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楽『市』楽座  作者: 空城
第一章
6/11

第三話 ~歯車が回り始める時~

ね、眠いです…。


肉体年齢は五歳なのです。そんなに長く起きては居られないのです。


でも、目の前には、まだ書類が残っています。


何で、お姫様なはずの私が、書類に埋もれて仕事をしなければならないのでしょう?




兄様が、当主となって最初に行ったことは、津島や熱田などの商業都市を自身の完全な支配下に組み込むことでした。

そして、そこから得られる金銭を使って浪人を雇い、常備軍を作ろうとしているようなのですが…。


そこで一つ重大な問題が発生してしまったのです。

なんと、那古野城の文官だけでは、仕事を捌き切れなくなってしまったのですよ。


もともと、那古野城には、その周辺を統治するための文官しかいません。

津島や熱田など商業都市を総合的に統治するのは、織田信秀の居城だった末森城にいる文官の仕事だったのです。


しかし、父上が死んだ今、末森城を支配しているのは、信長とは対立関係にある信行の一派です。

そのため、信長は当主としての権限を使い、強引に、津島や熱田などの統治権を那古野城に持ってきたのですが、そこに信行派の妨害が入りました。


兄様は当然、津島や熱田を担当していた文官も那古野城に引き抜こうとしたのですが、末森城の城主である信行が「末森城の者は皆、私の配下であり、それを強引に引き抜くことは、当主といえども許されることではない」と主張し始めたのだから大変です。しかもあの糞アマ、失礼、お母上である土田御前までがそれに同調する始末。


ある程度の時間が経てば、末森城では仕事を失った文官が大量発生し、信行も文官を引き抜くことを止められなくなるでしょう。ですが、そうなるまでは那古野城にいる文官だけで普段の業務に加えて津島や熱田などの管理までしなければならなくなったのです。


あの自由奔放な兄様が仕事部屋で缶詰にならざるをえなくなった、ということからもその深刻さが窺えます。


そして、暇つぶしがてら自室で自作発電機を使ってガー、ガー、ガーと化学実験をしていた所を、兄様に見つかってしまった私も、それに付き合わされることになってしまいました。


で、最初に、私に与えられた仕事が、文字が読める程度の教養はあるけど、算術までは知らない人間(武官や教養のある足軽)を集めて、彼らに算術を教えること。


どう考えても五歳児にやらせる仕事じゃないのですが、兄曰く、「お前は俺よりも上手く算術を扱えるのだから、この仕事こそが適任だろ」とのこと。おそらく、私が兄様主催の勉強会で商人相手に簿記など現代の算術方法を説明していたのでそう判断されてしまったのでしょう。調子に乗ってあんなことをするべきではありませんでした。

それにしても五歳児に教師をやらせるとか、兄は相変わらず誰にも真似できないことをやってのけます。


教える内容は「とりあえず簡単な四則演算が出来るように成ればよい」とのことなので、どうせならと前世の算数を教えてしまいました。

前世の計算方法に慣れた私からすると、この時代の計算法はやり辛かったものですから。


因みに、「こんなガキに教われるか」と去ろうとした人間を、兄から借りてきた犬千代君を使って黙らせた後、皆の前で私が半刻ほど説教をしたら、何故か、皆、私の言うことをよく聞くようになりました。

まぁ、犬千代君、結構派手にやっていましたからね。どういうわけか、私が説教した人物は、私の声がトラウマになってしまったようで、私の声を聞くたびに微妙に震えるようになってしまいましたけど。


アラビア数字を覚えこませるのがかなり面倒で、後になって漢数字使えばよかったと少し後悔したのは秘密です。

ただ、アラビア数字と十進法の概念を教え込んだ後は、何とかなりました。

九九算は全部覚えこませる時間がなかったので、私が書いた掛け算表を写させて、計算はそれを見てやらせることになりましたけどね。


そして、兄様に「一応ですが、教え終わりましたよ」と報告しに行ったら、今度は「ならば、そやつらを使い、津島と熱田以外のまだ手が回っていない残りの商業都市を担当しろ。無理ならそれらの引き継ぎ準備だけでも構わん」ですよ。


「五歳の子供にやらせる仕事じゃないです」と文句を言っても、「たわけ、お前の使う算術は、知らない奴らには分かり辛いのだ。何かあったときの為に、お前が監視している必要があるだろうが」と返されてしまいました。


あの兄は、どうやら初めから、私にそうさせる心算だったようです。

流石に私に全てをやらせるのは対外的に不味いということで、補佐役として、我が織田家の長老である織田秀敏を付けてくれましたが…。何で五歳児がデスクワーク、それも部長格の仕事をしないといけないのでしょう?


