春の手
雄々しい喚声が聞こえてくる。
掬った砂で山を作り、押し固めては小枝で削る。
城を作ろうとしているのだけれど、どうにも歪な塔が出来ていく。
「お前らと組むのも実に久しぶりだ。てっきり次会う時は、果し合いになるものとばかり思っていたがな」
「火急の際だ、止むを得まい」
丘の突端に立つフェンジーが、腕を組んでしかつめらしく頷いた。
逆立つ長い薄青の髪を背になびかせ、大男はその隣で剣を抜いた。
幅は普通でも、刃渡りは恐ろしく遠大だ。
「露魂の武民に告ぐ!!より一層奮起せよ!!」
「「「おおおおおおぉぉぉぉぉッ!」」」
耳を覆って目をきつく瞑っていると、大男が呵々大笑した。
「すまないな娘っ子。吾輩は加減が苦手なのだ」
むくれてそっぽを向くと、ため息が聞こえる。
「レナ、仮にも同盟相手の前だ。失礼のないように」
「……平気。気にしないで」
「はっはっはっ、それは重畳!」
顔傷の益荒男が、高台から戦場の一点を指差した。
「グラディウス。これは俺の所感だが、奴ら、動きが規則的過ぎやしないだろうか」
「ふむ。というと?」
「分からんか。本来兵とはバラバラの思考を持つものだ。如何に統率された部隊であれ、それぞれの考えの下、行動は往々にして食い違っていく。だが、見てみろ。央牙の連中、一糸乱れぬといった様子だ。まるで意識を共有しているかのように、もしくは自我を失っているかのように、単調にひとつの目的を果たすべく、盤上の駒として己が役割だけを追求する」
できた、と小言で呟き、完成した楼閣を見てムフーっと息を吐き出す。
最終的に幹の捻じれが多い樹みたいになってしまったが、これはこれで私らしい気もする。
「露魂は奴らの陣形を掻き乱すことに注力してくれ。深追いはするな。仕留めることは目的じゃない」
「あい分かった」
「……少しは訳を訊くなりしないか?」
「必要ない。お前のことだ、きっと理由あってのことなのだろう。吾輩は考えるのが得意ではない故、ただ武威によって己が価値を示すのみっ!」
淡青髪のグラディウスが跳躍してすぐ、下の方から物凄まじい落着音が轟いた。
彼の笑声は遥か上のここまで届く。
聞いているだけで全身が総毛立つような、猛獣の狂悦だ。
「レナ、俺達も行くぞ」
「絡繰りが分かったの?」
「あぁ。推測だが、奴らは傀儡だ。催眠術か、或いは毒の類かもしれん。だがある程度の知性を感じさせる動きをする以上、俺達と変わらない普通の人間が操っているんだろう。ひとりではないだろうが、そいつらは近くで連中の動きを逐一見張っている筈だ。戦況を把握しないことには命令もできない。ついては、その斥候を捕らえる」
言うが早いか、黒髪のフェンジーは踵を返して駆けていく。
その途上にあった私の砂城が、彼のブーツに捉えられて霧散した。
「あ」
*
幌馬車は雨風を凌ぐには最適だけれど、景色が見れないのが少し残念。
だからわたしはこうやって、荷台の後ろを特等席にしている。
「メフィ、どう?」
「うん、もう雪がないよ」
振り返って応えると、娘達が安堵の息を吐いた。
わたしは眉を下げながら微笑み、そんな様子を眺める。
まだまだ草は枯れた麦色だったけれど、この辺りまで来れば積雪は見られない。
北の最果てにいると分からなくなってしまうが、暦のうえで言うと今は初春に当たる。
南の地には四季というものがあって、一年を通して草木の姿や街の景色が移ろっていくらしい。
好奇心が擽られる反面、空恐ろしいものも感じていた。
何もかもがゆったり変化していくのなら、そこに住む人達は一体いつ心を休めればいいのだろう。
尤も、それは北限にあっても変わらないのかもしれない。
