暗雲
side.不木崎拓人
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最近、城の様子がおかしい。
いや、あいつがおかしいのはいつものことだが、それとは少し違う。
例えば、昨日の放課後一緒に帰っているとき――
『靴に履き替え忘れたのか?上履きのまんまじゃん』
『あ、ま、まぁね。いやぁ、勉強はできるんだけど、こういうちょっと抜けたところがあるというか。可愛げがあるというか。あるよね?』
『知らねえよ』
これだけだと、城のことだからやりかねないよね、で終わる話なんだが、それだけで終わらなかった。
『というか、鞄もなんか汚れてね?小麦粉つけたみたいな粉ついてない?』
『ほら、あれだよ。あれ……そう!ファンデを鞄にぶちまけたんだよ!一部分だけ真っ白になっちゃったから、全体的にまぶしたの。可哀そうじゃん?』
『どういうこと?』
立て続けに城の奇行が目立った。これだけあると俺でも何となく邪推してしまう。
城がいじめられているのではないか、と。
いじめに合う要因は大量にあるが、一番は間違いなく俺だろう。
学校の女子の中で唯一俺が雑談しているのが城だ。他も事務的な話はするが、世間話まではしない。
それに、俺と城が並んで歩いているだけで周りの女子たちからの視線というには生易しいものが向けられる。
俺はもうこの世界の女子の奇異の視線には慣れたが、城本人も全く気にしていない様子だ。
クラスの女子の仕業だろうか?…あり得る。
俺と城が教室で話しているときのあいつらの目は肉食獣のそれだ。やりかねん。
そして、今日の休み時間、俺はさらに疑念を深めることになる。
城の教科書が一度水につけたみたいに、ふやけていた。ノートも新品の物を使っているところを見ると、おそらく同時にやられたのだろう。
問い詰めはしなかった。どうせ、『教科書が汚れたから洗剤で洗った』とか訳のわからないことを宣うに決まっている。
さらに言えば、次の時間の体育は見学していた。
本当に体調が悪いのか、それとも体操服をどこかへ隠されたのか。邪推は止まらない。
そして、今日の5時間目の休み時間、決定的な事件が起きた。
トイレから戻ってきた城が、頭からビショビショに濡れていた。きちんと絞ってきたのだろうか、水が滴ってはいないが、明らかに濡れている。
「いやー、花壇の水やりの現場でうっかり放水されちゃった!いやー、私を可憐な花と間違えるのも無理ないけどさー!困るなー!」
へらへら、となんともないように笑う城に、苛立つ。
クラス女子はその様子をただ傍観していた。
「……ってふっきー、ほら、何か突っ込んでくれないと、私滑ってるみたいじゃん」
「…………」
椅子を引いて立ち上がる。
周りを一度一瞥してから、俺は思いっきり息を吸い込んだ。
「誰だッ!城にこんなことしやがるやつはッ!出てこいッ!陰湿な真似してんじゃねえぞ!」
教室内で怒鳴り散らす。
一気に空気が凍り、女子はビクッと肩を震わせた。
本当に腹が立つ。嫉妬だがなんだか知らないが、それが城をいじめていい理由になるわけがない。
一瞬、呆気にとられた城は、すぐに我に返りあたふたとし始める。
「ちょ、ちょっとふっきー!どうしたの?これは花壇の―」
「そんなわけねえだろ!もっとマシな嘘つけ!おい、知ってるやつがいたらさっさと――」
「こっち来て!」
最後まで言わせまいと、城が俺の腕を引っ張る。
校舎裏まで連れてこられて、先導していた城は俺の方へ勢いよく振り返る。
「いじめやったのクラスメイトの子じゃないから!全然違うとこのクラス!あんなことしたら、本当に私あのクラスでいじめられちゃうの!」
「……え?そうなの」
「そう!」
プンプン、腕を組んで頬を膨らませる城。
だとしたら、俺はかなり恥ずかしいことをしてしまったのではないだろうか。
「って、でもやっぱいじめられてんじゃねえか!」
「…うっ、ま、まぁそうだけど」
「何で言わなかった?」
城はうーん、と頭を悩ませる。
「ふっきーに矛先むけられたら嫌だなー、っていうのと、あとは、別にそんな大したことじゃないから、かな?」
「大したことじゃない?」
鞄を汚され、靴を隠され、体操服を隠され、教科書を濡らされ、あまつさえ城自身濡らされているというのに…大したことじゃない?
この世界のいじめはこの程度序の口だとでも言うのか?もっと凄惨なレベルなのか?
「あ、いや変な勘違いして欲しくないけど、ちゃんと立派ないじめだよ。でもね、私にとって『その程度のこと』でふっきーから離れる理由にはならないんだよね。別に殴られるわけでもないし、全く痛くも痒くもないし」
あの時の夢のように、城の瞳が妖しく光っているような気がした。
今もこうして濡れているというのに、城は笑っている。本当に何でもないような無垢な表情。
一歩後ずさりする。怖い。もう、城の中で、俺という存在がそんなにも大きくなってしまっていることが、怖い。
「あ、ドン引きされるのはちょっと傷つく…」
悲しそうな顔をしている城を見て、我に返る。
城の顔がタブって見える。今の悲しそうな顔と猟奇的な笑みを浮かべている顔に。あの時の――夕日に照らされたナイフが鮮明に蘇る。
背中からじわり、と汗が出る。とにかく、今は何か言わないと。
「わ、悪い。…ただ、やっぱりいじめられているのを放置するのは健全じゃない。それに、見ていて気分が悪い」
「あー、多分なんだけど、それもう大丈夫になると思う。まずはクラスの女子に謝ってね」
「は?」
意味がわからないまま、クラスに戻る。
クラス内はお通夜のような雰囲気で、女子たちは顔を青くして俯いていた。中には泣いている子もいる。
やばい、これは俺が犯人扱いして絶望しているのだろう。
俺は教壇に立ち、クラスメイトへ頭を下げる。
今の俺はその常識からかけ離れた行動をしていると言えよう。男の子が頭を下げる、ということ自体珍しい世の中だ。
だからこそ、クラスメイトの女子は絶望しているのだろう。例え誤解だとわかっても、男の子から謝罪されることはない。
つまり、誤解が解けても二度と俺とは敵対関係以外の関係性を築けない、と理解して。
「みんな、勝手に犯人扱いしてごめん。いじめを見てるのがどうしても我慢できなくて。城からみんなが犯人じゃないと聞いた。本当に申し訳ない」
頭をあげると、女子は顔を上げて、キラキラした顔で城を見ていた。中には感謝の涙を流し拝んでいる女子もいる。
城の方を見ると、なぜか両手を腰に置いてドヤ顔をしていた。どういう状況。
「城さんはベストフレンド!私は絶対にいじめない!」
「ふ、不木崎くん!私もいじめは良くないと思う!城さんは私が守るから!」
「あ、わ、私も守る!」
「この子も守る!」
他のクラスメイトの女子が一人ずつ立ち上がり、手を上げる。一人だけお腹を撫でている子は何を守るのだろうか。
クラスに活気が戻る。とてつもない強固な団結力を感じる。
「……なるほどな」
俺は後ろでドヤ顔をかましている城を一瞥した。
俺が謝ることで、クラスの救世主となり、自分を守るボディガードにした、というわけだ。いじめている主犯格はわからないままだが、これで城がいじめられる機会も減るだろう。
「頭いいだけあるじゃん」
「まぁね」
この一件で城のいじめはなくなった。




