第五話 ~説得①~
「松平家を襲った悲劇は姫様もご存知でしょう。
今川家を頼ったが故に、やがて、彼等の支援なくしては国を守れなくなってしまう。
そして、嫡男を人質として求められ、当主が死んだ後は、その嫡男を人質とされたまま、今川の代官に領地を支配されることになってしまった。
この家をそのようにさせる訳にはいかないのです」
「でも、それとは状況が違うように思うのですけれど。
まだ、兄様には子供が出来ていません。兄様が死ねば、家督はどちらかといえば反斉藤家である信行殿に渡ってしまいます。
少なくとも、兄様が尾張を統一し、子供が出来るまで、斉藤家の力を借りても、問題ないのではないですか?」
「一度、他者から力を借りてその味を覚えてしまえば、人間は中々それを忘れることが出来なくなります。
まして、相手はあの斉藤利政殿、マムシと呼ばれる男です。
支援には必ず何かの毒を含ませるはず。
気が付いたときには、この家は衰弱し、彼の支援がなければ、国を支えることが出来なくなっていることでしょう。
そうなってしまえば、後は、松平家と同じです」
「それなら、ある程度尾張を掌握した段階で、お互いに反目しあっている斉藤利政殿と斉藤義龍殿を争わせる策を練り、義龍殿に利政殿を討ち取ってもらえば、その心配もなくなるのではないですか?」
「では、それで、その戦いに負けた利政殿が、殿を頼って尾張まで落ち延びてきたらどうします?
今まで恩を受けてきた者を、見捨てるわけにはいきますまい。
あのマムシを体内で飼うことになりますぞ。
それがどれほど危険なことか、お分かりであるはずです」
「だから、斉藤利政殿との同盟は反対なのですか」
「そうです。危険が大きすぎます。その様なことをするなら、一時的に信行様に頭を下げ、今川家や清洲織田家、岩倉織田家の勢力を排除してから、再び当主の権力を強化する道を探すべきです」
「けど、頭を下げたとしても、信行殿が兄様に素直に従うとは思えないのですが…」
「彼らもこの家が滅亡の危機に瀕していることは理解しています。だからこそ、萱津の戦いで信長様に協力した。頭を下げることで彼らの顔を立てれば、彼らも殿に協力することを嫌とは言わないでしょう。少なくとも、利政殿と同盟を組むよりは危険性は少ないはずです。
姫様からも、つまらない意地など捨てて、信行様に頭を下げてくれるように、言ってはくださいませんか」
という会話が、「どうして、お爺様は兄様が斉藤利政殿と同盟することに反対なのですか?」と平手政秀に尋ねたときにありました。
彼を説得するのはかなり厳しそうです。
身近なところに、松平家という、大国に頼ったが故の小国の悲劇がありますので、大国から力を借りることに対して拒否感を抱いてしまうようです。
先代が名君で、次代が凡人(世間での兄様の評価は良い方でもこの程度です。『うつけ』というそれ以下の評価が一般的ですし)というところも先代の松平家と酷似していて、余計に彼らと自分たちを重ね合わせてしまうのでしょう。
それともう一つ、平手政秀が、この時代としては一般的な、国人衆や一門衆との連携を重視するタイプの人間であるということも、彼を説得することを難しくしています。
この時代の一般的な常識を持つ人間にとって、平手政秀の主張は、全く間違っておらず、むしろ、最善の方法だからです。
天下を望まず、尾張の国主となることだけを考えるのなら、彼が言うように、織田信行に頭を下げることでこの家を一本化し、尾張を統一した後、信行との間で決着をつけた方が安全でしかも楽です。相手は信長のことをうつけと呼んで侮っていますからね。最後の決着で信行に勝つのはそれほど難しくないでしょう。
