ぼくは彼女になる
──ランウェイは孤独だ。
とある世界的なモデルさんの本に書かれていた言葉だ。
まわりには同僚たちが。客席には、目の肥えたギャラリーとバイヤーが。無数のカメラのフラッシュは星の瞬きのよう。大勢の人目に晒されながら、それでもモデルは孤独なのだと彼女は言った。
巨大な展示場で、歴史と威厳の刻まれた劇場で、時には夏の日差しが降り注ぐ屋外で。狭く長いキャットウォークを歩くとき、モデルはたった一人で無限の闇に立ち向かわなくてはいけない。
灯火もなく、目印もなく、手を引いてくれる人もいない。ただ己の脚と、ガラス細工みたいにちっぽけなプライドを頼りに、闇の中へと歩き出していく。
ランウェイは孤独な世界なのだと彼女は言った──
「そろそろ本番よ。集中して」
その言葉に、ぼくは内側に潜っていた意識を浮上させる。
舞台袖の鏡を覗き込む。ショーに出演するモデルたちが、最後に自分の姿を確認するためのもの。曇り一つなく磨き上げられた鏡面に映るのは、ぼくが知る限りこの世界の誰よりも美しい少女。
琥珀色の金髪も。
練絹のような肌も。
月と大地を溶かした瑠璃色の瞳も。
この人を飾るすべてのものが奇跡みたいに美しい。
ぼくは右の手首に触れる。ブレスレット型の複合デバイスが読み取ったデータが、右目のコンタクトレンズに表示される。
心拍数が高い。心配になって過去のデータと比較すると、彼女も今のぼくと似た心理状態だったことが判明した。
そっか。オレーナさんも緊張してたんだ。
また一つ、彼女と同じになれた。そのことが、なによりも嬉しい。
胸の高鳴りを抱えたまま、ぼくは歩き出す。
手の位置、背筋の角度、腰の動き、足の歩幅。すべて彼女から写し取る。
ぼくは春日乃オレーナだ。美しく、聡明で、誰もが憧れる完璧な女の子。そういうものに、ぼくは為るんだ。
「さあ行きましょう、オレーナさん」
ステージの袖から出る。
真っ白な光の溢れる真っ暗な一本道へ、ぼくは踏み出した。
参考にしたのは、ジゼル・ブンチェンの自伝。
ここまで直接的に表現されていたわけではないが、やっぱりランウェイは恐ろしい場所なんだなと思う。