サロンの出張カフェ
荷物をカートに積め、それを押しながら私と店長は目的の場所に向かっていた。
ソフィさんが貸し切っているラウンジに出かけ、そこでカフェの用意をするのだ。私が用意したのは、コーヒーに合うようにと、お酒を染み込ませたサヴァランに、お酒を含ませたガトーショコラ。そして甘いものが苦手な人用に、ベーコンのキッシュとサーモンのキッシュの二種類。あと軽く摘まみながら談笑できるようにと、焼き菓子を数種類持ってきた。
それらを運び、並べはじめる。
「ようこそ、サエ! アンリ!」
そこでソフィさんが歓迎してくれた。彼女はイブニングドレスを着てにこやかだ。白いドレスに黒バラのコサージュをあちこちに付けているのが、爽やかさな色香を放っていてとっても可憐。前は顔を隠すためとはいえどもスカーフに帽子という出で立ちだったから、黒髪をシニョンにまとめている姿も、こちらが彼女の仕事用なのだろうと思わせた。
「こんばんは、ソフィさん。今晩はどうぞよろしくお願いします」
「いいえ。今回は無理を言ってしまったもの。それに、甘いものに囲まれての酒のない会話って素敵でしょう?」
「そうですね」
「それに……もうすぐ本番ですからね、わたしもあんまり喉を焼いている暇はないもの」
以前に出会ったときの気まぐれさとは一転し、凜とした立ち振る舞いだ。おそらくはパトロン用のものだろうけれど。
私はそれに頷きながら、「それでは準備しますね」とサロンに並べはじめた。
コーヒーは淹れ立てがいいだろうと、その場で魔法石のポットで用意をすることにして、先にお菓子のためにケーキスタンドを設置していく。その上に焼き菓子を並べていくのだ。
「さて、どうなるかねえ」
店長はのんびりとコーヒーとカップの準備をしながら、腕を組む。
「あの……私、出張カフェの準備、間違えましたか?」
「いや、ここに並べているものは、あまり問題ない。甘いものだけでなく、しょっぱいもの、甘くないものも用意しているからな。コーヒーもその菓子に合わせて準備したが。問題は」
「……皆パトロンだってことでしょうか?」
普段はお酒を飲みながら談笑しているって聞いたけど。私がそう尋ねると、店長は頷いた。
「元々はサロンは、女優がパトロンをもてなし、次の興行のための資金稼ぎをする場だ。約束を取り付けるために酒の力を借りるが、今回はそれをしないって言っている。実際に既に稽古をして次の舞台が決まっているんだから、喉を焼いたり、余計なちょっかいをかけられたくないと、トラブルを避けたい気持ちはわかるが……ソフィ・コルネイユが既に舞台に上がる直前にわざわざサロンを開いているのは、どういう意図があるのかねえ」
そう店長が言う。……よくよく考えると、店長は元々宮廷料理人で、陰謀劇やらスキャンダルやらを料理つくりながら眺めてきた人だろうと思い至った。
私はずっと厨房でお菓子を焼き続けていたせいで、その手の話はさっぱりわからないけれど。私は「うーん……」とケーキスタンドに焼き菓子を並べる。マカロン、カヌレ、マドレーヌ、フィナンシェ。どれもこれもできる限り小さくつくって、ひと口で食べれるように心がけた。話をしている中、すぐ食べられないと談笑できないだろうけど、なにも食べられなくてもお腹が空くだろうと、ソフィさんがサロンの主催として立ち回っている中でも口に入れられるようにと思って用意したものだ。
「私には難しいことや、政治的なことはよくわからないんですが……ソフィさんがただお酒飲みたくないからって理由だけで、夜カフェ頼むのかなあと思ったんです。どちらかというと、誰か飲みたくない人、もしくは飲めない人を招待したかったからなのかなと」
「ほう?」
「とりあえず、私たちは給仕だけに終始すればいいんですよね?」
「まあ、そうだな。俺たちはあくまで裏方だ。サロンの様子を見守るだけでいい。残りはソフィの用意した人がしてくれるだろうさ」
そこで話がまとまり、お客様が入ってきたのを見ながら、私たちはお菓子とコーヒーの準備をしていた。
****
ソフィさんが招待した人たちは、意外なことに女性が多かった。
パトロンって、てっきり男の人ばかりだと思っていた。でも私の知っている元の国だと、観劇趣味は女性が多かったし、一部の劇団ではたしかに女性の付き人が女優さんの面倒を見ていた話とかよく聞いていたんだよね。
ドレスアップして嬉しそうにしている女性たちは、にこやかに笑っていた。
「楽しみです、次回の舞台。空から降りてきた妖精が、様々な騒動を引き起こしていくんでしょう?」
「はい、脚本を読んだときから楽しみにしていましたの。ぜひとも見に来てくださいな」
