看板女優のお忍び
その日は夜カフェの営業もなく、昼間のカフェテリアだけ。
今日は大きな舞台がないらしく、お客さんはまばらだった。ランチタイムにキッシュとスープを頼みに来る人や、昼食の替わりと菓子パンを食べに来る人が来るだけで、残りは静かなもんだった。
「今日は結構お客さん少ないですねえ」
「ああ、今日は大きな演目もないからな、王都でもこの辺りは観光目当てで来る客が多いから、演目が渋いときはこういう日もある」
観劇客目当ての通りだと、その手の客依存になってしまうから、こういうときもあるかあ。私はそう思いながら、比較的減ったキッシュの補充だけしていると。ずいぶんとよろけた女性が入ってきた。
珍しいなと思ったのは、その女性はパンツルックだったことだ。この国だと私みたいな店で料理をメインに仕事している人間以外だとあまりパンツルックがない。店長に疑問に思って話を聞いてみると、この国だと女の人が異性装に該当する格好をすることがあまりないんだそうだ。
「仕事にならない」ってことで、それこそ農民なり掃除屋なり店で働いている人なりは、それらを破ってパンツルックをするようになったものの、未だにパンツルックイコール異性装って偏見があるらしく、王都の普段着だと未だに普及してないそうだ。
火や熱するものを取り扱う場合、袖ぐりがあって足下に落ちてきても火傷しない格好のほうが向いているし、寒いときは防寒着にもなるんだから、異性装なんて偏見取っ払ってしまえばいいと思うけれど、偏見ってうん年かからないと取れないんだろうなあと、うんざりしてしまっていたから、パンツルックの女性を見るのはなんだか懐かしい気分だった。
「いらっしゃいませー。お席はご自由にどうぞ」
「ありがとうございます……あの、すみません」
「はい?」
「……ちょっと、すごーく疲れてて……お金は払いますから、どうかなにか食べられるもの持ってきてもらっても大丈夫ですか?」
「はい……?」
ヘロヘロとしている女性は、見るからに疲れていた。顔はスカーフで覆っているし、髪はヘッドドレスに突っ込んでいるし。でもお財布はさっさと出しているからお金を払う気はあると。
私は困った顔で店長に指示を仰いだ。
「あのう、お客様が持ってきてほしいとのことですけど……どうしましょう?」
カフェテリアスタイルは基本的に自分で物を選ぶ方式だけど、勝手に選んで大丈夫なんだろうか。支払い能力はあるみたいだけど。私が尋ねると、店長はカウンター越しにヘロヘロしている女性を見て、「あー……」と言った。
「ありゃ相当疲れてるな。ひとまずスープ持っていけ。あとミートパイ」
「……カロリー過多になりませんか?」
「スープで一旦落ち着いてからなら、あとは燃料になるもん食べりゃ元気になる。体力相当削ってるから、あまり甘いもの出してやるなよ。まあ……フランくらいなら入るだろ」
「わかりました」
私はひとまずスープの中でも比較的胃に優しいようにと、かぶのポタージュを選び、言われた通りにミートパイを添える。プリンとケーキの間くらいの食感のフランならば、まあ体への普段も大丈夫だろうと、食後のデザート替わりにフランを添えてから、それらを持っていった。
「お待たせしました。会計はこちらでお支払いくださいませ」
「ありがとう……財布あるから、そこから好きに取って」
「はあ……」
とりあえず計算した通りだけお金を取ると、その女性はスカーフを口元から外して、ポタージュを飲んだ。ポタージュを飲んだ途端に目が輝いたと思ったら、一気にかき込みはじめた。って、ええ……。
スカーフを外した彼女は、それはそれは端正な顔をしていた。陶器のようなツルリとした肌に、完璧なバランスで並んでいるパーツ。それが食欲に飲まれている様は、ただただ圧巻だった。
ミートパイはもう少し多くてもよかったかもしれない。ミートパイを綺麗に片付けたと思ったら、フランも丁寧に全部食べ終えてしまった。
「はあ、おいしかった!」
「よかったです」
「あなたね、最近夜に面白い店をやっているっていう訪問者は?」
「え……? 夜カフェのことでしょうか?」
「そう、それそれ。ずるいわ。あの時間帯、だいたいサロンに引き摺り回されているからなかなか来られないの。夜にお菓子が食べられてコーヒーが飲めるのでしょう? 素敵じゃない」
「ええっと……もしかして、舞台関係者の方でしょうか?」
「そうよ。わたしソフィ。ソフィ・コルネイユ。ちょっとは名の知れた女優なのだけど」
「え……」
ソフィ。ソフィ・コルネイユ。
たしか舞台で奔放な演技をする人がいると、ここでしょっちゅうお客さんが噂していた人だ。これだけ綺麗な顔の女優さんだから、てっきり男性ファンが多いのかと思っていたけれど、ソフィに関してはいつも黄色い声を上げるのは女性だったから印象に残っていたんだ。
「あなたがですか……」
「でもそうねえ。わたし、お酒飲み過ぎるのすっごく嫌なの。声が枯れてしまうし、翌日の稽古や舞台にも影響が出るから。パトロン共はその辺全然わかってないのが多いのよねえ。なんとか店、わたしが行けるときに開けられない?」
「そ、そう言われましても……私も七日に一度だけって約束で夜カフェを経営してますし、いくら有名女優のソフィさんひとりのために開けるって訳にも……」
「もーう、レイモンのうるさいタイプライターはいいのに、わたしは駄目なの?」
ああ、この人レイモンさんの知り合いかあ。そうだよな、レイモンさんは王都の劇団のあちこちで脚本書いてるんだから、ソフィさんだって知っているよなあ。
でも困った。彼女が夜カフェ楽しみたいのはわかるものの、彼女ひとりだけのために夜カフェを臨時営業って訳にも……。
私は困り果てて店長に助けを求めた。店長はそれを聞いて腕を組んだ。
「さすがに店をここでやるっていうのも困るが」
「ですよねえ……」
「サロンに出張って形ならば、かろうじて」
あれ、それって大丈夫なのかな。
たしか劇団の人たちが定期的にパトロン相手にサロンを開いているのは、サロンでもてなして次の舞台の出資金を募るためだと聞いている。だから彼女は出資のためにお酒も飲みまくって嫌がっている訳で。
私は店長の提案を口にしてみると、ソフィさんはにっこりと笑った。
「わかってるじゃない。さすが元宮廷料理人のアンリね!」
ああ、なるほど。
彼女も店長の素性知ってるんだなあ。こちらは脱力しつつも、次の公演のための資金稼ぎらしいサロンへの出張が決まったのだった。
店長は「夜カフェはお前の提案なんだから、サロンへの出張メニューもお前が考えるんだぞ」と言われてしまい、私は頭を抱える羽目になってしまった。