夜カフェオープン
国によっては夜にアルコールなしの店を開くのは危ないんじゃないかという問題が付きまとうけど。
そもそも夜営業の店はどうしても気が高ぶって危ないし、強盗が来るおそれもあるし。
でもこの王都は比較的安全なため、夜カフェをしても問題なさそうとのことだった。
「夜になったら気が高ぶった客が客を襲う? はあ……サエの国だったらそれが一般的だったのか?」
「まあ……一般的かどうかはともかく、飲み屋は危険がつきものですから、女ひとりで行かないようなほうがいいとか、女ひとりで行くにしてもさっさと飲んでさっさと帰るのがセオリーでしたね……」
「呆れた……その女が魔女だったら呪われるかもしれねえのに、用心しねえのか」
「あれ。この国が基本的女の人に対して優しいのって」
「どれが魔女でどれが一般人かわからねえからだろ」
……なるほど。日本は比較的そうでもないけれど、女ひとりで歩いてたらなにかと大変な国があるけど、この国では一般人が魔女とそうじゃない人の区別が付かないから、女ひとりであったとしても声をかけないのか。
それは怖がられてるのか偏見なのかは、私にもよくわからない。だって私もここに来て時間経過しているけど、未だに魔女に会ったことはないからなあ。
それはさておいて。
夜カフェのメニューについては、店長と話し合うことにした。
「でも夜カフェだったら、客数がまだ読めねえ以上カフェテリア形式だったらどれだけ廃棄処分しなきゃわからねえぞ」
「あの、夜カフェ時間帯だけ、一般カフェと同じ形式の店で大丈夫でしょうか?」
カフェテリア形式は、いわゆる学生食堂スタイルだけれど。カフェ形式は私たちも知っているような喫茶店形式。つまりは注文されてからつくる。注文されるかもしれないものを事前に用意しておくことはあれども、カフェテリア形式のように品を並べたりはしないと。
それに店長は「ふーむ」と顎を撫でた。
「せめて、サンプルだけでも出しておくか? 今日はなにを出せるかを」
「ああ、それはいいですね! あと夜カフェになにを出せば売れるかも、まだわかりませんし、毎週少しずつメニュー変えてみるとか!」
「しかし、夜だったらレストランならまだわかるが、そんなに甘い物食べたいもんかね……」
「店長ー、うちの国だと夜食って文化があったんですよ」
「夕飯ではなく?」
「はい、夜に小腹が空いて眠れなくなったときに、ちょっと食べる文化です。レストランのディナーみたいなものは重くて入らないので、プディングとか、ババロワとか、ちょっと軽くてなんとか入りそうなものを食べるんです。そういう需要が見込まれるかもわかりませんよ」
「ふーん……おかしな文化があるなあ」
店長は私の話を不思議そうに聞いていた。
まあ実際のところ、王都の客層が私の国と同じことが通じるかは、私にも読めないんだ。
文明や生活水準、衛生基準は私の世界とほぼ変わらないけれど、化学の代わりに普通に魔法があるし、その魔法を魔法使いや魔女以外にも使えるようにして普及しているし。でも夜は舞台鑑賞や飲み会、娼館遊びみたいなものが一般的で、私たちの世界にあったような、ゲームやインターネットみたいなひとり家で楽しむって娯楽はなさそうなんだよなあ。
だからどんな人が夜カフェにやってくるのか、私も全くわからなかった。
カフェテリアの営業時間中、ひとまず店長に貼り紙をつくってもらい、それで夜カフェの宣伝をすることにした。
うちの常連さんたちは不思議そうな顔をしていた。
「夜カフェってなんですか?」
「夜にお茶やお茶菓子を食べるんです」
「お酒ではなくて?」
「うちの夜時間ではお酒は取り扱いません」
舞台から帰ってきた人たちは、やっぱり店長と同じく「わからない」という顔をしていた。
うーん、なんとか宣伝しないと駄目かもなあ。でも新聞に広告打ってもらうとしたら、私のもらっている給料では乏しい。
店長は「まあ元気出せ」とあっさりと言った。
「最初は少ないかもしれねえし、俺も実際まだ半信半疑だがなあ。サエの考えているような客層は来ねえかもしれねえが、もしかしたらもしかするかもしれないだろ」
「そうなんですかねえ……?」
「そうそう。だからとりあえず夜カフェまで頑張れ」
「はい」
とりあえず、夜に出すメニューと飲み物の準備をしながら、初の夜カフェの時間帯を待つことになったのだ。
