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噛み合わない彼女

作者: さば缶

 同じクラスになったばかりの春、俺は彼女にひそかに憧れていた。

すらりとした指先や、柔らかな長い髪。

凛とした目元でノートを開くだけなのに、その姿にどうしても目を奪われる。

ある日、教室で隣になったのをきっかけに少しずつ会話するようになった。

近くで見る彼女は、思っていたよりもずっと穏やかな空気をまとっていて、その声を聞くたびに胸が熱くなる自分に気づく。


「ねえ、最近流行ってる糖質制限ダイエットって、どう思う?」

昼休み、彼女と二人で教室に残っていたとき、勇気を出して俺が話題を振った。

彼女は少し首をかしげて、興味深そうに目を瞬かせる。


「糖質制限…あんまり詳しくないんだけど、どんな感じなの?」

「炭水化物を抑えて、そのぶんタンパク質とか野菜をメインに取るらしいよ。ご飯とかパンを減らすって、結構大変そうだけど」


 彼女は指先でテーブルをとんとんと叩きながら、小さく笑った。

「でも、そういうの聞くとやってみたくなるかも。私、ご飯が好きだから逆に気になるのかな」


 一瞬、彼女の唇が楽しげに弧を描き、俺はその笑顔につられて頷いた。

「俺も試してみたいと思ってたところなんだ。もし一緒にやるなら、レシピとか情報交換できるかなって」


 そう言ったら、彼女がぱっと笑顔を広げる。

「いいね。せっかくだから協力しようよ」


 そうしてダイエットの話題を共有するようになると、彼女との会話が一気に増えた。

授業の合間に、「今日は豆腐を主食にしてみたんだ」と彼女が笑えば、「俺は鶏肉の調理法をいろいろ試してるよ」と返す。

まるで小さな秘密を共有しているような気分になって、その時間が愛おしかった。


 けれど、ある日、彼女が少し険しい顔をして言った。

「ご飯大好きなのに、食べられないのがストレスたまりすぎてしんどいんだよね」

彼女の唇がかすかに震えて、その目には苛立ちにも似た影が宿る。

「ごめん。俺が変に話題にしちゃったから、無理させてるのかも」


申し訳ない気持ちで声を落とすと、彼女は小さく首を振った。

「違うよ。あなたは悪くない。私が勝手に始めて、勝手につらくなっただけ」


けれど、その表情を見たら、自分の提案が彼女の重荷になってしまったようで胸が痛んだ。



 ぎこちない空気のまま数日が過ぎたころ、今度は彼女がぽつりと戦国時代の話をし始めた。


「私、山中鹿之助とか真田幸村みたいに、困難な状況でも諦めずに戦い抜いた武将が好きなんだ。ああいう人たちの生きざまって、つい胸を打たれちゃうの」

遠くを見るような表情がどこか儚げで、その横顔は別の世界を見ているみたいだった。


「山中鹿之助って、尼子再興を祈って月に願掛けしたとか言われてるよね。願いが叶わなくても、一心に信じて戦うところがかっこいいんだろうな」

「真田幸村も、最後まで自分の信じるものを捨てなかったって話が熱いよね」


 感情が高ぶっている彼女を見て、俺は何とか共通の話題を広げたくなった。

「俺はさ、戦国時代の戦術とか戦略に興味があって。たとえば第一次上田合戦とか、真田昌幸がめちゃくちゃ少ない兵力で徳川軍を追い返したんだよ。地形を利用したり、攪乱して相手を消耗させるとか、すごい発想だと思わない?」


 そう話すと、彼女は「うん」とは言うけれど、その瞳には微妙な揺れがあった。

「そうだね、すごいかもしれないけど…私はどっちかっていうと、どういう想いで戦ったのかが知りたいかな。真田昌幸も家族や領民を守るために必死だったんじゃないかとか、そういう気持ちを想像しちゃうんだ」


 俺は少し焦って、他の例を探す。

「黒田官兵衛の鳥取城攻略なんて、城を包囲して兵糧を断つっていう徹底的な戦略があったんだ。ああいう冷徹な方法も、一歩間違えれば味方にも非難されそうじゃない? でも、成功させる管理術とか判断の潔さって、理屈抜きで凄いと思うんだよ」


 そう言うと、彼女はわずかに眉を寄せて、それでも笑おうとするように唇を動かした。

「うん、確かに戦略としてはすごいんだろうけど…私は血が通ってるドラマが見たいんだ。ただの戦術に興味があるんじゃなくて、その背景にある必死さとか、誇りとか、そういうものに惹かれるの」


 彼女は言葉を選びながら話してくれているのが伝わる。それでも、俺が熱くなる部分と、彼女がロマンを感じる部分が微妙にずれている。

好きなのに噛み合わないその感覚に、胸がぎゅっと締めつけられる。


「そっか…ごめん、俺、なんか一方的に戦術の話ばかりしてたかも」

「謝らなくていいよ。あなたの視点も面白いと思う。…ただ、私がどこに夢中になるかって言うと、ちょっと違うんだなって思っただけ」


 そう笑う彼女の横顔を見ると、俺は自分の興奮が空回りしているみたいで、どうしようもないもどかしさを感じてしまう。

それでも、彼女と話す時間はかけがえのない宝物みたいで、この想いを伝えたいという気持ちは日増しに強くなっていった。


 そんな思いを抱えながら、告白のタイミングを探していたある日、彼女は急に学校に来なくなった。

教室に彼女の姿がないだけで、空気がうつろに感じる。


 あまりにも静かな席を見つめていると、クラスメイトが心配そうに話しかけてきた。

「聞いた? 彼女、家族が病気になったらしくて、大学を辞めるんだって」


その言葉を聞いた瞬間、俺は息が詰まるような思いに襲われた。


「そんな…」

自分で出した声がかすれて、何も考えられなくなる。

たとえお互いの話題が噛み合わなくても、きちんと向き合って自分の思いを伝えたかった。


 このままだと、俺が抱えているこの気持ちに決着を付けられなくなってしまう。

彼女のいない教室は、まるで色を失ってしまったみたいに感じられた。

胸の奥にぽっかり穴が開いたような寂しさだけが残って、やりきれない気分になる。

それでも、もしもう一度彼女に会えるなら、そのときは必ず想いを伝える。

そう心に誓って、俺は空っぽの彼女の席を見つめ続けるしかなかった。

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