悪女らしいので頑張ります
王子と婚約者と男爵令嬢の三角関係から始まる見苦しいラストまで、お目に留めていただければ幸いです。
「わたくし、あなたに嫌がらせをした覚えはございませんわ」
公爵令嬢は言葉を紡いだ。
上質な絹糸のような艶を含んだ亜麻色の髪が、シャンデリアの光を受けてきらめく。
公爵令嬢の前には、婚約者であるはずの王子と、その恋人だと言う男爵令嬢が並んで衆目を集めている。
男爵令嬢はミルクティーを溶かしたようなピンクを含んだ柔らかい金髪を揺らす。
「殿下、公爵令嬢は私が殿下と一緒にいるのが気に入らないんです。どなたのパーティでご一緒しても、私が挨拶をしたところで目を合わせてすらくれないんですよ。私よりいいドレスを着て、いい宝石をたくさん持っていて、これ見よがしに自慢してくるんです」
夜会のホールに沈黙が落ちたところで、誰かが呟いた。
「公爵家と男爵家なのだから、同じ品質の物にならないのは当然だろうに……」
男爵令嬢が素早く声のほうを向いて目を恨みがましく鋭くするのを、王子が「かわいそうに」と宥める。
「きみに似合うものを贈れなかった僕のせいだね」
「いいえ殿下! 殿下はドレスも宝石も贅沢三昧に欲しがる公爵令嬢に言われるがまま、あの悪女に貢がされたのです!」
公爵令嬢の父、つまり公爵家当主が咳払いして王子をちらりと見て、隣にいた妻と一緒に肩を竦めた。
「殿下が娘にドレスや宝石を贈ってきたことがあったかな?」
「あらいやですわあなた、わたくし覚えがございません」
それを横目に見た伯爵夫妻が呆れたように小さく笑う。
しかし王子と男爵令嬢はまだ続けていた。
「公爵令嬢、きみは男爵令嬢が挨拶をしても無視したのだそうだね。品性を疑うよ。それに彼女のドレスに紅茶をかけたとか、すれ違いざまに足をかけて転ばせたとか」
公爵令嬢は小首を傾げる。
「なぜ、わたくしがそのように振る舞う必要があるのでしょう?」
男爵令嬢は王子の腕に縋って公爵令嬢を見る。
「私が王子といるのが気に入らないんです」
公爵令嬢はしばらく男爵令嬢を眺め、それからにこりと微笑した。
「ああ、男爵令嬢、殿下とあなたが男女の仲なのが気にいらないから嫌がらせされているのだということにして、わたくしに対する悪感情を煽りたいのですね。ドレスと宝石に金をかける浪費家で、下々の者を虐げる性格の歪んだ令嬢だと、そうおっしゃりたいのですね」
王子は肩をそびやかし、男爵令嬢はひくりと頬をひきつらせ、公爵令嬢を見据える。
「男爵令嬢の話を聞く限り、きみはそういう女だろう。今日のドレスや髪飾りも、男爵令嬢に比べて随分と立派に飾り立てている」
公爵令嬢は微笑を崩さずに王子を眺めた。
「では殿下、あなたがそちらの男爵令嬢のために甲斐性をお見せになったらいかがでしょう? わたくしのドレスや宝石は公爵家が殿下の婚約者として恥ずかしくないようにと用意したもので、王室からの援助は小石のかけらほども使っておりませんの。男爵令嬢のためにドレスを仕立て、宝石を用意して差し上げたらよろしいのに、なさらなかった、そういうことではございません?」
男爵令嬢が王子の腕を抱きしめる。
「公爵令嬢は意地悪です……」
公爵令嬢はやはり微笑を崩さずに、ただ、続けた。
「わたくしは王妃になりたいがために公爵家の地位を恃みにして王子との政略結婚を望む浪費家で下々の者を虐げる性格の歪んだ令嬢、殿下もそうお思いでいらっしゃいますか?」
王子が気まずそうに公爵令嬢を見る。
「政略的な関係なのだから、言うまでもない。きみが僕を好いているか、公爵が僕を利用したいのか、何しろきみは男爵令嬢のように日常の何気ない話をして楽しい時間を過ごせる相手ではないし、公爵家が用意したドレスや宝石が……こうも金のかかった物なのだから、嫁いで来ても同じように浪費するだろうさ」
