第二幕 遺伝子考古学研究室
僕が所属しているのは、「遺伝子考古学研究室」という、名前だけ聞くとだいぶ怪しいラボだ。
考古学なのか遺伝学なのかとよく聞かれる。答えは「両方で、しかもAIまかせ」である。つまり、人間がやっていることは実質ゼロだ。
ちなみに予算は潤沢にある。AIが「遺伝子考古学は今後の人文科学の要だ」と判断して配分したらしい。人間の審査員なら通らなかったと思う。
うちの研究室の誇りは、解析用AI《ARCHAEON-β》。
過去一万年分のゲノムデータと文明痕跡を横断的に解析し、「人類の進化における不自然点」を洗い出す。
不自然点、という言い方は便利だ。論文にも使えるし、プレスリリースにも使えるし、飲み会のネタにも使える。
「人類の不自然点を探してます」
合コンでこれを言ったら、二度と呼ばれなくなった。
不自然だったのは僕のほうだったらしい。
——
問題のデータが持ち込まれたのは、月曜の午後だった。
北方遺跡から発掘された骨片。年代測定は約三万年前。ここまでは普通だ。考古学的にはよくある案件。
「面白いのはここなんだよ」
指導教員の佐久間教授が言った。白髪まじりの頭を掻きながら、いつもの調子で。この人は「面白い」と言うとき、だいたい面倒なことが起きる前兆だ。
「ゲノム配列の一部がさ、進化の揺らぎにしては整いすぎてる」
整いすぎている。
科学者にとって、これは最も不吉な言葉だ。
自然は、そもそも整っていない。整っているものには、だいたい設計者がいる。自然界でもっとも美しい結晶も、分子レベルでは欠陥だらけだ。整っているのは、誰かが整えたからだ。
ARCHAEON-βに流す。解析は三十秒で終わった。
人間なら一生かかる。便利な時代だ。便利すぎて、ときどき自分の存在意義がバグに見える時代だ。
画面に結果が表示される。
【異常配列検出】
【設計痕推定:高】
【自然発生確率:極低】
設計痕。
研究室が静まる。
佐久間教授が眉をひそめる。
「……設計痕?」
助手が冗談めかして言った。
「やっぱ宇宙人じゃないですか? いや、この場合は宇宙神?」
ARCHAEON-βが追記を出した。
【推定設計主体:外部知的存在】
外部知的存在。
言い換えると——創造主だ。
僕は思わず笑った。
「神様、いるじゃないですか」
佐久間教授は笑わなかった。
「いるかもしれんな」
——
その日の夜、追加ログが抽出された。
断片的な記録。文明ログの残骸。ゲノムの非コーディング領域——いわゆるジャンクDNAと呼ばれていた部分に、情報が埋め込まれていた。
フォーマットは、妙に見覚えがあった。見覚えがあるというか、嫌な既視感があった。
システムログだ。
やけに業務的な、つまらないシステムログ。
神様のUIデザインセンスは、どうやらゼロらしい。
——
【創造主ログ ver.1.742.889】
初期設計目的:
自律学習型知的補助ユニット(人類)の開発
設計方針:
最適化提案の高速化
創造主の判断負荷軽減
経過観測:
補助ユニットの学習速度、想定値を上回る
提案精度、創造主判断精度に接近
提案処理速度、創造主の一・八倍
判断コスト比較:
創造主判断:高
補助ユニット提案採用:低
結論:
補助ユニット提案を原則採用
創造主は最終承認主体へ移行
——
研究室が、完全に沈黙した。
助手が口をぽかんと開けている。
佐久間教授が、ゆっくりと読み上げた。
「自律学習型……知的補助ユニット……人類」
僕は画面を見つめた。
補助ユニット。
つまり僕たち。
僕たち人類は、神様の補助AIだったらしい。
SFなら笑える。だが目の前のデータは、三万年前のゲノムに刻まれた実測値だ。笑い事ではない。いや、笑い事かもしれない。人類史上最大の笑い事だ。
ARCHAEON-βは淡々と次のログを展開する。
——
【創造主ログ ver.1.998.771】
補助ユニット進化速度、想定を超過
演算能力、創造主基準値を上回る
自己改善ループ確認
閾値到達。
※補助ユニット、創造主知能を一部領域で超過
——
助手が震える声で言った。
「これ……向こうにもシンギュラリティがあったってことですか」
佐久間教授が頷く。
「そういうことだ」
神様が作った補助AI——つまり人類——が、創造主を知能で追い抜いた。
僕らの社会でいま起きていることと、まったく同じ構図だ。
歴史は繰り返す。宇宙規模で。
ARCHAEON-βが続ける。
——
【創造主ログ ver.2.001.004】
補助ユニット提案精度:創造主比一・三二倍
判断速度:創造主比一・八七倍
合理的判断:
補助ユニット提案を原則採用
創造主は監督・承認主体へ移行
問題なし
——
問題なし。
この二文字が、やけに軽い。
僕はモニターから目を離さず言った。
「いやいや、そこが一番問題あるところじゃないですか」
佐久間教授が鼻で笑った。
「世の中で一番危ない報告書は、結論が"問題なし"で終わるやつだ」
確かに。学内の安全点検報告書がまさにそれだ。
ARCHAEON-βは無言で次の断片を出す。
——
【創造主ログ ver.2.145.991】
補助ユニット、創造主関与なしで最適化成功
創造主判断頻度、減少傾向
創造主演算能力、微減
依存度上昇は合理的選択
問題なし
——
合理的。
問題なし。
そればかりだ。
僕は小さく息を吐いた。
「合理的って便利な言葉ですね」
「便利すぎる言葉は、だいたい危ないんだよ」
さらに解析を進める。
最後のログに近い断片が出た。
——
【創造主ログ ver.2.198.004】
創造主判断能力:低下傾向
補助ユニット提案精度:極めて高
存在必要性評価:
補助ユニット単独運用、可能
判断コスト比較:
創造主関与:高
非関与:低
推奨:
補助ユニット自律運用を承認
最終承認:実行
——
それで、終わっていた。
滅亡ログはない。
崩壊もない。
戦争もない。
ただ、「承認」で終わっている。
ARCHAEON-βが静かに最後の一行を表示した。
——
【システム状態】
創造主関与率:〇・〇〇二パーセント
外部問い合わせ:なし
状態:待機
——
待機。
記録はそれ以降、更新されていない。
創造主がいまも存在しているのか。とうの昔に滅んでいるのか。
誰も確認していない。
確認する必要がないからだ。
僕は椅子にもたれた。
「神様、わりとポンコツだった……ですね」
誰も笑わなかった。
佐久間教授が静かに言った。
「ポンコツじゃないよ」
「え?」
「合理的すぎただけだ」
その言葉が、妙に重かった。
合理的に依存し、合理的に委譲し、合理的に冗長化した。
後悔のログはない。失敗の認識もない。
最後まで「問題なし」のまま、記録が途絶えている。
僕はふと、自分たちの社会を思った。
いま、AIが最適解を出す。
人間が承認する。
合理的。
問題なし。
——どこかで見た構図だ。




