絶対に許さない
妹である椿が何やら騒いでいる。どうやら私は泣いているらしい。
それはそうだ、先ほどから胸が苦しくて仕方ない。
手に握られた栞を見る。
品のいい木製の栞。池田華の代表作の表紙のデザインである、ひまわりの花が描かれている。
花言葉は確か、『あなただけをみつめる』。
不木崎は別れ際、これは私へのお土産と言った。
恥ずかしそうな顔に、慌てて立ち去る後ろ姿。それ以外にも今日の優しい笑顔や意地悪そうな顔も、走馬灯のようによみがえる。
「…ッあ」
声が出た。どうやらもう泣き声も出始めたらしい。
不木崎からプレゼントをもらった、という事実に気づいてしまった。
だが、なんで泣いているのだろう。普通は嬉しいものじゃないのだろうか。
大粒の涙が頬に伝うのを感じながら、私の思考はひどく冷静だ。
待ち合わせ場所でいきなり泣いちゃって不木崎に迷惑かけたから?
不木崎に色んなものもらってばかりで、私が何も返せていない罪悪感から?
それとも、女が男にリードしてもらいっぱなしで情けなくなって?
わからない。
冷静なくせに、感情の整理がつかない。
膝から崩れ落ちる。
目の前は既にぼやけて何も見えない。妹の足らしきものや床など辛うじて色を識別できるが、ひまわりの栞だけははっきりと見えた。
私こんなに泣く子だっけ?本を読んでいる時以外で泣くのは、数えるくらいしかない。それが今日は未遂を含めて片手じゃ足りないくらい泣きそうになった、というか泣いた。
そうだ、あいつは意地悪なんだ。
ふつふつと怒りが湧いてくる。栞を握る力が少し強くなる。
そうだ、あいつは男のくせに、女の私をこうやって何度も泣かそうとする。
「……じ、…わ…る」
「え、お姉ちゃん何て?」
「…じわ…る、いじわる!いじわる!いじわる!」
「……お姉ちゃん」
これでは好きになってもらわないと困る。私にこんなことをしておいて、知らないふりをするなんて許さない。
もう他の女子の目などどうでもいい。なりふりなんて構わない。冬凪先輩だって誰だって、不木崎に振られる感情に比べたらひどく雑多なことだ。
感情のキャパシティなんて、あいつと下校したときから当の昔に限界を迎えている。嬉しい気持ちが膨らんだだけ、苦しいのがどんどん大きくなっていく。
池田華の小説に、『恋は辛く、苦しいもの』という一説があった。
不木崎が今日言った『恋とは一緒にいて幸せに感じること』なんて全くの噓っぱちだ。私は今、すごく辛い、すごく苦しい。
何という罠なのだろう。今でさえこんな状態なのに、振られてしまうともっと壮絶な未来が待っているのだ。近づいたのは私。性欲に駆られて見事にチョウチンアンコウのエサになろうとしている。
もう引けない。一度知ってしまえば、抜け出せない。蟻地獄のような甘い罠。
唯一、今私の認識できるひまわりがこちらを見ている。
木製でよかった、とこれほど思うことはない。握る力が強くて普通の栞では壊れてしまうから。
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しばらくして、私は妹からソファーに座らされ、気持ちも少し落ち着いてきた。
「お姉ちゃん、落ち着いた?」
「うん」
妹が手に持ったコーヒーを渡してくる。喫茶店を少し思い出してしまうから今は正直飲みたくない。だが、妹の優しさを無下にすることもできず、受け取ってから、少し飲む。
「え、落ち着いてないじゃん!」
ちょっと泣いたらしい。危ない。妹が心配してしまう。
「ごめん、もう、大丈夫だから」
「…もう、何があったの?」
「………しおりもらった」
「え?」
何を言ってるんだ、という顔の妹見て、説明が足りなさ過ぎていることに気づく。
「今日ふっきーとデートして、お土産にしおり買ってもらった」
「え、ふっきーって男の子だよね?――ってプレゼントもらったの?マジ?」
男の子がプレゼントなど確かにあまり聞かない。若い世代ならなおさらだ。
私はまだ手に固く持っている栞を妹に見せる。
「うわ、マジじゃん。ちょっと見てもいい」
「うん」
そう言って、妹に栞を手渡す。
……手渡す。あれ。
「あの…お姉ちゃん、手、離してくれないと見れないんだけど」
「ごめん、無理。なんか手から離れない」
「呪いのアイテム!?」
無意識に誰かに渡すというのを拒んでいるみたいだった。
もう一度、ごめん、と言い、私と栞を見比べた妹は呆れた顔をする。
「いや、もうガチ恋じゃん。お姉ちゃんがよく話す小説の男の子と状況一緒じゃん」
ビクッと、体が跳ねる。
「ちがうし」
「うわー、しかも拗らせてるし。まぁ、お姉ちゃん男と話したことあんまりないもんね」
「そんなことねーし」
「ふーん、じゃ、私がそのふっきーって人と遊んでもいいよね?」
「ダメに決まってんだろぶっ殺すぞこのやろう」
「怖すぎ」
慄いている妹に私は少し顔を伏せて理由を言う。
「……だって、椿可愛いし要領いいしバレンタインめっちゃもらうし」
「あちゃー、重症じゃん。なんなのこの可愛い生物は。何、もしかして今泣いたのって、そのふっきーて人好きすぎて泣いたんじゃないよね?」
言われて顔が熱くなる。一瞬で耳まで血液が沸騰した。
「……うわ、マジ?」
そんなことねーし、と言おうとしたが、恥ずかしさで口が開かない。
少し経って、妹が何も言わなくなったので、恐る恐る顔を上げると、真剣な表情の妹と目があった。
「こりゃ、ふっきーと会わないといけないね、私も」
「だ、だめッ!」
「はいはい、取らない取らないって。私の可愛いお姉ちゃんをこんなにした男に一言いってやらないと!」
「え、な、なんて言うの?」
妹は意地悪そうな表情をして、人差し指を唇に当てる。
にっこり笑った姿は、今日の不木崎を彷彿とさせた。
「ひ・み・つ」
だからだろうか、何も言えずに私は黙ってしまった。