現に今、いつも通りのあの場所に、わたしはいないのだから。
「街に着いたらどうしよっか」
「まず宿を取らないとじゃない?」
「それより酒場でパーッと!」
「怖いところじゃないといいな……」
女子の会話は、勢いが付くと止まらない。
姦しい声を聞き流しつつ、轍の残る街道を見た。
そよ風に草原がさざ波を打ち、雲がゆっくりと流れていく。
この遥か向こうに広がる雪原にわたしがいたなんて、嘘みたいだ。
*
昔もよく、こうして酒場に来たのを覚えている。
私は椅子に座り、足を振りながら温かいスープを飲むのが好きだった。
梅の実で造ったお酒は酸っぱいが、舌に馴染むと仄かに甘い。
いつも一杯しか頼まないので、あまりいい客とは言えないだろうが、給仕の娘が顰め面をしたことはない。
男達がいつも騒いでいるせいで、私などは気に留まらないのかもしれない。
それでもなんだか申し訳ないから、ごちそうさまを言う時いつも、恥ずかしそうに眉を下げてしまう。
「なあ、あんた流れだろ?」
隣の席に許可なくどっかと座り込んだ金髪の青年が、じろじろとこちらを見つつ木杯を傾けた。
「そうよ。依頼かしら?」
「おう。近頃、央牙って連中がうろつきだした噂、知ってるか」
「ええ」
「なんでも北から落ち延びきたらしくてな。薬師を騙って毒を盛り、患者は奴らの操り人形になっちまうって話だ。で、こっからが本題なんだが」
彼はグビグビと残りを飲み乾し、辛そうに息を吐いてから、卓に杯を打ち付ける。
「連中、かなり恨みを買っていたらしいな。その名を聞いて討ち取らんとする傭兵達が、北からわんさか押し寄せてきてる。戦国乱世を生き抜いた凍厳の兵を相手に迫られれば、平和な南で育った僕らは為す術がない。目下、大所帯でやって来たのは露魂って傭兵団で、こいつらは頭が話の分かる奴だから、統制が取れている。でもこの先、不心得者が現れないとも限らないだろ?僕は商いを生業にしているが、組合の使節として交渉人を務めたりもする。近々、央牙の処遇を決める議会が開かれるんだが、その場には傭兵の棟梁達も列席していてな。僕の見立てだとあんた、相当腕が立つだろ。用心棒として同伴してくれ」
私は空になった木杯の縁を指で掬い、酒の雫を舌先で味見した。
彼は大きな音で椅子を引いて立ち上がり、胸に手を当てるものだから、さすがに周りの酔客達も唸りながらこちらを見る。
「僕はベレン。君は?」
「……レナよ」
ベレンは気障に微笑みそっと右掌を差し伸べた。
私はその手を一瞥して、白い髪を左右に揺らす。
「止そう。これは仕事の契約だ」
「釣れないな。決まった相手でもいるのかい?」
「さあね。でも、それを当てにしていたならお生憎様、間に合ってるわよ」
「やれやれ。たしかに君は美しいが、商売に私情は挟まないさ」
ベレンは浅黒い肌を撫でるように金髪を掻き上げ、言葉とは裏腹に格好を付けた。
横目に見た私はさも嫌そうに口をへの字に曲げ、反対を向いてため息を吐く。
そんなつもりはなかったのだが、周りの酔漢達がどっと笑った。
*
硝子が割れる。
悲鳴が上がる。
狼煙が昇る。
火が噴く。
可笑しな話だ。
常から血で血を洗う戦が繰り広げられた最果ての街が、こうなったところなんて見たことないのに。
あの黒鎧を知っている。
樹皮を鞣して薬液に浸し、硬化させたもので、安価で作成可能な割に頑健頑丈。
灰鷹含め、私が北を離れる頃にはもうあの材質の甲冑が主流になっていた。
色自体は本来締まりのない白灰斑で、染料や意匠でそれぞれ傭兵団ごとの個性があったりする。
「時世が移ろっても央牙は在りし日のままか。起源は奴らでも大昔から伝承された技術のようだし、進歩しない連中よな。構成員自体はどれも半端なゴロツキ紛いだったし、さもありなんと言った具合だが」
