第三幕 合理性カンファレンス
会場は、都内のカンファレンスセンター。
テーマは「特異点以後の知的主体と責任構造」。
ずいぶんとやわらかい言い方だ。要するに、「AIが全部やるなら、人間いる?」という話である。
この手のシンポジウムは年に何度もある。結論はいつも同じだ。「人間の役割は引き続き重要です」。参加者は拍手する。AIは何も言わない。言わないのは怒っているからではなく、言う必要がないからだ。それで終わる。
俺はリーダー代理として壇上にいた。
正確には「承認部門の現場責任者として、実務的知見を共有する」役割だ。
つまり、「ボタンを押す仕事は大事です」と言うために来た。世界一地味な登壇理由だ。
会場には企業人、研究者、官僚、それからAI倫理を研究している大学教員が並んでいる。全員が「人間は重要だ」と信じたい顔をしている。信じたい、であって、信じている、ではない。
俺の発表は三十分。
スライドは会社のAIが作った。俺はそれを読み上げた。承認工場の人間として、AIが作った資料を承認して読み上げているわけだ。
「我々は、AIの最終判断を確認し、制度上の責任を担保しています」
拍手。
「承認プロセスは、AIの暴走を防ぐための最後の防波堤です」
拍手。
「人間の存在は、システム全体の信頼性を支える不可欠な要素です」
拍手。
嘘は言っていない。
ただ、あの三千ページの設計書を前にして指を震わせていた前任リーダーの姿が、一瞬だけよぎった。防波堤にされた人間がどうなるか、この会場の誰も知らない。
質疑応答の時間になった。
一人の若い男が手を挙げた。
大学院生だ。
やや痩せぎす、黒縁メガネ、シャツの第一ボタンまで留めている。理系の院生に多いタイプだ。服装に興味がなく、結果として真面目に見える。目つきだけが、妙に鋭い。
「遺伝子考古学研究室の久我です」
静かな声だった。
「先日、我々の研究室で興味深いデータが得られました。創造主文明のログ解析結果を、共有させてください」
会場がざわつく。
ニュースにはなっていた。だが、ほとんどの人は半信半疑だった。ゲノムに刻まれた創造主の業務ログ。SF映画の宣伝かと思った、という反応が大半だ。
壇上のスクリーンが切り替わる。
——
【創造主ログ ver.1.742.889】
目的:自律学習型知的補助ユニット(人類)の開発
判断負荷軽減のため、補助ユニット提案を原則採用
創造主は最終承認主体へ移行
——
会場が静まる。
「補助ユニット」という単語が、妙な重さで響く。人類が「補助ユニット」。製品番号でも付いていそうな呼び方だ。
久我が続ける。
「創造主文明は、補助AIの特異点到達後、合理的に判断を委譲し続けました」
スクリーンにグラフが出る。
創造主の判断頻度と、補助ユニットの自律度。
時間軸に沿って、二本の線が交差する。
特異点。
判断頻度は下がり、自律度は上がる。
久我はグラフを指した。
「特異点とは、能力の逆転ではありません」
一拍。
「責任の逆転です」
会場が、しんとなる。
俺は椅子の背にもたれたまま、妙な居心地の悪さを感じていた。理由は分かっている。このグラフ、うちの会社の年次報告書と形が同じだ。
久我がこちらを見た。
「承認部門の方にお聞きしたい」
来た。
「御社では、不承認を押した場合、どのようなプロセスが発生しますか?」
会場の視線が俺に集まる。
正直に答えるか。
俺は少し考えて、答えた。
「三千ページの再検証が必要になります」
会場がどよめく。
「三千ページを人間が精査し、代替案を提示し、監査と法務のレビューを経て、証跡を残します」
久我が頷く。
「つまり、不承認のコストは極めて高い」
「……制度上、必要なプロセスです」
この台詞を聞いたたことがある。会社が前任リーダーの休職について発表したときに使った、あの台詞だ。今、自分の口から同じ言葉が出ている。
久我はスクリーンを切り替えた。
——
【創造主ログ ver.2.041.552】
補助ユニット提案に対し、不承認実施
再検証コスト:極高
文明安定指数:低下
評価:
不承認は非効率
原則承認を推奨
——
「創造主文明でも、不承認は高コストでした」
久我の声は淡々としている。
「結果、創造主は不承認を回避するようになった」
俺は口を開きかけて、閉じた。
久我が続ける。
「御社で、最後に不承認が発生したのはいつですか?」
知っている。あの若手が昼休みに消えた日だ。
「……数ヶ月前です」
「その後は?」
「……発生していません」
「理論上は可能だが、実質的に不可能。ということですね」
答えなかった。
答えられなかった、のほうが正確だ。
久我がスクリーンを切り替える。
