違うと言えない――誤解から始まった辺境伯令息との結婚
「あ、あのっ、クリフォード様? どうなさったのですか?」
ずんずんと歩みを進めるクリフォード。
フィオナの声が徐々に遠のくことに気づいたクリフォードが振り返ると、足を引きずりながら必死についてくるフィオナがいる。
クリフォードはさらに眉間の皺を深く刻むと、フィオナの元にこれまたずんずんと戻る。
「ひっ⁉ す、すみません」
自分の元に戻ってきた険しい顔のクリフォードを見たフィオナは慌てて謝った。
クリフォードはフィオナの手を取る。
「っ!」
フィオナは顔をしかめた。
「す、すまない!」
すかさずクリフォードは手を離そうとしたが、袖口から見えた痣を前にやめた。
「父上の元に戻る」
すると、先ほどとは打って変わってゆっくりと歩きだした。
手を優しく握ったまま、フィオナをエスコートする。
(いったいどうしたのでしょう?)
フィオナは首を傾げた。
そして、クリフォードは父親であるグランヴィル辺境伯の元に戻るなり告げた。
「彼女には今日からここで暮らしてもらいましょう」
(……え?)
フィオナは言葉を失った。
──遡ること数刻前。
ヘインズ子爵令嬢のフィオナはこの日、妹のジュリアに代わりクリフォードとの縁談の為、父と共にグランヴィル辺境伯邸に来ていた。
辺境伯と父が婚約について書面や話を進めていく中、辺境伯に促され、庭園で二人は親睦を深めることになった。
「この結婚話はどう考えている? 私が怖くはないか?」
クリフォードは代々魔獣退治を生業とするグランヴィル辺境伯家の長男だ。その剣術技量は優れており、熊のように粗暴で恐ろしい大男だと噂されていた。フィオナは、彼が社交の場に姿を現すことがないためその噂から令嬢が寄り付かないと聞いたことがあった。
フィオナは目の前の男を見上げる。背が高く、その肩幅がより体を大きく見せていた。整えた黒髪が真面目な性格を表しているようであったが、顔の下半分は黒いマスクで隠されており、彼についてわかるのは目元だけだった。
目が合った瞬間、鋭い眼光にフィオナは肩を震わせた。
(ひっ……)
「……ありがたいお話です。こちらこそ私のような女性ですみません」
体を縮こませながら、フィオナは答えた。
彼からは威厳も見られる。
そんな立派な彼の相手が自分で良いのだろうかという気持ちもあったからだ。
フィオナは父から、この縁談の理由を聞いていた。事業に失敗し衰退の一途をたどっているヘインズ子爵家を立て直すための資金援助が目的である。
金のために身売りする。そんな事情が、彼女のうしろめたさの一つでもあった。
「いや、私こそありがたい話だと思っている。もう少し奥に行くか? 違う種類の花も見ることが出来る」
ゆっくりと差し出された手に、フィオナは自分の手を重ねた。
その手がひっぱられ彼の肘元にかけるよう誘導された。
「っ!」
そこまで強い力ではなかったのだが、その動きがフィオナの傷に響いた。
「?」
止まったまま動き出さないクリフォードを不思議におもったフィオナが顔を上げると、彼の顔は険しくなっていた。
(あっ、何か不快な思いをさせてしまったかしら……)
しかし、その手はまだ握られたままだった。
「この傷はどうした⁉」
彼の視線の先を追うと、袖口から見えた手首に痣が見えた。
(あっ!)
「これは……その……家で……」
事情を言うのが憚られたフィオナは濁した。
すると、クリフォードはくるっと向きを変え歩み始めた。
(えっ⁉)
ずんずんと進むクリフォードに、慌てたフィオナは追いかける。
「あ、あのっ、クリフォード様? どうなさったのですか?」
(どうしたのかしら……。あっ! ど、どうしましょう……。こんな傷だらけの女はいらないって言われたら縁談がなくなっちゃう。ジュリアの代わりにならなければよかった。でもこの縁談を逃すのは大きすぎるし)
ジュリアはクリフォードの噂に恐れ、この縁談を拒否した。嫡子であるフィオナは子爵邸を切り盛りしていたが、姉妹のどちらかが残ればいいのだからと、父と相談の上、自分でこの縁談を進めることにしたのだ。
フィオナと距離が出来ていることに気づいたのか、クリフォードがフィオナの元に戻ってきた。
しかし、その眉間には深いしわが刻まれていた。
「ひっ⁉ す、すみません」
(お、怒っていいらっしゃる?)
