外伝二 ~捻じ曲げられた運命・変動する歴史~
「あの市姫様が、私を説得しようとするとは、時が流れるのは早いですな」
明るい縁側で、調和良く木々が生茂る庭を見ながら、一人、平手政秀は先程までの光景を思い出しそう呟いた。
この城に来たばかりの市姫様は、自分と自分の周りのこと以外には興味を持たないという変わった子供だった。
『天の才』と呼ばれている、生まれながらに持っていたらしい知識が彼女にそうさせたのか、
それとも、生母に嫌われ、最終的には半年間も城の奥に監禁されることになった、という過去がそうさせたのか、
政秀には、その理由を知ることが出来なかった。
一度、彼はそのことを市姫様に尋ねたことがある。
「世界に現実感が持てないのですよ。
出来の悪い映画を見ているような感覚、と言っても理解してもらえませんね。
そうですね、まるで、自分が登場する物語が書かれた書物を読んでいるような、そんな感覚なのです」
というのが、そのときの返答だ。
態々言い換えてくれた市姫様には悪いが、正直、政秀には、何を言っているのか、全く理解することが出来なかった。
ただ、市姫様は自分では理解できないような何かを抱えている、それが漠然と感じられたのみである。
信秀様に頼まれて、それとなく見守っていたからこそ気が付いたことだが、あの『さっかー』という変則的な蹴鞠や、『武将札遊戯』という新しい形の札遊びとて、それを市姫様が作り上げた理由は「自分が楽しく遊べる遊びが無かったから」なのである。
彼女にとっては、他人と遊ぶことさえも、自分が楽しく暇を潰す為の一つの手段でしかなかったのだろう。
そんな他人に興味を持たなかった市姫様が、自分を説得する為に奔走されるほど御成長なされたというのは、政秀にとって、とても感慨深いことであった。
「兄様の才能を潰そうとしたことは、確かに、大きな過ちでしょう。
しかし、ならば、その過ちの分までも、これからはどんなに苦しくとも生きて殿を支えていこうと、なぜそう思わないのですか!
過ちを犯したのなら、その分も、これから頑張って取り戻せば良いではないですか」
不意に、先程の市姫様の言葉が思い出される。
ああ、全くもって、その通りだ。
間違いを犯したのだから、全てを捨て去るのではなく、その償いをするべきだった。
そもそも、私は、未だ、亡き信秀様の頼みを果していないではないか。
殿の主張が正しいと言うことは理解できた。
その為には、斉藤家との同盟が必要であると言うこともまた理解できた。
ならば、如何にして、その為により良き状況を作り出すか、それが私の仕事だったはずなのだ。
何故そんな簡単な事を忘れてしまったのだろう、そう思うと同時にある考えが頭を過ぎる。
「やはり年か」
口から出たその言葉には、自虐的な要素が含まれていた。
信秀様にその教養を認められ、彼の下で精力的に働いていた時なら、間違っても隠居するなどとは言い出さなかっただろう。
現に、今問題となっている斉藤家との同盟以上に危険性の大きかった今川氏豊からの那古野城奪取。それを信秀様から打ち明けられた時は、反対するどころか、むしろ積極的に賛同して彼に協力したのだから。
だが、例え、年を取って衰えたとしても、信秀様との約束は果さなければならない。
最低でも、斉藤家との同盟を、織田家の従属ではなく、対等な形での同盟まで持っていかなければ。
常識的な策では、そのようなことは難しいだろう。
既に一戦を交えて勝ったとはいえ、この織田家が清洲織田家の配下であるという事実はそう簡単には覆せない。
斉藤家は美濃一国を支配する大大名だ。
尾張の小大名のそのまた配下、などという立場では、どう足掻いても、此方が従属する以外の同盟は不可能。
いや、本当にそうだろうか?
こんな時、何度も不可能を可能にしてきた信秀様ならどうしただろう?
この家に足りていないのは権威。そして信秀様は、それを補う為に…。
その考えは、天啓の如く、政秀の脳裏に閃いた。
斉藤家との同盟を対等なものにする手はあった!
信秀様が、三河侵攻の時に使った、様々な意味で究極な策が。
これなら少なくとも表向きは、斉藤家と対等な関係で同盟を結べ、しかも殿に尾張を支配する正統性を持たせることが出来るようになるだろう。
だが、問題もある。
尾張には、三河とは違い、正統な守護である斯波家があるのだ。
果たして、斯波家を押しのけて、殿を認めさせる方法があるだろうか…
翌日、平手政秀は七日ぶりに那古野城に登城。
織田信長との二刻に及ぶ議論の末、ある策略を完成させる。
それは、お市によって捻じ曲げられた運命が、軋みを上げながら歴史を変動させていく序章だった。
ここまで連日更新をしてきましたが、明日は予定が入っているので投稿できません。ご了承ください。