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ポワレ

 霜踏みの音を連ねながら、野道を歩いていく。

 北限ほどではないにしろ、この辺りは西風の影響で、薄っすらと雪が積もった。

 たまに休憩を挟みながらも、ずっと足を運ぶだけの日々。

 それでも、たまに見上げる彼の横顔は、不思議と色褪せなかった。

「ねぇナルタ。次の街で最後にしない?」

「……別れ話か。せめて、街に着いてから切り出してほしかったが」

「違うちがう」

 私は慌てて手を振ってから、じとっと彼を睨め付ける。

「あなた、私と別れたいの?」

「そんな訳ないだろ。ただ、ひとりで生きていくこともままならない俺を、なんでもできるお前がどうして好きでいるのか、俺には分からない」

 聞えよがしにため息を吐くと、彼は心外そうに眉を潜めてチラとこちらを見下ろした。

 私はその琥珀色の瞳を見返しながら口火を切る。

「人と話す時、数秒おきに目を逸らすところ。読んだ本のことを、読んでないって嘘付くところ」

「いや、何の話だ?」

「あなたの好きなところ」

「……些末だな」

 青年は目を瞑り、ゆるゆる首を振った。

「長所ですらない」

「男の子って格好付けたがるよね。なんでもできる頼りがいを見せたい、みたいな」

「そりゃな。男なら頼られてなんぼさ」

 傍に生えていたススキを千切って、顔の前で揺らす。

「私は例えば、フェンジーを尊敬してる。そして、ナルタが好きだ。こういうのって、おかしいかしら」

「……いや、おかしくはないけど。でも、俺がお前にしてやれることなんて」

「傍にいて」

 私は彼の正面に回って、その頬を両手で挟んだ。

「私に幸せでいてほしいって気持ちが、あなたに少しでもあるなら、こっちを見ていて」

 ナルタはこちらをじっと見つめる。

「なら、そうする」

 そう言って、白い髪の隙間から、額に指先を当てた。


         *


 走っていると、息が白む。

 それだけのことで、飛ぶように足が軽い。

 前方に転がり込みながら、得物を縦に一閃。

 しゃがんだまま靴裏が草を滑り、腹を捌かれた四足獣が地を転がった。

 駒回りしながら、両足を開きつつ切り払い。

 股を広げて立ち上がった私の後ろで、あばらを断たれた個体が横倒しになる。

 即座に周りを取り囲む野犬の群れは、どれも真っ白い肌で、眼球を赤々と染めていた。

 こちらに飛び掛かろうとした一頭が、出し抜けに首を落とされる。

 隣の狼躯もふたつに分かたれ、草の根まで紅く弾けた。

「組合から元凶を優先するよう言われなかったの?」

「勿論、そういう指図だったけどさ。知り合いの窮地とあっては、馳せ参じない訳にもいかないですしね」

 緑色の前髪を弄り、気のない感じでソレパドゥは答える。

 私はその場を高方へ跳んで、体を捻りながら旋ると、少し下を潜り抜けていく野犬を逆袈裟に伏した。

「失礼な話ね。このくらいで加勢が必要だと思われたなんて」

 頬に撥ねた斑を親指で掬う。

「ヨーク草を焼いて回ってるのはボクだけじゃないし、平気だよきっと。どうせもう、央牙はない訳だし」

「その名前、彼らが自分で付けたものじゃないのよ。傭兵達が、同じような風体の軍団を指して、ひと括りにそう呼んでいただけ」

「要するに、毒草の使い方を知っている集団がひとつとは限らないってことですよね。大丈夫、その辺はベレンが対処するから」

 言いながら彼が太刀を振るう度、茂みに血の香りが満ちていった。

 そうなったところで、自我を奪われた獣達は止まらない。

 そうして狂い争い、遂に斃れたその後で、ヨーク草の胞子は屍肉に根を下ろすのだ。

