正 体
宙に浮いた球体状の灯りが洞窟の岩肌を照らし出す。
下級聖光魔法ムーヴ ライトだ。魔力の消費はほとんどなく、上級の魔導士ならば三日三晩寝ずに持続することもできるだろう。
レイトは周囲を警戒しながら洞窟の中を歩いていた。今のところ異常はない。
あの屋台の店主が言っていたようにキジウララの姿は全く確認できない。生物で見つけたのは何の変哲もないネズミくらいで、あとは藻のような植物が生え茂っているだけだ。
「これを食ったキジウララが美味くなるってわけか……」
藻の肌触りは思っていたよりもスベスベしていて、硬い感じがした。
それにしても何でモンスターが一匹もいないのだろうか。洞窟の環境に無視できない著しい変化が起こったとか?といっても気温は生きていくのに問題ない。食料はこの藻がある。まあキジウララが食べるくらいしか用途は知らないが。
ということは……
「上位種のモンスターが食い荒らした、とか?」
洞窟の奥に進むにつれて生えていた藻すら無くなっていく。
岩肌が凍り付き、空気が冷え切ってしまっている。
環境の変化というのも案外間違っていないのかもしれない。
「ますます出てこないな……こりゃあ」
ミラとは洞窟に入ってすぐに二手の道で分かれた。魔力の残滓からしてミラが駆けていった方向は人間がいるのは間違いない。
そしてもう一つの道、レイトが進んだ方向は不気味なほど何も感じ取れなかった。
だからこそ何かある!と踏んだのだが、今のところ本当に何もない。
見当違いだったかと思い、引き返そうとしたが、レイトは足を止める。せっかくここまで来たんだし、最奥まで行ってみるのも悪くない。
寒さ対策のために自分に防寒魔法を掛ける。
鳳凰という職業になってから疲れというものを感じたことがない。疲労する感覚というのが遠い昔の記憶となっていて、思い出すのはもう難しい。
あらゆる魔法が使えるからといって世界の全てを知ることができたわけじゃない。まだまだ知らないことや分からないことはたくさんある。
今はモンスターの生態について独自で学んでいる。知り合いの召喚術師に話を聞いて知識を増やしている最中なのだ。
なので洞窟にモンスターが現れないのはやはり寂しい。
歩き続けること一時間。洞窟の一本道が開けてドーム状の広い空間が姿を現す。天井には巨大な氷柱が何本も作られていて、こちらを狙い済ましたかようにその先端が向いている。
ドーム状の空間に出た瞬間、身体に電撃が走る。今まで感じていなかった強い魔力反応を全身で受けた。
探す必要はない、目の前にいる。見上げるほどの巨大な体躯。
鬣が凍りつき、鋭い氷刃と化している赤目の獅子が獲物を狙うかのようにこちらを睨み付けていた。
グルルルと唸り、牙を剥き出しにして威嚇をしてくる。
対峙したレイトはやっとモンスターに会えた嬉しさで笑みを抑えられなかった。
一般的な反応は恐怖が主だろうけど、レイトはちょっと普通とは異なる存在である。
モンスターの名前は氷刃獅子。ちょっと前まで世界級ダンジョンに潜っていたので、そこと比べたらひよっこみたいな魔物だが、氷刃獅子にしては身体の大きさが際立っている気がする。
空間の気温がぐんと下がった。氷刃獅子が高らかに咆哮を上げると細かな白い粒子が宙を舞いはじめた。
洞窟内に吹き荒れる吹雪は世界を白く染め上げる。
防寒魔法のおかげで寒さによる身体のダメージはないが、視界は白雪に遮られてよく見えない。
氷雪魔法に分類される天候操作の魔法だ。天候といっても外でしか使えないというわけじゃない。今いるような洞窟内でも問題なく使用することが可能だ。建物のなかでも雨や雪を降らせることができる魔法、魔法名は捻りもなく天候操作だ。
この氷刃獅子は殺気を抱くと、周囲に雪を降らせる特性を持ち、雪の降る勢いと獅子の殺気が連動している。
レイトの感覚では氷刃獅子は縄張りに押し入られて相当な怒りを覚えているようだった。
