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楽『市』楽座  作者: 空城
序章
3/11

登場人物紹介

マイナーな武将も登場するので、これを読んでから本編を読んだ方が幾らか理解しやすくなると思われます。

とはいえ、所詮は人物紹介なので、読まなくても問題はありませんが…。

主人公


お市

性格はやや冷淡。しかも、憑依(転生)の影響で、世界に現実感を持てなくなっているので、自分に関係ない人がどうなろうと余り気にしなくなっている。

ただし、その分、親しい人間を大切にしているので、彼らに対してだけは、積極的に行動を起こす。

因みに、第二話での(第一部開始時点の)好感度は 

織田信秀>織田信長>平手政秀>近所の遊び友達>前田犬千代(利家)>池田恒興、信長の小姓達など>昔(末森城周辺)の遊び友達>その他の無関係な織田家家臣たち>林秀貞>(やや高い壁)>織田信行>織田信友>>(越えられない壁)>>土田御前




尾張五大当主


斯波義統

かつて足利幕府の三管領筆頭となり、越前・尾張・遠江などの守護であった斯波家嫡流(武衛家)の当主。

しかし、斯波家は斯波義健の没後、応仁の乱などで急速に衰退し、彼の代には、最早、実権は何一つ残っていなかった。

織田信秀の台頭を危険視した織田信友が、自らの清洲織田家が織田の宗家であることを示すために彼を清洲城に招き、以後、織田信友の傀儡となる。

しかし、斯波家の当主であるという面目から、しばしば、自らを傀儡としている織田信友と対立している。



織田信友

ゲームなどでは広信で表記されることが多く、織田広信としても知られている。

尾張下四郡の守護代。清洲城城主。形式上、織田信長の主君である。

織田信秀の台頭に対抗するために、斯波義統を自らの傀儡にし、織田信秀の下で尾張が一本化されるのを防ぐなど、政治的能力は高い。

また、彼の立場からすれば、無能な者が織田信秀の後を継いだほうが尾張統一を進める為に良いはずなのに、「うつけ」と呼ばれた織田信長ではなく、織田信行を支持したことから、織田信長が単なる「うつけ」ではないと気が付いていた可能性がある。(単に、織田信秀が信長を後継者に指名したから、それに対抗する形で信行を支持した、という可能性もあるが…)

直属の部下に多くの権限を与える人間のようで、家中では坂井大膳や河尻与一などが強い権限を持っていた。



織田信安

尾張上四郡の守護代。岩倉城城主。

織田信長とは幼少のころ猿楽などを共に楽しむ程に仲が良かったらしい。

しかし、織田信秀死後に起きた織田信清と織田信長の所領問題で織田信清に味方し、以後は疎遠となる。

長男である織田信賢ではなく、次男の織田信家に家を継がせようとしており、家中に火種を燻らせている状態。



織田信長

形式上は、守護代の清洲織田家配下である清洲三奉行の内一つの家の当主。那古野城城主

しかし、父である織田信秀が清洲三奉行でありながら、尾張で最大の権力を持っていたために、家中が信長派と信行派の二つに分かれた今でも、形式上の主君である織田信友に匹敵する権力を誇っている。

自由気ままな日常を過ごし、また、理屈に合わないことは例えそれが一般常識でも反発したために「うつけ」「かぶき者」などと呼ばれ、世間一般では無能と見なされている。

また、常々、農業中心の国人衆を主力とした従来の軍制ではなく、商業中心の当主直属である常備軍を主力とした新しい軍制を主張しているために、自分たちが政治の中心から外されることを嫌う林秀貞などの国人衆たちとは仲が悪い。

その二つのことが合わさって、織田信秀の死後は、当主であるにもかかわらず、孤立無援に近い状態に置かれてしまう。

天才的な戦略眼を持ち、『時間的有利さを追求した常備軍を設立する』『この時代に一般的だった点と点の戦いでなく、野戦築城などに代表される線と線の戦いや、中入れなどに代表される面全体を使った戦いを行う』など、その才能は計り知れない。



織田信行

織田信勝などと表記されることもある。

形式上は、守護代の清洲織田家配下である清洲三奉行の内一つの家の家臣。末森城城主。

しかし、父親であり、尾張最大の権力を持っていた織田信秀の家臣の多くが彼を支持しているために、強い権力を持っている。

そのため、形式的なものでは尾張五大当主の中で一番下な彼が、実際の武力では一番強いという、奇妙な構造が出来上がっている。

ゲームなどでは可哀想になるくらい低い能力で登場することも稀にあるが、実際にはそのようなことはなく、織田信秀の家臣団から信頼を得る程度には有能だった。

兄である信長と違って、礼儀正しく、形式などを重要視していたようだ。

また、弟が殺されたときに、殺した相手の城下町を焼き討ちにしたことから、信長に近い苛烈さを持っていた可能性もある。



斯波家


斯波義銀

斯波家当主である斯波義統の嫡男。

史実の行いを見るに、父親よりは野心が高いようだ。


簗田広正(【簗田弥次右衛門=簗田広正】説をこの話では採用)