幾らなんでも、限度ってものがあると思うのですが。

津島…信長が直接担当、熱田…平手政秀が担当、それ以外の小商業都市…私(+織田秀敏)が担当。って、末森城から文官を引き抜くまでとはいえ、どう考えてもおかしいですよね。


しかも、私の下にいるのは、カンニングしないと掛け算が出来ないような人たちなのですよ。

生母に半年間監禁されても出てこなかった涙が出てきそうな、そんな今日この頃です。


そして、仕事に取り掛かって、冒頭の状態に至るという訳でした。

人が足りません。だって、規模が小さいとはいえ、十数もの商業都市を四十人ほどで管理なんて無理です。


一都市に三~四人ですよ。三~四人で、現地で徴税や治安維持をしている豪族や商人の報告書を読んだり、彼らに指示を出したり、必要ならば現地に人を派遣したり、集められた税金や貢物の計算をしたりしなければならないのですよ。しかも、今は、そこに引継ぎのための書類も加わっているのです。


前は一日十時間ほど寝ていたのが、今では八時間まで減少してしまいました。五歳の子供にとって八時間は辛いです。

勿論遊ぶ暇もありません。サッカーがしたいです。実験がしたいです。ゲームがしたいです。


とはいえ、手を抜こうと思えば抜けるのですけどね。五歳児の私がまとめ役をやっていることからもわかるように、正直なところ余り期待されていないので。

兄様や城の重臣たちにとってみれば、駄目もとでやらせてみようという感じなのでしょう。


まぁ、常識人である平手政秀が胃のあたりを手で押さえていたことから判断して、兄様がそうなるように強引に押し切ったのでしょうが。

因みに、同じく常識人である織田秀敏は、最初の頃こそ「本当に大丈夫なのか?」という疑問がありありと感じ取れるほど不安げに私の手伝いをしていたのですが、今ではすっかり孫の努力を見守ろうとするお爺ちゃんみたいな感じになっています。


そんな状態なのですが、ワーカーホリックな日本人の性か、やっぱり仕事を任されたからには、それをやり遂げないと気が済まないんですよね。子供だからと舐められるのもなんだかムカつきますし。


あと、そんな私以上に頑張っているのが、犬千代君です。

彼、流石は後の前田利家ですね。かぶき者ですが、それゆえ町の人々に馴染み易く、しかも、算術ができて、武術も後に異名をとるほどの熟練者なので、私が担当している都市を縦横無尽に駆け巡っています。山賊が現れれば、即座に退治し、問題が起これば、人の話を聞き集め解決する。いやはや、本当に役立つ人です。何かあったときについ頼ってしまいたくなるぐらいに。