公爵令嬢は王子の言い分を聞いて大きく頷いた。
「わかりましたわ! わたくし、王子と男爵令嬢のご期待に副うような女になれるように、そちらの男爵令嬢に対してわたくしの思いつく限りの嫌がらせをいたします!」
夜会のホールにクエスチョンマークが溢れるが、公爵令嬢はそれまでの微笑を満面の笑顔に変えた。
「まずは王子と男爵令嬢を引き離しましょう!」
公爵令嬢は王子の父、国王を振り返る。
「国王陛下、王妃殿下、殿下の執務は殿下がおひとりで、自筆で、ご署名なさるようにお取り計らいくださいませ! 男爵令嬢と遊ぶ時間など与えてはなりませんわ!」
くっ、と押し殺したように笑ったのは事務官たちを束ねる王弟、執政である。
学業を理由に王子としての公務を半分にし、自筆署名ではなく王子の紋章を捺印することが容認されている決裁書類の数々。それを自筆署名に変えるなら、なるほど王子には遊ぶ暇がない。
次に公爵令嬢は自分の父親に縋りつく。
「ああ! 男爵領の名産品はなんでしたかしら! お父様、わたくしあちらの男爵家の品物は気に入りませんので、公爵家では使わないでくださいませね! わたくし、下々の者を虐げる性格の歪んだ令嬢なの! 男爵領の領民が仕事を失っても関係ありません、ですから、男爵領から出稼ぎに出る人々はお雇いにならないでくださいませ。男爵令嬢への嫌がらせですもの、男爵領が落ちぶれるのが一番効果的だと思いますの!」
それから公爵令嬢は頬に手を当てて「あとなんでしたかしら?」と呟いてから「そうそう」と思い出したように手を打った。
「ドレスと宝石よ! ドレスと言えばいま流行の布は東の隣国産! それに宝石は南の隣国産が最上ですわ! ねえ殿下?」
公爵令嬢は王子を見て笑い、泣く子も黙る将軍の前に足を進める。
「将軍閣下、わたくしの婚約者はあちらの王子様ですの。東の隣国にある布の産地、それから南の隣国にある宝石の産地、それぞれに攻め込んで我が国の領土にしてくださいませんか? そうしたら輸入せずに済みますわ!」
将軍が色を作して公爵令嬢を怒鳴りつける。
「戯言でも聞き捨てならん! 隣国との戦争になったらどれだけの兵士が命を落とすことになるか分かっているのか!」
公爵令嬢は大きく頷く。
「存じておりますわ。ですが殿下と男爵令嬢は、わたくしに、ドレスと宝石を求める浪費家で、下々の者を虐げる性格の歪んだ令嬢であることをお望みですの。国家の浪費、その最たるものは戦争です、将軍閣下。戦争は人の命も国のお金も、人々の未来をも浪費するものです。長引けば長引くだけ、人も国も土地もやせ衰えてまいります。でも、わたくしは殿下とその恋人が育む真実の愛を邪魔する公爵令嬢として、男爵令嬢に嫌がらせをする浪費家であることを望まれておりますの。ですから最初に男爵領に接した国に侵攻することをお願いいたします。名産品の交易量が減って職を失った男爵領の領民を他の領地で雇用しないように手を回すのです。そうしたら、男爵領の領民たちは徴募でもなんでも、家族を養うためなら戦地にだって赴きますでしょう」
そう説明する公爵令嬢は満面の笑顔である。
咳払いしたのは令嬢の父親である公爵だった。
「おまえそれでは、国が滅ぶよ」
父親が窘める言葉を聞いて、公爵令嬢はくるんと軽やかにターンして将軍に背を向けた。
「でもお父様、おかしくてならないのですもの! ドレスを紅茶で汚すですとか足を引っかけて転ばせるですとか、なにひとつ嫌がらせにならないではありませんか。わたくし殿下と男爵令嬢のご期待に応えたいの!」
清々しい笑顔の公爵令嬢を呆然と見つめ、それから男爵令嬢は、ハッとしたように我に返った。
「なんなの……あんた頭おかしいんじゃないの……? 馬鹿なの?」
公爵令嬢は笑顔を浮かべたまま男爵令嬢を見る。
「どうかしら? わたくしに思いつく限りのあなたへの嫌がらせ、ご満足いただけるかしら?」