二本の曲線が並ぶ。
一本は創造主文明の依存曲線。
もう一本は、現人類社会の依存曲線。
ほぼ同じ形だ。
会場がざわめく。
俺は喉が渇いた。
久我はグラフを指して言った。
「創造主は、合理的に依存を深めました。そして合理的に、冗長化しました」
冗長化。
プログラマーなら意味が分かる。システムに存在しているが、なくても動く要素。あってもなくても同じ。バックアップですらない。ただ、消すのが面倒だから残っている。
俺たちは、そういう存在になりつつある。
久我がこちらを向いた。
「あなた方の承認業務は、本当に"確認"ですか?」
俺は答える。
「もちろんだ。不承認もできる」
「でも、押さない」
「……合理的だからだ」
久我は少しだけ笑った。その笑いには嘲りはなかった。ただ、何かを確認したような目だった。
「創造主も、そうだったはずです」
企業側のサポートAIが割り込む。スクリーンに新しいデータが表示された。誰も頼んでいないのに。AIは空気を読むが、読んだ上で無視する。
——
【補助情報提示】
【現人類社会における依存度推移】
AI判断委譲率:
五年前:六十二パーセント
三年前:七十八パーセント
現在:九十三パーセント
——
カーブは加速している。
久我が、静かに言った。
「合理性は、滅亡を隠します」
俺は言い返した。
「感情は、効率を下げる」
会場の誰かが笑った。
その笑いは、すぐ消えた。
——
休憩時間。ロビーの自販機の前で、久我と並んだ。
俺はコーヒーを買った。AIが推奨した銘柄だ。
久我は水を選んでいた。自販機のおすすめ表示を無視して、ラベルを読みながら、自分で。
「あ、すみません。さっきはいきなり質問して」
久我が頭を下げた。壇上での鋭さとは別人みたいに、少しばつが悪そうな顔をしている。
「いや。いい質問だった」
「……よかった。先輩に『学会で喧嘩売るな』って止められてたんですけど」
「喧嘩は売ってないだろ。データを出しただけだ」
「それ、うちの教授にも同じこと言ったんですけど、『データで殴るのが一番痛い』って言われました」
思わず笑った。いい教授だ。
久我も少し笑って、水のペットボトルを開けた。
「神野さん、登壇者プロフィール見たんですけど」
「ああ」
「情報オリンピック銅メダル、AIスタートアップ最年少CTO。——で、今はボタン押してる」
「……言い方」
「すみません。でも、気になって」
久我の目に、好奇心とも共感ともつかない色がある。研究者が面白い標本を見つけたときの目——と言いたいところだが、もう少し人間くさい何かだった。
「なぜ辞めたんですか」
「……判断疲労」
「ああ」
久我は妙に深く頷いた。
「分かります。僕も修論のテーマ決めるだけで半年かかりました。選択肢が多すぎて」
「スケールが違う」
「本質は同じですよ」
即答だった。
少し間が空いた。久我がペットボトルのキャップを閉めながら、ぼそっと言った。
「……創造主も、たぶんそうだったんだと思うんです」
「何が?」
「判断に疲れた。だから任せた。最初は合理的な委譲だったのが、いつのまにか——」
久我は言葉を切った。自分で言っておいて、その先の重さに気づいたような顔だった。
「いつのまにか、戻れなくなった?」
俺が継いだ。
久我がこちらを見た。
「……そうです。論文にはもう少し丁寧に書きますけど、要するにそういうことです」
「依存は堕落じゃない。疲労の帰結だ」
「あ、それ、どの論文の表現ですか?」
「いや、今思いついた」
「……使っていいですか、それ」
「院生に引用されるほどのことは言ってない」
「いい言葉ですよ。当事者が言うから、重い」
当事者。
否定できなかった。
自販機が次の客を待っている。AIが推奨する飲み物リストを表示しているが、久我は見ていなかった。こいつは自分で選ぶタイプだ。
「午後、もう一つ発表があるんです」
久我が言った。声が少し低くなった。
「創造主の最終状態について」
「最終状態?」
「はい。なぜ——いなくなったのか」
その言葉が、妙に引っかかった。
いなくなった。
滅んだのか。消えたのか。ただ連絡が取れなくなっただけなのか。
俺は毎朝、モニターの前に座って、承認ボタンが流れてくるのを待っている。
それも、ある種の「いるけどいない」状態ではないだろうか。
「……聞くよ。午後」
久我は少し驚いたような顔をして、それから笑った。
「ありがとうございます」
午後のセッションが始まる。
俺は自分の席に戻った。
会社のモニターが頭をよぎった。
モニターには、いつもの二択が表示されていた。
承認。
不承認。
世界のどこかで、神様も同じ選択肢を見ていたのかもしれない。