ただし、織田信行は、平手政秀と同じ、国人衆や一門衆の意見を重視するタイプの人間です。だからこそ、兄様と違って、あそこまで国人衆達に人気があるのですが。故に、彼が権力を持ったままだと、国人衆が必然的に優遇されることになります。
そのため、この方法だと、国人衆や一門衆が強い影響力を持ったままとなり、織田家は他の戦国大名と何一つ変わらぬ存在となってしまうのですよ。
それでは駄目なのだ、ということを、国人衆や一門衆との連携を重視するタイプの人間である平手政秀に理解してもらうのは、大変に難しいでしょう。
国人衆や一門衆が強い影響力を持っていれば、信長が史実で絶対的な権力と経済力を手にすることとで成し得た、常備軍などを含む独創的な軍制を行うことが不可能となります。
経済力から形作られる商業中心の信長式常備軍において、石高から形作られる農業中心の国人衆は殆ど関係がないのです。それはつまり国人衆の中央への影響力が激減することを意味します
そのため、自分たちが政治の中心から外れることを嫌う国人衆は、信長の商業中心の常備軍の設立を必ず妨害しようとするでしょう。
そうである以上、信長にとって、逆らえる力を持つ国人衆は邪魔なだけです。
そして、この尾張統一戦は、国人衆や一門衆の力を削ぎ落とし、逆らえなくする絶好の機会なのです。
平手政秀の主張を受け入れ、信行を当主として、尾張を統一してしまえば、その折角の機会が失われてしまいます。
しかし、そのようなことを平手政秀に話しても、彼は納得できないでしょう。
そもそも「農業中心の国人衆を動員するよりも、商業中心の常備軍を動員した方が良い」などという認識を、彼は理解できないでしょうから。
この時代の一般的戦理に従えば、常備軍を動員するよりも、国人衆や一門衆を動員した方が、より多くの動員兵力を揃えられるのだから当然です。
因みに、この、国人衆や一門衆との関係を重視することで、その動員兵力を極限まで上昇させ、隣国を侵略していった代表例がかの有名な武田信玄だったりします。
そのことからも解るように、国人衆や一門衆との関係を重要視するやり方は、戦術的に見れば、敵よりも強大な戦力を整えやすく有利なのですが、戦略的に見ると、意見の調整や兵である農民を管理する国人衆の都合で、戦と戦の間の期間が長くなってしまい時間が掛かってしまう分、不利になる、という利点と欠点を併せ持っているのです。
で、どういう訳かこの時代の人たちって、信長などを除いて、戦略的な考えをしようとしないのですよね。
当主の権限が弱く、国人衆の権限が強くて、信長のような常備軍が作れないとしても、軍務を交代制にするなどして、動員兵力を減らす代わりに、戦と戦の期間を縮め、戦略的な優位さを作り出すことは可能です。しかし、信長の常備軍が登場し、期間を短縮しないと織田軍に対抗できなくなるまで、一部の人間以外、誰もそれをしなかったということからも、戦略的思考への意識が薄いということがうかがえます。
そんな訳で、この時代の人間に、国人衆や一門衆との関係を重要視するやり方の欠点と、信長が考え出したそれらに頼らない常備軍の利点を指摘するのは、かなり難しいのです。
先ずは、戦略的思考に納得してもらうところから始めないといけなくなりますので。
実際に戦ってみれば、この後に起こるはずの織田家と斉藤家の全面戦争みたいに、戦術的な勝敗では斉藤家が勝ち続けていたはずなのに、何時の間にか織田家が勝っていた、となるのは明白なのですがね。
常備軍に付き合って、毎回毎回、動員を掛けていたら、先ず農民兵とそれを管理する国人衆が付いてこられなくなりますから。
けど、普通に言っても、この時代の常識に縛られている平手政秀には理解してもらえない可能性が高いですし、何か、このことを実感させられるものがあればよいのですが…
あれ?実感させられる?
