第19話 プロ失格
夜。深夜といってもいい。ネルは1人歩いていた。
どれだけ苦しくとも、腹は減る。それに怒ったこともあった。けれどもそれすらも面倒になって、ささくれ立った心のままに買い物に出た。
夜は良いな。静かで、夜風がこのまま自分を溶かしてくれそうで、とても良い。
そんなことを考える。
人が少ない今ならば、自分を責めるものもない。
死んだ心で、生きている体を動かす。
ーーーー遠い。全てが遠い。海に溺れたように、音が、光が遠い。
バラバラな心を必死に繋ぎ止めて歩く。足先から砂のように溶ける妄想をする。
そんな下らないことを考えているうちにスーパーについた。ひたすらに食べやすい物を買った。ついでに元気になるらしいエナジードリンクがあったから買った。
期待なんてしていない。
ふと、目に酒類が写る。大人が使える裏技らしい。
「うらやましいな」
そう言って踵を返す。
帰り道も同じだ。同じはずだった。
「やぁ姉ちゃん」
チャラい。ひと目でそう判断できる男が目の前に立ちふさがった。横にそれようと、無視しようとした時、肩を掴まれた。
あぁ、まただ、また、壊れてしまう。
触られている箇所から気持ちの悪い熱が伝わってくる。
ヴァンス……。助けて…。それは意味のない願いだった……本来なら。
「その子を離しなさい」
私を掴んでいる男の手の首を、その人は掴んでいた。
大きい身長、顔を見上げると。
「ッ!」
驚いた。この前ヴァンスの隣にいた人だった。
「痛て!いてててて!」
その声と共に肩から重みが消える。
「失せなさい」
その声と共に男は手首を痛そうに押さえながら、夜へ消えていった。
「大丈夫だった?もう怖くないわ」
安心して。と私に視線を合わせてくれる。
でも私は、顔を見ることが出来ない。
「おや、貴方…。ちょっと来なさい」
そう言って私の手を握り、私を引っ張っていく。どこに向かっているのか分からない。怖い。
けれどもグズグズに崩れた体では…抗うことは出来なかった。
たどり着いた先はただのベンチだった。
「ふぅ、ここなら変なのにも絡まれることは無いでしょう」
私を座らせて、その正面にその人は立っていた。
「あのチャラ男になにかされた?」
心配そうに聞いてくる。
私は違うと首を横に振った。
「あ~。貴方は何歳?こんな時間になにをしているの?」
少しの間。黙ってしまった。優しく語り掛けてくる姿が、ヴァンスに重なってしまったからだ。
「…ぅ……ぅ…」
あ。駄目だ。壊れて、しまう。壊れ、ないで。壊れな、いで。お願い。
そう思うも、溢れる涙は止まらない。
女の人が優しく背中を撫でてくる。
駄目だ。壊れる、わけには、いかない。こんな、所で。駄目だ。
必死に心を繋ぎ止めて。なんとか収まる。少し涙が溢れただけだ。
「貴方、ついてきなさい」
また、私の手をとってどこかへ連れていかれる。ただ、今回は、私の肩を優しく抱き寄せて、優しく抱き締めるようにされた。
ーーーー私は足元を見ることしか出来なかった。
ガチャりと扉がしまった。
「ここは私の家よ。ここなら誰もいない。怖くないよ」
そう言って私を正面から抱き締める。私の顔を胸に埋めるように、優しく頭に手を乗せて、撫でる。
久しぶりに感じた。人間の暖かさ。髪の毛を、頭を撫でられる心地よさ。
すさんで砕けて、腐りかけの心には温かくて、とても優しくて、耐えることなんて出来なかった。
「…ぁ…あぁぁぁぁぁぁぁぁ」
その人は頭を撫でながら、背中に手を回して優しく抱き締めてくれる。
他人ということも、知らない家ということも、全て忘れて私はただ、ひたすらに泣き続けた。
何分経ったのか、もしかしたら1時間かもしれない。たくさん泣いた。子供みたいに泣いた。そして涙が収まってきた。
「落ち着いたようね。お風呂に入れる?」
疲れて、なにも考えられないままに、コクンと頷いた。
温かいお湯が体を暖めてくれる。冬が終わったといっても、さすがに夜、外に出れば、体はしっかり冷えるものだった。
泣き腫らした顔にお湯が優しく染み渡る。心地よくて、心が落ち着いた。
お風呂から上がると、あの人の服と思われるものが置かれていた。着ろ。ということだろう。それに手を通すと、案の定ぶかぶかだった。