突如として氷刃獅子の口から青白い冷気が漏れ出す。
これは氷雪吐息の前兆だ。レイトは咄嗟にそう判断し、天井まで跳躍し、腕に魔力を流して吊るされているような態勢になった。
見下ろした先では全てを凍らせる冷気が荒れ狂う暴風のように蠢いていた。
「あれは防寒魔法じゃ防げないな、危ないわー」
どうやらこいつがキジウララを捕食していた犯人らしい。隅っこの方に見えるのはキジウララの骨の山だ。その反対側には凍りついたキジウララを保存食のようにして食べている子供の氷刃獅子の姿がある。
「このモンスターを狩ればキジウララがまた繁殖するのか?」
答えは分からないけど、氷刃獅子が居座っていてはキジウララが繁殖する可能性は無いに等しいのは間違いない。
こいつらからしてみれば、レイトが縄張りを荒らす危険な存在で、それを防ぐためにレイトに立ち向かっている彼等自身の方が勇敢な存在だと認識しているだろう。
それが正論であったとしても人間中心世界、つまり人間がより上位の存在である世界では正論となり得ない。
レイトは躊躇うことなく、獅子狩りを開始する。
まずは天井から中級炎熱魔法オーバーフレアを放つ。
鳳凰という職業のあらゆる特性の中で最も基本的で、かつ恐ろしいと思えるのは魔法威力強化である。魔法には等級が存在しており、最上級・上級・中級・下級に分けられる。一般的な職業
ならば魔法はそのまま行使されるのだが、これが鳳凰ならば魔法は等級が自動的に上昇した状態で行使されるのだ。
たとえば下級炎熱魔法フレイムを発現させた場合、その威力は中級または上級と変わらないほどまで高くなるということ。それが鳳凰の特性である魔法威力強化だ。
なのでレイトが放ったオーバーフレアという魔法は中級でありながら上級と変わらない威力を生み出していた。
洞窟の天辺から広範囲に広がっていく紅蓮の炎は全てを焼き尽くす。ほんの少し前まで凍えるような寒さが支配していた空間は今にも発火しそうな熱を帯びた状態になっていた。
氷刃獅子の背中に生えている氷の棘が徐々に溶け出していくと、獅子は苦し気に唸りはじめた。
あの棘が全て無くなれば氷刃獅子の機能は停止すると言われている。氷の棘が体を動かすために必要な成分を作っているからこそ命を保っていられるらしい。
オーバーフレアの威力は収まらない。普通のオーバーフレアならばすぐに終わっているだろうが、魔法を行使しているのはレイトだ。普通で終わるわけがない。
一分もかからないうちに背中にある氷の棘を全て溶かすことができた。氷刃獅子はなす術なく倒れ伏した。絶命したのはその表情を見れば明らかだった。
レイトは空間に残った魔力の残滓を消失させる。
これも鳳凰の特性の一つである。魔力を自由自在にコントロールすることができる。
魔力操作は魔導士などの魔法を扱う者にとっては基本となることだが、ほとんどの者が一方向への操作しいかできない。それは体内の魔力を魔法に発現させるという一つの方向だ。けれども魔力を操作するのはそれだけじゃない。魔力というのはあらゆる方向に自由自在に操作することができるものなのだ。
もちろん選ばれた者しかできない特殊な技能ではあるが、訓練さえすればその特殊な技能に近づくことはできる。
ただし鳳凰という職業は別。鳳凰の魔力操作は自らの魔力だけでなく、自分以外の全て……人やモンスターはもちろん空中に漂う自然の野良魔力とでも言うべきか?そういったものでさえも自由自在に操作することができる。
これは努力でどうこうなる技能ではない。凡人では絶対に届かない神の領域と言っても差し支えないだろう。
氷刃獅子の死骸の腹を斬り捌き、胃のなかを開けてみるとまだ形を残したキジウララが丸ごと出てきた。
キジウララ減少の犯人は間違いなくこいつらしい。
これでキジウララの繁殖も問題なく行われ、数も徐々に増えていくことだろう。
