4.公爵の誤算
エイベルはコーデリアを寝室に閉じ込めるように指示した後、これからの生活に思いを馳せていた。ああ、今のコーデリアなら自分の隣に立っても遜色はないだろう。
夜になったら、コーデリアを本当の妻にしなければならない。先程見たコーデリアは2年前に見た時とは別人のようだった。澄んだ声、美しい紅茶色の髪に瞳、立ち姿も所作も淑女として完璧だ。外見に派手さがない分、控えめで夫を立てる慎ましい妻という雰囲気を醸し出している。簡単にいえばエイベルの好みど真ん中だった。
執事に確認した所、2年間一人で語学や経済さらに音楽などを学んでいたそうだ。
そうか、きっと追い出されると分かっていてもいつの日か私の力になりたいと一生懸命学んでいたのだな。それならばその気持ちに応えてやろう。聞けば聞くほどコーデリアへの好感度は上がる。勤勉なところも満足できたし、一人だけ商人の出入りを許可して好きに買い物をさせていたが、買い物リストを見てみれば文具や本がメインで宝石やドレスを求めたことはない。無駄遣いをせずに慎ましく暮らしていたようだ。コーデリアの出自は子爵家なので身分は低いが間違いなく貴族である。彼女こそが自分の伴侶に相応しいと気づいた。ベティとは大違いだ。
コーデリアの反応はエイベルの期待したものと違ったが、2年間の監禁生活で貴族的な考えに不慣れになったせいに違いない。下位貴族は上位貴族に、女性は男性に従順であるべきだ。今後公爵夫人として過ごすうちにエイベルに感謝を捧げ尽くすようになるだろう。エイベルは寛大な心で朝の反抗的な態度は水に流してやろうと一人頷いた。
落ち着いたらコーデリアを社交界に出す。世間に出ればエイベルの妻であることの素晴らしさや喜びを思い知るはずだ。
ベティの存在を思い出すと苦い気持ちになるが、これからはコーデリアを妻として心機一転アビントン公爵家を盛り立てていけばいい。
ベティ……。あれは最低の女だった。娼館に通っている時は美しく健気で、いじらしい姿を愛しく思っていたが実際はとんでもないあばずれだった。公爵夫人としての教育を施したが全く身につかず、宝石やドレスを強請り無駄遣いばかりする。いくら我が家が裕福だといっても金が湧いてくるはずもないのだからと窘めれば泣きわめく。その時点で幻滅しはじめていたが妊婦の気鬱だと言われれば仕方がないと受け入れた。
しかし、執事からは使用人たちからベティの傍若無人な振る舞いに苦情が出ていると聞かされていた。腹にはアビントン公爵家の後継ぎがいるのだから出産を終えるまでは我慢をするように指示をした。しばらくしてベティは男児を無事に出産した。エイベルはこれで公爵家は安泰だと心から喜んだ。しわくちゃの赤子が暫くすると顔に表情が出てくる。その子は髪や瞳の色はベティと同じだが顔はエイベルにもベティにもどちらにも似ていない。
「私の父に似ています。隔世遺伝ですわ」
焦った様にそう言うベティに不信感を募らせるも妊娠が発覚したのはベティを身請けして公爵邸に迎えて半年は経っていた。ならば父親は自分以外にいないはずだと無理やり納得していた。
そんなある日、執事が書類一式を持って承認を求めてきた。
「なんだ、これは?」
「コーデリア様の新しい身分証と、国外へ出る為の書類と乗船券です。もうすぐ2年経ちますし、入れ替わりが露見しない為にもベティ様が社交界に出る前にコーデリア様には早急に国外へ出て行ってもらった方がいいかと存じます」
コーデリア……。エイベルはすっかりとみすぼらしい女のことを忘れていた。まだいたのか……。確かに早急に出て行ってもらった方がいいな。何の興味も抱かず書類にサインをして執事に渡した。
「5日後に立ち退くよう伝えて置いてくれ」
「畏まりました」
そして事件は翌日の昼に起こる。エイベルは朝から商談で一旦家を出たが大事な忘れ物をして急遽屋敷に戻った。
「ベティは?」
