第六話 前編
「これは公爵令嬢。どうぞお通り下さい」
恭しく頭を下げると、守衛は門を開いて彼女を内部へと招き入れた。
王城の東門に接続した場所に、騎士団の本部があり。アベルは今日そこを訪れていた。
騎士団というと国家から独立しているかのように思えるが、実質は近衛師団を長とする、この国の軍事と警察機構を司る政庁のひとつだ。大まかには貴族の子弟によって構成されているが、一部武門や管理部門に於いては市井からの徴用や叩き上げの人物なども存在している。
「案内は結構よ」
勝手知ったるという感じで、アベルは本部に足を踏み入れる。通りかかる団員達に敬礼を受けながら、無造作に本部の地下――政治犯用の監獄へと降りていく。
松明頼りの薄暗い石造りの廊下を進み、その一番奥。鉄の扉に鍵を差し込むと、重い音と軋みとを響かせながらその扉を開いた。
「ご機嫌よう、元気にやっているかしら?」
その内部に、初めて訪れた人間は目を剥くだろう。そこはなかなか豪奢に設えられた美しい部屋だった。広さも十二分と云っていい。少なくとも囚人の監房としては明らかにあり得ない待遇と云える。
「あら、カイン様! 時間ピッタリですね。公爵令嬢ともあろう方が珍しいこともあるものです」
朗らかに応える牢の主は、妙齢の女性だった。身なりも美しく着飾り、囚人には思えない。
年齢は二十代の半ばを超えたかどうかくらいだろうか。黒寄りの茶髪にややゆるやかなウェーブがかかり、少し幼く見える容も美しいと云って差し支えない。カインのような刺すような美貌とも、アベルのような聖らかさの具現のような美貌とも異なる。男好きのする顔と肢体。まるで現代に於けるグラビアアイドルのような印象を持っていた。
「お茶をご用意しましょうか、それともお酒が?」
「お酒を頂こうかしら。けれど、この間の一口で卒倒するようなのはやめて頂戴」
「ふふふっ、解ってますって」
公爵令嬢であるカインに対する態度としてはあり得ない。それは本来であれば即首が飛ぶほどの不敬なのだが。
「そうそう、先日は薬をありがとう。あれはとてもよく効いたようよ」
「そうですか。まあ正直、何に使ったのかは考えたくもないですけど、役に立ったならよかったです」
薬――サンドラを通じて破落戸に融通した、あの痛覚を一時的に失わせる代わりに身体を蝕む毒物のことだろう。あの魔薬の出処はこの女性だったということらしい。
「それで? このところの騎士団員たちの様子はどうかしら」
「うーん、特に変わったところはないかしら……みんな大人しいものよ。どの子もチョロいしね、ふふっ」
微かに毒花の香りを漂わせる、屈託のない笑み。それが強かな彼女の本性を密やかに示している。
「どうぞ。お口に合うといいけれど……逆に、何か知りたいことでも?」
グラスに半分注がれた、緑色がかった透き通った飲み物。やや褐色をした角砂糖が添えて出される。
「少し強めなので、よろしければお砂糖を溶かして飲んでみて下さいな」
「ありがとう……いい香りだわ」
まるでミントのように清涼感のある香り――カインはまず生のままで酒の味を確かめると、そこに角砂糖を二つ放り込んだ。酒精の風味が砂糖で優しく抑え込まれて、ふくよかな酒本来の香りが口いっぱいに拡がる。
「そのままでは強すぎるけれど、砂糖を入れると華やかな薬草の香りがよく判るわね」
「気に入ったならよかったです。お酒に浸した角砂糖の方を舐めるというのも乙なものですよ」
「ああ、いいわね。それも」
しばらく酒の香気を楽しんでいると、女はカインの為に蒸し菓子を出してくる。
「南方の椰子を練り込んだ蒸し菓子ですわ。このお酒には合うと思います」
「ありがとう。それにしても南方の果実とは、また張り込んだわね」
「何しろ軟禁の身ですから、楽しみはお酒と男と料理くらいしかないんですよね」
悪びれるでもなく、女は肩をすくめる。飾るところのない女の本心なのだろう。
「それでも処刑よりはマシですから、カイン様には本当に感謝していますよ」
「そう思ってくれているなら、まあ悪い気はしないかしらね」
さらりとそう応える。してみると、どうやらこの処遇を女に強いているのはカイン自身であるようだった。
――アイラ・ハーグウィッツ子爵令嬢。
四年前、王宮を騒がせた王太子毒殺未遂事件の犯人である。
この令嬢は、遅まきながらデビューを果たすと社交界をその人気で席巻した。
容姿の美しさも然ることながら、魔性とも云うべきその魅力で、まだ若い王太子とその取り巻きである若い貴族たちをたちまちに籠絡し、一時期はすさまじい権勢を社交界に於いて確立した。
しかし急速に勃興したその牙城は砂上のものだった。云ってみれば根回し不足、後ろ盾もない若い権力集団は三大公爵家や、反発した貴族社会によって崩壊に導かれた。