これにて一件落着と思ったとき、遠くでドゴーンという爆発音が微かに聞こえた。ほんの僅かな振動が地面から身体へと伝わってくる。どうやら大きな魔力が破裂したようだ。魔法、いや特技か?感じ取った魔力の質からして魔導士ではない。どちらかというと戦士や武闘家のような肉弾戦を得意とする職業の魔力の質だ。
「ミラ、だろうな」
一息つきたかったが、何か嫌な予感がしたのでレイトは小さく息を吐いてから引き返すことにした。
もちろん同じ道を引き返していたのだが、行きとは違い、モンスターが頻繁に姿を現してきた。
アンコクハイエナやアシッドスライムなど毒性を持つモンスターばかりだったのは偶然だろうか。まあ個体の力を考えても苦戦する相手ではないため問題はないのだが。
洞窟の入り口付近、最初に二手に別れた道まで戻ってきた。
ミラが進んでいった方向にレイトは足を踏み出した。レイトが進んだ方向よりも道の幅が広い。どうやらこっちの方が主通路といえる。こちらの道はまだ氷刃獅子に侵されていないのか、キジウララの姿も確認できた。
この洞窟はただの洞窟ではない。間違いなくダンジョンだ。モラリアの町民からは外れの洞窟とだけ言われているらしく、洞窟に名前らしい名前はようだ。
それほど見向きもされていない洞窟で、物好きな連中だけが訪れる隠れスポットのような空間だったのだろう。
氷刃獅子が奥に潜んでいたことを冒険者ギルドが知ったら間違いなくダンジョン認定される。難易度としてはおそらく中級レベルだろうか。ダンジョンの複雑性やモンスターの強さ、環境の厳しさなどを鑑みてもそれが妥当だと思う。
「おやおや、この先に何か用ですか?」
楽しそうな声色でそう聞いてきたのは年齢には似つかわない筋肉を纏った老人。優しい笑顔を浮かべており、攻撃性は一切ない。
「ああ、こっちに用がある。通してもらいたい」
「うむ、いいですね。自らの目的をはっきりと伝えるその姿勢」
レイトに対してパチパチと拍手を向けてくる。優しい笑顔はそのままで。それが不気味に感じられて、レイトは目の前の老人の危険度を上昇させる。
「でもここを通すわけにはいきません。今、私の仲間が遊んでいる最中なので。どうしても、というのなら私を殺していって下さい」
「おいおい、物騒な雰囲気だな?顔に似合わず血の気が多いのか?」
相手の殺気が満ちるのを理解できたからか、洞窟の左右の壁から岩で作られた人形が飛び出して襲いかかってくるのをレイトは焦ることなく対処した。
武闘家のように殴打蹴撃を繰り返す人形の動きはお世辞にも俊敏とは言い難い。速度よりも力に重点を置いているのだろう。一撃でも当たったら内臓を潰される。
しかしどんなに攻撃を繰り返してもレイトを捉えることは不可能だろう。レイト自身もただひたすら殺しにかかる人形をいなし続けるのは呼吸をするよりも簡単だと思った。ちらっと老人に視線を向けたが、微笑のままで表情は変わっていなかった。
何を考えている?やっぱり不気味だ。ここを通してくれない理由はミラがここに来た理由と関係があるのだろう。あまり遊んでいる暇はないか。
ミラには特別な恩義を感じているわけではない。宿屋に泊まらせてもらったが、それは宿泊代としてお礼をしているわけだから特別な恩でない。
でも夕食の美味さには感動したし、なんとかそこは返したい。
早いとこ済ませようと心に決め、レイトは目付きを変える。
岩人形の攻撃を避けて、最短距離で接近し、そっと手を触れる。
そうするだけで岩の身体に亀裂が走り、脆く崩れ落ちていく。
もう片方の岩人形にも同じように対応した。
老人は再び岩人形を生成しようとするが、魔力は何も還元されることなく、老人の身体に戻っていった。
「ほう、これは魔次元領域ですかな」
感心したように首を縦に何度も振る老人の口調はこの魔法を知っているようだった。
魔次元領域は数秒間、特定の領域に含まれた使用者以外の魔力活動を一切停止させるという強力な特殊魔法だ。