斯波家家臣。清洲城に主君と共に居城していた。

親信長派であり、父の指示で清洲城内部の切り崩し工作を行う。


因みに一般的には、

・簗田弥次右衛門

 斯波家家臣。清洲城に居住。

 織田信友の信長暗殺計画を織田信長に知らせる、関係を持っていた那古野勝泰を信長側に内通させるなどして、信長の清洲城攻略を助けた。

 その後の詳細は不明。

・簗田広正

 織田家家臣。

 桶狭間の戦いで、情報収集・作戦立案を行い一番手柄とされた簗田政綱の息子。

 信長の馬廻りとして働き、加賀国筆頭として大聖寺城を与えられほどに出世するも、加賀一向一揆討伐に失敗し没落する。

となっており、この二人は別の人間だとする意見の方が強いようだ。

しかし、基本的に官位や通称ではなく名で書くという執筆方法において、簗田弥次右衛門の名が解らないという致命的な問題が発生したために、少数派の同一人物説を採用させてもらった。

他にも、簗田弥次右衛門と簗田政綱が同一人物であるという説もあるらしい。



清洲織田家(信友派)


坂井大膳

清洲織田家の重臣。

織田信友に信頼され、様々な献策を行った。

史実の結果から見て、謀略を好むが詰めが甘い、という典型的な二流悪役であるように思われる。


那古野勝泰

清洲織田家の家臣。

簗田弥次右衛門と関係を持っていたらしい。そのため彼の説得で親信長派となる。

wikiに載っていないのに、信長の野望(天下創世など)には出ているという、有名なのか無名なのかよく解らない武将。



岩倉織田家(信安派)


織田信賢

尾張上四郡の守護代である織田信安の長男。

しかし、弟に家督を継がせようとしている父とは対立している。


織田信家

尾張上四郡の守護代である織田信安の次男。


織田信清

織田信長の従兄弟にあたる。犬山城城主。

信秀の生前、彼に喧嘩を売って、その後に惨敗している。

そういった史実の行いを見るに、どうも後先を考えずに行動する人物のようだ。

織田信秀死後、所領問題で織田信長とは疎遠状態になる。


山内盛豊

岩倉織田家の家臣。黒田城城代。

父の代に豪族から家臣として正式に召抱えられ、黒田城城代に任じられた。

後に土佐国20万石を拝領した山内一豊の父親でもある。



織田家(信長派)


織田信秀

清洲三奉行でありながら、尾張に主家を越える一大勢力を築き上げた天才的政略家。

父の後を次いで、津島や熱田から得られる金銭を利用して家を発達させた。

津島の一部有力商家とは縁戚関係にある(彼の父親が津島支配の過程で娘を嫁がせるなどしている為)。

外交工作も巧みで、上洛した際に朝廷に献金して従五位下備後守に任官され、伊勢神宮遷宮の為の献金で三河守に任じられている。

しかし、軍事においては詰めが甘いところがあり、斉藤家と松平家(+今川)との戦争で、最初は勝っていたのに、敵中深くに侵攻しすぎた為に、反撃を食らって大敗北するなどして、斉藤家と今川家に包囲網を敷かれた結果、影響力を落とし、尾張を統一することは出来なかった。

そうした史実の結果を見るに、「尾張の虎」と呼ばれるほどの戦術的才能は持っていても、信長とは違い、戦略的な才能は余り持っていなかったようである。

高い教養を持っていてそれを利用して城を奪取したという逸話があり、そういう意味では柔らかい思考を持っていたようだ。

家中の反対を押し切って信長を後継者に指名する。


平手政秀

織田信長の家臣

初めは、那古野城城主である織田信長を補佐する為に付けられた林秀貞に次ぐ二番席の家老だったが、後に、織田信長の後見役に選ばれる。

山科言継から賞賛されるほどの文化人であり、朝廷に御所修理費用を献上する名代に選ばれる、織田家と斉藤家を和睦させ織田信長と帰蝶の婚約を取りまとめるなど、外交官としても大いに活躍した。

『信長の奇行を諌めるため 』という理由で自害したのが美談として有名。

しかし、自害した1553年の時点で、信長は『わずか八百名で千五百名の今川軍に引き分ける』『織田信友を戦で破り、政治的に孤立させる』など既にその才能を示し始めており、また、彼ほどの人が家中の最も不安定なこの時期に自害することがどれだけ信長を不利にするのか解らないはずがないので、奇行を諌める為だけに自害するというのは余りに理由として弱すぎるように思われ、結局、なぜ自害したのかについては、諸説ありはっきりとしていない。


