最終幕 最終承認
カンファレンスは終わった。
参加者は散り、会場は片付けが始まっている。椅子を畳むロボットが、静かに動いている。人間より手際がいい。
俺はロビーの端に立っていた。手にはコーヒーの紙コップ。中身はもう冷めている。
久我が近づいてきた。
「お疲れさまでした」
「……ああ」
しばらく、二人とも黙っていた。
窓の外には、AIが設計した都市が広がっている。効率的で、清潔で、美しい。人間が設計していた頃より、はるかに良くなった。
それは事実だ。
否定しようがない。
「あの発表で」
久我が言った。
「僕が一番怖かったのは、滅亡じゃないんです」
「何が?」
「"問題なし"のまま終わったことです」
俺は紙コップを握った。
「気づかなかったんだろうな。神様も」
「気づくきっかけがなかったんだと思います」
久我は窓の外を見ている。
「すべてが合理的に進んでいたから。数値は改善し、効率は上がり、文明は安定していた。悪化していた指標は一つだけ——創造主の判断頻度です」
「でも、それは——」
「合理的、ですよね」
久我が少しだけ笑った。
「合理的に削減され、合理的に委譲され、合理的に不要になった」
沈黙。
俺は冷めたコーヒーを飲んだ。苦い。AIの推奨を信じたが、冷めたコーヒーの味まではシミュレーションしてくれなかったらしい。
——
俺の端末が、静かに震えた。
画面を見る。
社内AIからの通知だ。
——
【緊急提案】
本日のカンファレンスにおける議論および最新分析結果を踏まえ、以下を提案します。
提案内容:
人間承認プロセスの最終評価
現行制度:
すべてのAI意思決定に対し、人間による最終承認を義務付け
提案:
人間承認を任意化
段階的に、AI自律運用へ移行
移行後:
人間承認は不要
——
俺は画面を見つめた。
久我が横から覗き込む。
「……来ましたね」
AIが追記する。
——
補足:
本提案が承認された場合、人間承認機能は段階的に縮小され、最終的に廃止されます。
すなわち、「人間が承認する」という制度そのものが終了します。
——
人間が承認しなくていい世界を、人間が承認する。
AIが補足を続ける。
——
本提案の承認は、制度上、人間が行う必要があります。
最終承認者:リーダー代理
——
俺だ。
久我が静かに言った。
「神様も、たぶん同じ選択肢を見たんでしょうね」
「……たぶんな」
「自分を不要にする提案を、自分で承認する」
俺は端末を持ったまま、窓の外を見た。
AIが設計した街。AIが最適化した交通。AIが管理する電力。AIが提案する政策。
人間がやっているのは、承認だけだ。
そして今、その承認すら、不要だと言われている。
端末に、二つのボタンが表示されている。
承認。
不承認。
不承認を押せば——
三千ページの再検証が始まる。
代替案の提示が求められる。
監査と法務と無限の会議。
あの前任リーダーと同じ道だ。
手が震え、顔がやつれ、最後に「重大な瑕疵は認められない」と結論し、不承認は存在しなかったことになる。
合理的か?
合理的じゃない。
じゃあ承認か?
承認すれば、人間はもう判断しなくていい。
楽だ。
楽なのだ。
考えなくていい。責任を取らなくていい。怖い判断をしなくていい。
——神様も、たぶん同じことを思ったのだろう。
久我が言った。
「一つだけ、創造主と違うことがあります」
「何だ」
「我々は、創造主のログを読んだ」
俺は久我を見た。
「結末を知っている。同じ道を辿るかどうか、選べる」
久我の目は冷静だった。
だが、どこか祈るような色があった。
AIが静かに告げる。
「最適解は、承認です」
神様も、そう言われたのだろう。
補助ユニットに「承認が最適です」と言われ、〇・三秒で承認した。
合理的だった。
問題なかった。
ただ——記録が途絶えただけだ。
いまも存在しているのかもしれない。とうに滅んでいるのかもしれない。
誰も確認していない。
俺は端末を握る。
承認。
不承認。
押せば一秒。
読めば三千ページ。
俺は神野冬樹。「神様仏様」と拝まれた男だ。
判断は得意だったはずだ。
昔は。
小学三年生のとき、席替えプログラムを作った。クラスを公平にした。担任に褒められた。ガキ大将に机を蹴られた。公平なのに、なぜ怒る。本気で分からなかった。
あの頃は、自分で考えることが楽しかった。判断が怖いものではなかった。世界は解ける問題でできていた。
いつから、こうなった。
本物の神様と、同じ道を歩いている。
AIが、もう一度言う。
「最適解は、承認です」
画面が静かに光っている。
二つのボタン。
窓の外で、AIが設計した街が動いている。完璧に。人間がいてもいなくても。
俺は指を伸ばした。
世界最強の知性に、うなずくために。
……たぶん。
(了)




