(*)凍てついた光 ―「朝」「悩みの種」「最後の殺戮」―
テーマは「朝」「悩みの種」「最後の殺戮」
テーマの関係上、死ネタや残酷表現が多くなってしまいました。
そちらが苦手な方は、申し訳ないのですが、静かに閉じて頂けると幸いです。
青年はふと顔を上げた。文字を一心不乱に追っていたその瞳を、存在を主張するかの如く強い光が刺したからだ。つられるように向けた窓の向こうでは、血の様に紅く染まった夕焼け空があった。
――血の様に、と仰って忌み嫌う方も多いけれど。私は好きですわ。あれは火の色――緋の色。良きも悪しきも清め、暖める気高き色。穏やかな夜の安寧を約束する導きの色。あの色の様にありたいと思うのです。
ジワリと光に触れられた箇所が熱を持ち、青年は目を細めた。しかし、野性味を帯びた精悍な顔立ちの青年は目を細めるだけで、その圧力は大いに増すもので。存在を消すように息を潜めていた幾つもの気配が恐怖に揺れた。
他者の気配に気を削がれた青年がユラリと向けた視線の先では、老いも若きも、それこそ鍛え上げられた体格を持つ者も含めた全てが顔を青ざめサッと視線を逸らす。不穏な空気が重くのしかかったその時。
「おやおや、先日申し上げたはずですが。せめてこの執務室くらいは赤色に染めないでいただきたいですな」
ほっほっほと乾いた嗤い声が響き、青年が眉をひそめて声の主に視線を移す。ほっと緩んだ空気をかいさず、嗄れた嗤い声を漏らす老人が、深く刻まれた皺に細い目を埋もれさせていた。
「如何な殺戮王とて、いささか人を残さなければ面倒が増えるばかりですぞ。加えて言うならば墓場が足りぬのでご遠慮いただきたいですな」
倫理観ではなく効率性。人の命の重さなどには欠片も敬意を払っていない態度での制止に、再度空気が凍る。舌打ちをした青年が頬杖をついた。
「クソ古狸。貴様から切ってやろうか」
「げに恐ろしや。これほど恐ろしい思いを抱えて務めを果たしているのですし、神はきっと天国へ導いてくださるであろうて」
「神などいるものか。そもそも国を血染めにした時点で貴様も地獄落ちだろうが」
「これはこれは。死してなお殺戮王にご一緒ですか。報われないですな。ああ、どうせならばあと3人処刑した後にして下されば丁度キリの良い数字になるので面白いかと」
「確かにな」
ジワリと口角を上げた青年と、クツクツ笑う老人。全身を深紅に染めてなお嗤う二人に、他の者達は息をひそめるしかなかった。
「まぁいい。興が削がれた。今日は終いだ。」
そう呟くと、青年はふらりと立ち上がった。興味無さそうに能面の様な無表情のまま、執務室を去っていく。重厚な扉が閉じた瞬間に、数名の文官が腰を抜かしてへたり込んだ。
「不甲斐ないのぉ」
その様を見た老人はケラケラ笑い、直後に何処か憂いの色を忍ばせてすっと視線を窓に向けた。先程の見事な緋色の空は、いつの間にか物静かな藍色に変わっていた。
「仕方ないか。なにせ、相手は殺戮王。歯向かう貴族や軍を血祭りにあげて国を簒奪した、狂気の王。まともに相対したいなど思わんか」
老人の台詞に、部屋中の視線が集まる。ややあって、へたり込んだ文官の一人が恐る恐る口を開く。
「宰相様。その、王はどうかなされたのでしょうか。普段であれば深夜になってなお執務を続けられるというのに、今日は……」
まるで己を鞭打つかの様に執務にのめり込み、朝も夜もなく働き続ける青年の姿しか見た事のない彼らは、今日に限って早々に切り上げた事が恐ろしいのだろう。その問いに、老人は目を伏せた。
「はて。王の心は王のみが知る事。なれど、――冷徹無慈悲な殺戮王とて人の子なれば、思い悩む事……悩みの種の一つや二つあるであろうて」
決して表情を崩さない青年の顔を思い浮かべ、老人は目を細めて呟いた。
青年は静寂に導かれるようにふらりと王城の庭に足を踏み入れた。まばゆいばかりの室内と違い、光の届かない箇所も少なくなく。その飲み込まれそうな闇に甘美な誘惑を感じる。茫洋とした瞳のままその闇に足を踏み入れて――。
「本当に。あのような野蛮な男に嫁ぐなど耐えられませんわ」
心地よい静寂を甲高い声に遮られ、青年は不快な顔で周囲を見渡した。
そこには幾人もの女性が集まり、中心で尊大な態度で扇を揺らす女性の機嫌を取っているようだった。口々に同意する女性たちに満足そうな笑みを口元に滲ませ、しかし顔付きは不満を隠す事が無い。
「クーデターを支えた功臣への褒美として、私を正室にして王妃にすると言っても……ねぇ」
「あのような恐ろしい男、令嬢とは釣り合いませんわ」
「そうそう。あのような穢れた男など、王であっても嫌ですわ。元は平民の分際で……身の程をわきまえて欲しい物ですわよね」
キャッキャっと不穏に笑う女性たち。見下し、蔑み、己の立場を哀れみ。まるで悲劇のヒロインになったかのような物言いをして、その甘美な立場に酔う。