そうですよ、実感させられれば良いのです。
私が、戦略的思考の重要性を知っているのは、前世でアレをやったのが原因です。アレを作って、平手政秀にやらせればいいのです。
その時に、私が、史実において信長が斉藤家に取った戦略で戦えば完璧です。むしろ、兄様と直接戦わせてみたほうがいいかもしれませんね。何しろ、後にその戦略を使うであろうその人なのですから。
そうと決まれば、早速、絵師と木工細工職人のところに向かいましょう。
ルールは、彼らに依頼した物が完成するまでに、私が考えておけば何とかなるはずです。
折角、戦国時代に居るのだから、現実味を出すために文官と武官の皆さんにテストプレイをしてもらって改良していくのもいいかもしれません。
ああ、内政・軍備の計算と勝敗判定の為の文官も必要ですね。誰か、パソコンの代わりに計算できる人間も探さなくては。
そんな訳で、思い付きを得た私は、嬉々として製作作業に取り掛かるのでした。
そして、二ヵ月後、武官たちに協力してもらった数多のテストプレイと、文官たちと協力して探り出したこの時代の技術で最善の勝敗判定方法と軍備シミュレーション方法の結果、遂にそれは完成しました。
皆さん結構忙しいはずなのに「いつも手伝ってくれる御礼に」と言って、よく協力してくれました。
完成したのは戦争系ボードゲームの一種です。某有名戦略系戦争ゲーム(PC専用)を戦国風にアレンジして、勝敗判定の計算方法や内政関連を簡略化させたものとなりました。
戦術的な要素は、お互いの『兵数』『熟練度』『士気』『地形』のみで簡単に勝敗を決めてしまう代わりに、『国人衆への石高の配分と其処から決まる国人衆の動員兵力(農民軍)』『残った直轄領の石高の配分と其処から決まる直属部隊の動員兵力(農民軍)と兵糧備蓄量』『国主が商業都市から得られる金銭の配分と其処から決まる直属部隊の動員兵力(常備軍)と石高の上昇率』『商人を利用した石高と金銭の交換』『農民軍の動員数限界(高い、但し長期間は不可)と損害限界(低い(悪い))と損害回復速度(遅い)と動員回数限界(少ない、但し兵糧備蓄を大量消費するor総石高を減少させることで増加可能)』『常備軍の動員数限界(低い、但し長期間も可)と損害限界(高い(良い))と損害回復速度(速い)と動員回数限界』、などなど戦略的な要素はかなり複雑化していて、本格的な戦略系戦争ゲームとして遊べるようになっています。
それと、石高当たりの兵力動員数は『国人衆に配分して動員させる>直轄領に配分して動員する>>>>換金して常備軍として動員する』となっており、単純に兵力を集めたいのなら、国人衆に多くの石高を配分するのが最良としました。これは実際にこの時代の統治能力だとそうなりますしね。
まぁ、ここまで複雑化した情報処理のために、高速計算が出来る文官が、一ゲーム辺り、六人ほど必要になってしまったのですけれど…。
一般的に遊びとして普及させるためにはさらに簡略化させる必要がありそうですけど、国人衆に戦力を頼ることの欠点と、常備軍の利点を明確に理解してもらうためには、この程度までは複雑化する必要があったのです。
というか、作り終わった後に気が付いたのですけれど、ここまで複雑に作りこむと、現実のシミュレーションにも使えそうですよね。
軍議に図上演習を持ち込むことも可能になるかな?
この時代の軍議って、数字とかを余り使わず、地図の上で駒を動かして話し合うだけですからね。
図上演習を使えば、より正確な未来予測が出来るような気もします。
そして、完成したゲーム(卓上戦争遊戯と名付けました)の説明書を持って、兄、信長の部屋へ突入。
説明書を読んでもらった上で、自身が最良と思った戦略で、平手政秀と対戦してもらうように頼みました。
「最近、何かやっていたのは知っていたが、面白いことを考えたな。
これで爺の主張の根底にある古い考えを破壊させる心算か。
いいだろう、爺には、俺から言っておいてやる。
お前は、この遊びの準備でもしておけ」
笑いながら、楽しそうに、そう呟く兄が大変怖かったです。
平手政秀には兄から言ってくれるそうなので、彼の分の説明書を渡して、私は部屋を出ました。
その後、兄、信長と平手政秀に、それぞれ私を含めた別の人と数回対戦してもらい、このゲームに慣れてもらったところで、いよいよ、二人の対戦となりました。