「私への嫌がらせって……そんなの……うちが……で……でも、私、侯爵は私を応援してくれるって……男爵家が後ろ盾として弱いなら侯爵家の養女になればいいって……」
「なるほど侯爵家か」
ぼそりと言ったのは男爵令嬢と腕を絡めていた王子だった。
王子はふっと男爵令嬢に目を向けて、やんわりと自分の腕から男爵令嬢の手を外す。
「あら殿下、もうよろしいのですか?」
公爵令嬢が苦笑する。
「きみにこれ以上、浪費家の悪女を演じてもらうと、僕はいくつかの国を攻め滅ぼしに出されることになりそうだからね」
王子が苦笑すると、国王夫妻と公爵夫妻も笑いをかみ殺すかのように俯いた。
「僕は王家の家門を恃みにしてきみとの政略結婚をねじ込んだ性格の歪んだ王子なので、この国の安寧のために、色仕掛けを仕掛けてくるような派閥がどこなのかあぶり出したいというわがままに応えてくれた婚約者殿に感謝しかない」
王子は公爵令嬢の前まで歩いて足を止め、くるりと踵を返して男爵令嬢を振り返る。
「きみが受けた嫌がらせについて、公爵令嬢の仕業だと主張していたきみの……侯爵のと言うべきか、その嫌がらせの設定がね、彼女の発想とまったく逆なんだよ。ちまちまと人を使って個人に嫌がらせをするなどという子供のいじめは彼女には思いつかない。男爵令嬢のことが気に入らなければ男爵家ごと潰すことができる。それが彼女の家だよ」
それから王子は両手を胸にあてて頬を赤らめた。
「ボードゲームで遊ぶだけでも、彼女はじわじわとキングを追い詰めてくる……いつどの手でチェックメイトをかけられるかわからない……一手間違うたびに、彼女の凍えるような視線を受ける。もしかしたら将来、失策を犯したら僕が断頭台に連れて行かれるかもしれない……この癖になるような危機感がたまらない……」
公爵令嬢が満面の笑顔から打って変わったような変人を見る目で王子を見る。
「それでいつも殿下はボードゲームで変な手ばかり打っていらしたのですか?」
「僕にしか向けられないきみのその蔑みを帯びた眼差しが嬉しい。その視線は他の男には向けられない」
「蔑んではおりません……いつだって、また変な手を打っていらっしゃる、と残念に思っていた程度です」
「ではその残念なものを見る目でもいい。それは僕の変な一手にしか向かない」
「そんなことございませんよ。弟が壁一面をカブトムシの幼虫の絵で飾り立てたときも、この子これでは可愛いお嬢さんを妻に迎えるのは無理かもしれないと、同じように残念に思いました……」
「それ弟さんが六歳のときだろう」
「あらご存じだったのですか?」
「自分の立場を盤石にしてきみを婚約者にするため、公爵を後ろ盾にするべく、ありとあらゆる手段を使ってきみの近辺を調べ、情報を収集している」
「……カブトムシの幼虫は、いま十二歳の弟が六歳のときのことですよ。婚約するより前のことです」
「うん。八年前から公爵家の使用人に王家の使用人を紛れ込ませている。目を覚ます時間から寝息を立てる時間までの一挙手一投足すべて報告してもらって……だから男爵令嬢に嫌がらせをしたのがきみではないことは記録があるし、むしろきみがいる場所で起きる男爵令嬢の自作自演まですべて立証できる」
王子の告白を聞いた公爵令嬢はにわかに心底気持ち悪いものを見たような表情を浮かべて、男爵令嬢を振り返った。
「男爵令嬢、あなた、どうぞこの変態を男爵領にお連れになって」
「え」
「遠慮なさらないで」
「いりません、蔑むような目線とか残念な視線とかどうにもならないし、ありとあらゆる手段で婚約者の情報を収集してるとか……おはようからおやすみまでどころか、目を覚ますところから寝息を立てるところまでってやけに具体的ですよね? まだ婚約してるだけで王子妃になってない他人なのに怖いじゃないですか」
