殿下を愛した記憶は失いましたが、彼は過去の恩を使わず初対面の私をもう一度選びました
金糸を通した針が、ほんの少しだけ震えた。
「初めまして、殿下。今日から礼装を担当いたします」
エルナは震えを布の重みに押しつけ、頭を下げた。婚礼用の白い礼装を挟んだ向こうで、第一王子ユリウスも礼を返した。
「よろしく頼む。君が刺した鷹の羽根を見た。あれほど軽く見える金刺繍は初めてだ」
「光の向きで、羽根の半分を隠しただけです」
「それを技と呼ぶのだろう」
褒め言葉に浮かれれば、針目が乱れる。エルナは胸元に礼装を当て、肩の位置を確かめた。
王宮刺繍院で働く娘が第一王子の礼装専属に選ばれるだけでも異例だった。そのうえ、国王の机に置かれた婚姻見本帳には、エルナの名まで記されている。
家格なら、ほかの候補に遠く及ばない。それでも彼女の家が代々守ってきた刺繍には、日没の鐘から残光が消えるまでに限り、布へ本心を縫い留められる力があった。受け取った者には言葉ではなく、感情と確信だけが届く。
代わりに、縫い手は差し出した思いに結びつく記憶を失う。
「腕を、少し上げていただけますか」
「こうか」
「もう少しだけ。はい、そこで」
近い。採寸紐を回すには近づくしかないのに、ユリウスの呼吸が髪を揺らすたび、指先が役立たずになる。
恋をしたのは今日ではない。遠くから姿を見かけ、声を聞き、刺繍院へ届けられる古い礼装の擦れ方から彼の癖を知った。そんな一方的な年月など、婚姻見本帳のどの欄にも書けない。
「夕刻の検分は、日没までです」
マティルダの声で、エルナは採寸紐を取り落としかけた。刺繍院の監督女官は帳面を閉じ、二人を等分に見た。
「以後、殿下の密議に遅れが出ないように。エルナ、伝達刺繍を用いる場合は、わたくしの立ち会いを」
「はいっ、マティルダ様」
「本日は許可します」
窓辺の残光が、白布の上で金糸を赤く染めている。まだ本心を縫う必要などなかった。エルナは、ユリウスの心臓にもっとも近い箇所へ、伝達にはならない仮糸を一針置いた。
《あなたの礼装が、あなたを守りますように。》それだけなら、恋ではないふりができた。
仮縫いが終わると、ユリウスは扉の前で振り返った。
「次は三日後だそうだ」
「はい。お待ちしております」
「私も待っている」
マティルダは何も言わなかった。扉が閉じてから、帳面の時刻欄へ細い線を一本引いた。
次の検分の日、ユリウスは密議へ向かう直前までエルナの前に立っていた。
肩章の位置を直し、袖口を留め、胸元の仮糸を抜く。彼はされるままになりながら、ときおり窓の外へ目をやった。日没の鐘を待っているようにも、恐れているようにも見えた。
「今夜の密議では、王冠を得るために何を捨てられるか問われる」
エルナの針が止まった。
「わたしにお話しになってよいことですか」
「よくない。だから、今のは忘れてくれ」
「忘れるのは、得意ではありません」
「……それなら、助かる」
忘れてくれと言った口が、そう言った。エルナは矛盾を指摘せず、針を進めた。
ユリウスは笑ったが、窓硝子に映った横顔は笑っていなかった。
鐘が鳴った。
一度。
二度。
廊下の向こうで近衛が足を止める。マティルダが懐中時計の蓋を開いた。
「時間です」
ユリウスが礼装を脱ごうとする。エルナは胸元の布を押さえた。
「もう一針だけ、よろしいですか」
「許可します」
マティルダの返事と同時に、エルナは針を入れた。
王冠ではなく。
国でも、血筋でもなく。
《あなたが、今夜を無事に終えますように。》
金糸が残光を吸い込み、指の間で熱を持った。ユリウスが息をのみ、胸元へ手を置く。