「ああ、醜いな」
「っ!だれ?!」
腹の底から熱が込み上げてきて、青年は残忍な笑みを零した。ついでに漏れ出た呟きに、女性たちの囀りがピタリとやみ、慌てた誰何が投げられる。闇からにじみ出る様に現れた青年の姿を見て、女性たちが金切り声を上げて崩れ落ちていく。正室候補の令嬢もまた、青ざめた顔で口元を手で覆った。
「どうした、続けろよ」
どこか楽しそうな冷たい声に、女性たちはこらえきれなくなったように失神していく。そうでない女性も震えながら泣きじゃくっている。
「どうした?本当の事を言っているだけなのだろう?数百の兵や貴族を切り殺し、王都を血で染めた簒奪者。数多の都市を燃やし尽くした殺戮者。逆らうものは全て処刑する暴君。ああ、女子供にも容赦がない冷血な粗暴者という評判もあったか」
血税を湯水の様に使う前王。贅を凝らし肥え太るために重税を課す貴族たち。飢えて死ぬばかりの国を変えん為に立ち上がったクーデターだったが、その凄惨さは人々の想像を遥かに凌駕したもので。その導き手たる青年への畏怖は、今尚根強く残っている。
「わ、私を殺しては、父が黙って……」
「だから?一族郎党全て綺麗にすればいいだけだ」
いまさら殺した数は数人増えた所で変わらない。だれが何を言おうが知った事か。――その所為で自分がどうなろうとも、どうでもいい。
国を簒奪する為に立ち上がった時から消える事のない甘美な狂気にそそのかされて、腰の剣を抜き、化粧を涙で崩してぐしゃぐしゃな令嬢に向けて大きく振りかぶった。その時。
「っ!」
突如として突風にあおられ、一瞬視界を奪われる。反射的に瞬き、振り返った先で。冴え冴えとした満月の光に照らされて、満開の花を咲き誇らせた巨木が静かに存在していた。思わず手を伸ばして触ろうとし、手が宙を切ることに顔を歪めた。
――たすけて。
脳裏の浮かぶ、月光の如き銀の光。穏やかで優しい静寂が似合う姿を思い浮かべようとして――それすらも朧気にしか浮かばず。
「それでも俺は」
無意識に零れ出た己の声に霧が晴れて、その瞳に正気が戻る。振り上げたままの剣を静かにおろし、青年はそっと目を伏せた。まるで、花と月に礼を捧げているかのようなその様を見ているものは、一人もいなかった。そのまま静かに剣を収めた青年は、気を失ったままの令嬢たちをそのままに、足音一つなく立ち去った。
唯一望んだものが手に入る事がない、その事実に再度直面したことに気付かないふりをして。
翌朝。青年は一言も声を発することなく、王城前の広場に姿を現した。広場は何処か狂おしい熱気に満たされていた。集まった人々は、熱に浮かされて騒ぎながら……その視線は中央で異様な存在感を放つ大きな刃に釘付けになっていた。青年が姿を現してすぐに、広場に粗末な馬車が大きな音を立てて入ってくる。熱気が更に温度を上げ、罵詈雑言が行き交う。
「これより、前王家の処刑を始める!」
馬車の中の襤褸雑巾の様な人間たちを荒っぽく引き出し、前に進み出た男が朗々と声を張り上げる。歓声が男の声をかき消し、上段で黙って眺めていた青年は目を細めた。
これまで、多くの人を殺してきた。そして、全てを終わらせるために、最後の殺戮が始まる。
最後の最後まで喚いて抵抗する前王が、強引に引きずり出され――罵声の中、呆気なく処刑台の露とかしていった。それを皮切りに、まるで作業の様に処刑が進んでいく。一人、また一人と散っていくにつれて、広場の熱気は温度を上げていき。すでに人々は理性を手放していた。
あっという間に罪人たちは数を減らし、やがて最後の一人となった。処刑人の一人に今にも折れそうな白い腕を乱暴に捕まれたその少女は、酷く華奢な体つきをしていた。最後とばかりに罵声も石も飛び交う中で、それでも誇り高く顎を上げた少女は、抵抗する事なく、むしろ自分の足で舞台へと上がった。その凛とした品位ある姿に気おされたのだろうか。徐々に空気が鎮まり、少女の雰囲気にのまれていく。
言葉一つなく広場を掌握した彼女は、美しい顔を上げ、ゆっくりと見渡した。最後にふわりと光を弾く銀糸の長い髪を揺らして振り返った少女は、静かに視線を上げて青年を見上げ。
やんわりと笑った。
青年以外には気付かれないであろう、微笑を浮かべて。少女は声なき声で呟いた。それを最後に、美しく咲いた花が散る。
その姿を青年は目に焼き付ける。その道を選んだのは他ならぬ彼と彼女である苦い事実を噛みしめながら。
――助けて。私の愛する国を。愚かな父(王)の手から、醜き女(母)達の手から、汚らわしき貴族たちの手から。何もできぬ、脆弱な私の手から。
――ありがとう。望みをかなえてくれて。そして、愛する人に……優しい貴方に全てを背負わせた愚かな女でごめんなさい。貴方の事を、お慕いしておりました。