しかし、行動はそれとは反していた。クリフォードがフィオナの手を取った。
「っ!」
(この動き、ちょっと痛むのよね……)
「す、すまない! 父上の元に戻る」
すると、今度は優しく手を握ったままゆっくりと歩きだした。
(いったいどうしたのでしょう?)
庭に出る時よりもゆっくりと時間をかけて屋敷に戻ると、二人の父がいる部屋についた。
そして、クリフォードの口から先ほどの言葉が告げられた。
「彼女には今日からここで暮らしてもらいましょう」
(……え? 今日から⁉)
「ほう。そうか、そうか。ではそういうことでよろしいかな? ヘインズ子爵」
グランヴィル辺境伯は驚くこともなく、ニコニコと話を進めている。
「ええ。私も構いません。よろしくお願いいたします」
父までもが頭を下げ話を進めている。
(え?え⁉ 本当に?)
目が点になるフィオナをよそに周囲は慌ただしくなっていく。
(⁉)
ふと、繋がれた手に意識が移る。
今しがた、クリフォードが自分の手を握る力が強まったからだ。
(クリフォード様?)
フィオナは横に立つクリフォードを見上げる。
その視線に気づいたクリフォードはフィオナの耳元でささやいた。
「これでもう安心だ」
(……なにが?)
一瞬、何を言っているのか分からなかったフィオナは、立ち尽くすしかなかった。
両者が合意していることもあり、婚約書類は次々と整えられ、気づけば籍まで入れる話になっていた。
ヘインズ子爵はフィオナを残しニコニコと家路についた。
フィオナは辺境伯邸の専属医師により診察が行われた。
「手当てしていただきまして、ありがとうございます。自分では処置ができなかったものですから、助かりました」
フィオナの礼に、医師は優し気な笑みを浮かべた。
この後は侍女たちにより、身支度が整えられた。
「こちらを着てもよろしいのでしょうか?」
「はい。フィオナ様にご用意されたものですよ。後日仕立て屋をお呼びし、改めてご用意させていただく予定です」
急遽そろえたという割には立派な衣装に、フィオナは圧倒された。
この後は夕食を共にするというので、食堂へと移動を始めた。
途中、話し声が聞こえた部屋に視線を移すと、クリフォードの姿が見えた。
(あ、クリフォード様だわ。衣装のお礼をしようかしら)
扉に身を近づけると、会話が聞こえてきた。
「あれはひどい痣です。全身のあちこちにありました。余程ひどい扱いを受けておられたのかと……」
「やはり、すぐに身請け出来てよかった」
医師の報告にクリフォードは拳を強く握りしめている。
そして大きく一息吐く様子もみられた。
しかし、それを陰から目撃してしまったフィオナは、真っ赤にした顔を両手で覆っていた。
(どうしよう、本当のことが言えなくなってしまった……。一昨日屋根の修理中にはしごから転げ落ちただけだったのだけど……)
食堂につくと、そこには辺境伯と夫人が先に着席していた。
「フィオナ嬢。急だったが話を受けてくれてありがとう。私はアーヴィンだ。それから妻のブリジットだ」
「これからよろしくね。……よかったわ。クリフォードから淡い色が似あいそうだと聞いていたから、薄桃色の衣装にしてみたのよ。とてもよくお似合いよ」
フィオナに用意された衣装はブリジットが手配してくれていた。
「辺境伯様、夫人。今後ともよろしくお願いいたします」
「頭を上げてくれ。それに堅苦しいのは好かん。名前で呼んでくれて構わんよ」
顔を上げるとアイザックもブリジットも嬉しそうに微笑んでいる。
「では、アイザック様、ブリジット様、よろしくお願いします」
席に着くと残る一人を待つ。
そして現れた人物にフィオナは唖然とした。
(どなたですか⁉)
そこにはすっと鼻筋の通った美丈夫がいたのだ。
しかしすぐに理解する。目元があの人なのだ。
(クリフォード様⁉)
当たり前のようにフィオナの横に座るクリフォード。