もしかしてレイモンさんが私が話した『竹取物語』を下敷きにした話、これかな。私がぼんやりとしていたら、お客さんのひとりが「すみません、そこのお酒のケーキをくださる?」と声をかけられ、はっとして私はそれを皿に載せる。私のほうに声をかけてきたお客さんを見ていて気が付いた。
あれ、この人……昼間にしょっちゅう観劇に来ていた人だ。まさかサロンにまで参加するなんて。私が少し驚いていたら、彼女も私のほうに気付いたようだ。
「あら? あなたたしか【ルミエール】の……」
「はい、【ルミエール】のパティシエのサエです」
「ああ! ありがとう、ここまでいらっしゃって」
彼女がにこやかに言うので、私は思わず尋ねた。
「ソフィさんのサロンっていつもこうなんですか? 女性パトロンが多いみたいですけど……」
「はい。ソフィさんは、少しサロンの形を変えたがっていて」
「変えるとは……」
「最近は貴族や豪商の方は、王都ではなく、郊外を生活の中心にすることが多くて、このままだとなかなかサロンに集客できないからと。ですから、王都に住む女性客から少しずつお金をもらうって形にしたいみたいなんです」
「ああ……」
太いパトロンも数が減ってしまっては困ると、ファンの人たちから小規模カンパで賄う方向に変えたいってことか。どの店でも、月に一回大金はたく客よりも、毎日少しずつお金を落としてくれる客を欲していると聞いたことがある。私も社交界のことはわからないし、実際に一番上の階層の人たちは同じ階層の人しか見えてないことが多いけれど。
ソフィさんの場合は、一番見に来てくれている人たちと過ごす方法について模索してたんじゃないかな。
実際にサロンにやってきた女性たちは、皆素敵なドレスを着て、ソフィさんと楽しそうに談笑している。たしかにここでは、お酒を飲んで下手にどんちゃん騒ぐよりも、お菓子とコーヒーを飲みながら談笑しているほうがらしいんだ。
「あれだな。なかなか昼間だと談笑する場がないから、こういう機会を利用したんだろうなあ」
店長はしみじみと言う。
「観客へのサービスってことでしょうか?」
「それもあるだろうが。確実に来てくれ、確実にチケットを買ってくれる客にたくさん夢を見せて、次の公演も、その次の公演も見てもらえるように、だろうなあ」
「はあ……途方もないですね、それは」
「だが、実際に宮廷のサロンでもあったよ。妃のお茶会のときなんて、それぞれの夫人主催のパーティの宣伝やら、ゲーム大会の宣伝やら、それぞれのプレゼンなんてものは決まってあった。そこでどれだけ夢を見せたか、どれだけ楽しそうだと思わせたかが物を言わせてたからなあ」
「……私、王族や貴族もそう地道なことをしてるって思いもしませんでした。もっとこう、お金で解決とばかりに」
「お金を出させるために夢を見せるんだろうが」
「アハハ……」
「だが、夢を見せているだけじゃないんだろうさ。ソフィだって夢を見ている」
「はい?」
「ほら」
自分のファンである豪商の女性や貴族の女性を前に、ソフィさんはいきいきと話をしていた。自分の舞台を楽しんでくれるよう、お菓子や飲み物が足りているかも常に気を配って。それを見ていたら、彼女は本当に舞台人として誇りを持ちながら、ファンを大切にしているんだとわかる。
あの奔放さも、あれだけ燃料切れになるまで稽古に明け暮れていたのも、ほっかむりと帽子でオーラをひた隠しにして自分の正体を隠していたのも、皆ファンのためだと思うと納得できる。
「夢って、いいですねえ」
「なんだそりゃ」
私たちはお菓子をおいしそうに食べるサロンの談笑を見ながら、給仕を続けていた。
ただただ和やかな夜の光景に、私たちもほっとした。
持ち込んだお菓子は皆綺麗になくなり、お客様が気持ちよく帰っていったあと、私たちも撤収作業をしていると、「サエ、アンリ!」とソフィさんが寄ってきた。
「今晩は本当にありがとう! とても楽しい時間だったわ!」
「いえ、お役に立ててなによりです」
「それと、あのお酒のケーキ! あれとってもおいしかったから、店に常駐で出せないの?」
「サヴァランのことですよね? あれかなりお酒きついですけど、大丈夫ですか?」
「あれくらい甘くて、それでいてお酒いっぱい飲むよりも軽くお酒飲みたいときにちょうどいいもの。出せる?」
「……さすがに昼に出せるものではありませんから、夜カフェでしたら……」
「まあ、素敵!」
ソフィさんがかなり喜んでくれたし、私たちもちゃっかりと宣伝ができた。
もしかしたら、ソフィさんは私たちに夜カフェの宣伝機会をくれたのかもとは、【ルミエール】の二階に辿り着いて、寝る準備をはじめてからだった。