職場体験
side.不木崎拓人
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今日は職場体験の日だというのに、あいにくの雨だった。
昨日から止む気配はなく、ただでさえ客のこない喫茶店で果たして仕事があるのか少し心配になる。
というか、昨日先輩はちゃんと帰れただろうか。話の途中で急に帰ったが、俺が怒ったからだろう。ただあれは怒るくない?怒るよね?
しかもそうしないと繋がりがないとか、意味が分からん。普通に友達だと思っているんだが冬凪先輩は違うらしい。
女の子に告白されるとき一緒にいてくれたのも友達としての優しさではなく、利害のような何かだったんだとしたら、少し悲しい。
それに、それだけではなく、今から城と対面する。気が重い…。
今回の職場体験は学校には向かわず、直接職場体験先へ向かうことになっている。そのため、助走もなく城と顔を合わせることになるだろう。
あれからラインの返事はあったが、大丈夫です。明日は行きます。とすごく他人行儀な感じで、なんだか嫌な気持ちになった。
自分から拒絶して都合がいい話だが、なんでなんだろうか。俺はこんなにも身勝手な人間だったか?
今、城と会ってまともに話せる自信はない。
どこかでまた、体が勝手に拒絶してしまうかもしれない。一つの推測だが、どうやら俺の悪夢の追体験がトリガーになっているようだから、どうにかそれを回避していれば……多分、大丈夫。
今試しにこうやって城を頭の中で想像しても、感想としては身長が低く、童顔美少女のくせにおっぱいはやたらデカい、ギャップエロ魔人だなと思うところから、おそらく平常運転に戻ったとは思うのだが…。
そうこうしているうちにロアナに到着する。
1時間前に到着してるし、まだ城は着いていないだろう。
――あれ、でもなんか既視感が…。
ドアを開けると、チリンチリン、と安っぽいベルが鳴る。
「いらっしゃ……あ、ふっきー。お、おはよう」
エプロン姿のぎこちない笑みを浮かべた城が俺を出迎えてくれた。
「お、拓人くん。早いね。今日はよろしくね」
マスターが続いて顔を出して、にっこりとほほ笑む。
うす、と会釈して、俺は城の方へ向き直った。
「いつ着いたの?」
「え、えっと、1時間前」
「ってことは2時間前、か。何、2時間前に来るのがデフォルトなの?早すぎん?」
「ご、ごめんなさい」
またも痛々しい顔で笑う城。
完全回復には程遠い。
初期の母親のような、見ているだけでも辛くなるような笑みだ。
「いや、謝ることじゃねえよ。というか、こっちこそごめん。この間は勝手に帰っちゃって」
「い、いや!全然!気にしてないよ!」
どこがだ。ならどうしてもう泣きそうな顔をしてるんだ。
そう思ったものの、悪いのは自分とわかっているので特に突っ込みもせず、俺もロッカーで制服の上からエプロンを着る。やはりやりづらい。
店内へ戻ると、城はテーブルを拭いていた。
開店まで2時間以上ある。やることは特にないのだろう。
俺も布巾を手に取り、テーブルを拭いていく。マスターは裏で仕込みをしているから店内には俺と城の二人だけ。雨音をBGMに黙々と作業を進める。
……一瞬で終わってしまった。
そもそも、店内はそう大きくないのだ。
テーブルを拭く作業なんて、二人もいれば5分程度で終わってしまう。
何か作業をしていないと持たないんだけど…。城の顔死人みたいに真っ白だし、目が合うとすげー引きつった顔で笑うし、何も言えん…。
布巾を元の位置に戻し、マスターに次の指示を仰ぎに行くと、
「なんか彼女とあったよね?今は特にやることないから、仲直りしておいで」
と、言われた。
見透かされているようで、すごく恥ずかしい。
俺だって精神年齢だとそこそこの大人だというのに、女の子一人と仲直りさえできあい。
「特にやることないから、待機だって」
城に報告して、お互い少し離れたカウンターに座る。
またも気まずい空気が流れる。
仲直りしたいけど、近づいたら発作がまた起きるかもなんて、どういう呪いなんだ。
城は何も悪くない。必死で、一生懸命で、優しいやつだ。
そんなあいつが今は虐待を受けた子供みたいにオドオドとこちらの様子を伺っている。叱られるのではないか、と怯えて取り繕う子供みたいに。
もういっそ、全て話してしまおうか。
おそらく城とはこの先も長い付き合いになるだろう。恋愛感情とかはまだないが……おそらくそういう関係にもなっていくと思う。
正直、現時点で結婚相手は城以外考えられない。この世界で一番まともで、趣味も同じで、性欲も頑張って抑えてくれて、よく笑い、よく泣くやつだ。それに可愛いし俺の好意を隠そうともしない。
こんな女性、他で探してもなかなか見つからないだろう。前世なら土下座をしてお願いしても叶わないレベルだ。
よし、と、覚悟を決めて口を開こうとすると、
空が真っ白に光った。続けざまに、腹の底に響くような轟音が鳴り響く。
……雷か……今の近かったな。
大丈夫か、と城に言おうと振り向くと、城は怯えた様子で必死に目をつむりながら俺の手を握っていた。
頭ではすぐに理解できた。おっぱいはデカいくせに肝は小さいらしい。可愛いところもあるもんだ、と。
だが体が、勝手に反応する。
俺はまた、城の手を振り払ってしまった。
城は息を乱しながら、絶望の表情を浮かべる。
「あ、いや、ち、ちがうの…わざと…触ったんじゃ、ない…の。ふっきーの、いやがること…したくて……したわけじゃ…」
真っ青な顔で城は一歩、一歩と後ずさる。
目には絶望が渦巻いていて、ひどく澱んで見えた。
これは不味い。せっかく仲直りしようとしているのに、また振り出しに戻ってしまう。すぐに謝ろう。
「待て、違う。城、俺もわざとじゃ――」
「ご、ごめんなさい」
一言、言い捨てるように言って、城は店を飛び出す。
外は土砂降りと言って差し支えない程の雨。おまけに、あいつが苦手であろう雷も鳴っている。
呆然と俺は開け放たれた扉を見ていた。
雨が入り込み、玄関口にあるマットを湿らせていく。
「拓人くん!」
呼ばれて振り返る。マスターだ。驚いた顔で扉を見ている。
「追って。今すぐ」
その言葉に体の筋肉が弛緩する。手足が動く。
俺は黙ってマスターに頭を下げて、雨の降りしきる外へ飛び出した。
全て話そう。もう一度やり直すために。