彼がいなかったら、多分、過労で倒れる人が続出したんじゃないかな?そう思ってしまうほど、彼はよく働いています。兄に頼んで念のため借りてきて正解でした。



そしてそんな犬千代から、ある重大な報告が私の元に届きました。

曰く「鳴海城を今川の侍が出入りするのを見かけた、と酒場で噂になっている」と。


それが今川方の謀略の一環なのか、それとも事実が漏れただけなのか。

どちらであるにせよ、尾張統一戦という名の運命の歯車が動き出した音を、そのときの私は確かに感じ取りました。


織田秀敏に兄様の下に向かうこと告げた後、私はその報告書を持ったまま急いで兄様の下へ行きます。


これは今川方の謀略の可能性が高いと思いますが、その謀略の結果、この時点で山口親子に今川側に寝返られたら、かなり拙いことになるのです。


商業都市の掌握が終わっていない現状では、兄様の実働戦力はこの城の近隣からかき集めた、200~300名程でしかありません。


必然的に、今、戦をするとなると、信行派の戦力が軍の主力となってしまいます。まさか、数百人で今川と戦をするわけにはいきませんから。


それは拙いです。信行に今以上の名声を与える結果となります。折角、一時的にとはいえ押さえ込んだ信長を廃するという動きが再燃することは間違いありません。


史実では、山口親子が今川側に寝返るのはもう少し後ですが、この世界には、私というイレギュラーがいます。油断は出来ません。



「どうかしたか?お市」


信長の執務室に入るなり、兄様はそう尋ねてきました。


「早急に兄様にお知らせした方が良い、と思われる報告がありましたので。

東海道の宿場町で、鳴海城を今川の侍が出入りするのを見た、という噂が流れているそうです」


「ほう?何故それが早急に知らせるべき報告だと思ったのだ?」


興味深そうにそう尋ねてくる兄様。自分でも解っているくせに、私に説明させる心算ですか、この人は。いい加減、その私を試そうとする行動は止めてほしいのですが。


「確かに有り触れた謀略に見えますが、今川の、というところが問題かと。

そこから推測するに、織田信友殿、織田信安殿、織田信行殿らの謀略ではありません。

今、今川の勢力が尾張に浸透し始めていることが広まれば、父上の死で求心力を失っているわが家が、兄様の下に再び団結してしまう可能性があります。

それは、わが家の弱体化を望む織田信友殿と織田信安殿や、兄様に代わって当主となることを望んでいる織田信行殿にとってみれば面白いことではありません。

すると、残るのは、斉藤利政殿と今川義元殿です。

斉藤利政殿が行ったとするのなら、その目的は、今川の脅威を広めることで、兄様が自分に協力を求めるように仕向けることでしょう。

今川義元殿が行ったとするのなら、その目的は、意図的に自らの脅威を広めることで、わが家の混乱を調べることでしょう。

何も行動に移さなければ、身動きが取れないほど追い詰められている。

手紙などで真偽を確認するだけで済ますのなら、やせ我慢を出来るだけの力は残っている。

山口殿親子を呼び出すなりして高圧的に事に当たるのなら、十分な力が残っており、自らの権威を高め、当主として認めさせるための生贄を探している。

そう判断できますから。この場合、打つ手を間違えれば、尾張に今川の大軍が押し寄せることになりかねません。

両者のどちらがこの噂を流したとしても、無視してよいものとは思えませんでしたので」


「流石だな。お前ならどう対応する?」


そんな楽しそうに笑わないでほしいのですが…。美形で絵になっているだけに、怖いのですよ。正直。

そんな思いを抱きつつ、答えない訳には行かないので、私は口を開いた。


「私なら、表面上は無視しつつ、裏ではこちらも噂を流すことで対抗すると思います。

内容は『山口殿親子は、反信長であるが、同じ反信長派の織田信行殿と繋がっており、今川家に寝返るというのは、今川家を内部からかく乱し、彼等の尾張侵攻を遅らせるための織田信行殿の策である』といったところでしょうか?

今川側への内通者、もしくは忍びに、苦労の末、その情報を手に入れることが出来たと思わせることが出来れば、最良でしょう。

今川家に、わが家の実権を握っているのは織田信行殿であることを暗示させ、近いうちに当主交代に伴う混乱が起こることを想像させることが出来ます。

その上、山口殿親子がその信行殿と繋がっている可能性があるとすれば、一年ほどは時間を稼げるでしょう」


近い将来に話が家に混乱が起こるということが解っているのなら、わざわざ無理をしてまで今動こうとはしないでしょう。そして今は何よりも一年の時間を稼ぐことが重要なはずです。兄様が父上の後を完全に引き継ぐために。


「もし、その噂を流したのが、マムシだったらどうするのだ?」


兄様が興味深げに聞いてきます。

もう心臓がバクバクなのでそろそろ止めて欲しいのですが…。


「その場合でも、今川家に山口殿親子は織田信行殿と繋がっている可能性があると思わせ、調略の手を緩めさせられるという期待が出来ます。

そもそも、斉藤利政殿が犯人だった場合は、兄様がそのことを知っていれば、それだけで十分であると思われますので」


「その年でそこまで考えられるとは、やはりお前は面白いな。

報告ご苦労だった。引き続き、仕事に当たってくれ」


その言葉を受けて、部屋を出て行こうとした私に、しかし、再び兄から声を掛けられました。


「それと、俺はこれから所用で出掛けてくるから、お前と爺で、当分の間、津島の分も担当しておいてくれ」


「はぁ………はあ!

な、何を言っているのですか!

これ以上仕事を増やされたら、倒れる自信がありますよ、私」


「たわけ、俺とて、ここ最近はこの部屋に篭りっきりだったのだ。そのぐらい我慢してやれ」


「平手爺様が悲しみますよ?

折角、殿が真面目に仕事をしていらっしゃる、って、涙ながらに喜んでいたのに」


「相変わらず、爺には甘いのだな。お前は」


「あそこまで哀れだと、誰でも同情すると思いますが。

兄様も、自分がやっていることの意味をしっかりと説明してあげればいいのに。

爺様、絶対に兄様の行動の本当の意味を理解していないですよ?」


まぁ、その行動を理解していない人が多いからこそ兄様は自由に動けているので、必ずしもそれが悪いことだとは言えないのですがね。

けど、平手政秀の自害フラグを考えるなら、やっぱりこの問題はどうにかしないと拙いですよね。はぁ~。


「ふん、気づかぬ爺が悪いのだ。

現に、お前は気が付いているではないか。

おそらく、織田信友も気が付いているぞ。だからこそ、奴は、俺でなく信行を当主にしようと蠢動しているのだから」


「平手政秀が、殿を諌めるために、とか何とか言って、自害しても知りませんよ?

あの人、そのぐらいならやってしまいそうなほど、真面目ですから」


「まあ、いい。俺が出かけている間、しっかりとやっておけ」


そう言って、さっさと執務室を出て行ってしまう兄様。


「え、ちょ、ちょっと」


突然のことに、それを見送るしかなかった私と、部屋に控えていた小姓たちだけが、そのまま、部屋に残されました。

今までの仕事に加え、平手政秀と協力してとはいえ、津島の分もやるとか、絶対に無理なんですけど。本当にどうしろと?


結局、平手政秀が兄様を止めるために出て行こうとしたのを、これ以上仕事が増えることを嫌った私が止め、織田秀敏も加えた三人で話し合った結果、津島はとりあえず信長の下で働いていた村井貞勝に任せることになりました。

私が推薦したのですけどね。後に京都所司代となるほど有能な文官ですから。兄様の信頼も厚いようですし、この程度の仕事なら何とかしてくれるでしょう。



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