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バインド  作者: 雅
11/11

11



 森は穏やかな陽の光の中に沈んでいた。


 鳥の囀りや、小動物の枝葉を駆け抜ける音、吹き抜ける風に枝を揺らす木々の騒めきが、森の息吹を伝える。

 密やかな、濃密な生命の気配。


 森を縫うように続く細い道を、バインドはゆっくりと歩いた。

 右腕が痛む。じりじりと焦げる。

 骨が軋み、肉が捻れる。

 その痛みに身を浸すように意識を傾ける。


 何を囁いている?

 既に無い亡霊が。

 何の意味も在りはしない。あの鳥達よりも無力な囀りだ。


 だが、剣が無ければ、自分の生など更に意味はない。

 バインドは薄い笑みを刷いた。


 ふいに、その身体が弾かれたようによろめいた。

 傍らの木の幹に背中を預け、バインドは何が起ったか理解しないまま、自分の腕を眺めた。


 左腕を。


 そこから振動が膨れ上がり、その衝撃に再びバインドは弾き飛ばされた。

 積もった落ち葉の中に転がる。


「っ」


 眼が、見開かれる。


 みしり。


 左腕の骨が鳴った。


「ぐ……あ」


 みしり。


 苦鳴を上げる為に開かれた口は喉の奥を鳴らすばかりで、呼吸さえ吐き出さない。

 身体の下に押さえ込んだ左腕が跳ねる。

 みし。


 骨が、砕けた。

 肉に突き刺さり、皮膚を破る。


 慌てて左腕に眼を遣る。

 違う。砕けてはいない。

 苦痛の余りの錯覚だ。


 だが、骨を揺すり、溶かし、形造ろうとしているもの、が。

 肉を、神経を焼いていく。


 倒れ込んだ身体と土の間から焔が洩れ出す。

 土を舐めていた焔が腕を、背中を、脚を包む。バインドの身体が下生えと土の上を転げ回る。

 押し殺されていた苦鳴が、堰を切ったように溢れ、森の中に響いた。


 砕け捻れ溶け引き裂かれ、――形成される。


 溢れ出した焔が、周囲の木々を焼き始め、辺りが瞬く間に紅く燃え上がった。



 苦鳴が、ふいに止んだ。


 暫くの間、火のはぜる音と、バインドの荒い息遣いだけが辺りに満ちていた。


 やがて、俯せた喉の奥から擦れた笑い声が沸き上がった。

 それは次第に大きくなり、炎を圧し、狂気を孕んだ哄笑に変わる。


 ふらりと身を起こし、バインドは炎の海の中に立ち上がった。

 細められた眼が、左腕に落とされる。


「ク……クク」


 左腕から、焔が滴り落ちた。


 それは肉から盛り上がった骨を伝い、研ぎ澄まされた刃を伝い、足元の地面に散る。


 かつてバインドの右腕にあった、炎を纏う長剣――


 左腕から生えるそれを、バインドは一息に振るった。

 衝撃が走り、木々を薙ぎ倒し、燃え盛る炎を掻き消した。





 眼を閉じ、剣の感覚を確かめる。

 全てが明瞭に、手に取るように感じられる。


 小さな生き物達が蠢く様、獣の押し殺した足音と息遣い。川面を渡る風の騒めき。

 全てが、明瞭だ。


 たった一つを除いて。


 それを聞き分けようとするかのように、バインドは眼を閉じたまま自分の感覚を探った。

 何を探しているのか、自分すら理解していないままに、もはや聞こえるはずもないそれを追う。


 樹の陰、川べり、森の小道。

 剣が静かに明滅を繰り返す。


 自分を呼び起こしたそれを追う。




 一度だけ、剣は大きく炎を巻き上げ、そしてバインドの中に消えた。




 ――剣は守るものも選ぶ。




 だがバインドがそれを理解する事はないだろう。

 そして、理解するには既に遅い。





 バインドは閉じていた眼を開けた。

 既にその先に見ているのは、ただ一つの戦いのみだ。


 未だ姿も見ず、名も知らず、生きているかどうかすら定かではないその相手が、何の疑いようもなく、いずれ自分の前に現れると、バインドはそう確信していた。


 あの青い光。そこに見た力の片鱗――炎などでは死ぬまい。

 自分の剣でしか、死ぬのは認めない。


 あの剣士と剣を合わせ、切り裂いた時、それが自分にとって、最大の存在意義になるだろう。


 冥い瞳に狂気にも似た光を宿し、バインドは笑った。






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