浅葱色の長い逆立ち髪が特徴の大男が、かつてのように腕を組んで仁王立ちしながら呟いた。
「グラディウスも相変わらずだよ」
「何を言う。我ら露魂は精強を極めているぞ?見よ」
彼が指し示す先では、紅い甲冑を纏う若い新兵達が、黒鎧の蛮兵達を鎧袖一触薙ぎ倒していた。
「それに吾輩も妻を娶り、子宝にも恵まれた。愛した女に見守られながら息子に稽古を付ける日々だ。強者と剣を結びて華々しく散るも戦士の誉れと思うてきたが、今は違う。なにがどうあれ、生きていたいのだ」
薄く微笑む彼の顔は、なるほど夫のそれだ。
小麦色の髪をした青年が、無性に恋しくなった。
「じゃあ、この調子で指揮はよろしくね。私は本丸を斬る」
「おう、手早く済ませて飲み明かそうぞ」
「いや、私は一杯までしか飲めないから」
狭い都で人が多いと、建物は高所へ伸びていく。
五、六階建ての石造棟を隘路に入って壁蹴りで登り、色違いの三角屋根に跳び乗った。
瓦を鳴らして走ること五分強。
病的に嗅覚の鋭いフェンジー曰く、央牙の術者は酸っぱい匂いを放つ香を焚き、風を利用して傀儡の闘争心と進軍針路を操っているそうだ。
なれば風上を探せばそこに、奴らはいる。
いた。
往路に程近い路地裏だ。
同じ黒鎧を纏っているが、膝を付いて動けずにいる振りをして、足下で燃える線香の束を隠している。
見たとこ六人。
分隊規模。
ほぼ直上まで行って煉瓦を蹴る。
水平落下。
旋回一巡周。
鯉口を切り──。
「ねぃッ」
下に銀月を閃く。
大股開きで衝撃を殺し、駒回りして慣性を流した。
白根の束に着いた炎を踏み消す。
切り落とされた頭部甲冑が石畳を転がり、胴下だけの鎧も崩れ落ちて血が弾ける。
剣を掬った。
二人目の首下に刃が走り、術者が喉を押さえて膝を付く。
「なんだこいつ!?」
「殺せ、早く!」
「薄汚れた背教の豚めがっ!」
横薙ぎ。
三人目が壁に叩き付けられて頭を垂れる。
屈みながら横回り。
足払いを掛けた四人目の眼穴に刃先を埋めた。
引き抜き、旋り、敵の剣を袈裟弾く。
火花の奥で仰け反る五人目を鎧ごと逆袈裟。
倒れ伏す央牙の面々に、ずっと最奥で構えていた武者が静かに唸る。
「相当な使い手とお見受けする」
几帳面そうな声でそう言うと、男は兜を取って緑の撫で付け髪を露わにした。
「ボクは北の流れ者。名はありませんが皆、ソレパドゥと呼びます」
「……もしかして、百人食いのソレパドゥ?驚いた」
無表情で告げると、彼は苦笑して肩をそびやかせる。
「どうして、とお思いでしょうが、回答は控えさせて頂く。何分、私事ですので」
「そう」
血を払って得物を鞘に納める。
ソレパドゥは眉を潜めた。
「なぜ矛を収めるのですか?ボクはこの通り」
引き抜かれた刃の嘶きが、曇り模様の空に鳴り渡る。
「いつでも戦えますよ」
「必要ない」
彼は、引き返していく私の背に、向けた剣先を彷徨わせていた。
「どうしたの。いつでも、なんでしょう?」
「……ふぅ」
緑髪の青年は息を吹き、こちらも武具を納める。
「ズルい人だな、あなたは」
「無抵抗の相手を攻撃できないのは、若くして名を遂げた兵士によくあることよ」
人っ子ひとりいない往路に出て、ふと振り返った。
「まあ、事情があるんだろうけどさ。深い入りしないことだよ。次戦場であったら、その時は」
彼は目を瞑りながら不敵に微笑み、首を傾げる。
「では、会わないことを祈ろう」
歩き出せば、そこにいるのはもう私だけ。
足を踏み出すごと、靴底に硬い感触が返ってくる。
雪がないこの道には、誰の足跡も残っていなかった。