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第五話

「……女のつぶは(そろ)っているが、正直なところ、あまり気が()れないな」

 ここ数日ずっと気鬱(きうつ)そうな表情をしていると、気の置けない友人に(さそ)われて娼館(しょうかん)にやって来たのは、あの優男(やさおとこ)であるフォンテーヌ伯アルフレッドだ。

「いや……」

 気が霽れないのは店のせいではない。それはアルフリード自身が一番よく(わか)っていた。

 日ごと夜ごとに彼の元に(かよ)()めていた、ハルホード伯爵令嬢(はくしゃくれいじょう)デリダがここ数日ふっつりと姿を見せていないからだ。

()れば居たで(かしま)しいが、声を聞かなくなるのも(さみ)しいものだ」

 部屋の中は、(はだか)(むつ)み合っても寒くないよう暖炉(だんろ)の火が強めに(たか)かれ、甘ったるい(こう)(にお)いも充満(じゅうまん)している。


「あぁ……!」

 (りょう)(もと)めて廊下(ろうか)に出た伯の耳に、狂乱(きょうらん)したような女の嬌声(きょうせい)が飛び込んでくる。

「……なんだ?」

 ここは娼館だ。女の(あえ)ぎ声など(めずら)しくもないのだが、あまりにも(かん)(きわ)まった女の声に、伯も興味をそそられた。一体どんな風に(もてあそ)べば、女からこのような声を引き出すことが出来るのかと。

 しばらく歩くと、声の元にたどり着いた。扉が少しだけ(ひら)いており、そのせいで廊下に声が()れ出ているのだったが――。

「いや、それでも……先ほどの声は……」

 聞いたことのない(みだ)れようだった。そう思い直して、気づかれぬようにそっと扉の隙間(すきま)から部屋の中を(のぞ)き込む。

 すると――。


「ああぁあああっ……!!」

 ()ちた化粧(けしょう)も気にせず、汗だくで男に(また)がって(こし)()る――今までに見たこともない女の乱れように、アルフリードは一瞬(いっしゅん)目を(うたが)う。何故(なぜ)ならその女は。

「そんなに(はげ)しくされたらっ……こんなの、アルフリードにもしてもらったことありませんのにぃ……!」

 一瞬、それが彼女かどうかを疑ったが……自分の名を()ぶその声で、否応(いやおう)にも()きつけられる。

 目の(まえ)にいるのが、自分の情人(じょうじん)であるデリダその人だということを。

「おやこれは……フォンテーヌ伯は貴女(あなた)大事(だいじ)な方ではありませんか。それでも(おれ)(ほう)がいいと仰有(おっしゃ)るので?」

 相手(あいて)の優男は口角(こうかく)(ゆが)め、目に獲物(えもの)()とそうとする(あや)しい(かがや)きを(たた)えたままに、デリダの耳元でそうささやく。

貴方(あなた)よっ……! 貴方のほうが()いわっ……! アルフリードよりもっ、エリーヤさまぁっ、あなたがっ、あなたがいいのおっ……!!」

 (とびら)一枚を(はさ)んで、他人の(やり)(つらぬ)かれながら情人が自分を裏切(うらぎ)るその睦言(むつごと)を聞かされて、フォンテーヌ伯は目を見開(みひら)いた。

 それは(いか)りか、落胆(らくたん)か、(かな)しみか、憤怒(ふんぬ)なのか……どれにも見え、そしてどれども取れないごちゃ()ぜに(にご)りきった、どす(ぐろ)いドロドロとした顔色(かおいろ)()わっていた。


                 †


「ふ、ふふっ……まあ、なんとも素晴(すば)らしい見世物(みせもの)ね。さすが師匠(ししょう)仕上(しあ)げも完璧(かんぺき)でしたわね」

「ありがとうございます。お嬢様(じょうさま)機嫌(きげん)(そこ)ねずに(こと)をやり(おお)せたようで、まずは安堵(あんど)しております」

 失意(しつい)のフォンテーヌ伯アルフリードを見送(みおく)ってから、カインはエリーヤの報告(ほうこく)を聞いた。


「それで、デリダ嬢についてはいかがいたしましょうか。伯爵家(はくしゃくけ)のご令嬢(れいじょう)だとお(うかが)いしておりますが」

「そうね。どうすれば一番(もう)けになるかしら……」

(ほね)()きにして(みつ)がせることも、出来(でき)るといえば出来ますが……先日の一件を考えますと、お嬢様としては国内に()め置くお心づもりはないのではございませんか?」

「あら、彼女(かのじょ)の心がフォンテーヌ伯から(はなれた)れた以上(いじょう)、これ以上アベルが嫌がらせを受けることもないのではなくて? ふふっ、私もそこまで(おに)ではないもの」

 カインは小さく肩を()らしながら、ティーカップを口に運ぶ。

「けれど、実行犯のマイヤー子爵家(ししゃくけ)がお父様から(しぼ)り取られている今、(たす)けを(もと)めないとも(かぎ)らないものね……心配(しんぱい)()()んでおくべきかしら」

「それでは……」

「どこか他国の娼館にでも、高い値で引き取ってもらいましょうか。あれで彼女も伯爵家の三女ですもの、それなりの値が付くのではなくて。どうかしら?」

「そうですね。先日の一件で(そん)をした(ぶん)を取り返せるくらいの儲けは出せるかと(ぞん)じます――(みが)けば、もう少しは光る玉かと」

「そう。ではそれでお(ねが)いしますね、師匠」

「はい。お嬢様のご指示(しじ)(とお)りにいたします」

 エリーヤは顔を上げず、ずっと平伏(へいふく)したままだ。


「どうかしら、師匠……久しぶりにその快楽(かいらく)(わざ)、私にも(ふる)ってみる気にはならないかしら」

 からかうようなカインの言葉に、エリーヤは無言(むごん)で一歩(うし)ろに()がった。

「おからかいを……お嬢様の(みつ)(ごと)きお身体(からだ)には万金ばんきん値打(ねう)ちがございますが、公爵様より次はないとの厳命(げんめい)をいただいております。どうか()げてご寛恕(かんじょ)いただければと」