その首謀者と見なされたアイラは、「王太子に毒を盛った」との廉により捕縛され、裁判によって死罪を云い渡される。
勿論、それは冤罪だ。だが、王家と貴族社会によって排除された美しき異分子はそのまま処刑された。
――と、この国の係争記録には残されている。
一応貴族の令嬢として、斬首刑ではなく自裁(詰まるところ毒殺を指している)を許された……そういう体裁だ。
そんな彼女を秘密裏に拾い上げ、ここに匿ったのが、何を隠そうカインだった。
カインは証拠蒐集の際に記録に上がって来た、アイラの高度な製薬能力に目を付けた。
そこで王家に諮り、表向きは処刑されたということにして、騎士団本部の一番奥で彼女を「飼う」ことに決めたのだった。
元々、騎士団は若い貴族子弟ばかりの男所帯であり、結果として下女や侍女に手を出す悪習が避けられない場所であった。
それを狙って婿捜しの為に侍女勤めをする貴族の令嬢相手ならまだしも、平民の女との私生児などというものは外聞も悪く、その上お家騒動の原因にもなり得る厄介な悪習と云えた。
そこでカインは、魔法でその意思と能力を制限した上で、頗る付きの美女であるアイラを騎士団専用の娼婦としてあてがった。アイラ自身にそもそも淫乱の気があったが、その素質を見抜くカインという女もまた怪物と云えるのだろう。
アイラは騎士団のほぼ全員を手玉に取って獣たちを紳士に変えただけではなく、精通した薬学と医学を以て、騎士団内で蔓延していた性病をも駆逐してしまったのだった。
アイラの開発した避妊具や性病のための薬、知識は総てザンダール公爵家を経由して、娼館や市井にもたらされた。カインの目論見は当たったのだ。
けれど、獣の腸を利用した避妊具などは公爵家でも製造が可能であったが、性病治療の為に用いられる抗生薬と呼ばれるそれは、その知識のあまりの複雑玄妙さに、調剤出来るのはアイラ本人以外には今のところ不可能と云われているという。
明らかに、アイラの持っている知識と技倆は、この世界の二十代の女性が独学で持てるものではなかった。
「そうそう、この間街に買い物に行った時の話なんだけど……」
何かを思い出したのか、アイラはそう切り出す。
牢に監禁されているというのに、アイラはかなり自由な行動が認められている。騎士団員二名以上の同行を得られれば、街への外出や買い物も許されていた。彼女の製薬の才能を奮ってもらう為にも、その生活を保証する必要がカインにはあったからだ。
「これを見て。街の宝石商が出していた硝子細工なんだけど……」
思い出したように、豊満な乳房の谷間から小さなペンダントを引っ張り出した。
「……これが?」
カインはそれを見て顔をしかめる。彼女の知っている硝子というものは、濁ったり歪んだりしているものであって、その小さくて透明な細工物は、まるで水晶のような透明度を誇っていた。
「この世界の技術レベルを軽く超えているわね。どこかからの干渉があるのかも知れないわね」
「ギジュツ、レベル……」
アイラの言葉は時折理解出来ない言葉が混じる。しかし、ニュアンスからある程度の推測はカインにも可能だ。
「つまり、貴女のような存在が他にもいるかも知れない……そういう話かしらね、これは」
「ご明察。さすがカイン様は一を聞いて十を知るって感じね」
「頭の片隅に入れておくことにするわ」
アイラにしてもカインにしても、注目すべき話題ではあるが、他人事であることも否めなかった。
――まだ、この段階では。
「これが、硝子細工なのですか……」
カインに渡された透き通り、精密な細工をされた硝子のペンダントヘッドを見て、アベルは目を丸くした。
「ええ。このところ市井に出回り始めたのだそうよ」
いつものように午後のサロンに招かれたアベルは、その細工に驚きの声を上げた。
「硝子細工も、ここまで細かく作り込まれているとキラキラして綺麗ですね」
とは云え、うっとりするわけでも欲望に目を輝かせるわけでもない。アベルはただ細工に感心しているだけのようだ。
「本当、欲がないわよね、アベルは」
「そ、そうでしょうか。キラキラしていて綺麗だなとは思っているのですが……あと、銀細工と違って曇らなそうで便利かなとは思います!」
「ふ、ふふっ……そうね、そこはわたくしには思いつかなかったわ……」
カインはパッと扇子を広げると顔を隠した。アベルの発想に笑ってしまっているのだろう。
「綺麗ではありますが……こんな細工を硝子でわざわざする理由はなんでしょうね。以前、聖水を容れる瓶を作るのにあたって工場を見せてもらったことがありますが、触れないような熱さで火を入れないと、そもそも形を変えることも出来ないものですよね……」