****
カフェテリア【ルミエール】。夜カフェ時間。
私は外灯をポカンと眺めていた。電気やガスも使ってないはずなのに、むっちゃ明るい上に、なんか鱗粉みたいな粉が舞っている。
「この時間帯に店開けてるの初めてですけど。こうやって外灯見ることになるとは思ってませんでした」
「なんだ、今までも住んでたんだから、外灯のひとつふたつ見てただろ」
「いやいやいや、ひとりで理由もなく夜歩きしませんって。私、あんまり土地勘ない場所にひとりで夜にうろうろできませんし」
「三ヶ月住んでるだろうが」
「三ヶ月で道を覚えられるとお思いか。方向音痴を舐めないでいただきたい……それで、あの外灯ってなんですか? 魔法? にしては、なんか鱗粉すごいですけど」
「ありゃ妖精の鱗粉だ。外灯は基本的に妖精の好む花の蜜を、定期的に騎士団が塗って使っている。昔ながらの知恵だな」
「妖精の鱗粉って、あそこまで明るくなるもんなんですか!?」
そんなメルヘンな力で夜歩きできる程度に明るくなるなんて驚きだ。それに店長は「うーんと」と言う。
「さすがに最初からあそこまで明るかった訳じゃないぞ。今塗っている花の蜜は品種改良された末に、あそこまで妖精を集められるようになったというだけだからな」
「そ、それでも……私の国だと妖精を集めれば明るくなるとかいう技術存在しませんから、ちょっと驚きです」
「そこまで珍しいもんかねえ」
店長からしてみれば、私の世界のほうが「魔法がなくって化学で物が動いてる」「魔女はいないけど科学者はいる」「石油をエネルギーに走る車がある」って言う方がファンタジーらしいから、私のリアクションは意味不明で面白いらしい。
それはさておき。
この通りにも飲み屋やカフェ……お酒を取り扱っている一般的なほうだ……には人が入ってくるものの、うちの店は「お酒は取り扱っていません」の注意書きを目にした途端回れ右していなくなってしまうため、未だに人が来ない。
あれれ、あてが外れたかなあ。
そう思っていたところで、ドタドタドタッと夜の王都に場違いな足音が響きはじめた。王都は基本的に観光客やら観劇の人々やらで、少なくともこの通りは上品な人が多いのだ。
「ああ……! やっと開いてるときに入れたああああ……!」
すすり泣いている人がいきなり店に入ってきて、私はびっくりして「いらっしゃいませ」と挨拶をした。
「えっと……カフェ形式ってことは、こちら席に座っても……」
「はい、お好きな席にどうぞ」
「ありがとうございます」
小さな丸ブチメガネをかけた、小柄な男性だった。しかし、服はどう見ても絹だし、どう見てもただ者じゃないんだよなあ。私はそう思いながら注文を取りに行った。
「いらっしゃいませ。メニューをどうぞ」
「ああ……ありがとうございます。あの、こちらアンリ・オリオールさんの店で大丈夫ですよね? 女性の店員さんいるのは初めて知りまして……」
「はい? 店長がどうなさいましたか?」
「はい! アンリさんが宮廷料理人を辞めてしまってから、生きる楽しみがなくなってしまったので……」
うん? つまりは。
店長は元々宮廷料理人だったものの、毒味に継ぐ毒味で王族の皆さんにつくったお菓子をあんまり食べてもらえないことに不満持って辞めて、今の店をはじめた……。
そのお菓子目当てでうちに来たってことはつまり……。
「……宮廷勤めの方が、こんな時間歩いてて大丈夫なんですか?」
「いえ! 家自体は普通に王城に歩いて通える距離にあるんですがね! 仕事でずっと宮廷に詰めっきりで! アンリさんが店を開店したっていうのに、全然行くことができなかったんですよ! 自分、全然酒飲めないですし、仕事の打ち上げのときもずっとお茶飲んで誤魔化してましたし……」
「なるほど、お疲れ様です……」
つまりは。多忙を極めている中店長のお菓子で英気を養っていたのに、店長が王城勤め辞めてしまったせいで意気消沈。店に行きたくてもうちの店はテイクアウトとかもやってないから食べられない、うちの店の普段の営業時間だったら行けないってことで、ずっと泣き寝入りしていたのか。
なんともまあ。この世界にも社畜っていたんだなあと、ぼんやりと思う。
エグエグと泣いている方に、「あのう」と私は尋ねる。