織田秀敏

信長の大叔父であり、織田家(信秀派)の長老的存在。

一門の長老として、信長の後見役を果たす。

信長派と信勝派に家中が分裂した後、信長を中心に織田家を纏めようと尽力した。

斎藤道三から、その苦労をねぎらう便りを貰っている。


織田信光

織田信秀の弟であり、織田信長の叔父にあたる。守山城城主。

武勇に優れ、兄に従って各地を転戦した。

家中では数少ない信長派であり、一貫して織田信長を支持し続けている。


飯尾定宗

信長の従兄。(伯父という説もありますが、この話では従兄とします)

織田一門の人間だが、飯尾氏の養子となった。奥田城主。

家中の多くが信勝に味方する中、一貫して信長への協力姿勢を貫いた。


織田信次

織田信秀の弟であり、織田信長の叔父にあたる。深田城城主。

親信長派なのか?と問われると微妙なところもあるが、少なくとも敵対はしていない。

織田信友に人質として捕らえられてしまう程度には親信長派である。

家臣が無礼な若者を弓で射殺してしまうのを止めない程度には、人を人と思っていないところがある。


佐久間信盛

織田信長の家臣。織田信長が幼少の頃から彼に仕えていた。

他の人間たちが織田信長を見限っていく中、一貫して彼を支持し続ける。

ゲームなどでは文官風の能力値になっていることもあるが、最も危険な撤退時の殿軍を受け持ち、それを完遂できるほどに優れた統率能力を持っている優秀な武官である。

他の武官たちに比べると、消極的な作戦を好んでいたようだ。


佐久間盛重

織田信行の家臣。

織田信行に付けられた家老でありながら、親信長派という珍しい人物。

同族の佐久間信盛と親しく、彼の説得によって織田信長の味方になったと思われる。

戦における指揮能力は、普通の相手なら例え自軍が少数でも凌ぎ切れるが、優秀な相手だと負けるという一般的なもの。


森可成

織田信長の家臣。

土岐家に仕えていたが、土岐家が滅ぼされた後、織田家に仕えるようになった。

戦場では猛将であり、しかも今までの経緯から美濃と尾張に諜報網を持っているという優れた人物。


池田恒興

織田信長の家臣。信長とは乳兄弟の関係である。

幼少の頃から信長に仕えた。

史実の行動から見るに、ある程度有能な武官といったところだろう。


村井貞勝

織田信長の家臣。

出身は近江国だが、織田信長に見出され、内政関連で重用された。

非常に優秀な文官で、信長の革新的な軍制や内政を行政方面で支えている。


河尻秀隆

織田信長の家臣。

織田信秀に仕え、その死後、織田信長に仕えた。


前田利家

織田信長の家臣。

第一話~第四話の時点では未だ元服していないので、幼名である犬千代で呼ばれている。

織田信長と同じく「かぶき者」と呼ばれ、悪友仲間といった関係のようだ。

後に異名をとるほどの優れた武芸者でもある。


丹羽長秀

織田信長の家臣。

始めは文官だったようで、初陣は十九歳と当時としてはやや遅めである。

武力よりも、知力や内政に優れ、後に織田家になくてはならない存在とまで言われるようになる。


木下秀吉

1554年頃から織田信長に仕えるようになる。後の豊臣秀吉。

今川家家臣の松下之綱に仕えた後、出奔し、その後、尾張に帰還して、織田信長に小姓として仕える。

弁舌に優れ、内政関連で成果をあげて信長の関心を買うことに成功し、出世の糸口を掴んだようだ。


滝川一益

尾張統一戦の過程において織田信長に登用される。

近江国甲賀の土豪・滝川資清の次男。以前は甲賀と繋がりが深い六角家に仕えていた。

鉄砲の名人であり、多くの忍びを抱えている甲賀と繋がりが深い為に、信長に重用されるようになる。

鉄砲の腕前などから、本人も忍びであったという説もあるが、真偽は定かではない。


織田拾阿弥

織田信秀の側室の子であり、それ故、出家して茶坊主として兄である信長に仕えている。

精神的に子供というか、信長などとは違う意味で悪餓鬼であり、織田家家臣からは嫌われている。

(豪族の子という説もありますが、この話では織田信秀の側室の子という説を使っています)