 そう、(おさな)いカインが快楽()けになっている現場(げんば)から救出(きゅうしゅつ)された(おり)に、エリーヤはザンダール公爵から、カインに二度と手を出してはならないことと、(かせ)(がしら)である彼が他の娼館に(うつ)ることを(きん)じられているのだ。

「ふふっ、残念(ざんねん)ね。もっとも命が(あや)ういとなれば、その自慢(じまん)の槍も(やく)には立たないものかもしれないわね」

 心底(しんそこ)残念そうにつぶやくカインの声に、下を向いたままのエリーヤの(ほお)から、()(あせ)幾筋(いくすじ)(なが)れ落ちる。

「では、(あと)のことは師匠の差配(さはい)(まか)せるわ。精々(せいぜい)高値(たかね)になるように仕込んであげて頂戴(ちょうだい)――(わたくし)の時のようにね」

「はっ……御心(みこころ)のままに」


 最後にぎゅっとカインの口角(こうかく)が上がり、そのまま部屋(へや)を出て行く。

「……はぁぁぁ」

 足音が遠離(とおざか)ったのを(たし)かめてから、エリーヤは(ふか)く深く、(いき)()き出していた。

 ――床には、流れた汗の(あと)数滴(すうてき)分残っている。

「どうやら、(いのち)(つな)げたみたいだな」

 ゆらりと立ち上がり、ワゴンに(そな)えられた(ちゃ)をカップへ乱暴(らんぼう)(そそ)ぐと、一息(ひといき)()()した。

「……お嬢様は、(おれ)()いた中じゃ最高の女だが、同時に一番(おそ)ろしい女ですよ」


 カインを籠絡(ろうらく)する現場に、公爵と私兵(しへい)()み込んで来た時、エリーヤは即座(そくざ)()(ころ)されるところだったのだ。それをこともあろうに、快楽で息も()()えになっていたカイン自身が押し(とど)めた。

 だが、それはエリーヤに(ほだ)された結果とか、そういうものではなかった。


『……この男は役に立ちますわ。()い殺しにして、絶対(ぜったい)に殺してはなりません、お父様(とうさま)


 汗と体液(たいえき)にまみれた少女が(また)(ひら)いたまま、気怠(けだる)そうだがしかし毅然(きぜん)と、そして優雅(ゆうが)にそう声を(はっ)した。

 エリーヤが命を救われ、そしてまた彼が女を相手にして完膚(かんぷ)なきまでに(やぶ)れた、それは(はじ)めての瞬間(しゅんかん)だった。

 その時彼は、カインのことをすっかり心まで()としきったとそう信じていた自分の確信(かくしん)が、(もろ)くも(くず)()った音を聞いていたのだ。


「もうすぐ死ぬとでもわかった時には、もう一回くらいはお相手をお願いしたいモンですね。お嬢様」

 少しだけ(むかし)を思い出して、そんなことをつぶやくと、エリーヤも部屋を(あと)にした。


                 †


「どうかしら、このところの社交界(しゃこうかい)(ほう)は?」

「あ、はい。カイン様のお(かげ)で嫌がらせもなくなりましたし、お陰様(かげさま)心安(こころやす)らぐ日々が(かえ)って(まい)りました」

「ふふっ、そう。それは良かったわね」

 くすくすと、楽しそうにカインは笑う。

 一歩間違(まちが)えば、貞操(ていそう)(うば)われて聖女(せいじょ)の力を(うしな)い、そのまま何処(どこ)ぞに売り(はら)われてもおかしくはなかった。

 そんな修羅場(しゅらば)をくぐり()けてきた(わり)に、アベルの言葉はなんとも呑気(のんき)なもので、そこがカインを(きょう)がらせるのだけれど。

「そう()えば、枢機卿(すうきけい)にはどう話したのかしら」

「いえ、まあそこは……マルコと口裏(くちうら)を合わせまして……」

「なるほどそうね。何かを話して、(さわ)ぎにならないということはないでしょうし……」

 そんなカインの言葉にアベルも薄笑(うすわら)いを()えて、小さく肩を(すく)める。

「やや(うし)ろめたい気持ちもあるのですが、ただゝゞお義父(とう)様にご心労(しんろう)をお()けするだけで、他に何もいいことがないようなので」

 実際(じっさい)首謀者(しゅぼうしゃ)達にいかなる処罰(しょばつ)()りかかったのか、アベルには知る(よし)もないのだが、カインが()()ってくれた(あと)、嫌がらせもピタリと()んだので、アベルがそれ以上何を気に掛けることもなかった。

「以前カイン様に、出来るだけ(だれ)(たい)しても好意的(こういてき)()()うようにとご助言(じょげん)(いただ)いたのに、早速(さっそく)このような面倒(めんどう)ごとを引き()こしてしまい、お()ずかしい(かぎ)りです……」

「ふふっ、そんな(かお)をしなくてもいいのよ。助言さえ守っていれば(かなら)上手(ういま)く行くという、そんな単純(たんじゅん)(ちまた)ではないということ。そうでしょう?」

 何しろ今回の主因(しゅいん)は「(なび)かなかった男の逆恨(さかうら)み」などという、貴族(きぞく)の女――それも純潔(じゅんけつ)(むね)とする聖女(せいじょ)にとっては手の()ちようのない出来事(できごと)(たん)を発している。実際、アベルにはどうすることも出来なかったことだろう。