これを使える人間は魔導士のなかでも限られており、魔法名を耳にしたことがある人の数も少ない。
「知っているとはさすがだな。あんたの名前は?」
「ヒックス」
「レイトだ、よろしく」
「レイト、聞いたことのない名だ」
だがおかしい。こんなにも冷静に対応し、動きに迷いがない者を知らないなんてあり得ない。どこかで名前くらいを聞いたことあるはずだ。ヒックスの頭はフル回転で稼働するが、浮かんでくる答えは一緒だった。
洞窟の天上の隙間からポタポタと水滴がリズムよく下へと落ち、小さな水溜りを形成している。
「ならば肉弾戦で行くしかあるまい」
ヒックスは駆け出す。懐から小型のナイフを取り出し、構える。
あっという間にレイトの背後に回り込み、首もとを狙おうとする。職業が暗殺者でもおかしくない慣れた動きだ。
レイトもその動きに感心を示したが、ナイフがレイトを貫くという結果は生まれなかった。
「こ、これは?」
身体に巻き付いてくる異様な魔力の触手。
「吸収触手。」
「知らない魔法だな」
「たいして使われない魔法だからな。物好きな呪術師が使うような魔法さ」
「呪術師が?それは勉強になった。ただ困ったな、身動きが取れん」
ヒックスは力んで何とか触手を引き離そうとするが、思い通りにいかず触手は逆に強く巻き付いてくる。体内の魔力が多い人間ほど抜け出すのは難しい。それは魔力を吸収した触手は強度を増し、締め付けを強くするからだ。
「あとは絞殺されるのを待つだけだ」
「これじゃあ、わしはあっさりと負けることになるな」
「そうだな。打開策はないのか?」
「う~む、この状況を打開したからといってお主に勝てると思うほど傲慢でもないし、浅はかでもないぞ?」
自らの実力を客観視してそう思えるのは本物の証拠だ。発言に驕りがないところを考えるとヒックスというこの老人は実力の半分も出していないのではないか。
これは気を引き締めたほうがいいかもしれない。
「けど打開しないと死ぬだけだぞ?」
「心配ない。もう命は保証された」
「なに?」
ヒックスの顔から血の気が引く。まるで生気のない蝋人形のような表情で虚空を見つめている。
レイトはすぐに目の前の老人がただの人形だったことに気付く。
これは対峙した時から人形だったのか、それとも途中で入れ替わる術があったのか……レイトには分からない。
やはり魔法に対しては全治全能であるが、それ以外の術法にはてんで弱い。この弱点は克服していかなければならない。まあ、おそらく高度な傀儡術か何かだろう。
「上手く逃げられたな……完敗だ」
仕留め損なったのは完全なる自分の失態だ。顔には苦笑を浮かべたけど、心は陰鬱な気分だった。
でも今は落ち込んでばかりもいられない。先に進んでミラのもとまで行かなければ。
ほんの少し魔力を放出し、加速魔法を掛ける。流れるように進んでいくと徐々に道の幅が広くなってきた。
地面や左右の壁の凸凹も無くなり、見るからにそこは何者かによって整備された空間だった。
ムーヴライトを使用しなくても明瞭な視界が確保できる。
何者かによって周辺の明かりが調整されているようだ。でもこれは通常では気付けないくらい微弱な魔力調節によって起こる変化だ。鋭敏な感覚を持たない者は意識すらしないだろう。
レイトはムーヴライトを行使するのをやめた。
少し遠くの方で複数の人影が牢屋のような巨大な黒い塊に閉じ込められているのを視認した。
牢屋から漏れ出ている薄紫の靄から考えるとあれは硬化魔法と影魔法、そして錬成魔法を併用して作られた特殊な牢屋のようだ。
「でも強度に全振りしすぎだな。錬成魔法の良さを消してる」
硬化魔法が無駄だ。錬成魔法は物質に柔軟性を与えるし、影魔法は元々硬度の高さが売りだ。硬化魔法を使わなくても岩をも貫く剣と化すのが影魔法だ。
そんなに強度を重要視する意味はなんだろうか。