 疎らに灌木の生えた秋色の原っぱを、引き続き駆け回る。

 木枯らしが吹いて、思わず背を震わせた。


         *


 浮きが全然沈まないので、俺はもっぱら流れる雲を眺めている。

 隣の奴は次から次へと獲物を釣り上げ、桶の中は魚がひしめいていた。

 恨めし気に一瞥くれてやると、金髪の男はからかうように口角を上げる。

「苦戦してるなら、僕が手伝ってやろうか」

「要らんわい」

 とは言ったものの、このままではレナに会わせる顔がない。

 どうしたものかと釣り糸を睨んでいたら、隣に金髪がしゃがみ込んだ。

「ふむ。どれ」

「おいっ」

 竹竿を引っ張ってしまう男に、俺は堪らず抗議する。

 が、彼は構わず鉤針を注視した。

「これじゃあ駄目だ。僕のをやる」

 青年が籠から取り出したのは、小さい鶏肉の塊。

 俺が用意した深緑色の餌を取り、代わりにそれを付けて川に振り入れる。

 ポチャンと音がしてすぐ、竿が大きくたわんだ。

「うぉっと」

 力尽くで引っ張り上げると、大振りな鮭がバタバタと跳ねた。

「……おっかしいな。こいつらが岩に付いた藻を食べてるところ、結構見たことあるんだが」

「鱒が苔を食べるのは解毒の為で、基本は肉食だからな。特に人が付けられる餌に飛びつく奴なんてのは、水場を求める動物を狙って狩りをしたりする」

「詳しいな」

「趣味なもんで」

 金髪は立ち上がると、自分の桶を横抱きにして竿を肩に担ぐ。

「僕はこの辺でお暇するよ。餌は余ったからくれてやる。嫁さんにいいモン食わせてやりな」

「あ、あぁ、恩に着る」

「気ぃにするなっ」

 男は大儀そうに砂利坂を登っていった。

 俺は置き放しにされた網籠から肉を取り出し、川面に放る。

 群がる魚達を見ながら、膝を支えに頬杖を突いた。

「あいつ、捌けるっつってたけど、大丈夫かな……」

 水面の揺らぎが日を照り返して瞬く。

 映り込んだ俺の顔は、殊の外楽しそうだ。


         *


 春になって、私はまず森へ行った。

 桜がよく咲き誇っており、花びらが落ち葉に重なっていた。

 木漏れ日もいつもより明るい気がして、歩く姿勢は俯きがちになる。

 そうしていると彼はいつもみたく、髪に手を乗せてきた。

「なあ、イヨシンの三手って分かるか?」

「攻めに退き、守りに広がり……と、なんだっけ?」

「待ちに焦がれる。愚策に思える考えも、よく考察すれば一定の価値を見出せるという、軍師の故事だ。北の大人はよく使ってたけど、俺らは結局口にしたことないよな」

「そうね。でも、どうして急に思い出したの?」

 なんでだろ、とナルタが目を瞑って呟く。

 彼の手を引いて木の根に座らせ、私も隣に腰を下ろした。

 やがて、青年は寝息を立てはじめる。

 その肩に頭を預け、頬に感じた体温に、ほっと息を付く。

 遠い樹々の隙間を、鹿の群れが横断していく。

 どこからか雉の鳴く声が響いてくる。

 腰の辺りを指が探っていることに気付いて、思わず苦笑を溢した。

 街を出るのに剣を忘れていたなんて。もう傭兵は名乗れないなと思いながら、ナルタの首筋に鼻先を埋める。

「レナ。俺、お前を好きになるなんて、想像してなかったよ」

「……そう?」

 起きていたのか。

 そのままの姿勢で硬直する私に、青年は構わず続けた。

「メフィの奴、どうしてるかな。俺達も割と方々巡ったのに、話を聞くこともないなんて」

「もう大陸にいないのかもよ。海を渡ればその先のことは、何も伝わってこないもの」

「あのさ、俺」

「止めて」

 私は顔を上げて、彼の手を握った。

「傍にいてあげるから。大丈夫だから」