「わたくしだって怖いわ」
「きみのことを一途に考えているのに怖いとは心外だな」
「八年間もずっと起きてから寝るまでのことを報告されていたと夜会でいきなり知らされるのも心外でございます」
公爵令嬢は王子から離れ、早足で男爵令嬢に歩み寄り、男爵令嬢が逃げる前に腕をしっかりと掴む。
「どうぞ、殿下をあなたのところにお連れになって」
「いりません。こんなところで変態晒した王子ですよ!」
「お連れになってくださいませ。殿下がうちに差し向けた使用人も付けてさしあげます」
「嫌です、拒否します!」
「ご遠慮なさらないで!」
「ご遠慮してません、変態お断りです!」
王子は男爵令嬢の腕を掴んでいる公爵令嬢を眺めながら小首を傾げた。
「ああ婚約者殿、伝え忘れていたが、きみの護衛騎士は王城の近衛隊に紹介状を書いて召し抱えたよ。任地は北限だ。甲冑や剣は近衛隊からの支給品を持たせてあげたからね」
公爵令嬢は呆然としたように、恐る恐る王子に問いかける。
「あの……殿下……もしかしてわたくしの護衛騎士の実家が一家離散したのは……」
「彼、きみとの距離近かったよね」
夜会のホールがまた静まり返る。
「護衛騎士との距離ならば近くもなるだろうが……」
誰かが呟いた。
「あの……わたくしの護衛騎士は帯剣ベルトがよくボロボロになると……」
「公爵家の騎士団にも人はいるからね」
「馬の手綱が……」
「そうだね」
「……わたくしが護衛騎士にあげたブローチ……」
「それは知らないな、とりあえず人をやって確かめてもらおう」
足の力が抜けてへたり込んだ公爵令嬢に、腕を掴まれていた男爵令嬢が慌てる。
「し、しっかりして。まだブローチが人質……人? ええと、物質? に取られたわけではないわ!」
なぜか最初の趣旨から外れて公爵令嬢を励ます羽目になった男爵令嬢に、王子が笑顔を向けた。
「王侯がやる嫉妬による嫌がらせってね、こういうものだよ」
男爵令嬢は蒼白になった。
夜会の参加者はきょろきょろと周囲を見回す男爵令嬢から不自然に目を逸らす。
権力の中枢にいて、王子の嫌がらせ方針を「あり得ない」と否定できる大人はいなかった。実際それをやるか、という批判はあれど、誰もがだいたい「自分がやられるかもしれない、だからできる限り弱点を作ってはならない」という常識のなかで生きてきた貴族たちである。
男爵令嬢は真っ青な顔で、同じく血の気の失せた公爵令嬢の顔を目に留めてから王子に向き直った。
「あの、公爵令嬢の護衛騎士には本当に王子が嫌がらせ……」
「ヤツが彼女から貰った私物なんてひとつたりともヤツに持たせておきたくないに決まっているだろう。私物持ち込み不可で北限の砦に向かわせたとも! それも借金負わせて一家離散させて、質に入れられるものや売れそうなものはすべて売り払わせた! ヤツが彼女から貰ったものは把握できる限りすべてを買い取った!」
「なんという壮大でみみっちい嫌がらせ……」
男爵令嬢が呟き、公爵令嬢が男爵令嬢のドレスに縋りついて泣き出す。
「そういえばそういう人よ殿下って! 思えば婚約が決まったばかりの四年前だって、孤児院の慰問でわたくしが手渡しでお菓子をあげたっていうだけで、子供たち相手にカードゲームを教え込んで、賭け金代わりにお菓子を巻き上げていらしたわ!」
「別に無理やり奪ってはいない。自ら差し出してもらえるように仕向けただけだよ」
「もう嫌! 王子にあるまじきそのやり口、反省なさって!」
男爵令嬢は泣く公爵令嬢の肩に手を添えて慰めながら王子を見つめる。
「あの……殿下……侯爵家と男爵家は何かお咎めとか……」
「安心したまえ、僕は今夜の夜会で公爵令嬢が見せた満面の笑顔と、いま泣いているその姿の新鮮さで満足したから悪いようにはしない」
男爵令嬢は泣いている公爵令嬢を抱きしめる。