「あら、アベルはそういったことにも興味があるのかしら」
「……貴族の方を治療すること以外には、私はなんでも興味がありますので」
小さく舌を出して笑うアベルに、カインは少し面食らってから、今度は扇子で隠さずに微笑んだ。
「困ったわね。わたくしの毒が回り始めているのかしら」
「まったく回っていないかと云えば嘘になるのでしょうけれど、その毒に足の先を浸しているのは間違いなく私自身の意志ですから」
まるで誇るかのようにそんなことを云うものだから、カインもどう返せばいいものかと困惑する。
「んんっ……それでこの精緻な硝子細工は、カイン様に何か益をもたらすものなのですか?」
初めてカインの埒を明けることに成功したことに、照れか、もしくは気まずさでもあったのか、アベルは小さく咳払いをしてからそう続ける。
「貪欲なわたくしではあるけれど、今のところどうこうという気持ちはないかしらね……ただ、あまりにも他の職人たちと仕事が異なりすぎているから、気にはなっているところなのだけれど」
「そうですね、私が知っている硝子職人が作るものもこんなに綺麗ではないです。硝子自体に焦げが混じっていたり、少し濁っていたり、細工の角が丸っこくなったりしるのが普通ですし……」
この世界の現在の技術力では、ようやく透明化する技術が定着し始めたところで、硝子といえば不純物混じりの、緑色や青色の半透明といった状態だ。その中で、突如現れた精緻な装飾造形を持った透明な硝子細工。それはあまりにも異様だ。
「アベルも、もしこの硝子を細工している職人のことをどこかで聞いたら、教えてくれると嬉しいわね」
「はい。ですが、カイン様の方がより多くの耳をお持ちだと思いますから、あまりその辺りで私がお役に立てることもないかとは思いますけれど……市井の商品や商いにも精通していらっしゃいますし」
市中で新しい菓子や旬の果物が売り出されると、次のサロンではそれが必ず饗される。
「目を配るようにはしているけれど、それでも報せなんてどこから転がり込んでくるかは判らないものよ」
「なるほど……そういう隙のなさが、カインさまの耳の早さに繋がっていらっしゃるのですね」
感心するように肯くアベルに、カインは苦笑いを浮かべる。
「そう云えば話は変わりますが、最近新しい賭博が貴族の皆様の間で流行の兆しとか」
「……端金のことかしら。珍しいわね、聖女様が賭博の話題だなんて」
「ああいえ、私がどうという話ではなくてですね。ずっと私が治癒の祈祷を施していたお宅がありまして……この度、その治療を断念されるというお話になって」
アベルの話を要約するとこうだ。
その家――ロスブール子爵家は、そこまで貧しくもない、中の下くらいの一族であったが、嫡男がその新しい賭博とやらにのめり込んでしまい、家の資産を食い潰してしまったのだという。
家が取り潰されるのは免れたはしたものの、当主の治療の為に支払っていた教会への喜捨を捻出することが出来なくなったということであるようだ。
「そう。それはお気の毒なこと――賭博などというものは、権勢を示す為の道具であって、身代を賭して遊ぶようなものではないのだけれど」
貴族にとって、賭博場とは社交場。賭博で多少の財を捨てても何の問題もない――そう誇示する為の場所であって、本物の貴族であれば身を持ち崩すような真似はしないものだ。
「残念ながら、ロスブール家の嫡男殿には、貴族としての学びが足りなかったということのようね」
カインはくすくすと笑う。こういう時の彼女はアベルから見ても、ほんのりと自分の背に恐れが貼り付く感じがある。
「賭博で一番大切なことは、客ではなくて胴元になることよ。覚えておきなさい――もっとも、アベルはそんな機会もないとは思うけれど」
「そうですね。教会では賭博は戒められていますし……胴元というのは賭博を開催する側という意味ですよね。お客さんでは駄目なのですか?」
「駄目ね。何故と問われるなら、賭博というのは必ず胴元が有利に出来ているものなの」
「えっ、そうなのですか? では何故、不利と解っていて賭博の客になってしまうのでしょう」
「胴元が有利だなんて胴元自身は絶対口にしないもの。それに、お客にそう悟られないように頭も使っているからかしら」
端金というのは、近年この国で流行し始めた賭博で、絵札を使ったルーレットのようなものだ。
一から十三までの目に賭け金をベットして、胴元と客が交互にカードを引いていく。賭けた目のカードを客が引けば倍返し、胴元が引いたら賭け金は没収というシンプルなルールだ。