「ですがカイン様に()らぬお世話(せわ)()かせてしまったことも事実ですし、何か(わたし)に出来ることでお()びを出来ればと思うのですが……」

「お詫び? 聖女様に()しを(つく)れたならそれは(おお)いに活用(かつよう)したいところだけれど、今は(とく)に――あっ」

 にこやかだったカインの表情(ひょうじょう)が、そこで(かす)かに(ゆが)む。

「……そうね。ひとつだけあったかしら」

「そ、それは……?」

 アベルの前で、カインが顔を歪ませることなど滅多(めった)にない(こと)だ。

 だからつい、思わずアベルの方も身構(みがま)えてしまったのだが……。

「大丈夫よ。(わたくし)があまり得意(とくい)としていないだけで、アベルが(こま)るようなことではないから」

 先ほどのアベルに(なら)ったものか、カインも(うっす)らとした苦笑(にがわら)いを()えて肩を竦めると、(やさ)しい表情でアベルを見詰(みつ)めてこう云った。


王宮(おうきゅう)にご一緒(いっしょ)して頂けないかしら――王妃(おうひ)様のサロンに、ね」


「お、王妃様……ですか」

 すると、普段(ふだん)あまり物怖(ものお)じすることのないアベルがほんの少しだけ顔を引き()らせた。

「あら、アベルにもそんな顔をする相手がいるのね」

 (よわい)いところを見つけたとでも思ったのか、カインの(おもて)がぱあっと楽しそうに(はな)やいだ。

「いえ……王妃様とはお話ししたことはないのですが、ただ……」

「ただ……?」

「どうも私、王妃様にあまりよく思われてはいないみたいなので……」

「まあ……それはどうしてかと、聞いても(かま)わないかしら」

(わたし)としては何も問題は……ああえっと、ですが……」

 云いかけてアベルはちょっと(かんが)え込んだ。

「……カイン様は、神様の国王へのご託宣(たくせん)の話、どの程度(ていど)存知(ぞんじ)ですか」

「ああ、貴女が月に一度王宮に伺候(しこう)しているアレのこと……?」

 聞かれて、今度はカインが考え込む。

「確か、王と宰相(さいしょう)しかその場にいるのが(ゆる)されないのでしょう? 王妃様も居合(いあ)わせることが出来ないとか」

「そ、そこまでご存知なのですね。さすがカイン様です……」

 本来であれば、王族(おうぞく)とその周辺(しゅうへん)しか知らない極秘(ごくひ)の話も、三大公爵家の令嬢ともなれば――いや、カインならばそのレベルの情報(じょうほう)でも()られるものであるらしい。アベルはその情報力(じょうほうりょく)に舌を()いた。

 ちなみに、アベルの口を借りて(おろ)された神の言葉の内容は、さすがのカインも知るところではない。

 謁見(えっけん)()警備(けいび)する騎士(きし)達も、神の託宣(たくせん)最中(さいちゅう)は部屋の入り口から(とお)ざけられ、部屋の中の会話を聞き取れる者は誰もいないからだ。

「実はですね、その……どうも王妃様には、その件で私、ご不興(ふきょう)を買っているようなのです」

「……それは初耳(はつみみ)ね」

 今度はちょっと意外(いがい)そうな顔をする。実際に王妃と接見する立場のカインでも、そういう話は聞いたことがなかったようだ。

「いつも、その……託宣の直前に謁見の間を出て()かれる(さい)に、胡散(うさん)(くさ)い者を見るような()一瞥(いちべつ)なさるので。私の気のせいであればいいのですが」

「そう……アベルの観察眼(かんさつがん)がそれなりに(するど)いことは、今まで聞いた話からも解るもの。恐らく気のせいではないのでしょうけれど……」

 少しだけ考えごとをするように目を()らすと、カインは――。


「それは、直接王妃様にお(うかが)いするのがいいのではないかしら」


 ――すぐに、悪戯(いたずら)っぽく微笑んで見せた。

「お、王妃様に……ですか!?」

 さすがに、いつものんびりとしたアベルもこれには鼻白(はなじろ)む。

(本当に、カイン様は……なんて豪胆(ごうたん)な方なのでしょうか)

 波乱(はらん)予感(よかん)、けれど新しいカインの顔を知ることが出来るのではないか。

 そう思うと、アベルの(むね)高鳴(たかな)(はじ)めていた……。


                 †(人称(にんしょう)が変わります)


「き、緊張(きんちょう)してきました……!」

 ――そんな話を(うけたまわ)ってから数日の(のち)

 (わたし)は、カイン様に()れられて王宮にお伺いしました。

「ふふっ、そんなに(かた)くならなくとも平気でしょう……少なくとも、首が飛んだりはしないわ。私とは立場が違うのだから」

「そ、それは……」

 それはつまり、私が粗相(そそう)をするとカイン様の首が飛ぶということなのではっ!?

「ふふっ、大丈夫です。さあ、参りましょう」

「は、はい……」

 私の懸念(けねん)何処(どこ)()く風という感じで、カイン様は(みちび)くように、悠然(ゆうぜん)と私の前を歩いていく。

(いつか、カイン様のお友達として、胸を()って(となり)を歩けるようになったりするものでしょうか……?)