水野信元

尾張国知多郡東部および三河国碧海郡西部を支配する小大名に近い豪族。

信長の同盟者として、対今川戦で協力関係を結んでいる。

史実の行いから見て、かなり高い作戦能力を持っていたと推測できる。


帰蝶

濃姫などと表記されることもある。

斉藤道三の娘にして、織田信長の正室。母は土岐家に連なる明智家の人間。明智光秀と従兄弟だという説もある。

斉藤道三を父に持ち、土岐家縁の母を持っているので、織田信長は彼女の夫となることで美濃を手に入れる正当性を手に入れることとなった。

文献などに殆ど出てこない女性で、しかも、信長の子供が活躍しだす辺りから、土田御前と呼び方が混同されているために、彼女については諸説あり、どのような女性だったのかはっきりしていない。

織田信長の奥が彼の生涯で一度も混乱しなかったことから、少なくとも正室としては無能ではなかったと思われる。

一般的には子供を持たなかったと言われているが、織田信長には母親不明の子供が多いので、実際には持っていた可能性もある。


織田家(信行派)


柴田勝家

織田信行の家臣。家老として彼を補佐している。

反信長派の中心人物の一人である。織田信秀が存命の頃から、織田信長の廃嫡を主張していた。

織田家随一の武闘派であり、おそらくこの時期の尾張で彼と同数の兵力で戦って勝てる人間はいない。引き分けに持ち込める人間が数人居るかいないかぐらいであろう。


林秀貞

織田信長の家臣。

織田信長に筆頭家老として付けられるも、やがて、彼の廃嫡を主張するようになり、織田信行に味方するようになる。

反信長派の中心人物の一人である。

次期当主の筆頭家老という、家臣として望める最高位の地位に付けられたにもかかわらず、それを自ら捨て去るような行動を取ったことから、織田信長との間に余程の対立があったと考えられる。

織田信長が「うつけ」だからというだけでは少し理由が弱いように感じられたので、この話では、商業中心主義で国人衆をほぼ無視した軍制を主張する織田信長と、農業中心主義の国人衆を重視した軍制を主張する彼の対立が離反の最大原因だとしている。


林通具

林秀貞の弟。

兄である林秀貞と共に反信長派として、彼の廃嫡を表立って主張した。


土田御前

信長、信行、秀孝、信包、お市の方、お犬の方などの母親。

信長が幼い頃から那古野城城主として離れていたためか、他の弟たちと比べると彼への愛が薄く、「うつけ」と呼ばれた彼を嫌っていたようだ。

この話では、それ以外に、主人公のお市を「悪霊付き」「異人」などと呼んで毛嫌いしている。

一時期は、城の奥に監禁さえしていた。

まぁ、生まれて一年経った時には、一人で何の問題もなく日常生活が出来るようになっていた異常な子供を見てしまえば、そうなるのはある意味で当然といえる。



外部の勢力


今川家


今川義元

駿河国の守護大名である今川氏の第9代目当主。

政治と謀略において、戦国でも有数の才能を持ち、戦においても北条や武田と引き分けられる程度の才能を持っている。

松平家に対する彼の行いはその典型例で、織田信秀を利用する形で三河は併合する所まで持っていった才能は鬼才というほかない。

現在は、三河で反今川の動きが残っているので、尾張まで大軍を派遣することは補給の都合上厳しい物があるが、千数百名の兵士を断続的に尾張の親今川派に派遣して、虎視眈々と機会を狙っている。

織田信長にとって見れば、彼が三河を安定させ、大軍で尾張に侵攻してくるまでが、尾張統一のタイムリミットとなる。


山口教継

織田信秀の家臣。鳴海城城主。

織田信秀の信頼を得て重用され、対松平・今川戦の要である鳴海城を任されていた。

しかし、織田信秀の後継者が「うつけ」であるという事実に不安を感じ、彼の死後は、今川家に接近することになる。


山口教吉

山口教継の息子。

山口教継が桜中村城に篭城したときは、彼が鳴海城の城代となるなど、父親から信頼されていたようだ。



斉藤家


斉藤利政

1554年に出家して道三と名を変えることになる。

斉藤家当主。

「美濃の蝮」の異名を取った、下克上の代名詞的存在。

土岐頼芸の元で着々と勢力を蓄え、最終的に彼を追放して、美濃国主となる。

織田信秀と幾度も戦い、彼の攻撃から美濃を守りきった。

織田信長の妻である帰蝶の父親であり、信長の後ろ盾でもあるが、蝮と呼ばれる斉藤道三から援助を受けることに関しては信長の身内からも反発が強い。


斉藤義龍

斉藤道三の嫡男。

ただし、実は土岐頼芸の子供ではないかという説が当時からあり、斉藤道三はそれを利用して美濃国制圧を進めたようだ。

そういった経緯から、父との仲が悪く、しかも、彼の下に集まった旧土岐家家臣たちがそれを焚きつけている状態。

父の目を欺く為に無能を装っていたという説もあるが、真偽は定かではない。

史実の結果を見るに、かなり有能な人物だったようだ。



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