮なく言ってください。出来る限りの協力はしますから」
「? まぁ、姫様がそう言うんなら、そうさせてもらうけどよ」
さて、城に辿り着きました。
平手政秀の説得もどうにか成功させることが出来ましたし、久しぶりにぐっすりと眠れることになりそうです。
明日には、また、元気な平手政秀の姿が見られることになると期待しましょう。
後でまた改定すると思います。