2.別邸での生活
エイベルとの話でコーデリアは堪えきれずに体を震わせてしまった。エイベルは絶望して震えていると思ったかもしれないが……実際は歓喜からくる震えだった。
コーデリアはエイベルのあまりにも身勝手な言い分に失望していた。だが、失望以上に感じたのは喜びだ。出された条件に不満は一切なく…………最高だった。この傲慢な男の妻にならずに(触れられることもなく顔も合わすこともなく過ごせる完全な白い結婚!)2年間衣食住を保証され、その後国外へ行くための費用を受け取って出て行けるのだから。名前を変えて真っ新な新しい人生を手に入れることが出来る。
実家でも監禁同然の生活だったので公爵邸で2年くらい閉じ込められてもどうってことはない。そして国外へ行くのは外国での暮らしをずっと夢に見ていた自分には素晴らしい話だった。ああ、神様が私にご褒美を下さったのね! 飛び跳ねて声を上げて喜びたいのをグッと堪えた。
コーデリアに与えられたのは公爵邸の敷地の中にある小さな屋敷だ。何代か前の公爵当主が愛人を囲うために建てたものらしい。こぢんまりとしているがコーデリアの実家より広く快適に過ごしている。
コーデリアはブロウ子爵家の次女だ。両親は共に美貌が自慢で社交にも明るい。爵位は低いのに自尊心だけは高く見栄を張って高価かつ無駄な買い物をする。だから子爵家は常に火の車だ。今回の話は大金をもらえると大喜びで受け入れただろう。両親のはしゃぎっぷりが目に浮かび苦笑いをした。
エイベルはコーデリアを醜いと言ったが、それは顔の造形というよりも病弱でやせ細った骨の浮いた体と常に青ざめた顔色のせいで陰気臭く見えるからだ。両親や兄、姉は金髪に緑の瞳を持ち容姿端麗でスタイルもいい。だからこそ家族の中で一人だけ茶色い髪と瞳を持つコーデリアは皆にとっての恥だと持て余されていた。今回のことは邪魔なコーデリアを厄介払い出来た上に大金を得られたのだから幸運だと思ったに違いない。
コーデリアは幼いころから体が弱く学校にも通えず家で本を読んでばかりいた。友人もおらず家族から顧みられることのない子爵家の娘はベティの格好の身代わりになりえた。
それにしてもエイベルは甘いと思う。あくどい人間ならコーデリアを2年も監禁しないで殺してしまうことだって出来る。それをしないでお金を与えて追い出すというのだから言ってる内容は最悪だが悪人になり切れない小心者なのだろう。そのおかげで今の自分は人生初の贅沢を満喫している。1日3回の食事におやつがつき勉強をし放題だ。
エイベルは嫌いだがここでの生活には心から感謝している。特に監視もされていないし詰めが甘い。ああ、小心者の公爵様バンザイである。
こうして始まった別邸での暮らしは穏やかに1年が過ぎた。その間に徐々にコーデリアの体調は回復し健康体になった。ガリガリだった体に肉がつき年頃の女性らしいまろやかな体型になった。といっても適度な運動も心がけウエストはキュッと引き締まっている。室内で出来る運動には限界があるがそこは工夫してなんとかなっている。
健康になって分かったがコーデリアは病弱ではなく万年栄養不足だったのだ。茶色く可愛くない娘だと言って家族はコーデリアに何かを与えることを無駄だと嫌がった。それは食事にも及んでいた。
エイベルは約束を違えず必要な物、望むものを執事と特定の商人を通して与えてくれた。
別邸に来てからの食事は子爵家とは比べ物にならないくらい豪華で栄養満点だ。子爵家では1日1個のパンと皿の底がはっきりと見えるほど具の少ないスープだけだったが公爵家ではケーキやお菓子なども出る。子爵家では見たことも聞いたこともない珍しい果物も食べることが出来た。それも甘くて美味しい絶品の果物を。コーデリアは初めて食べるお菓子や果物に興奮して慣れるまでは感動して涙を流した。この世界でこれほど快適な監禁生活を送っているのはコーデリアだけに違いない。
コーデリアには専属で一人のメイドが付けられた。ダーナという名の同じ年のメイドはとても親切でコーデリアの不遇な立場に同情し優しくしてくれる。
一生懸命肌や髪の手入れをしてくれたおかげで、コーデリアはすっかり美しくなった。屋敷から出ることは許されていないのであらゆる書物を取り寄せ勉強をしている。以前ここに住んでた愛人が使っていたピアノも調律してもらい必死に覚えている最中だ。
洋服も子爵家では下女が着るようなものだったが今は普通のワンピースを与えられている。年頃の女性としてドレスに興味はあったが、誂えても着飾って出かけることが出来ない以上無駄になってしまうので諦めた。待遇としては裕福な商家のお嬢さまといったところだろうか。
食事は本邸から届けられているが別邸にも小さな厨房があるので、有り余る時間の中でダーナにパンやお菓子の作り方を教えてもらっている。またここを出た後に一人で生きていくための知識や情報もダーナが教えてくれた。
「ダーナのおかげで、私は今人生で最高に幸せだわ。ありがとう。心から感謝しているわ」
「まあ、コーデリア様。私もコーデリア様のような優しい方にお仕え出来て本当に嬉しいです」
「私、ダーナのことは本当の姉妹のように思っているのよ。どうせここには誰も来ないのだから気軽に接してほしいの」
「ですが、いいのですか?」
「もちろんよ! お茶の時間は給仕なんてしてないで一緒に楽しみましょう。ね?」
「それではお言葉に甘えて」
「「ふふふふふ」」
顔を見合わせて笑い楽しくお茶の時間を過ごす。
「実は本邸のメイドたちにはコーデリア様付きになったことを羨ましがられているのです。ベティ様は旦那様の前では大人しい女性の振りをしていますが使用人には我儘放題で皆苦労しているようです。娼館で一番の人気を誇っていたそうですから男性を手玉に取ることなど容易いでしょうね。随分と高価なドレスや宝石を旦那様に強請って贅沢三昧だそうですわ。気に入らないことがあると侍女にお茶をかけたりと酷いそうです。公爵夫人として社交界に出るための勉強は遅れているみたいですね。一応、病弱で社交に出れないということになっているそうですが」
「いずれは社交に出るのでしょうけど貴族社会と娼館のお客様とは勝手が違うから大変でしょうね……。ところで彼女が猫を被っていることにエイベル様は気付いていないの?」
ダーナは可笑しそうに頷く。
「はい。まったく。穏やかで優しい女性だと信じて疑っていないようです。きっと不遇な女性を娼館から助け出したと思っているのでしょうね。本当に旦那様も見る目がないですよね。コーデリア様なら優しく勤勉で素晴らしい公爵夫人になったはずですのに」
「勤勉なのはここでは他にすることがないからよ。それにベティ様がいるお陰であんな不誠実なエイベル様と本当の夫婦にならずにすんだわ。地獄のような実家から出ることも出来たのだからベティ様には感謝しなければいけないわね。あとは1年後にお金を貰ってここを出て行くだけ。私、その日が楽しみで仕方がないのよ! 自由になれるんですもの」
「コーデリア様はここを出たら絶対に幸せになれますわ。私が保証します!」
「ありがとう。ダーナ」
コーデリアは毎晩寝る前に心の中で(私はとっても幸せです。神様ありがとうございます)と感謝を捧げていた。
そしてダーナと穏やかに残りの時間を過ごしていった。