牢屋に掛けられた硬化魔法の荒らさから覚えたての臭いがぷんぷんする。
「試したいと思ったのかもな。そういうものか?人間ってのは」
記憶した知識は誰かにひけらかしたい。
覚えたての技は今すぐ使ってみたい。
それがしっかりと望んだ効果を生み出すのかをこの目で確かめたいという欲求がもしかしたら行使した者にあったのかもしれない。
そんな風に思うと急に懐かしい気持ちを抱く。
鳳凰という職業ではなかった頃は毎日が学びの時で、強くなる自分を実感できて楽しかった。
本気でぶち当たって敗北をして悔しいと感じることができたし、勝利して感動することもあった。
そんな長らく忘却されていた過去の記憶と感覚が今のレイトには少しだけ羨ましかった。
牢屋に閉じ込められている少年少女といっていい年齢の彼等の釘付けとなっている視線の先にはミラがいた。
地面に横たわる誰かを下している光景に側にいる者たちは皆じっと見入っているようだった。
レイトは軽く飛び上がり、牢屋の上にトンと着地する。
「お、ここはよく見える。終わってるみたいだな」
いきなり牢屋の上に立った見知らぬ存在にビックリして何だ!?と牢の中にいた少年が鉄格子に掴まってこちらを見上げた。
よく状況を見ると一人だけ牢屋の中に入っていない少女がいた。レイトがその顔を視認したとき、何故だか漠然とどこかで会ったような気がした。それがどこなのかは分からないが。
その少女も目を見開いてレイトの存在に驚いている様子だった。
ただ一人、ミラだけは表情を変えない。
「あんたの方は目的は達成したの?」
「ああ、まあな。こっちもそうらしいな」
「ええ、終わったわ……」
そう言ってミラは尻もちをついている態勢をしているミッチェルの前に立った。
二人の関係性がどんなものなのかレイトには分からないが、中途半端ではなく特別な関係なのは明らかだった。
「っとすまない、忘れてた。君たちをここから出してやらなきゃな」
レイトは自らの魔力を放出し、影の牢屋を構成している魔力に混合させる。
相反する魔力によってすぐに牢屋に掛けられている錬成魔法は解除された。
すると牢屋の硬度は低下し、全体の形に歪みが生じた。
どうやら錬成魔法を中心にしており、硬化魔法はお情け程度しか掛けていないようだった。それは牢屋の変形具合でなんとなく理解できた。
「おお!これならいけるんじゃねぇか!?トウマ、やるぞ!」
「うん、やろうか」
ガントは斧を振り抜き、トウマは剣を突き出した。
影の牢屋はさっきとは違い、弾力性を持っており、二人の一撃によって形を変形させた。
何度も何度も斧と剣を振り抜く。
数十回繰り返した結果、ようやく人が一人だけ通ることができる穴が開いた。
「うおし!やった!開いたぞ!」
汗だくのガントは斧を杖替わりにしてなんとか立っている。
トウマも同じような状況だ。
「いいね、お見事」
遠慮気味の拍手をする。
たぶん彼らは新米の冒険者だろう。少女が首に掛けている紋章は冒険者の身分を証明するものだ。年齢層も十代後半と同じくらいなので、間違いないだろう。
もちろん年齢、種族が異なるパーティも存在するが、そのほとんどが数十人から数百人の大規模パーティだ。
牢屋に開いた窮屈な穴から一人ずつ抜け出して、ふうっと大きくため息をつく。
やっと抜け出せた!という思いがのったため息だった。
「あ、あの、ありがとうございます」
レイトのもとに小走りで駆けてきた少女は少し緊張した面持ちでレイトと目を合わせ、ゆっくりと頭を下げた。
「ああ、気にするな。俺がどんなに嫌な奴でもこれくらいはするさ」
「お、お名前を教えていただいても?」
「名前?ああ、レイトだ。よろしく」
「レイトさん、本当にありがとうございます。おかげで助かりました」
「あの倒れてる奴に閉じ込められたのか?」
ミラの後ろの方で大の字の形でのびている男に視線を向けながら言った。
