元宮廷料理人の城
カフェテリアの定義はいろいろあるけれど、私の知っている定義だと、社員食堂や学生食堂みたいなイメージ。いろいろつくった献立を自分で選んで運ぶ形式なんだけれど。
ここはカフェテリアとして、ちまちまとした料理を運ぶ他に、後でつくるもの、デコレーションしてから出すものは、店員自らが運ぶ方式らしかった。
私は教えられた【ルミエール】を見て、口を開けていた。
並んでいるキッシュは綺麗だし、タルトもおいしそう。置いているものの他、生クリームやバタークリームを使っているものは、後から持っていくようだった。
「いらっしゃいませ。注文は?」
「あ、あの! すみません。ここに紹介状持ってきたんですけれど……」
「うん?」
このごちゃごちゃしている店をひとりで捌いていたのは、どこからどう見てもナイスミドルだった。コックコートをきっちり来てコック帽を被った下から覗く髪は、やや煤けた金髪。目は深い蒼であり、若い頃はさぞやキャーキャー言われただろう。年を取っている今でもかなり渋くて格好いいんだもんなあ。
私が惚れ惚れと見ている中、彼は私が騎士さんにもらった紹介状を見て「ふむ」と顎を撫でていた。
「あのう……?」
「今は昼の時間で客が多い。客が引くのは次の公演の時間帯だから、それまでちょっと端で待っててくれ。注文するんだったら注文するでかまわないが……あんた金持ってるのか?」
「ないから働きたいんです……」
「まあ、そうだろうなあ。迷い人はだいたいそうだと相場が決まってる」
どうも騎士さんが言っていたのは本当のことのようで、ここに異世界から迷い込んできた人っていうのはそこそこ認知されているみたいだ。
でも……これだけおいしそうなものが並んでいる中、なにも食べられないなんて。私が「グゥー……」とお腹を慣らしつつ、素直に端っこで見ていた。
こうえんってなんだろうと思ったら、先程から綺麗な格好をした女の子たちがはしゃぎながらコーヒーとお菓子を食べながら話をしている。
「今回のバレエ、本当に素晴らしかったわ! 新しいエトワールの踊りが本当に!」
「まさしく妖精っていうのは彼女のことを言うんでしょうね。新作バレエだからどんなものかと思っていたけど……あれは素晴らしいものだった」
「本当に。妖精たちの恋物語があれだけ踊りだけで表現されているですものね」
どうもここでは、バレエやお芝居、ダンスを見るというのは一般的が娯楽らしい。私も普通に暮らしてたときは映画を見終わったあと、喫茶店で感想戦してたもんなあ。その一種なのかも。
それにしても。彼女たちが目一杯おしゃれしながら食べているものに目を奪われる。
タルトタタン。綺麗な飴色のりんごにさっくりとしてそうな生地。
タルトオショコラ。タルト生地に流し込まれたチョコレートフィリングの香ばしさ。
タルトオシトロン。タルト生地に甘酸っぱいレモンフィリングを流し込んだ爽やかな一品。
この世界、どうもヨーロッパ風だし、服飾も現代よりちょっと前っぽいイメージなのに、多分衛生環境は現代日本と遜色ないんだと思う。おまけにお菓子をつくる技術。
タルトにフィリングを詰め込む手法は、一度冷やさないといけないはずだから、冷蔵庫っぽいものがこの世界にもあるんだな。
それにしても。見た目こそシンプルだけれど、彼女たちがしゃべりながらも夢中で食べているおかげで見る見る消えていくのを見て、さぞやおいしいんだろうと確信する。
食べたい。無茶苦茶食べて感想言いたい。そもそも騎士さんが「店潰れたら困る!」と言っていた宮廷料理人の腕むっちゃ見たい。
私のお腹が「グー」と鳴ったとき。ふいに私のテーブルになにかが置かれた。
それはどう見てもレモンパイ……パイ生地にレモンクリームを詰め、メレンゲを焦げ目付くまで焼き上げた奴……だった。でも形が変。
「こりゃ賄いだ。売り物にならないから出した」
「えっ……ありがとうございます」
「よそから来た際に、なんにも食べなかったのか?」
「はい。元々仕事帰りにいきなりここに迷い込んでしまって、途方に暮れてたんです……いただきます」
私の挨拶に不思議そうにしているのを見ながら、私はレモンパイをひと口食べた。
……パイ生地のサクッサク具合。バター入れただけじゃ、このサクサク具合はつくれない。何層にも折り重なってつくり上げた生地。そこにギューッと閉じ込められたレモンクリームの軽やかなこと! レモンの酸っぱさだけでなく香りがこれでもかと発揮されていて、それをメレンゲが優しく包み込んでいる。
おいしい。はっきり言って無茶苦茶おいしい。気付けば私はガツガツと夢中で食べていた。お腹が空いていたのもあるけれど、おいし過ぎて止め時が見つからなかった。
「おいおい……そこまで腹空かせてたのか……」
「おいひいれす……ここで、ここで働かせてください!」
「たしか、紹介状では元の世界でも料理経験あるとのことだが……」
「はい! この世界で通用するかはわかりませんが、頑張ります! よろしくお願いします!」
私の面接を、カフェテリアを使っていた人々が怪訝な顔で見ている中、私は店長……アンリ・オリオールさんに頭を下げていた。
やっぱり店長は困ったようにこちらのつむじをまじまじ見ていたのは、多分あまりにも日本式の挨拶だったからびっくりしたんだろう。
「まあ、あとでテストだな。こっちでのやり方があんたに合うといいが。名前は……サエでいいな?」
「はい! よろしくお願いします!」
こうして、私はこの世界での職と居場所を手に入れたのだった。