計算役は、これまでのテストプレイで一番上手だった丹羽長秀を初めとした十八人。六人でも良いのですが、計算ミスがないように、三人にそれぞれやらせて、二人以上が同じ結果を出したものを正解として使うことになりました。
因みに、私、てっきり丹羽長秀は武官だと思っていたのですが、この時の彼は十八歳なのに未だ初陣を済ませていない文官派の人だったのですね。意外でした。後の軍団長だけあって、兵力の配分が物凄く上手くて、テストプレイのときは殆ど勝っていましたよ。
そして、いよいよゲームが開始。
開始初期から、既に信長と平手政秀では大きな違いがみられました。
平手政秀は、石高の大半を、国人衆に分配し、商業都市から得られる金銭も総石高の上昇につぎ込み、農民軍を中心とした戦力を整えていました。
それに対して、信長は国人衆を一切置かずにすべてを直轄領とし、得られた石高も兵糧備蓄を除いて全て商人を使って換金し、お金のすべてを常備軍の動員のために使うという、常備軍だけの編成を取りました。
そして実際に戦いが始まると、最初は殆どの戦いで平手政秀の軍が圧勝。まぁ、国人衆(農民軍)を使う平手政秀の方が、兵力が圧倒的に多いのだから当然です。
信長は、城や山岳地帯など、防衛効果のある地域に立てこもり、辛うじて戦線を維持するのが限界でした。
しかし、農民軍であるが故に、長期戦が出来ない平手政秀の軍が撤退すると、今度は信長が、長期戦が可能な常備軍の利点を生かして、平手政秀の領内へと侵攻を始めます。
平手政秀は直ちに再度の動員を行い、再び農民軍の圧倒的な兵力で、信長の常備軍を追い詰めます。
しかし、やはり、長期戦が出来ないが故に、城や山岳地帯に立て篭もった信長の軍を追い詰めても倒せず、引き上げることになります。
そして、信長が再び平手政秀の領内に侵攻し…
ということが、その後数回続き、遂に、平手政秀の農民軍の動員回数が動員回数限界となってしまいます。
平手政秀は兵糧備蓄を消費して、動員回数限界を増加させますが、さらに戦い続けるうちに、兵糧備蓄があと少しで尽きてしまうところまで、追い詰められます。
仕方なく、平手政秀は総石高を減少させることで、さらに動員回数限界を増加させますが、そうなっては、後はもう、じり貧です。
ゲームの中で一年が過ぎ、動員回数がリセットされても、始めに戻るだけで、同じことの繰り返しです。
遂には、さらに総石高が減少したことにより、農民軍の動員兵力が信長の常備軍を下回ってしまいました。
その後の展開は一方的でした。信長の常備軍は常に平手政秀の領内に居続け、平手政秀はそれから領内を守るために、さらに総石高を削って、動員回数限界を上げねばならず、遂には、総石高が0となってしまい、居城を易々と信長に奪われ、敗北することとなってしまったのです。
「爺が言う国人衆・一門衆を中心とする軍編成と、俺が言っているそれらを一切無視した軍編成。
そのどちらが正しいか、理解しただろう。
言っておくが、現実でも、両者が戦えば、これと同じことが起こるぞ。
むしろ、現実では、無理に農民軍を動員させたときの影響は、総石高が減るなどという簡単なことでは済まされない分、余計に深刻になるだろう。
爺や信行のような国人衆や一門衆を重視したやり方では駄目なのだ。
そのために、彼等の力を、この戦を使って削いでおく必要がある。
遊びとはいえ、現実を模したもので、ここまではっきりと結果が出たのだ。
もう、文句は言わせぬぞ」
信じられないという表情で、呆然とゲーム盤を見つめ続ける平手政秀に、信長が追い討ちを掛けるようにそう言います。
「お待ちください。
確かに、殿が主張されていた軍制の有効性は理解いたしました。
ですが、それと、斉藤利政殿との同盟は別の問題です。
殿は、この家を、松平家にするお心算ですか」
「たわけ、別な問題であるはずがなかろう。
信行に頭を下げては駄目なのだから、利政に頭を下げるしかあるまい。
この家を松平家にするだと?
ふん、俺は松平広忠とは違う。そのような失敗をするものか」
そう言い放って、部屋を出て行く信長。
後には、項垂れた平手政秀が取り残されました。
なんというか、やばいです。
平手政秀の目が、死んだ魚のように光を失っています。
このまま、思いつめて自害したりしなければ良いのですが…。
もしかして、私、やりすぎましたか?