「はい。でも仕組みはよくわからなくて。変な紋様を見た瞬間に気づいたら牢獄のなかに閉じ込められてたんです」
「何だろうな。転移術式か、それとも魔道具で特殊な異世界を作り出したか、どちらかだろうな」
ゴーン。ゴーン。ゴーン。
いきなり聞こえてくる爆発音で地面が何度も揺れ動く。爆発音が収まっても地面の揺れは増すばかりだ。
地脈に魔法を仕掛けたのかもしれない。偶然起こった地震という線もないわけではないが、可能性としては限りなく低い。
地脈に魔法を仕掛けるのは思ったよりも難しくないし、手間も掛からない。
僅かな変化を起こすだけでドミノ倒しのように全てが連鎖していく。
「とにかくここを離れよう。じきに崩れぞ、ここ」
アリアやミッチェルらを真ん中にし、先頭をミラ、後方にレイトが付いて、急いで洞窟から抜け出そうとする。
足がもつれそうになりながらも懸命に走っているのは命の危険を肌で感じているからだろう。
冒険者には必須の経験だ。
眩しい日差しが照り付けている洞窟の入り口が見えてきた。
外に出た人達は皆一様にへこたれて腰を下ろしていた。
ちょっとの時間だったのにも関わらず眩しさに目がやられる。
「洞窟から離れよう!」
レイトは確信した。これはただの地震ではないと。
誰かが意図的に企んで実行した可能性は高いと見ている。
洞窟の入り口が少しずつ少しずつ地面のなかに沈んでいく。まるで海で難破した沈没船のように。
「これはまた、派手にやってくれたね。ここまでする必要があるの?」
誰に聞いたわけでもない自問するミラの言葉だ。
確かに何故洞窟を消失させる意味があったのか甚だ疑問だ。
おかげでせっかくキジウララの繁殖の手助けをしたのに全てがパーなってしまった。
「あ、あの」
「ん?」
ミラが振り向いた先にはミッチェルがいた。
洞窟がどうなろうが知ったこっちゃない。今大切なのはミラという人と話すこと、ミッチェルの顔にそう書いている。ここを逃せば、もう会えないかもしれない。そんな不安が彼女を突き動かしているのかもしれない。
「あ、えっと、あなたは、ミラさんは、私のお母さんだっていうのは、本当ですか?」
何度も言い淀み、噛み倒し、緊張して伝えたミッチェルの言葉にミラはふっと柔らかい笑顔を浮かべる。そしてミッチェルの頭にポンと優しく右手を置いた。
「頑張ったね」
ぶわっと涙が溢れ出す。
レイトにもミッチェルが今、心に安らぎを得ていることくらいは理解できた。
この場所、この時が彼女の人生の転換点になるだろう。
見知らぬ他人でありながらも応援したくなる泣き笑い顔をミッチェルは見せていた。
「それにしても」
地面に手を置いてみると魔力の残滓がしっかりと確認できた。自然に生まれる魔力ではなく、人体から発生した魔力の質だった。
「何してるんですか?」
「少し気になってな。ここまで大規模な地震が起きるなんて俄には信じられない」
「帝国で地震なんて今まで無かったですよ?」
「そう思って確かめてみた。やっぱり人の手によるものだったよ
」
「分かるんですか?」
アリアは絵に描いたような驚きに満ちた表情をレイトに向けてくる。
「ああ、地脈に含まれた魔力を分析すればすぐにな。問題は誰がこれを仕組んだか、だが・・・」
「それはさっきの人達の仲間じゃないですか?」
「お?奇遇だな、俺もそう思う。それにしても勘がいい。君の名前は?」
「アリアです」
「アリアか。君は冒険者だろう?依頼でここに来たのか?」
何か情報が見つかるかもしれないという僅かな望みでこうして質問をしている。
「はい。ギルドに貼られている紙を見て依頼を受けました」
「依頼主は誰だった?」
「モラリアの町長さんです。名前は確か、ヒックスだったはずです」
さっきの老人と同じ名前だ。同一人物で間違いないだろう。ヒックスという名前は二度聞くほどありきたりではなし、これで関係ないという方が驚きだ。