「クリフォード。その仏頂面じゃだめよ。着飾ったレディが横にいるのですから、一言声をかけなさい」
ブリジットの指摘にはっとしたクリフォードはその視線を流すようにフィオナに向ける。
(‼)
「……すごく、似合っているよ」
フィオナの胸はドクンと大きく打った。
「あの、クリフォード様とブリジット様で選んでくださったとお聞きしました。素敵な衣装ありがとうございます」
「いや、気に入ってくれたのならよかった。他にも欲しいものがあれば遠慮なく言ってくれ」
マスク越しでは分からなかった柔らかな笑みだった。
(ほ、微笑んでいらっしゃる‼)
頬に熱を帯びていくのを感じたフィオナはコクリと頷くのみだった。
目の前にはたくさんの料理が並んでいく。
(す、すごい……)
事業が上手くいっていたころの子爵家の食事よりもはるかに豪華な食事に、フィオナは目を見張る。
「遠慮なく食べてくれ」
アーヴィンの一声で、食事が始まった。
フィオナはチラリと横を見る。
整った背筋に美しい所作で丁寧に口元に運ばれていく料理。さらにその横顔は端麗だ。どこにも熊のように粗暴で恐ろしい大男の姿はない。
「ん? どうした? 口に合わなかったか?」
「い、いえ。とても美味しいです」
フィオナは前に向き直るともぐもぐと食べ始めた。
(お隣でよかったかも……真正面だったら顔なんか上げられなかったわ……)
(も、もう、食べられません……)
部屋に戻ったフィオナはベッドに転がった。
残すなんてもったいなくて、美味しかったのも相まって平らげてきたのだ。
(あ、気持ちいい……)
横になったベッドからはいい匂いがし、肌触りも、寝心地もよかった。
一気に緊張が解けたフィオナは急な眠気に襲われ、そのまま眠りについてしまった。
(可愛らしかった……)
あの薄桃色の衣装は、驚くほど彼女によく似合っていた。
(あの色にした母上は正解だったな)
ふうと息を吐く。
見た目以上に細かった手。
痛々しい痣に、引きずった足。
怯えた目に震わせた肩。
サイズの合わない古い衣装。
(あんなに一生懸命食べるなんて……。余程食い逸れていたに違いない)
医師からは、傷の手当てもできずにいたと聞いた。
(そのままにしていたら跡が残ってしまう……)
幸い商売上ここには手当てが十分にできる環境が整っている。
(早めに気づけてよかった……)
自分の妻になる人の安全が確保できたことに、クリフォードはひと際安堵した。
痛々しい傷跡が目立たなくなったころ。
「あら、この色も似あいそうじゃない。フィオナちゃん着てみたら?」
フィオナはブリジットと一緒に買い物を楽しんでいた。
「いいじゃない。このネックレスも合わせましょうよ」
ブリジットはニコニコとフィオナを着せ替え人形のように次々に着飾らせた。
(ブリジット様、すごく楽しそうにしてくれて……なんだかうれしいな)
「私、娘が欲しかったのよ! ほら、愛想のない息子が一人だけでしょ? こうやっていろいろしてみたかったの。フィオナちゃんが来てくれて本当にうれしいわ」
「私も、ブリジット様がお義母さまでよかったです」
「ん、まぁー! もうフィオナちゃんったら。帰りにデザートでも食べていきましょう」
この後も三着ほど着替えることになった。
四人での食事が当たり前になり、グランヴィル辺境伯夫妻はにこやかに微笑んでいる。
「娘がいるというのは場が和らいでいいなぁ、ブリジット。君も毎日楽しそうだ」
「はい。幸せをかみしめておりますわ。家族が増えたのも嬉しいですわね」
「ああ、跡継ぎも必要だからな……。クリフォードのところに嫁が来てくれて本当に良かった。それもこんなにかわいいお嬢さんだ。お義父さんと呼んでくれんか?」
アーヴィンの目尻がうんと下がっていた。
クリフォードはいつもフィオナの視界に入る位置にいた。
最近では会話もたくさんするようになった。
「痛むところはないか?」
クリフォードは隣に座ると腕をやさしくさする。