「これは……」
「急いでくださいませ。皆様がお待ちです」
「エルナ」
「……っ」
初めて、名を呼ばれた。針先が指をかすめたのにも気づかなかった。その響きを胸へしまうより先に、ユリウスは近衛を従えて去った。エルナは針を箱へ戻し、いつもどおり糸屑を拾った。
◇
翌朝、作業台の上に二人分の泥が落ちていた。心当たりはないのに、胸の奥がひとつ分だけ軽い。何かを置き忘れた朝のような軽さだった。
「誰か、昨夜ここで靴を磨きましたか」
女官たちが顔を見合わせる。一人が口を開き、閉じた。
「どうしたのです?」
「いえ。お庭の土に似ていると思っただけです」
エルナの靴底にも、乾いた泥が挟まっていた。けれど昨夜、刺繍院を出た覚えはない。
糸箱を開くと、白い小花が一輪、薄紙に包まれていた。誰から受け取ったものか分からない。捨てるにはきれいすぎて、エルナは箱の隅へ戻した。
三日後、ユリウスは扉をくぐるなり、ほっと肩を下げた。
「また会えた……」
「はい。検分の日ですから」
「そうだったな」
彼は笑みを残したまま、少しだけ黙った。エルナが礼装を広げると、ためらいながら両腕を上げる。
「肩は、先日よりなじんでいます。どこか窮屈な箇所はございますか」
「ない。あの夜も、これを着ている間は迷わなかった」
「仕立て手として光栄です」
「仕立ての話だけではないのだが……」
エルナは仮糸を唇で湿らせかけ、やめた。ユリウスは彼女が返事をしないことまで受け入れるように、顎を引いた。
それから夕刻のたび、彼の呼び方が近くなった。
刺繍師。
エルナ嬢。
エルナ。
彼が近づくほど、エルナの側には小さな空白が増えた。休憩卓に置かれた蜂蜜菓子を避けると、同僚の女官が「お好きだったのに」と言いかけ、盆を引き寄せた。
「こちらの木苺のものはいかが?」
「ええ。いただくわ」
女官は笑った。けれど、エルナが一口かじるまで自分の菓子へ手を伸ばさなかった。
私物箱からは、覚えのない品が減っていった。押し花。青い糸で結ばれた紙片。庭園で拾ったらしい丸い石。由来の分からないものを処分するたび、箱は整然としていく。
ユリウスだけが、空いた場所にあったものを知っていた。
「白い花は、もうないのだな……」
「ご覧になったことが?」
「以前、君が見せてくれた」
「殿下は、わたしの知らないわたしをよくご存じなのですね……」
ユリウスの手が下がった。エルナは礼装の裾を持ったまま、マティルダを振り返った。
「わたしは……何を、お話ししたのでしょう」
「検分中の私語は記録しておりません」
「では、あの花はどこで?」
「職務外です」
「何が失われたかだけでも教えてください」
マティルダは婚姻見本帳へ視線を落とした。
「伝達刺繍の代価を、他人の記憶で埋めることは認められていません」
「それは規則ですか」
「職務です」
返事になっていない。けれどマティルダは、それ以上の問いが載る欄を初めから用意していなかった。
ユリウスが一歩近づきかける。マティルダの指が懐中時計へ触れると、彼はその場に止まった。
最後の仮縫いを二日後に控えた夕刻、ユリウスは礼装の袖を通さずに言った。
「君は、私に菓子を半分くれたことがある」
エルナは木苺色の糸を切った。
「……そうですか」
「蜂蜜が多すぎて、一つは食べられないと言っていた。だが私が半分食べると、残りを惜しそうに見ていた」
「わたしは蜂蜜菓子が苦手です」
「以前は好物だった」
「先ほど、女官たちから聞いたのですか」
「違う。あの日、庭で——」
声がほどける。ユリウスは窓辺を見た。
