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モーニングルーティン

一番最初に、ちょっとしたプロローグを追加しました。


次回は、18時更新です。

 まともな睡眠をとったのは、実に二日ぶりのことだった。


 時刻は、朝の四時三十分。昨夜は九時前にベッドに入ったから、約七時間半眠ったことになる。


「やっぱり、睡眠って重要だな……」


 昨日までの不調が嘘のようにすっきりとした頭で、ぼくはしみじみ思った。

 ベッドから立ち上がり、分厚い遮光カーテンを開く。未だ闇に包まれた街並みを見下ろして、ぼくは「よしっ」と気合を入れた。


 今日から新しい日々が始まる。オレーナさんの人生を守るため、精一杯努力しないと。

 そのためにもまずは、とぼくは足元に視線を向けた。


 この身体になってから、一番苦労しているのが着替えだ。

 女の子の裸を見るわけにはいかないし、かと言って目を瞑ったままでは、あらぬところを触ってしまう。

 ベッド下に置かれた籠の中には、下着を含めた衣類が一式、綺麗に折りたたまれている。


「よしっ」ともう一度気合を入れて、ぼくはこの日最初の試練に立ち向かった。









 どうにかこうにか着替えを終えて、リビングへと降りる。


「おはようございま……」

「おはようございます、オレーナさん!」


 扉を開くと、すでに凜さんが待ち構えていた。


「は、早いですね」


 びっくりするぼくに、トレーニングウェアを身に着けた凜さんは、胸の前で握り拳を作る。


「今日から新しい一日の始まりですから。そう思うと、居ても立ってもいられなくて!」


 むふぅ、と鼻息を荒くする凜さん。なんだか、ぼく以上に気合が入っている様子。今朝も家から走って、ここまで来たらしい。


「まずは、こちらをどうぞ!」


 スポーツメーカーのロゴが描かれたリュックから、バナナとおにぎりを取り出す。


「えっと……朝ごはん、ですか?」

「これからトレーニングですからね。筋肉を動かすにはたくさんのエネルギー、つまり糖質が必要なんです。胃が空っぽのまま身体を動かすと、不足するエネルギーを補おうとして、むしろ筋肉が分解されちゃいますから」


 へえ、そうなんだ。記憶喪失になってから、初めて知る知識。


 皮をむき、バナナを頬張る。記憶よりねっとりして感じるのは、高級品だからだろうか? おにぎりには、鮭のほぐし身が入っていた。噛むとじゅわぁっと脂が出てきて美味しい。


「よく噛んで食べてくださいね。そのほうが、身体が吸収しやすいですから」


 凜さんがテーブルに置かれた花瓶を動かすと、床の一部が競り上がってきた。

 どうやら収納が隠されていたらしい。驚くぼくの前で、凜さんは薄いマットみたいなものを収納をから引っ張り出し、リビングの床に広げていく。


「トレーニングの開始は一時間後ですから、まずはメディテーションから始めましょう」

「めでぃ?」

「瞑想のことです。オレーナさんのモーニングルーティーンの一つなんですよ」


 なるほど。よくわからないけど、ものすごくモデルさんっぽい。


「その後は、ヨガで身体をほぐしますから。これに着替えてください」


 取り出されたトレーニングウェアに、ぼくは米粒を喉に詰まらせかける。


「い、いまからですか?」

「その格好じゃ動きにくいですし、集中もし辛いので。あ、これも付けてくださいね」


 手渡された黒い布に、ぼくは首を傾げる。

 幅は十センチくらい。マジックテープが付いていて、くっ付けると一本の帯みたいになった。


「なんです、これ?」

「ブーバンドです。胸が揺れないように押さえるんですよ」


 胸。ぼくは視線を下げる。視界を遮る二つの盛り上がりに、なるほどと頷いた。たしかに、この質量に動き回られたら、大変かもしれない。


 おにぎりを飲み下しながら、ぼくは本日二度目の試練に向き直った。









 多大な精神力を消費しながら着替えを終え、春日乃家を出る。

 きらびやかなエレベーターの中、ぼくは右腕に感じる質量に戸惑っていた。


「あの……凜さん?」

「はい、なんですか?」


 振り返った凜さんが、あどけない表情で見上げてくる。オレーナさんの胸元くらいしかない小柄な身体は、ぼくの右腕を抱え込み、全身を密着させていた。


「その……そんなふうにくっ付かれると、歩きにくくて」

「オレーナさんは病み上がりですから。また倒れたりしたら大変です」


 だから自分が支えるのだ、というように凜さんはますます身体を密着させる。


 女の子同士って、こんな感じなの?

 やたらと近い距離間に、ドギマギする。


 緊張で手足をカチコチにさせながら、ビルの三階でエレベーターを降りる。


「おはようございます」


 すれ違いざまに挨拶すると、作業着姿のおじさんは、ぎょっとしたように振り向く。


 寝ぼけてたんだろうか? エレベーター脇のパネルに突っ込んで悶絶するおじさんを振り返り、ぼくは首を捻った。


 ジムには、すでに十人程度の利用者がいた。

 カザークは福利厚生の一環として、社員には無料でジムを解放している。だから夜勤明けや出勤前に汗を流しに来る社員も多いと、凜さんが教えてくれた。


 ルームランナーで走っている人たちに会釈しながら、廊下の奥へ。パーソナルルームと書かれた扉をくぐると、中には種々様々なトレーニング機器がずらりと並んでいた。


「オレーナさんは、いつもここで?」

「はい。専属のトレーナーさんに付いてもらって毎日、身体を鍛えてました」


 そういえば、昨夜そんな話を聞いたような。


 使い方の分からないマシンを眺めながら、ぼくはどんな人だろうと想像してみた。やっぱり、すごいマッチョな人なんだろうか。イゴールさんの小型版みたいなのを連想して、ちょっとだけ朝からげんなりする。


「そろそろですね」


 時計を確認した凜さんは、手にしたスマホをタップする。

 天井に設置されたスピーカーから激しいロック調の音楽が流れ出しただので、ぼくはびっくりした。


「はい、オレーナさん」

「え? え?」


 凜さんに手渡されたのは、ナイロン製の紐で作られたひらひらの塊。運動会とか甲子園の応援で使われる、いわゆるポンポンだった。


 混乱するぼくに構わず、凜さんはポンポンを頭上に掲げて「イエーイッ!」と叫び始めた。


「ほら、オレーナさんもやってください!」

「い、いぇーい?」


 わけもわからないまま、ポンポン飾りを振り上げる。

 いまからショーでも始まるんだろうか?


 ぼくの疑問は、扉を開けて入ってきたド派手な衣装の人物によって、はるか彼方まで吹き飛ばされた。

・メディテーション

 瞑想と言った方がわかりやすい。ちゃんとやれば効果があるけど意外と難しい。下手に独学でやると逆に落ち込んだりメンタルに悪い影響が出るので、できればちゃんとした指導者に付いた方が吉。


・バナナとおにぎり

 筋トレの前には糖質を摂取しておくのがおすすめ。筋肉を動かすエネルギーが足りないと、逆に筋肉が分解されるという罠が筋トレにはある。


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