「はい。お薬が効いております。ありがとうございます」
フィオナは柔らかく微笑んだ。
「甘いものは好きか?」
「はい。ですが、お食事に出てくる量で十分ですよ。最近は衣装が少し苦しくて……」
フィオナは恥ずかしげに俯く。
「ならば、新しい衣装を用意すればいい。暖かくなってきたし、今度は薄若緑色なんてどうだ?」
クリフォードは手を優しくもみもみと握る。
「でも、これ以上は贅沢ですよ。それに、太ってしまいます」
ふっと笑うと、クリフォードはフィオナの頬に手を寄せた。
「そんなことはない。もう少し肉をつけてもいいくらいだ」
そして真顔で頬をつまむ。
(からかっていらっしゃるのかしら?)
「贅沢だといっていたが、では衣装ではなくて何か欲しいものはないか?」
「もう十分にいただいてますよ」
にっこりと笑みを返した。
(本当にすごくよくしていただいて……私にも何かできないかしら……)
フィオナは刺繍を施したハンカチを用意した。
(私には高価なものは買えませんし、お裁縫くらいしか技術はないから……)
衣装も繕い使い続けていたフィオナにとって、針仕事はお手の物だった。
しばらく魔獣退治に遠征に出ることになったクリフォードに、お守りですとフィオナはハンカチを渡した。
「これは、紋章か……」
「はい。ご武運をお祈りしています」
「ありがとう、フィオナ」
クリフォードは休憩のたびにハンカチを見つめ握りしめた。
(フィオナ……)
クリフォードは剣を振る。
いつもなら二週間かけるところを、十日で終わらせた。
充実した日々に、ふと、フィオナは生家を思い出す。
(そういえば、お父様はどうしているかしら……)
支援欲しさの政略的な結婚だった。
どうやら、生家に虐げられていると勘違いしている夫に過保護に囲われている。
違うのだと言えなかった。ただの事故で怪我なのだと。
破談になり支援がもらえないことが怖かっただけじゃない。
そんなことをしていたなんて知られるのも恥ずかしかった。
打算だらけの結婚なのに、今は幸せをかみしめている。
フィオナは、愛されている。
グランヴィル辺境伯家に、そして、クリフォードに。
(私だけがこんなに幸せな思いをしているのではないだろうか……)
クリフォードが戻ると、フィオナは父に手紙を書きたいと伝えた。
「許可できない」
しかしクリフォードに却下された。
「でも、今どうしているか様子がわかるだけでも良いんです。だめですか?」
「ならば、私が会いに行って様子を見てくる。それでいいか?」
クリフォードが一人、ヘインズ子爵邸を訪問する。
改修された屋敷、流行りの衣装に宝飾品、肌つやのいいヘインズ父娘がいる。
縁談時のフィオナとの違和感に疑問を持ったクリフォードは、ヘインズ子爵を前に問う。
「たしか、両家の婚姻で支援をしたんだったか?」
「はい。助かりました。このように充実した日々を過ごせています。援助を資金に新事業が上手く立ち上がりまして、この子爵家も立ち直すことができました。感謝しきれません」
この子爵邸の潤いは、二人の結婚によってもたらされた。
ヘインズ子爵は涙を目元に浮かべながら問う。
「フィオナは元気にしてますでしょうか? 怪我をしたままでしたから心配ではあったのですが……」
「?」
「縁談の二日前に屋根の修理中に梯子から落ちましてな。全身打ち付けておりましたから……」
クリフォードははっと息を呑む。
「本当はジュリアが縁談に向かうはずだったのですが、直前で行きたくないと駄々をこねましてな。フィオナと話し合った結果、長女のフィオナが縁談に向かうと言ってくれまして」
ちらりと、ヘインズ子爵の横に座るジュリアに視線を移す。
ジュリアはクリフォードを前に目を輝かせている。