 そんなことをふと考えたけれど、今はただ遅れないようについて行くことしか出来ない私だった……。


「お二人がお()きになったと、王妃様にお伝えして(まい)ります。お待ち下さい」

「ええ」

 私たちを(ひか)えの間に通すと、侍従(じじゅう)さんが頭を下げて部屋を出ていく。

「な、何と云いますか、緊張してきましたね……」

「あら、物怖じをしないアベルにしては(めずら)しいのではなくて」

「そ、そうでしょうか!?」

 私、一体カイン様にどんな人間(にんげん)だと思われているのでしょうか……ちょっと心配(しんぱい)になってしまうのですが。

(すわ)って待ちましょう。しばらくかかるから」

「は、はい……」


 貴族(きぞく)のご婦人(ふじん)(たず)ねる場合――まあ相手との身分(みぶん)()にもよるところがあるだろうけれど、相手の身分が高ければ高いほどこちらが待たされる時間は長くなります。

 カイン様相手にそんな経験(けいけん)はないのですが、一度他の公爵家のご婦人を訪問した時は随分(ずいぶん)と待たされたことがありました。


「今そんなにお茶を飲むと、本番で入らなくなるのではなくて?」

「あっ、はいっ……! そうですねっ!?」

 カイン様にくすくすと笑われて、私は自分がお茶を飲んでいることに気が付いた。

 ――というか、自分がそれくらい緊張しているんだということに、ようやく気が付いた。

「……どうやら、本当に緊張しているようね。ごめんなさい、気が()かなかったわね」

「い、いえっ……! その、緊張してるって、自分でもいま気が付いたのでっ……!」

「ふふっ、そう」

 ちょっとドキっとしてしまうような、優しい微笑(ほほえ)みを投げかけられて(おどろ)く。

(あわわわ……カイン様こそが、実は聖女様なのではっ……!?)

 取り乱す私をよそに、カイン様は立ち上がって目の前までいらっしゃると、そーっと、私の頭をなでられた!

「安心して。何があっても、貴女のことはわたくしが(まも)りますからね」

「カイン様……」

「と、云うか……まあ、そんなことにはならないわ」

 小さく肩をすくめると、カイン様はちょっと相好(そうごう)(くず)された。

「確かに私と王妃様は(なか)がいいとは云えないけれど、仲が悪いわけでもないの。であれば、こんな風にそもそもサロンに呼ばれることもないでしょう?」

「そ、そうですね……」

 ですが、仲は良くないのですよね……?

「悪くはないけど、良くもない……というのは?」

「私は、王妃様に人物(じんぶつ)として興味(きょうみ)を持たれているわ。けれど評判(ひょうばん)の悪い我が公爵家と蜜月(みつげつ)だと思われるわけにもいかないの――王妃様のお立場としてはね。解るかしら」

「ええと……ああ、なるほど。そうなりますね、失礼ながら……」

「いいのよ。事実だから」

 今度は先ほどとは打って変わって、すうっと悪そうな笑みを浮かべられる。一体カイン様というのはどれだけの心の(うつわ)をお持ちになっていらっしゃるのか……。

 残念ながら、ザンダール公爵家の悪評(あくひょう)虚像(きょぞう)でもなんでもない。それは先日の私の誘拐騒(ゆうかいさわ)ぎでカイン様が娼館で(ふる)われたお(ちから)からも証明(しょうめい)されているし、私自身、カイン様にお()いしようとするだけで、色々な人から(たしな)められたり忠告(ちゅうこく)を頂いたりしてしまうわけで。


「お待たせいたしました。間もなく王妃様がおいでになられますので、先にお部屋にお入りになり、お出迎(でむか)えのご用意(ようい)をお願いいたします」

 そこへ王室付きの侍女さんがやって来て、案内(あんない)をしてくれる。

「わかりました。では行きましょうか、アベル」

「はい」

 カイン様に(うなが)されて、私も(せき)を立った。


「わ、わぁ……」

 侍女さんに案内されて王妃様のサロンに入る――なんだろう、豪華(ごうか)すぎて眼が(つぶ)れてしまいそうだ。

「すごいです……キラキラしていますね」

 家具(かぐ)にしても、壁面(へきめん)にしても一目で(ぜい)(つく)くしたものだと(わか)る。口幅(くちはば)ったいことを云わせて(もら)えるなら、それはやや悪趣味(あくしゅみ)(いき)に足を()み入れているくらいには。

「王妃様の趣味というわけでもないのよ。国賓(こくひん)のもてなしにも使われるから、国の威信(いしん)にも(かか)わるわ。()められるわけにはいかない、というところかしら」

「な、なるほどです……」

 王妃様というと国で一番の権威(けんい)ある女性という印象ですが、そういう話を聞くと、私のように役目に(しば)られているところもあるのか……という気持ちになる。

「そろそろね。出迎えるわ」

 侍女さんが控える(とびら)の方を向いて背筋(せすじ)()ばす。少しして、ゆっくりと重い扉が(ひら)く。

「王妃陛下(へいか)のおなりにございます」

 スカートの(すそ)を軽く()さえ、片膝(かたひざ)を軽く曲げながらもう片足を引く――王家の(かた)へ対する貴族としての挨拶(あいさつ)だ。

 何度も練習(れんしゅう)したけれど、正直あまり上手く出来ている自信はない。

「陛下」

「……息災(そくさい)でしたか、ザンダール公爵令嬢」

「お陰様をもちまして」

 王妃様――マルレーネ・システィア・マクシーム様。

 確か御年(おんとし)三十を少し過ぎたくらいと伺っていましたが、そうは見えない美しさです。豪奢(ごうしゃ)着飾(きかざ)ってはいるけれど、これが嫌みに見えないのはご本人の容姿(ようし)があってこそなのでしょう。きっと、私のように(きよ)らかさだけで()っている(ざつ)な聖女あたりでは、服や(かざ)りに着られてしまうに(ちが)いない。

「それで、貴女が――」

「あっ、はい……」

 いけない、返事(へんじ)ではなくて名乗(なの)りをしないといけなかったのに……!

「……こちらが当代(とうだい)の聖女、アベル・ミラ・エルネスハイム枢機卿(すうきけい)令嬢にございます」

 カイン様が代わりに名乗ってくださった。うぅ、(もう)しわけありません……!