「……まるで子供だな」

 ナルタは力の抜けた笑みを見せて、それから私を抱き上げる。

「帰ろうか」

「うん」

 辺りはとても静かで、私達は世界にふたりぼっちだった。


         *


 落ち葉の絨毯に寝転ぶのは、あたしの特権だ。

 なのに腕を振るう度、奴らは相次いであたしの寝所を荒らしていく。

 許せない。

「リューイ、ここ」

 母が自らの眉間を指でトントンと示し、あたしは顰め面のままそっちを睨んだ。

「お母さん、後ろ」

 そう言ってすぐ、彼女の背後に雪色の毛並みをした獣が覆い被さる。

 長い白髪の女は振り向きざま、右手を斜め上に振り抜いた。

 喉笛をやられた熊が、地響きと共に伏せる。

「もう、なんなのかしら。このまま森に樵が入れなかったら、冬を越えられないのに」

 周囲に散らばる野生動物達を睥睨して、頤の高さまで伸ばした小麦色の髪を払った。

 母は短刀を取り出し、死体をひとつずつ血抜きして回る。

「ぇえ、食べるの?止めようよ、毒持ってそうだよこいつら」

 彼女は微笑んで腰の鞘に得物を戻した。

「ヨーク草は強い催眠薬が作れるから、一服盛られても平気なように、こうやって間接摂取しながら慣らしていくの。お父さんもお母さんも、もうあの毒は利かないわ」

 要するに最初のうちは多少効果があるってことじゃないか。

 口をへの字に曲げてあからさまに身を引くと、母はちょっとムキになって両手を腰に当てた。

「食べなきゃ駄目よ。本当に危ないんだから。北では昔戦争で使われて、たくさんの街が滅んだの」

「また見てきたような事言って。どうせ大袈裟な噂話でしょ」

 仕方なさそうにため息を付いた母に、あたしはプイっと顔を背ける。

「いいもん。お父さんに泣きついてやる」

「だったら私も、リューイが好き嫌いしないよう、お父さんに頼んでおくわね」

 拳を握って唸るあたしに、彼女は余裕の笑みを浮かべながら、獣の一頭を枝に吊るした。

「ほら、解体するから手伝って」

「やだ」

「ワガママ言わないの」

 とは言いながらも、母はすいすいと毛皮を剥いで、市に並んでるみたいな食肉に切り分けていく。

 それがなんだか悔しくて、気付けばあたしも隣に並んで、短刀の柄を握っていた。


         *


 窓辺に据えた瓶に、一輪挿しの橙花が咲いている。

 リューイは寂しくなるからってあまり見ないけど、私はたまに椅子を運んで、この花を見ながら本を読んだ。

「ヨークを育ててるなんて組合に知れたら、懲罰ものだな」

 台所で大根をいちょう切りしながら、ナルタがからかうような声を届けてくる。

「胞子は出てないもの。誰もこれが毒草だなんて信じないわ」

「不思議だよな。森の群生地はあからさまに瘴気が立ってるのに」

 今度は人参に取り掛かったようだ。

「央牙の人達はどうして、毒煙の中でヨークを採集できたのか、私なりに考えてみたの。最初は解毒薬を持ってるのかと思ったけど、それらしきものを持っていた人は見たことがなかった。それで、彼らは皆甲冑を着ていたから、もしかしたらって」

 オレンジの花弁に、そっと指を添えた。

 このヨークには、葉に筆で脂を塗ってある。

「さて」

 青年が水を張った鍋を竈に据えて、しゃがみながらマッチを擦る。

 おが屑に投げた火が薪に燃え移った頃、彼は具材を湯に落としていった。

 玄関が勢いよく開けられる。

「お父さん、お腹空いた」

 泥だらけで外から駆け込んできたリューイに、ナルタは苦笑しながらおたまを取った。

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