「犠牲にするようにフィオナを置いてきてしまいましたから……。フィオナは幸せにしていますでしょうか? あの子は責任感が強くて。長女だからと家の為にいろいろ尽くしてくれていたんです。自分のことは後回しにして、自分でできることはすべてやろうとして。寝る間も惜しんでいろいろしてくれましてな。屋根の修理なんて貴族令嬢のやることじゃないでしょう? あの時、大したことないって医者も呼ばなかったんですよ」
クリフォードは言葉を失った。
「今ではあの時の暮らしをせずにすんでおります。フィオナが幸せならよかったと心から思ってます」
ことの真相を知ったクリフォードは、安堵するとともに不安も抱えた。
その変化を見ていたのか、ジュリアが近づいてくる。
「あの、今からでも私がお姉さまと代わってもよろしいですのよ。私ならもっとお役に立てると思いますし……きっと、あなたにとってもその方が幸せだと思いますから」
自分勝手な発言に怒りがこみ上げたクリフォードの顔から表情が消えた。
「私は今、幸せだ。妻がお前じゃなくてフィオナでよかったと心から思っている」
ジュリアは顔を引きつらせていた。
クリフォードは立ち上がると退室する。
そして見送りに来たヘインズ子爵に耳打ちする。
「フィオナは笑顔で暮らしている。貴方を心配しておられた。貴方とフィオナで手紙のやりとりをするといい」
クリフォードは馬車に揺られる。
──私は幸せだ。
それしか言えなかった。
フィオナでよかった。
あの妹の方じゃなくてよかった。
クリフォードは、彼女を守ろうとしていたが、いつの間にか愛しいと思う気持ちを知った。
(でも……彼女はもしかしたら、家の為に犠牲になっただけなのかもしれない……)
父親は責任感の強い子だと言った。
結婚相手は私で良いのかの問いに、彼女が問題ないとしたのは、そう言わざるを得ない状況だったからじゃなかろうか。
この結婚でヘインズ子爵家は立ち直った。それを理解したうえでフィオナは縁談に来たと父親が言っていたからだ。
(フィオナは、結婚して本当に良かったと思っているだろうか……心から私と結婚して良かったと思ってくれているだろうか……)
グランヴィル辺境伯邸に戻ったクリフォード。
フィオナはクリフォードに駆け寄った。
「おかえりなさいませ」
「ああ、ただいま」
マスクを下げようと指をかけたが、その手は止まった。
(?)
様子のおかしいクリフォードにフィオナは首を傾げる。
「あの、お父様はお元気でしたか? ジュリアもいましたか?」
その報告だけは済ませなければと、元気だったことや、子爵邸は新事業が上手くいき立ち直っていたと告げた。
フィオナは心からの安堵の表情を浮かべた。
ところが、この日以降、クリフォードと目が合わなくなった。
朝も、食事中も、おやすみ前も。
横にいても、その手が触れてくることがなくなった。
フィオナは不安に思った。
(戻ってこられてから、様子がおかしい……。私は嫌われてしまったのかしら……。あっ! もしかしたら、ジュリアの方が良かったのかもしれない。地味な私よりも、ジュリアの方が華やかですもの……私を選んだことを後悔しているのかもしれない……)
背の高いジュリアの方が、横に立つ姿も映えるだろう。
(私が、子爵邸の様子を知りたいなんて言わなければ……)
フィオナは後悔するようになった。
数日たったある日の夜。
「クリフォード様、今、お時間よろしいでしょうか……」
思いつめた表情のフィオナを前にしたクリフォードは慌てて部屋へと案内する。
「どうしたんだ? こんな時間に……」
しかし、伸ばそうとした手は、フィオナに触れることはなかった。
それに気づいてしまったフィオナはあふれ出る涙が止められず、その雫は頬を伝う。
「フィオナ⁉」
「……どうして、どうして触れてくれないんですか?」
クリフォードは息を呑む。
「私は……嫌われてしまったんでしょうか……?」
「ちがう……、ちがう! そんなことはない!」
クリフォードは狼狽えた。
涙を溢しているフィオナをそのままにはしておけない。