「あ、アベル・ミラ・エルネスハイムにございます。この(たび)はこのような場へのお(まね)き、こ、幸甚(こうじん)()えません……」

 しばらくの無言の空間(くうかん)()や汗が流れる。王妃様の視線(しせん)が私に降りてきているのは判るけど、お、(おそ)れ多くて目が合わせられません……!


「……カインが目をかけていると(うわさ)になっているから、一体どのような女狐(めぎつね)かと思ったけれど……思ったよりも普通(ふつう)ね?」

「めぎっ……!?」

 思わず顔を上げてしまい、その王妃様のお顔と云ったら……!

 私、一生(いっしょう)忘れない自信があります。あれは(あき)らかにガックリなさっているお顔……!


「まったく、なぜそれ程までアベルにご興味をお持ちなのかと思っていましたが……」

 混乱している私の(よこ)で、カイン様は王妃様に向かって大きな()め息を落とされて……ええっ、い、いいんですかカイン様っ! そんなご不敬(ふけい)(およ)ばれるなんて……!?

 (はと)豆鉄砲(まめでっぽう)()らったような顔を私がしていると、王妃様は悠然と手を一振(ひとふ)り。私とは違う見事(みごと)なカーテシーを見せて、お付きの侍女さん達が音も立てずに部屋の外に出て行く。


「初めましてかな……いえ、城では何度か逢っているか。(わらわ)はマルレーネ・システィア・マクシーム。このマクシームの王妃だ。この場では妾のことをマルレーネと呼ぶことを(ゆる)す」

 ええっ、王妃様をお名前で呼ぶなどと、それはさすがに不敬なのでは……!?

「あくまでもこの場でのことよ。それ以外では、きちんと『王妃陛下』と呼ぶようにね、アベル」

「は、はい……それは勿論(もちろん)。と云いますか、むしろ今もそうお呼びした方がいいのでは……」

「これは妾が(みずか)らの(ため)に用意した『息抜(いきぬ)き』の場だ。その証拠(しょうこ)に、侍女も護衛(ごえい)も、この場で()きたことを記録(きろく)できる者は誰もおらぬ」

 あっ、なるほど……それで侍女さん達も(みな)さん外に出られてしまったんですね……。

左様(さよう)にございますか……その、それでは僭越(せんえつ)ながら、マルレーネ様と呼ばせて頂きます」

「それでよい」

 高位(こうい)の人にあまり何度も質問を投げかけるのも不敬に当たるだろうし、ここは云われたとおりにしておきましょう。

「ではカイン、お茶を頼めるかしら」

「承りましょう」

 えっ、ここでもカイン様がお茶を()れられるのですか!?

「ああアベル、貴女は手伝わなくていいの。マルレーネ様に対する毒殺(どくさつ)(うたが)われたくなければ、大人しく座っていらっしゃい」

「ど、毒っ……!」

 そうか、私の時と同じなんだ……そもそも、どうしてカイン様がお茶を淹れられるのかが不思議だったけれど。元々は王妃様の為だったのですね。

「さてアベル、まずは()びよう。妾は勝手(かって)憶測(おくそく)でそなたに勝手に落胆(らくたん)してしまった。(まった)くそなたのせいではないというのにな」

「いえ、私もカイン様ほどの才ある方に何故友誼(ゆうぎ)頂戴(ちょうだい)しているのか、自分でも理解(りかい)出来ていないくらいですので、そこはお気になさらず……」

「ほう」

 私がそう答えると、王妃様は不思議と納得(なっとく)したというような、(くだ)けた表情をされた。

「いかがですか。『()い』でしょう、この子」

 云いながら、カイン様は王妃様にお茶を(きょう)する。えっ、良いって何がですか……?

「そうだな。しかし妾やそなたに()()づかぬというのは、生粋(きっすい)の貴族ではないからとも云えるだろうからな……」

 以前(いぜん)カイン様に云われた、『事前の智慧(ちえ)を持たないが(ゆえ)』という話と同じ意味だろう。それでも、私に王妃陛下は十分に(おそろ)ろしいと思える(かた)だけれど……。

「王妃様のご実家(じっか)であるシスティア公爵家ならまだしも、この子は泣く子すら(ふる)え上がるであろう()がザンダール公爵家に、のこのこと(あそ)びに来てしまうような鉄面皮(てつめんぴ)なのです」

「ふむ……云われてみればそうだな」

 てつめんぴ……あの、カイン様いまのこのこって……それ、絶対(ぜったい)()めていらっしゃらないですよね!? 王妃様も何やら納得(なっとく)されていらっしゃる!?


「しかしカイン、そなたも(みずか)らの家名(かめい)に対して自虐(じぎゃく)()ぎるのではないか?」

「自虐ですか? いいえ、これは客観的(きゃっかんてき)な事実ですので、自認(じにん)というべきでしょうか」

 云いながら、カイン様は扇子(せんす)で口元を(かく)すとクスクスと笑った。

「そうだな、もっと胸を張るべきだ。何処に出しても恥ずかしくない、三大公爵家の一角(いっかく)()める家なのだから」

 丁々発止(ちょうちょうはっし)とでもいうような()り取りが(つづ)く。私程度では、その会話の(うら)の意味までは理解出来そうにない。そうか、王妃様も元々は公爵家のご令嬢だったんですよね……。

「ですが、ただ爵位(しゃくい)が同じだったというだけでは、マルレーネ様ほどの女丈夫(じょじょうふ)(わたくし)同列(どうれつ)には(なら)べられないでしょうか」

「じょじょうふ……とは、女だてらに(うで)(ぷし)が立つということですか?」

「そうよ。この方は王太子妃の時分(じぶん)外遊(がいゆう)中に(ぞく)襲撃(しゅうげき)を受けた(おり)(けん)を抜いて当時王太子だった陛下を身を(てい)してお護りになられた実績(じっせき)があるのよ。対外的(たいがいてき)には()されているけれど」