「君は白い花を見つけた。摘むべきか迷って、結局、落ちていた一輪だけ拾った。王子が勝手に花を摘めば庭師が困るから、と私を止めた」
「殿下……っ」
「そのあと、私がもし王子でなければ何をしていたかと尋ねた。君は笑って、刺繍院の糸運びなら雇ってもいいと」
「もう、おやめください」
エルナは針を布へ置いた。手から離れた針が、金の尾を引いて揺れる。
「どうしてだ」
「確かめられない話を並べられても、わたしには判断できません。殿下を疑いたいわけではありませんが……婚姻見本帳に名が載ってから、皆がわたしへ親切になりました」
その先は言うべきではなかった。だが、ユリウスは知りすぎている。エルナ自身よりも詳しく、エルナが彼を好いた証拠ばかり持っている。
「わたしの知らない思い出を使えば、わたしが喜ぶとお考えですか」
ユリウスの指が、礼装の端から離れた。
「君が忘れた分まで、私が覚えていなければならないと思っていた」
「それを、わたしに信じろと……!?」
「……いや」
ユリウスは胸元を隠すように礼装を畳み、作業台へ戻した。
「今の君が疑うなら、それが答えだ。過去の君を連れてきて、二人がかりで説得するべきではなかった」
彼は一歩退いた。腕を伸ばしても、仮縫いの針が届かない距離まで。
「今日は帰る。仕上げは、必要なことだけを伝えてくれ」
「殿下、まだ検分が」
「彼女を休ませてほしい」
マティルダは時計を閉じた。
「許可します」
扉が閉じる。エルナの手元には、持ち主のいない金糸だけが残った。
◇
婚礼衣装の完成を待たず、国王の裁定が下った。
ユリウスは密議で王家の方針に異を唱えた。理由を明かさず、国益より私情を優先したと見なされ、婚姻見本帳の別の頁から相手を選ぶよう命じられたという。
刺繍院へ来た使者は、完成日を一日繰り上げるとだけ告げた。誰の婚礼に使う礼装かは言わなかった。
エルナは朝から鷹の翼を刺し続けた。光を受ける糸と、影へ沈む糸。半分を隠せば軽く見える。ユリウスが褒めた技だと、手が覚えていた。
「陛下がお呼びです」
王の前へ出ると、ユリウスはすでにいた。婚姻見本帳を挟み、父子は向かい合っている。彼はエルナを見たが、近づかなかった。
国王の声は、閉じた窓のように揺れなかった。
「お前は、この娘から本心を受け取った。それを判断の根拠とするなら、内容を説明せよ」
「できません」
「では、別の婚姻を選べ。継承者の裁定に、説明不能な確信を持ち込むことは許さぬ」
ユリウスの拳が固くなる。だが、口から出たのは短い返事だった。
「承知しました」
エルナは彼の横顔を見た。諦めた顔には見えない。ただ、何かを守るために言葉を捨てた顔だった。
国王が見本帳を閉じる。
「確信ではなく、お前自身の言葉で選べ。それができぬ限り、王家はお前の選択を認めない」
退室しても、ユリウスはエルナへ弁明しなかった。廊下の端で頭を下げ、別の扉へ消えた。
作業場へ戻ると、完成間近の礼装が待っていた。胸元に重なった金糸には、エルナが伝えた本心が沈んでいる。
彼の無事を願った夜。彼が王子でなくてもよいと望んだ夕刻。覚えていない。けれど、失った空白がどこへ続いているかだけは分かった。
残った最後の一箇所へ本心を縫えば、ユリウスに積み上がった確信を、彼自身の選択へ変えられるかもしれない。その代価も分かっていた。
彼を愛した理由。彼を愛した時間。おそらく、彼を愛したという事実まで。
「最後の検分は中止です」
マティルダが告げた。
「礼装は王家へ引き渡します。エルナ、針を置きなさい」
「まだ胸章の裏が終わっておりません」
「見えない箇所です」
「わたしには見えます」