「おや、出てきたね。これを食べていなさい」
そういって女の人は私をテーブルの前に座らせる。
目の前には肉じゃががあった。
「私はお風呂に入るから、ちゃんと食べるのよ」
あの人の言葉は全てが優しい。
しばらくしてシャワーの音が聞こえてくる。
はじめは、目の前の食事を食べる気持ちにならなかったが、お腹は空腹を訴えてきて、それに耐えかねて手をつけた。
おいしい。温かくて、ポロポロとジャガイモが口の中で溶けた。
胃の中に、久しぶりにまともな食べ物が入った。
お腹の中から温まる。涙が出てくる。でも食べる手を止められない。おいしい。おいしいのだ。
「おや、ちゃんと食べてくれたのね。偉いわ」
気付けばシャワーの音は止んでいて、私の側にいた。
私が食べ終わると食器を持っていった。洗い物はする気はないようだ。
その間、私は涙を必死に拭っていた。
「あの、ありがとうございます」
「どういたしまして。…私はフェルン。フェルン・ノットスカイよ。お名前教えて貰っても良い?」
「ネルです。ネル・フリード」
「そう。ネル君は…」
その言葉を聞いて、ヴァンスの声がフラッシュバックしてしまった。
「…ぅ……ぅ…」
ここにきてから、いや元々か、私の心は脆くなってしまったようで、些細なことで涙が溢れてしまう。
あんなに泣いたと言うのに、私の体はまだ泣き足りないらしい。
「あ、あぁ、ごめんね。ごめんね」
そう言って、また、私を抱き締める。2度目ということもあり、前より早く落ち着いた。
「ごめ、なさい」
「いいの。いいのよ。謝ることはなにもないのよ」
貴方は悪くない。と私を抱き締めながら言う。そしてそのまま、少しの時間が経った。
「あのね、ネル。貴方は…大学生?」
胸のなかでコクコクと頷いた。
フェルンはそれを確認して、更に質問を続けた。
「独り暮らし?」
それにも同じように頷いた。
「ならしばらく私の家に泊まりなさい」
断るべきなんだろう。ここまで優しくしてくれたのだから。他人なのだから。
でも、私を包む人の温もりは温かくて、抗いがたい。
気付けば、先程の質問と同じように、コクンと頷いた。
フェルンはベッドで眠る女の子、ネル・フリードを悩ましげな様子で見ていた。
ゲームセンターで遊んだ帰りだった。そこでチャラ男と呼んで良い風体の男が、小さな女の子に絡んでいた。
ま、こんな時間に出歩くなら自分でなんとか出来るわよね。
そう、思って無視しようとした。しかしフェルンの驚異的な身体能力、優れた洞察力が涙を溢しそうな顔をはっきりと捉えてしまった。
男を追い払い。安全な場所まで連れていった。なにをされたのか、なにがあったのか。それを聞こうとしたら、彼女が泣いてしまった。
とてもじゃないが、まともな精神状態とは言いがたい。
どうするべきか。迷ったのは一瞬だった。
即断即決即行動。フェルンの性格を1行で表すならそうなる。
だから家に連れて帰った。
この子供は心がボロボロだった。なぜだかは分からないが、今聞くべきではない。
ひたすらに慰めた。優しく優しく。
そして名前とか、状態、この子は家に帰るべきか、それを確認しようとして驚いた。なぜなら、この前に聞いた話に出てきた女の子と同じ名前だったからだ。
しかしその疑問を即座に飲み込む。大切なのはこの子の話を聞くことだ。幸い独り暮らしと答えてくれたので、このまま泊まって貰うことにした。
そして今、この子供。ネル・フリードを悩ましげに見ている。
「いったいなにがあったのかしら」
頭に浮かんだのは、あの嫌そうな顔を浮かべる男だった。
はぁ…。もしかしてアレのせい?最悪。首根っこ捕まえて事情聴取するべきかしら。
この前、無理やり付いていったため、ヴァンスの家を知っている。この子が寝ている間に突撃して話を聞くことも可能だが。
目覚めた時に誰も居なかったら大変ね。
そう考えてやめた。
「はぁ…まったく……他人にお節介を焼くなんて、プロ失格ね」
言葉とは裏腹に、自分の行動は間違っていないとフェルンは思っていた。
「ま、明日目覚めてからゆっくり聞きましょうか」