「ええっ、すごいです……!」

「それは順序(じゅんじょ)(ぎゃく)だな。女だてらに剣術(けんじゅつ)にうつつを抜かす妾を王太子妃として迎えた陛下が、そもそも酔狂(すいきょう)なのだ。もっとも、陛下に(つま)を選ぶ自由があったかどうかは(さだ)かではないが」

「そうでしょうか。私には衆目(しゅうもく)(はばか)らない鴛鴦(おしどり)夫婦(ふうふ)のように思えますが……主に陛下からの(あい)され(かた)が」

「そうか? そうであるならば、妾はまだ陛下に愛想(あいそう)()かされてはいないということだな」

 そう(こた)えながら、一瞬(いっしゅん)だけ少女っぽい表情をされる王妃陛下。不敬不遜(ふけいふそん)ながら、ちょっと可愛(かわい)らしいなどと思ってしまう。


「そういえば、アベルはマルレーネ様を怖がっていたわね。この機会(きかい)に聞いてみるのがいいのではないかしら」

「おや……」

「ぴぇっ……!?」

 えっ、ええええええっ、どどど、どうしてこんな拍子(ひょうし)でそんなことを云われるのですかカインさまぁぁぁぁっ……!?

「くっ……」

 わ、笑ってる……扇子の陰で笑いを(こら)えていますねカイン様っ……!

「いえ、その……いつも神降(かみお)ろしの儀で国王陛下に拝謁(はいえつ)させていただく折、王妃……じゃないですね、マ、マルレーネ様のご機嫌きげんがよろしくないようにお見受(みう)けしておりましたので、(わたし)は知らないところでご不興を買っているのではないかと、そう思いまして……」

 一生懸命(いっしょうけんめい)失礼(しつれい)にならないような云い回しをこねくり回してみたものの……やっぱり失礼な云い(よう)は変わらなかった気がする。

「ふむ。確かに妾はあまりいい顔はしていなかったであろうな」

 や、やっぱり……うぅ。そうですよね……。

宰相(さいしょう)もいるとはいえ、(わか)い女と記録も残されぬ場所で三人きりで、しかも(すこぶ)る付きの美女と来ている。歴代連綿(れきだいれんめん)と続く神事(しんじ)とは云っても、中で何をしているのかわかったものではないからな」

 そう云って、マルレーネ様はくすりと笑われる。

「な、なるほど……そのように仰有(おっしゃ)られますと、私も身の(あか)しを立てようがございませんね……」

「おや、そういうものなのか」

「は、はい。神様が身に()りて来ている(あいだ)、私は何も(おぼ)えていないものですから……私自身としましては、国王陛下と神様がお話しになった事柄(ことがら)など、覚えていない方がありがたいなどと考えておりましたが……」

「…………」

「…………」

「……えっと、あの……?」

 マルレーネ様とカイン様は、(たが)いに見つめ合うと怪訝(けげん)そうな顔をしている。

「やはりそうなのか。嘘をついているようには見えないしな……」

 一言つぶやいてから小さく嘆息(たんそく)されると、マルレーネ様は、

「神がお(くだ)しになった言葉を、聖女様は教会に持ち帰っているのではないかという(うたが)いをかけていたのだが」

 そう云ってちょっと悪戯っぽい笑みを浮かべられた。

「ああ、そうですね。もし私が神様のお言葉を覚えていれば、きっとそうなりますよね……一番神様のことばを(たまわ)りたいのは、きっと教会の方々でしょうし」

 そういえば、それについては義父(ちち)にも夕食の話題(わだい)で聞かれたことがある。何となれば教会で神様をお()ろししましょうか? と提案(ていあん)したけれど、それは教会法(きょうかいほう)によって禁じられているのだと、そう云っていた。

「ええと確か、教会で一番の権威(けんい)教皇(きょうこう)様だけれど、神様の招請(しょうせい)については王家の方以外が(おこな)ってはいけない――そう伺っております」

「そうだ。どちらが専横(せんおう)することのないよう、王家と教会で権能(けんのう)()けているのだ」

「なるほど……?」

 私にはよく分からないけれど、色々(いろいろ)あるのだろう。

 王の血筋(ちすじ)が神によって(みと)められ()てられた国――その国教(こっきょう)とされている以上、王家と教会は切っても切れない間柄(あいだがら)ではあるのだろうけれど、それでも蜜月とまでは云い(がた)い。お義父様もそう仰有っていた。

「……そこで、だ。ひとつ聖女様にお願いがあるのだが、聞いて貰えるだろうか」

「はい……?」

 そんな話をしていると、優雅な微笑みを浮かべて王妃様が突然(とつぜん)そう云った。

「な、なんでしょう? 私にお(こた)え出来ることならいいのですが……」

「ああ。ここで神の招請を(こころ)みて()しいのだ」

「は……」

 はぇえぇえぇぇぇぇ……っ!?