「店長のお菓子、こちらのメニューやサンプルで並んでいるものでしたらなんでも出せますが、どれになさいますか? それに合わせたコーヒーもご用意できますよ」
「ああ、情けないところお見せして申し訳ありません! 自分アンリさんのタルトタタンが食べたいんです! それとコーヒーを!」
「かしこまりました。タルトタタンとコーヒーのセット。少々お待ちくださいませ」
注文を取ると、私は奥へと引っ込んでいった。
タルトタタンは、私の世界だったら元々はアップルパイをつくろうとしたらりんごを炒め過ぎてしまい、どうにか誤魔化そうとしてタルト生地を上に被せて焼いてみたら、それを引っ繰り返すととても綺麗でおいしそうなものが出来上がったという逸話のお菓子だ。最初につくった人がタタンさんだったからタルトタタンという話なんだけど。多分この世界にもタタンさんがつくったんじゃないかな。
カフェテリア時間に焼いていたものを用意し、そこに粉砂糖をふるう。そしてコーヒー。コーヒー自体は店長が淹れてくれた。
「やっぱり来たか、ドナ」
「ドナ……あの貴族の方ですか?」
「ありゃずっと城に詰めっぱなしの文官だよ。仕事はできるが酒が全く飲めないから、ストレス発散は食堂に来て菓子を注文するくらいしかできなかった奴だよ。俺の後任も腕利きの料理人のはずだが、相性がよくなかったのかねえ……」
「それは……お疲れ様です」
つくる人によってお菓子も味が変わるし。レシピをどれだけ厳格にしていても、それを全部トレースできる人って稀だ。なによりも。
焼き菓子ってその日の気温や湿度によって、オーブンの温度や焼き時間すら変えないといけないから。いくら部屋に気温計や湿度計を置いていたところで、その日の天気を完璧に把握するのは不可能。上のほうに行けば行くほど肌感覚の世界になってしまうお菓子づくりだから、職人のレシピを完璧再現は厳しくなるんだよなあ。
そうこう思いながら、私はタルトタタンとコーヒーを持っていくことにした。
「お待たせしました、タルトタタンとコーヒーのセットになります」
「ありがとうございます」
店長のタルトタタンはとにかくキャラメリゼされたりんごが美しい。
キャラメリゼされたりんごの芳醇な香り。アーモンドプードルを混ぜたタルト生地のサクサクとした食感と香ばしさ。それを口にした途端に、人は目を細めて言葉を失う。
ドナさんは見事に言葉を失っていた。
そして甘い甘いタルトタタンと一緒に楽しむコーヒーのおいしいことおいしいこと。なによりも店長、コーヒーを淹れるのが異様に美味いんだ。ブラックコーヒーは店長が淹れたものを飲むまでなんとなく酸っぱい感じがして飲めなかったんだけれど、店長が淹れたものを飲んでから人生観が変わったレベルでおいしいと思ってしまった。
ドナさんはコーヒーを飲みながら、ポロポロと涙を溢していた。
「おいしいです……おいしいです……ああ、アンリさん本当に店やってくれててよかった……夜にも店開けてくれててよかったあ……助かる命があります」
大袈裟なとは言えなかった。
どの世界にだってストレスや抑圧はある。それを発散させる方法がないと、どんどん溜まっていくけれど。そこからふっとした瞬間に解放されてしまったら、こんな風に感謝だってのべたくなる。
「ありがとうございます。店長にもお伝えしておきますね。できましたら、夜カフェのことは他の方にもお伝えください」
「はい! 自分みたいに酒飲めない人間、あんまりストレス発散できませんから」
「あのう……あなたみたいに昼間に甘い物食べに行けない方って多いんでしょうか?」
「そうですねえ。城勤めもうちみたいに忙しい部署以外だったらそうでもないんですが……うちは金庫番ですから、どうしても城内でも忙し過ぎて昼間に遠出はあまりできません。勤務が終わった時間でしたら、もうどこも酒の店しかなくて……酒厳禁の夜経営の店って貴重なんです」
「なるほど……ありがとうございます」
やっぱりというべきか。お酒飲めない人はストレス発散のために大変なんだな。しかも夜じゃないと解放されない人となったら、お酒のない店を探すのもひと苦労。お酒が駄目な人って、匂いすら無理の場合もあるから、本当に考えないと駄目かも。
お客様第一号をお見送りし、ひとまず夜カフェメニューについていろいろ考えることにした。頭を使う仕事の人は、どうしても糖分を求めるっていうのは、どこの世界でも同じみたいだしなあ。