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白くて清いふたりの想い

 私はしんみりとしながら、食器を片付けた。

 会計を終えた店長が私のほうをチラリと見た。


「おい、ドナになにを吹き込まれたか知らねえが、俺ぁなにもやっちゃいねえぞ?」

「いや、その……あのご婦人……イヴェットさんのことはもう」

「終わった話だ。若かったんだよ。昔の知人が元気に姿を見せてくれた。もうそれで充分だ」

「ですけど……」

「サエ。お前の国はどうだったか知らねえが、好きになったもんと添い遂げられないって話、この国じゃよくある話だよ。家のことがかかわっている以上、そればっかりはどうにもならねえ。一度は惚れた女が幸せになってくれてりゃ、それで充分だよ」


 わあ、うちの店長しっぶい。本当にしっぶい。店長が若かったら惚れてたわ。

 私が想わず口元に手を当てて、むず痒い気持ちを抑え込んでいたら、店長は心底呆れた顔でこちらを半眼で睨んだ。


「だから、終わった話だ。だからこの話も終わりだ」

「はあ……ですけど、ですけど店長」

「なんだ、まだなにかあるのか」

「イヴェットさん、もし今普通に家庭があるんだったら、わざわざうちの店にまで来ないと想ったんですけど」


 人の口に戸は建てられない。特に女の人の口になんて絶対に戸が建てられない。その中で、ソフィさんのおかげで女性客の増えた夜カフェにわざわざ来たのは、なにかしら意図があったんじゃないかと思ったんだ。

 もしもその通りならば、ただの郷愁で終わらせてしまうのはあまりにももったいない。私はそう思って口にしてみたものの、店長は相変わらずの渋い顔だ。


「……なにもならねえだろ。あれが自分の身分を捨てでもしない限り」

「でも店長、今でも独り身ですよね?」

「あんまりませたこと言うんじゃねえ」

「相変わらず私のこと子供扱いしますねっ!?」


 一応二十代だが、店長はずっと私を子供扱いしているんだ。まあそれはさておいて。私はその間も細々とお客様が少しずつ帰っていく中、会計を済ませ、食器を片付けていく中、やっとイヴェットさんが食べ終わったようだった。


「ごちそう様。本当に素晴らしいシャルロットでした」

「はい。店長にお伝えしておきますね」

「はい……夜カフェは、七日に一度の営業でしたね? また伺ってもよろしい?」

「……そりゃもちろん。うちの店はどのようなお客様もウェルカムです」

「あら嬉しい。会計済ませますね……今、独り身で寂しいものだから」


 その言葉に、私は目を見開いていた。

 会計を済ませ、私は思わず店長にそのことを伝える。それを言うと、店長は複雑な顔をした。


「いや……今更俺が出ていっても、あれが幸せになれるかはわからないだろ。あれはずっと妃様にも重宝されていたような、いいところの人だから」

「わかんないじゃないですかあ。別に私、再婚しろなんて言ってませんよ。ただ茶飲み友達くらいにならば、なれるんじゃないですかって言っているだけで」

「あのなあ……いつ茶飲みできるんだ」

「私、夜カフェ限定ですが、店長やってます」

「……おい」

「夜カフェの間だけでも、お友達としてお話しするくらいでしたら、よろしいのでは?」

「……サエ、お前お節介だって元の国で言われてなかったか?」


 店長はまるで「頭痛が痛い」みたいな顔をして、私を睨んだが、私はフフンッと腰に手を当てていた。


「私は私の好きな人に対してだけ、お節介なだけですよ」


 そもそも人を幸せにするために、夜カフェを開いていたんだ。ただ寂しい想いを募らせる場所にはしたくはなかった。


****


 次の夜カフェでは、その日は目立った舞台がないせいか、女性客は控えめで、そこでいつものようにレイモンさんがタイプライターを携えて、コーヒーと一緒にもしゃもしゃとサヴァランを食べていた。

 どうも日頃から頭脳労働しているレイモンさんからしてみると、サヴァランくらいのガツンと甘いお菓子はちょうどいいらしく、いつもよりもタイピングスピードが早い早い。

 ひと段落ついたところで、私にまたしてもネタを差し出せと言ってきたので、私は店長が会計しているのを見ながらこの前の夜の話をしてみたら、レイモンさんは納得したように、仕事上がりのコーヒーを飲んでいた。


「はあ……ボンフォア夫人か」

「あれ、レイモンさん、イヴェットさんのことご存じでしたか?」

「あの人は元々生糸産業を営む貴族領のご婦人でな、生糸産業だけでなく、染色にも力を入れて、生糸が高過ぎて買えないような一般人にも安くて綺麗な布地を普及させたすごい方だ。演劇界でお世話になってない人間はいないって御人だよ」

「ああ……服飾関係だったらたしかに……」


 元々お后様の侍女をやっていたんだから、そりゃ服飾に関してはいろいろ知見のある人でしょう。まさかそんなすごい人だったとは。この間の夜にいらっしゃったときのはにかんだ上品な女性からは想像できない人物だ。

 私がひとりでそう考え込んでいたら、レイモンさんは「もっとも」と続ける。


「結構手広くやっていた事業を、全部息子が家督を継ぐ際に全部引き継がせたから、今は普通に隠居して、王都のセカンドハウスで暮らしているし、趣味の観劇のほうであちこちでパトロンやってるよ。それに先日主人も亡くなったらしいし、今は独り身だよ」

「あ……」


 私は会計を終わらせた店長のほうに振り返った。

 大丈夫みたいですよ、なんの問題もないみたいですよ。私がそうアピールするのに、店長は心底嫌そうな顔をした。

 そんな中、うちの店先にまたしても車が停まった。

 その日もイヴェットさんは上品な出で立ちで店先に顔を出した。


「いらっしゃいませ」

「席、ひとり分空いてらして?」

「はい、ただいま」


 私は席を用意すると、厨房に戻った。


「店長! いらっしゃってますよ!」

「ああ、もう。うるさいうるさいうるさい」

「今日は上がってもいいですよ?」

「……サエ、ひとりでここ全部片付けられるか?」

「舐めないでください。私、相当ブラックな店で扱き使われても折れなかった人間ですから。私の心を折るのはヘルニアだけです」

「なんだそりゃ……ああ、もう、わかった」


 店長はコックコートを脱ぐと、シャツとスラックスの姿で歩いて行ってしまった。

 うん、店長が若かったらやばかったな。私が好きになっていた。でも。今は店長はイヴェットさんの元へと歩いて行った。

 イヴェットさんは少しだけ驚いたように目を瞬かせる。


「そちら、相席はよろしいですか?」


 店長の問いに、イヴェットさんは少しだけ目を丸く見開いた後、ライラックの花が綻んだかのように微笑んだ。


「ええ。シャルロットをいただきたいの」


 多分このふたりは、これ以上先には進めないのだろうけれど、夜にふたりで思い出話に花を咲かせて、一緒にコーヒーを飲む。

 それだけで埋められるものもあると思うんだ。

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