「ふふっ、さすがのアベルでもそういう顔になるわよね」

 私は(さけ)び出すのを(おさ)えるだけで必死(ひっし)だったのに、カイン様には(おどろ)様子(ようす)が全くない。つまりそれは……。

「な、なるほど……本日私をここにお招き頂いた理由はそれなのですね」

()(てい)に云えばそうだな。まあ、カインが可愛がっている相手がどんな者かというのも気になっていたからな。一本の矢で二匹の鳥を()とす好機こうきだと思っていた」


 さて、ですがここに神さまを招請してしまってもいいのかどうか……。


「いえ、それは私が(なや)むことではありませんね。承知(しょうち)致しました」

 私がそうお(こた)えすると、何故かお二人は逆にキョトンという顔をなされました。

「あの、どうかなさいましたか……?」

「ああ、いや……もっと悩むかと思っていたからな」

 と、王妃様。

 ああ、なるほど。それは確かにそうかも知れませんね。

「そもそも、人の身で神様を招請する力など身に(あま)るものですし、私はただ神様の道具であり、仮初(かりそ)めの器。自身の意志(いし)は関係ないものだと思っております。(すべ)ては神様の御心のままですので」

「……確かにそうね。治癒(ちゆ)の力や聖なる(じゅつ)といったものはアベルの裁量(さいりょう)(まか)されているけれど、神の招請は、そもそも神が(おう)じるか(いな)かで()まっている、ということなのね」

「はい。もし神様が私に総ての裁量をということであれば、私の(たましい)はこの器には残っていないでしょうから……」

 聖女となった時、私は神様によっていくらか姿(すがた)や性格に変化が(あた)えられた――その話を覚えて下さっているのだろう、カイン様はただ(だま)って小さく(うなず)かれた。

「では早速ですが、神様をお()びしてみようと思いますが……ご準備(じゅんび)はよろしいでしょうか」

 私は、(いの)りを(ささ)げると、ゆっくりと神様に心の中で呼びかけを行った――。


                 †


「……思ってもみないことになったな」


 神様への祈りを()すと気が遠くなり、わずかに微睡(まどろ)んだ(あと)、かすかに誰かが話す声が聞こえてくる。

「そうですわね。努々(ゆめゆめ)、先のことをよく考えておかなければならないようですが――ああ、アベル。目が覚めたのね……大丈夫?」

 そこで、目を覚ました私に気が付いてくださったのか、カイン様に気遣(きづか)われる。

「あ、はいぃ……ひゃわっ!?」

 ぼんやりと首の後ろに(やわ)らかな感触があったけど、それがカイン様のお(ひざ)だということに気が付いて、私は大慌(おおあわ)てで()き上がった!

「そのように慌てて起き上がるものではないわ、アベル。眩暈(めまい)を起こすわよ」

「だっ……大丈夫っ、だいじょうぶですのでっ……!」

 確かにちょっとクラクラするけれど、私としてはカイン様に膝枕(ひざまくら)などをさせていた方がよほど大問題なんですが!

 と、そこまで慌ててから、私も、とてつもなく重大(じゅうだい)な事実に気付かされざるを得なかった。


「……もしや、神様は呼びかけに応えて下さったのですか」

 まさか、神様が招請に応えられるとは思っていなかったので、正直驚きを隠せない。

「妾達も本当に驚いた。丁度、神も我らに(つた)えたいことがあったようで、運が良かったようだな」

「お二人に……神様から、伝えたいことが……」

 考えてみれば、神様の言葉を受け取ることが出来るのは国王陛下と宰相様のお二人だけだ。もしかしたら、それだけでは不都合(ふつごう)不十分(ふじゅうぶん)があるということも……?

「ほんの出来心からの思いつきだったけれど、これは少々風向(かざむ)きが変わってきてしまったかな」

「そうですわね。下手(へた)を打つと、いい意味でも悪い意味でも、我々の関係を一新(いっしん)しかねない程には」

 女傑(じょけつ)であるお二人が、真剣(しんけん)な表情でそんなことを云われるのは、もしかしてとんでもない一大事(いちだいじ)なのでは……。

「えっ……あの、そんな大変なことに……?」

「……アベルは気に()まなくてもいいのよ。いいえ、むしろここはアベルにお(れい)を云うべきでしょうね」

「そうだな。突然(とつぜん)()りかかる(わざわ)いには(そな)えようもないが、(きざ)しがあるのであれば、まだやりようはある」

「…………」

 これは明らかに、神様からのご託宣が、何かとんでもない厄介(やっかい)ごとだということだと直感で理解する。

「あの、率爾(そつじ)ながら、何か教会に(つた)えることなどはありますでしょうか……?」

「いや、今のところ必要(ひつよう)はなさそうだ。将来的(しょうらいてき)には何か(たの)むことになるやも知れぬが、その時はアベルを通して依頼(いらい)しよう。ふふっ、そういう気遣(きづか)いも出来るのだな」

 王妃様は、そう答えるとからかうように私をお笑いになった。

「こう見えて、アベルは割と(さと)いのですよ、マルレーネ様」

「カ、カイン様……」

 もう、カイン様まで……。

「それとアベル、それとカインにもな。もうひとつ(もう)(わた)しておく」

「あっ、はい……!」

 そう云って、王妃様はすうっと息を吸うと、姿勢(しせい)(ただ)された。

「我、マルレーネ・システィア・マクシームはここに(せん)する。ここに(おこな)われた神への招請は妾の名の下に行われた行為であり、その(せき)は妾がその総てを()うものとする」

「……ご勅旨(ちょくし)、我ら両名(りょうめい)ここにしかと賜りましてございます」

「たっ、賜りましてございます……!」

 カイン様が膝を()いたので、私も慌ててそれに倣う。

 今の宣言は、王家に()(つら)ねた者だけが行える『勅言(ちょくげん)』という神聖な術だ。宣言した場所に信頼できる人間が誰もいなかったとしても、その発言を神の力によって正確に記憶させることが出来るという。

 私も、宰相様に説明を頂いただけで、それがどういった原理(げんり)のものかは知らないのですが……。

「神の招請は我が国において神聖なるものだ。それは王家の血族、あるいはその伴侶(はんりょ)によってのみ行われねばならない……これは、先の招請が聖女アベルの独断(どくだん)によるものではないということを(あか)すものだ。まさか妾も、神が応じて(くだ)さるとは思っていなかったのでな」