出かける時は笑顔で見送ってくれた彼女がいないので気になり問いかけた。
「気分が優れないと寝室で休まれております」
どんな様子か顔を見てくるかと寝室にいけば…………ベティは見知らぬ男と浮気の最中だった。それからのことは思い出したくない修羅場だった。激怒したエイベルはベティと間男を地下に閉じ込めるよう指示しとりあえず商談に向かった。何とか動揺を隠し無事に仕事をこなした自分を褒めてやりたいと思った。
帰宅し、ベティと話せば、訳の分からん言い訳をする。寝室で休んでいたら突然男が侵入して襲われた? どう見ても合意だったろう。それに、気付きたくなかったが確かめなければならないことがあった。生まれた子供と間男の顔がそっくりだったことを…………。
厳しく詰問すればベティはとうとう真実を明らかにした。男は娼館にいたときからの恋人でエイベルに身請けされてからも関係は続いていたこと。今までもエイベルの目を盗んでその男を連れ込んで浮気をしていたこと。そして、生まれた子はエイベルの息子ではなく間男の子だと……。
エイベルは怒りで顔を真っ赤にしベティと間男を激しく詰った。本当は殺したいほどだったが手を汚す真似は小心なエイベルには出来なかった。本来ならば高位貴族であるエイベルを騙したのだから騎士団に突き出すべきだが、コーデリアとベティを入れ替えようとしたことを明るみには出来ない上に、娼婦に騙された愚か者と嘲笑されることにも耐えられそうにない。
怒りに震えながらも二人と子供を無一文で放り出すことしか出来なかった。妻と嫡男を失い、これからどうするかと頭を悩ませていた時にコーデリアが別れの挨拶に来た。その変わりように驚き、清楚な美しさに見惚れてしまった。これこそ私の妻に相応しい。
2年前の彼女では話にならなかったが、今のコーデリアなら申し分なく公爵夫人として振る舞えるだろう。コーデリアを妻にすれば、後ろ暗いことは何もなくなる。彼女の両親は未だに弱みにつけ込んで金をせびりに来る。あれほどの大金を払ったのにとんでもないハイエナどもだ。だが名実ともに妻にすれば弱みは無くなり、親戚付き合いは絶ってしまえばいい。
そしてコーデリアとの間に男児さえ生まれれば何の憂いもなくなる。こうなるとベティの公爵夫人としての教育が進まず、社交界に顔を出していなかったことは僥倖だ。入れ替わりを企んだ事実をなかったことに出来る。
エイベルは自分の人生が修正されたことに満足し夜に備え仕事を片付けた。
侍女にコーデリアの湯浴みなどを申しつけたが、中から扉を塞いでいるようで入れないと言っていた。まあ、急な話で気持ちの整理がつかないのだろう。寝室は3階だから窓からは抜け出せないので彼女に出来るのはせいぜいふて寝くらいだ。夜になり準備を整えたエイベルは寝室に向かった。
「コーデリア? いつまでも拗ねていないでここを開けなさい」
エイベルの説得に何の反応もない……。これは厳しくしつけて従順な妻にしなくてはとイライラしながらも従僕に扉を開けるように指示する。ようやく寝室に入れば窓が大きく開かれそこはもぬけの殻だった。
コーデリアの姿はどこにもない。窓を覗けば長梯子がかかっている。誰かの手引きで逃げ出したのだ!
「コーデリアの奴めっ!」
エイベルは怒りのまま喚き執事や従僕に屋敷の周辺を探させた。そして乗る予定だった船への乗船確認をすれば、彼女は既に海の上だった…………。
エイベルは力なくソファーに座り込んだ。
何故、私の人生は思い通りにいかない? いなくなったコーデリアのことをどう説明すれば外聞を保てるのだ? 失踪したことにするしかないか……。失意に青ざめ呆然とする。
後日、エイベルはコーデリアの失踪届を騎士団に提出したがコーデリアがエイベルと結婚した後に誰とも会っていないことで、これは失踪事件ではなく殺人事件なのではないかと噂されるようになる。その結果、エイベルは容疑者として厳しい取り調べを受けることになる。