でも、触れたいが触れられない。
「では、なぜ? 目も合わせてくださらないんですか……。子爵邸に行ってから、よそよそしくなりました。やはり、私のようなものではなく、妹のように華がある方が貴方には──」
「それは違う!」
フィオナが言い終える前に答えるクリフォード。
「──私が、無理に君を囲ってしまったんじゃないかと思ったから……」
「……え?」
「君が私の元にいてくれるのは、子爵邸の事情のためであって、その責任感からなのではと思ったから」
「……」
「そう、思ったら……私が、触れてもよかったのかと……急に、怖くなった……」
フィオナはフルフルと首をふる。
そっとクリフォードの手に触れた。
「貴方の言う通りです。はじめは打算でした。この結婚は、子爵邸のためでした。貴方は、私の怪我を見て、虐げられていると、保護してくださったんですよね?」
はっとクリフォードは顔を上げる。
「違うって、言えませんでした。本当のことを言えませんでした。この結婚がなくなってほしくなかったんです。でも、その理由は、子爵邸のためじゃありません。私が、ここにいたいって思ってしまったんです」
「フィオナ……」
「グランヴィル辺境伯家の温かい愛が心地よくて……。何より、貴方の美しさに恋に落ちてしまった卑しい女なのです……」
「フィオナ……」
「ごめんなさい。私……貴方を手放してあげられない……」
クリフォードは思わずその大きな胸にフィオナを包み込んだ。
「私の方こそすまなかった。こんなに苦しませて。はじめは義務感からだった。守らなければと。でも違った。今は……君が愛しくて仕方ない……」
クリフォードはそっと体を離す。
フィオナは見上げる。
そこには、同じように涙を流すクリフォードの顔があった。
「私こそ君を手放してあげられない。私の元に来てくれたのが君でよかった。私の妻は、君が良い」
「クリフォード様……」
「愛してるよ、フィオナ。今まで頑張ってきた分、これからは私の横で穏やかに過ごしてくれ」
フィオナがこくりと頷くと、クリフォードはその額に、頬に、そして唇に口づけを落とした。
「まさか、あの怪我の原因が屋根の修理だったと聞いた時には驚いたよ……」
フィオナは真っ赤になり俯いた。
「令嬢がすることじゃないでしょ?」
「もうそんなことはしなくていいからな」
「わかってます」
「栄養はもう足りてるな」
クリフォードはフィオナの頬をすべすべとなでる。
髪をひと房つかむと口づけた。
「衣装も流行を追ってもいいんだぞ」
「……時代遅れでしたよね」
「あ、いや……」
「サイズも合っていませんでしたし……よそ行きはあれしかなかったので」
「す、すまない……」
「安心してください。家格にあった買い物はさせていただきます。──青い衣装を用意しても良いですか?」
「青?」
いつも似合うだろうと選んできた淡い色ではない。
もしかして、彼女はもっと鮮やかな色を好んでいたのだろうか。
急に不安を覚えたクリフォードはその顔をこわばらせた。
するとその様子に、フィオナは彼の頬へと手を伸ばした。
不安そうな彼の瞳を見つめ、フィオナは柔らかな笑みを浮かべる。
「ふふっ。ええ、青です。貴方の瞳の色ですから……」
「ああ……そうか。もちろんだとも……」
クリフォードはとても穏やかに微笑んだ。
こうしてフィオナは今日も、少し過保護な夫に愛されながら幸せに暮らしている。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
フィオナとクリフォードの関係を楽しんでいただけましたら、とても嬉しいです。
もし「面白かった」「二人のその後が気になる」と思っていただけましたら、評価やブックマークで応援していただけると、今後の執筆の励みになります。
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