この賭博が難しいのは、当たっても返ってくる賭け金がたった一倍という「はした金」であるところだ。一度負ければ、負け分を回収するには賭け金そのものを倍々にしていくしかない。そして、倍にした賭け金も、胴元が当ててしまえばまた没収されてしまうのだ。
賭ける目の数は十三で、カードを互いに十三回引いていく。そして先攻は必ず胴元だ――つまり、一見平等に見えるが、客が負ける可能性の方がおおよそ八パーセント程高いということになる。
「この一回分の差は大したことではないように思えるけれど、繰り返し遊び続けることで弱い毒のように効き始めるわ」
「な、なるほど……一見するとどちらにも平等に勝てる見込みがあるように見えますが、実際はそうではないんですね。頭のいい人はどこにでもいるものです」
カインに掻い摘まんで賭博の裏を教えられると、アベルは感心するようにうんうんと肯いた。
それがあまりちゃんと理解していなさそうだったので、カインは少しおかしくなってしまう。
「で、子爵家は端金で身代を総て巻き上げられてしまったというわけなのね。胴元を務めるのも貴族なら、巻き上げられるのもまた貴族……よい教訓というべきでしょうね」
「はい。そこは自業自得かとは思うのですが、家そのものが傾くほどの賭博とはどういうものなのか、ちょっと興味があったものですから……ですが、実際は逆だったのですね。損をしても困らないほど裕福だと示す為だったなんて。確かに、お金がたくさんあっても、使う場所がないのでは意味がないですよね」
「ふふ、そうね。まずは領地の発展に使うのが大事なのだけれど、それで使い切れないなら、奥方を派手に着飾らせるとか、賭博で派手に散財してみせるとか――そうやって、権勢を見せ付けるのもまた貴族の腕の見せ所ではあるのでしょうけれど」
もっとも、そこまで儲けられる貴族もそう多くはない。それを知っているカインは、けれどわざわざアベルに教えるというような泥臭いことなどする筈もなく。
「それで結局、ロスブール子爵家はアベルの治療を受けることを断念したのね」
「現子爵に涙ながらの相談を受けたのですが、喜捨については金額を私の一存でどうこうは出来ないので……身代を潰しかけた嫡男様はともかく、子爵様ご自身はお優しいご老人なので、いささか心苦しさがあるのです」
「そう。アベルとしてはつらいところね」
恐らく本心としてはそう思ってはいないのだろうが、カインもアベルの心根には同意して見せる。
「そういえば、その子爵の息子がスッた……いえ、大負けした賭博場がどこなのか、アベルは聞いているかしら?」
「はい? ええと確か、子爵様が『いくら中将殿の賭場だからとて』と仰有っていたのは覚えているのですが」
「ああ、なるほど。それでわかったわ、ありがとう。お茶が冷めてしまったわね、淹れ直しましょうか」
「いえそんな……」
「いいのよ」
「えっと、申しわけありません、カイン様」
カインは優雅に立ち上がると、手ずからアベルの為にお茶を用意し始めた……。
「……そんな放蕩者の嫡男だったとは知らなかったわね。サンドラは知っていて?」
アベルを送り出した後、カインは自分の――子女としては珍しい――執務室に戻って来た。
「いえ、存じていれば、間違いなくお嬢様のお耳に入れるべき情報ですし」
「そうよね」
カインはしばし黙考する。ザンダール家が集めた情報では、ロスブールの嫡男フィルビアは、箸にも棒にも掛からないという評価ではあったものの、品行自体に問題のある人物ではないという評だったのだが。
「さて、悪友にでも嗾されたのかしら? それとも老獪な大人に欺されたか……」
「探りを入れた方がよろしいでしょうか」
「そこまでするほどの話でも……いいえ、気が変わったわ。探ってみなさい」
「承知致しました。出来るだけ急ぎます」
サンドラは頭を下げるのもそこそこに、大股で執務室を飛び出していく。
「中将――王国軍の、ファランドット中将が開いていた賭博場のことよね」
国軍は、国家騎士団とは別の命令系統に属している。兵士に平民上がりの者を多く含み、国境での駐屯以外にも、郊外の山狩りや、都市の警邏なども行う組織だ。騎士団とは異なり大部分が平民なので、上役である士官、将官は下級貴族と平民が混在している。貴族の常識はあまり通用しない組織で、国防には欠かせない存在である筈だが、その構成からか上級貴族達からは軽んじられる傾向にある。
ファランドット伯爵は豪放磊落にして、部下の平民達からの信任も厚い――集めた情報の限りではそう評されている。
「こういう下らない予感もたまに大化けするものだけれど……さて、今回はどうかしらね?」
カインは、この話に一体何を嗅ぎつけたものか。つまらなそうに机上の指がとんとんと音を鳴らしていた……。




