6
子供は、いつから一人だったのか、それすら覚えていなかった。
ずっとずっと、ずっと前に、誰かと一緒だった気がするけれど、その人の顔も思い出す事は出来なかった。
日々を生きるのに精一杯で、思い出す余裕も無い。時折暖かい陽射しの中でまどろんでいると、微かに、朧げな輪郭が蘇って来るような気がした。
子供にとって、彼等はそんな存在だった。
実際には、子供は物心つく前に両親を病で失っていた。ただでさえ貧しい村に生まれた子供には、引き取ってくれるような親戚も隣人も存在せず、それはただ死ぬのを待つ状態に置かれたようなものだった。
空腹のあまり村の畑の野菜を盗み、それで村を追い出された。
子供が飢えで死ななかったのは、幸運の上にも幸運が重なったからと言っていい。
子供に限らず、例え成人であっても、厳しい季節、病、飢え、そんなもので命を落とす者は後を絶たないのだ。
弱い者から死んでいく。それが、当然の摂理だ。
子供は村を追い出された後、当ても無く彷徨う内に、大きな森に辿り着いた。
森は村よりも、子供に優しかった。
空腹を感じると、森の中に生えている草の根や、小さな生きものを捕まえて食べた。小川ではうまく行けば、魚が捕まえられた。
暖かくなってくると、森はとてもいい場所になる。花は蜜を蓄え、木には甘い果実がたわわに実る。小さな闖入者一人分を養うだけの余裕を、森は十分に持ち合わせていた。
夜は大きな木の根元に丸まって眠る。凍えそうな時は、土に穴を掘った。
森を出る事はあまりない。
森のすぐ傍には北の街道が走り、小さいながらも栄えた街があった。
アス・ウィアンというその街は、王都から馬で四、五日の距離にあり、王都の恩恵を受けるにそれは十分な距離だ。
だが、子供にはそれは理解できるものではなく、第一子供は王都すら知らない。
ただ、街には大勢の住民がいて、子供にとっては恐ろしい場所というだけだ。
街の中は綺麗でいたる所で美味しそうな匂いがするけれど、子供が近づくと石をぶつけられたり追い掛けられたりするから、すごく恐い。
森にも大きな生きものがいて、恐ろしい思いをする事もあったけれど、彼らの住んでいる場所に近づかなければ、彼らもあまり近寄ってはこなかった。だからいつも森の中にいた。
この間、おおぜいが住んでいるところが、すごく賑やかだった。きれいな音が聞こえて、たくさんのいい匂いがしていた。
恐さを忘れて近寄ったら、見たこともないくらいたくさんの人達がいて、見たこともないものがいっぱいあった。
それは街の祝祭だったが、子供にはただ奇異に、そして華やかに感じられただけだった。
街の中を歩いていても、誰も子供を気に留めず、誰にも追い掛けられなかったから、子供は少し奥まで行ってみた。
突き当たりに石造りのとても大きく立派な家があって、壁に子供が漸く通り抜けられるほどの隙間があった。その中に何があるのか、ふと気になってそこから潜り込んだ。
部屋には誰の姿もなく、ただたくさんの木箱や麻袋が整然と置かれているだけだ。
子供は辺りを見回し、きれいな壜と、美味しそうな食物を見つけて、それを持ってそこを抜け出した。
賑やかに浮かれる街を抜け、森に入ったところで、あの男達と出くわした。少し走ったけれど、捕まえられて、せっかく持ってきたものを取られそうになった。
まさに自分が殺されるところだったのだと、それが子供に理解できていた訳ではない。
だが子供が絶望や不条理という言葉を知っていたなら、こう明確に考えただろう。
何故、こうも苦しい想いばかりをしなければならないのか?
その時、初めて彼に会ったのだ。
子供が持ってきた壜を見て、彼は子供に笑みを向けた。
あれがあると笑ってくれるのだと、以来夜にこっそりあの場所に行っては、あの壜を持ってきた。
朝の光に眼を開け、バインドは辺りを見回した。あの子供の姿は見当たらない。
汚れていた顔や手がすっかり拭われているのに気付き、バインドは顔を顰めた。
(ふざけやがって。何なんだあのガキは)
どうにも苛々して仕方がない。あんな子供一人が自分にどう影響する訳でもないが、追い払ってもまるで逃げようともしないのも気に食わなかった。
ふと眼を向けると、すぐ足元に昨日の壜が置かれている。
手に取り、放り捨てようと思ったものの、バインドは振り上げた腕を止めた。代わりに木の幹に壜の首を叩きつけて割ると、中の液体を喉の奥に流し込む。
酒の味は悪くは無かった。