マティルダは作業台の礼装を見た。それから西窓へ目を向ける。夕陽が廊下の奥を赤く塗り、鐘楼の影が伸びていた。
「殿下は、どちらに」
「密議室です」
「日没までにお呼びください」
「命令ですか」
「お願いです」
「職務ではありませんね」
「はい」
マティルダはしばらくエルナを見ていた。やがて懐中時計を開き、残り時間を確かめる。
「最後の検分を許可します」
彼女は自らユリウスを呼びに行った。
鐘が鳴る前に、ユリウスは駆け込んできた。
「エルナっ、何をするつもりだ」
「礼装をお召しください。胸章の位置を決めます」
「もう縫うな!」
「殿下」
「私は知っている。君が何を失うのか」
息を切らしながらも、ユリウスは礼装へ触れなかった。エルナが差し出すと、首を振る。
「これ以上、私に渡さなくていい」
「受け取るかどうかは殿下がお決めください。縫うかどうかは、わたしが決めます」
「その言い方を、君は前にもした」
「では、今は二度目です」
ユリウスの顔が歪んだ。エルナには、その理由を量る物差しがない。
「前のわたしを、ここへ連れてこないでください」
「……分かった」
「わたしは殿下を疑いました。今も、失った思い出を信じることはできません」
「ああ」
「それでも、陛下の前で何も仰らなかった殿下を見ました。わたしの言葉を証拠にすれば、ご自分を守れたのに」
「君が忘れた言葉は、私の所有物ではない」
エルナは礼装を広げた。ユリウスは目を閉じ、腕を通した。胸元を合わせると、これまでの仮糸が彼の体へ沿っていく。
鐘が鳴った。
一度。
二度。
マティルダが扉の外へ出た。追ってきた近衛に何も説明せず、扉を閉める。
残光は、廊下の窓を一枚ずつ離れていった。
「時間です」
エルナは胸章の裏へ針を刺した。
「待ってくれっ」
金糸を引く。
布の中で、積み重ねた針目が熱を持つ。
「エルナっ」
「覚えていられなくても、今のわたしは、殿下が選べる明日を望みます」
もう一針。
ユリウスの無事を願った理由が消えた。
もう一針。
白い花を箱へ戻した朝が消えた。
もう一針。
陛下の前で口を閉ざした横顔が消えた。
ユリウスが胸元を押さえる。何かを受け取るたび、彼の唇から血の気が引いていく。
「……私を選んでほしいのではないのか」
「それは、殿下がお決めになることです」
「なら、君は何を望む」
針先が止まった。
廊下の最後の窓から、赤い光が抜ける。
「殿下が、ご自分で選ぶことを」
糸を結んだ。
鋏を入れる。
金の一筋が落ちた。
残光が消えた。
目の前に、白い礼装を着た男が立っていた。胸元を押さえ、エルナを見つめている。ひどく近い。王族の礼装だと気づき、エルナは慌てて一歩下がった。
作業台には針と糸。自分の指には、金糸を扱った跡がある。この礼装を仕立てていたらしい。
けれど、男の顔を知らなかった。
扉が開き、マティルダが入ってくる。近衛たちは外で待ったままだった。
「検分終了です」
「あの、マティルダ様」
「はい」
「こちらの方は……」
白い礼装の男が目を伏せた。息を一度整え、エルナが尋ねるより先に、距離を取った。針の届かないところまで。
エルナは背筋を正し、刺繍師として頭を下げた。
「初めまして、殿下」
男は返事をしなかった。胸元の金糸を握りしめそうになり、指を開く。それから、笑った。
「——どうして、そんなに嬉しそうなお顔をなさるのですか」
「君に会えたからだ」
「以前、どこかで?」
「いや。今、会った」
おかしな答えだった。けれど男は訂正せず、過去を語り出すこともなかった。
マティルダが礼装の胸章を検分し、扉へ向かう。
「殿下。陛下がお待ちです」
「ああ」
ユリウスはエルナへ一礼した。