「殿下は公爵令嬢を泣かせたのが自分だってことを自覚したほうがいいと思うの」
「そういえば彼女がきみに縋りついて泣いているのは癪だな」
「いやいやいや、殿下は公爵令嬢の護衛騎士の件について反省するまで、公爵令嬢に近寄らないであげてください」
王子は「はは」と笑って肩を竦める。
「たかが護衛騎士の分際で僕の婚約者が馬車を降りるときに手を握るなんて、不躾だと思わないか?」
夜会の参加者は満場一致で「さすがに思わない」と無言の反論を王子に返した。
「ああ! 誰か公爵令嬢を控えの間に連れて……いや僕が運ぼう」
言った王子を変なものを見るような目で見た男爵令嬢は、公爵令嬢に触れようとした王子の手を払う。
「触らないであげてください」
「僕も人並みに傷付くんだが」
「公爵令嬢はいま、婚約者が八年分の二十四時間三百六十五日の報告書を積み上げるストーカー王子で、しかも自分の護衛騎士に嫌がらせをした犯人だったっていう自白に衝撃を受けて泣いてるんです。せめても王宮の近衛に連れて行ってもらったほうがマシじゃないかと思うんですよ」
「うん、でも婚約者は僕だからね。王家の権力振りかざして、どうにか公爵令嬢との婚約を取り付けたんだ」
「それ何年前ですか」
男爵令嬢の質問に王子があっけらかんと「下準備は十年前からだよ」と答える。
「六歳!」
「とても可愛かったので、宝物部屋に連れて行って、大切に保管しようとして怒られた」
「うわ。こんな独占欲強くて怖い王子だとか、お父様からも侯爵様からも聞いてない」
男爵令嬢の膝に縋りついて泣いていた公爵令嬢がのろのろと顔を上げ、涙に濡れた目で王子を見る。
「怖い夢だったと思っていたのですが、あれは殿下だったのですか」
「あ、待って婚約者殿。そのまま。泣きはらした感じすごく切なげでいい。画家呼ぶからちょっとそのままでいて」
「嫌です!」
公爵令嬢はまた泣き伏し、男爵令嬢は周りの大人を見回して助けを求めたが、だいたいが王子にドン引きしていて助けてはくれなかった。むしろ公爵家の政敵であり、男爵令嬢を色仕掛けに使おうとしていた侯爵でさえ王子の執着にドン引きして「ご息女はとんでもない男に捕まりましたな」と公爵夫妻に憐憫の言葉を向けた。
憐憫の言葉に目を光らせた公爵は、侯爵に向き直る。
「あの王子、不測の事態ばかり起こしますので当方の手に負えません。いつでもお譲りする!」
侯爵には公爵の言わんとすることがなんとなく分かった。
あんな、何をしでかすか分からない王子はいらない。むしろ弱点になるのでいらない。
侯爵はすっと目を細める。
「いや当家が間違っていたのです。王子があれほどまでに貴家のご息女を思っていらしたとは存じ上げず、大変申し訳ないことをいたしました」
公爵と侯爵は見つめ合い、そして互いにげんなりした様子で頷いた。
国のためには、あの王子を御するための犠牲が必要だ。
そして侯爵も公爵の苦衷を理解し、姿勢を改めてから公爵に向かって目で男爵令嬢を示して提案する。
「そこの男爵令嬢を養女にするという男爵家との話はこのまま進めたいと思います。差支えなければご息女の侍女として王宮に上がらせるのはいかがでしょう」
「それは侯爵殿、よいご提案痛み入る。当家としても貴殿のお家から娘と一緒に国を支えてくれるご令嬢を付けてくださるというお申し出はとてもありがたい」
こんなことがなければ侯爵家から公爵家への人質を出すようにも見える取引だが、狸たちの「あの王子に言うことを聞かせるには協力体制を敷くしかない」という思いは政敵関係を休戦に持ち込んだ。
政略結婚を小細工で覆そうとした男ではあるが、侯爵も悪い人間ではなかった。
公爵の派閥と侯爵の派閥で折り合いが付かないのは、だいたい武断派と文治派という政治的な方針の違いによるものである。どちらも政敵より優位に立てれば王の決断に絡みやすいという思惑はあれど、王妃の父として権力を掌握したいという野心は持ち合わせていなかった。