「そ、そうですね。私も思っておりませんでした……」

 思ったよりも大事(おおごと)になってしまったけれど、これも私としては忘れてしまった方が良さそうだ。

「少しカインと二人で相談(そうだん)をしたいところではあるが……カインとしては、アベルを(ひと)りで帰すのはイヤであろうな」

「……そうですね。今日のところはマルレーネ様と私、二人の()(まま)に付き合わせてしまった(かたち)ですし」

「えっ、いえ……何か大変なお()げがあったようですし、私のことでしたらお気になさらず……!」

 慌てる私を優雅に手で(せい)すると、カイン様は余裕(よゆう)のある笑みを浮かべる。

「いいのよ。(わたくし)が貴女と一緒に退席(たいせき)したいの」

「カイン様……」

「ではこれでお(ひら)きとしよう。そうだアベル、私はもうそなたを友人(ゆうじん)と考えている。次に逢った時は礼儀(れいぎ)(まも)った上で、また言葉を()わしてくれると嬉しい。ではな」

「は、はい……!」

 そう云われてしまうと、それ以上は何も返せなくなってしまう私でした……。


「――それにしても、急転直下(きゅうてんちょっか)とはこのことね」

「は、はあ……」

 王妃様のサロンを()すると、それでも少し面白(おもしろ)そうにカイン様はそうつぶやかれた。

 私は、神様をお招びした部分の記憶(きおく)がすっぽりと抜けているので、どうしても()の抜けた返事をすることしか出来なかったのですが……。

「アベルには無理(むり)をさせてしまったわね。もう身体の方は平気なのかしら」

「はい。神様に身体をお(わた)しすると、しばらくは神気(しんき)が体内に残ってしまうのですが」

「神気……」

「ええ、こんな感じに」

 軽く息を吸い込むと、胸の奥で『心』に力を入れる。すると――。

「これは……何かしら、アベルの身体(からだ)がうっすらと光を(はな)っているように見えるわね」

「私にもよく分かっていないのですが、神様の霊妙(れいみょう)なお力が少しだけ残っているのだと」

不思議(ふしぎ)ね。まるで真珠(しんじゅ)のような――(ちち)の色と(にじ)の色が()じり合ったような、(あわ)(かがや)き」

 するとどう云った効能(こうのう)なのか、私を見詰(みつ)めていたカイン様の(ひとみ)から、はらりと一粒涙(ひとつぶなみだ)がこぼれ落ちた……!

「……なるほどね」

 ギリッと、少し嫌な音が聞こえて……気付けば、カイン様の(くちびる)から一筋の血が(したた)る。

「カイン様……!?」

 私は慌ててハンカチーフを取り出すと、カイン様の血を(ぬぐ)う。

 そのカイン様の表情と来たら! ――正直、しばらくは忘れられそうにない。それは傲然(ごうぜん)とした強い、とても強い(いか)りの表情だったから。

「ああ、ごめんなさい。貴女のハンカチーフを汚してしまったわね」

「い、いえ……そのようなことはどうでもいいのですが、大丈夫でいらっしゃいますか」

「……ええ」

 さっきの表情が(うそ)のように()えて、カイン様はいつもの穏やかな表情に(もど)られる。

「この光、いつでも(はな)てるというものではないのね」

「そうですね。神様が身体にお(とど)まりになられた(あと)、心に残滓(ざんし)のように残っていて――先ほどのようにわざと光らせたりしなければ、二刻か三刻ほどは身体にあるでしょうか」

「アベル、貴女ほんとうに聖女でしたのね……」

「あの、今頃になってしみじみとそのように云われますと……さすがの私も立つ()がないのですが!?」

「ふふっ、そうよね。もうそんな場面は散々(さんざん)見て来たというのに」

 優しく微笑(ほほえ)まれると、カイン様は私からハンカチーフをそっと(うば)う。

「これは(あず)からせて頂戴。しっかりと(あら)ってお返ししますから」

 そう云って微笑(わら)うカイン様だったけれど、その様子には表情から見て取ることの出来ない、何か(すご)みのような雰囲気(ふんいき)(ただよ)っていたのでした……。


                 †(人称が変わります)


「……やってくれたわね」

 アベルを屋敷(やしき)(おく)(とど)け、帰りの馬車(ばしゃ)――カインは(ひと)りごちていた。

「この(わたくし)寸暇(すんか)といえど、神に対しての畏敬(いけい)(いだ)かせるなんて――」

 (おそ)らくアベルの意図ではない。彼女の体内に残されていた神気が引き起こした、いわゆる奇蹟(きせき)(たぐ)いであるのは間違(まちが)いない。

「勿論、私もこの国の貴族である以上、神に対して畏敬を抱かぬわけもない。当然ね」

 だが、しばらくの沈黙(ちんもく)ののちに、(ふたた)びカインの(ひら)いた口から出た言葉は。

「――けれど、私の意志をねじ曲げてまで畏敬を抱かせるなどという真似(まね)は、たとえ相手が神だったとしても、それを許せるものではないわね」

 そう、アベルの放った光暈(ヘイロウ)は、強制的に、カインの心の中へと畏敬の念を這入(はい)り込ませて来たのだ。寸暇ののちに、(おの)が感情の違和(いわ)に気付いたカインは(くちびる)()み、その(いた)みで自分のなかにあって、(おのれ)のものではない感情を振り払ったのだった。

「しかしものは考えよう。ならばこのカイン、神の挑戦を改めてお受け致しましょう」

 唇の(きず)をそっと舌で沿(なぞ)ると、カインはその端正(たんせい)(おもて)に、小さく(くらい)い笑みを浮かべていた……。

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