「礼装を仕上げてくれて、ありがとう」
「職務ですので」
「それでも、ありがとう」
マティルダは二人を振り返らず、廊下へ出た。ユリウスもあとを追う。
扉が閉じる直前、エルナは白い礼装の胸元を見た。金の鷹を重ねた二人紋は、半分が光り、半分が影へ沈んでいる。自分の仕事なのに、ひどく遠いものに見えた。
◇
翌日、婚姻見本帳からエルナの名が消えた。
別の頁が選ばれたのだろうと、女官たちは仕事の手を止めなかった。エルナも空になった糸箱へ新しい糸を並べた。白い花も、青い紙片も、丸い石もない。ずいぶん使いやすい箱だった。
昼を過ぎたころ、王宮の鐘が一度だけ鳴った。
ユリウスが国王の裁定を退けたのだと知らされたのは、そのあとだった。王位も王家も捨ててはいない。婚姻を命じる権利は王家に残る。ただし彼は、説明できない確信ではなく、自分の言葉で相手を選ぶための猶予を求めた。
国王は許した。
婚姻を許したのではない。選ぶことだけを。
夕刻、刺繍院にユリウスが現れた。
昨日の礼装ではなく、飾りの少ない上着を着ている。女官たちは短く礼を取り、すぐに作業へ戻った。誰も手を止めて見物しなかったが、針の進みは揃って遅くなった。
「エルナ嬢。少し話せるだろうか」
「礼装に不具合がございましたか」
「いや。今日は依頼ではない」
マティルダが作業表を閉じた。
「西の検分室を使用してください。日没までです」
「マティルダ様、わたしは何を検分するのでしょう」
「ご自分でお決めください」
二人が部屋へ入ると、マティルダは外から扉を閉めた。
ユリウスは窓辺にも、エルナのそばにも寄らなかった。昨日と同じ距離に立ち、両手を見える位置へ下ろしている。
「私は、君に伝えなければならないことが多くある」
「では、お聞きします」
「だが、それを言えば、君の返事を縛る。だから、今は言わない」
ユリウスは一度だけ息を吸った。
「昨日、初めて会った君を美しいと思った。私を知らないのに、自分の仕事にはまっすぐで、分からないことを分からないと言える人だとも思った。もっと話したい。君が何を好み、何を嫌うのか、君の口から教えてほしい」
エルナは黙って彼を見た。王子から向けられる言葉としては、あまりに飾りがない。
「これは求婚ではない。そこまでの返事を、今日の君に求めるつもりもない。まず、私と知り合ってもらえないだろうか。一人の男として、君に交際を申し込みたい」
「陛下は、お許しになったのですか」
「選ぶことだけは」
「選ばれないことも?」
ユリウスの喉が動いた。
「ああ。君が望まないなら、私は退く」
作業場から、糸を切る鋏の音が聞こえた。規則正しく二度鳴り、それきり止む。
エルナは彼の顔を見た。昨日、どうして嬉しそうなのかと尋ねた顔。今は返事を急かさず、何も差し出さずに待っている。過去も。恩も。確信も。
「すぐには、お答えできません……」
「分かっている」
「殿下とお話しするたび、身分の違いを考えると思います」
「ああ」
「仕立ての途中で、仕事の話ばかりするかもしれません」
「それは楽しそうだ」
「まだ、お受けすると申しておりません」
「すまない」
ユリウスが口を閉じた。喜びを引っ込めようとして、うまくいかなかったらしい。
エルナは手を差し出した。彼は動かない。
「殿下?」
「これは、どういう意味だろう」
「まずは、知り合うのでしょう?」
「触れてもいいのか」
「そのために差し出しました」
ユリウスは確かめるように一歩だけ近づいた。それでも、すぐには取らない。
エルナの返事を待つ。
「どうぞ……」
ようやく重なった手は、初めて触れる人の温度がした。