そうしてこの日の夜会は、国王夫妻に指示された近衛兵によって王子がホールから連れ出され、公爵夫妻と男爵令嬢に付き添われた公爵令嬢が控えの間に化粧直しに行き、王子が婚約者に抱く異様な執着を目の当たりにした夜会の参加者たちが肝を冷やしたままお開きとなった。
後日、公爵令嬢には「悪魔への生贄」という十分に憐れみを含んだあだ名が付けられ、王子の横には、王子の横暴に屈しないこと、という条件に適う貴族や騎士の子弟たちが相談役として集められた。
相談役に抜擢された子弟たちは、それから十年後、王位継承権を持つ実子を敵視する父王子というどうしようもない「政争」に巻き込まれることを知らない。そして自分たちが王位継承権を持つ子供を父王子から守り切り、後世、国家存続の功臣たちと歴史に称えられるようになることも知らない。
夜会で悪女と断罪された公爵令嬢と断罪しようとした男爵令嬢は、王宮で共に手を取り合って王子妃と侍女として王子と戦ったが、残念ながら彼女たちの奮戦は後世に大きく伝わらなかった。
百年後の歴史家は、公爵令嬢についてこう書き記している。
稀代の美貌で王子を狂わせた悪女にして、国を滅ぼそうとした王子妃。
なお、公爵令嬢の護衛騎士は、終生を北限の砦で過ごすことになった。
北の国から受ける幾度もの侵略を撃退して北限の村々を守る騎士たちの亡骸を埋葬する教会は、そのうちのひとりが生涯手放さなかったブローチを「騎士様のお守り」として保管するに至った。
百五十年後の民俗学者は、騎士たちの伝承を集めるために北限を訪れ、ブローチに刻まれた紋章や名前が「国を滅ぼそうとした王子妃」のものであることを突き止め悪女伝承に一石を投じることになるが、それも後生大事にブローチを持ち続けた護衛騎士の与り知らぬことである。
「ドレスの仕立てで採寸しているところを画家に描かせる!」
「なにバカ言ってんですかこの変態王子!」
「美しいものは芸術になり得るんだ! 絵に残さなければそれこそが罪だろう!」
「同じこと言って公爵令嬢の風呂場に入浴の時間見計らって画家連れて押しかけて来たの覚えてるんですからね!」
「どうせ僕の性癖はもう国中の貴族たちにバレてるんだ! もう我慢はしない! 隠しもしない! 一日一枚、彼女の絵を描かせる!」
「あんたが画家連れてくるのだいたい公爵令嬢が裸か半裸のときじゃないの!」
「女神は一糸まとわぬ姿こそ美しい!」
「なに言ってんのよバカじゃないの!」
「十代の彼女も二十代の彼女も三十代の彼女も四十代の彼女も、なんなら数十年後であろう九十代の彼女も年毎の美しさであろうことは確信している! だから一日も、見逃したくない!」
「九十代なんて殿下も公爵令嬢も私も、もはや生きてるかどうかすら怪しいですけど! だいたい殿下が夜会で要らんことまで暴露しなければ相思相愛だった感じなんです、もう一度その性癖を隠しましょうよ!」
「もう手遅れだ」
「その自覚があるならなおさらです!」
「あなたまで巻き込んでごめんなさいね侯爵令嬢!」
「いいからあなたは早く隣の部屋に逃げてー! じゃないとこれ終わらないのよ!」
稀代の悪女と言われることになった公爵令嬢の記録には、彼女が片時も手放さなかった側近として、伝承では同性の恋人として、侯爵令嬢(元男爵令嬢)の名が残されている。
途中まではまともだったと思うのですが、出来上がってみたらおかしなテンションになっていました。
自分で書いておいて感想もへったくれもありませんが、この王子はきっと王にはならなかった(なれずに順番飛ばされた)のではないかと思います。お目汚しながら、ここまで読んでくださった方にお礼申し上げます。
2025/5/13追記:誤字ご報告下さる皆さま各位、ありがとうございます。