「一度モラリアに戻った方がいいかもしれない。ヒックスがいるかを確かめないとな」
「どういうことですか?」
「町長が黒幕の一人の可能性が高いってことだ」
レイト、そしてアリアを含めた冒険者四人はモラリアの街へと引き返す。ミラとミッチェルはそっとしておくのが今はいいだろう。二人の時間が何よりも大切なのは彼女らの表情を見ていれば何となく分かる。
レイトの目から見て、モラリアの街は簡素で住みやすそうな印象だった。見所はあまりなさそうだが、自然豊かで空気も美味い。余生はこういうところで過ごしたいとつくづく思う。
町長の家の様子を伺うが、人の姿はなくもぬけの殻だ。アリア曰く娘だと紹介してくれた子がいたらしいが、そういった少女も留守のようだった。
許可なしで家のなかにあがり、部屋をくまなく調査する。町長が何者なのか、それが分かる手掛かりはないだろうか。埃の被った古本や溜まりに溜まった手紙の束に目を通す。
地方の町長や村長からの挨拶や農作物の図鑑、土の成分の分析調査書など割りと真面目な資料が多い。
これだけ見ると立派な町長をしていたのは明らかだ。
やるべきことはやっていた。でもそれらを覆す裏の顔を持っていた、と。
何かないかと探していると、ふとひんやりとした空気が頬を撫でるのを感じた。
床を見ると歪んだ形の木板が並んであって、足を踏み締めると軋む音がやけに大きい箇所があることに気付いた。ほんの僅かな差異だ、気付かなくてもおかしくはない。
ただ違和感は一度気付くと水に絵の具を垂らしたかのように心に広がっていく。
アリア達は床の木板を持ち上げようとするが、しっかりと固定されていてビクともしない。
「任せろ」
ガントはアリアの肩に手を置いて、ニカっと笑って見せる。
「うん、お願い」
「……よいっしょ!!」
ガントは戦士としての技能は他の戦士よりも劣っているが、筋力は平均を遥かに超えている。潜在能力は非常に高いのだ。
ガントが刺さっていた鉄釘ごと木板を剥がすと、皆おおっと感心と称賛が混じった声を上げる。
「地下に繋がる階段、みたいだな。行ってみようか」
「あ、あの!」
「ん?」
「どうして分かったんですか?ここに地下があるって……」
「正確に分かったわけじゃないが、冷たい風が下から吹いてたからな。もしかして、と思ってな」
レイトを先頭に階段を下っていく。
暗闇を照らすためにムーヴライトを使用すると、後ろにいたアリアが凄いと声を漏らす。
どうやらムーヴライトの明暗調整が上手だと思ったようだった。
こういう初歩的な部分すら称賛してくるのはなんだか新鮮だ。
下っていった先には錆びついた鉄扉があり、頑丈な錠前が装着されている。
そのためもちろん押しても引いても扉が開くことはない。
「アンロック」
空気中の魔力をコントロールし、鍵を開いた。トラップらしき反応はない。
扉を開けると自動で照明が部屋を照らした。
視界に飛び込んできたのは筒状の水槽のような形をしたものだ。しかもそれがいくつも並んで置いてある。何が入っているのか目を凝らしてよく見てみると人の腕だった。
ひいっ。アリアは恐怖の声を漏らした。
腕だけじゃない。足や胴体なども保存液に漬けられた状態で置かれている。じっくり見てみるが、間違いなく本物の人間のものだ。
「これ……何ですか?何でこんな……」
「何かの研究をしていたのか……人体実験の結果?」
やばいやばい。独り言が多くなってきた。
でもこれはより一層興味が出てきた。正直どんな素性の相手なのかだけ知ることができれば満足だったが、思ったよりも巨大で危険な組織であるのかもしれない。
部屋の机に広げてあった資料に目を通してみる。
……人体の魔力を取り出すには?男と女の魔力量の違い?人体魔力を人形へと移し替える最良の方法は?か。
「人形を作るために人間が必要だったってわけか」
「人形って何なんですか?」
アリアではない少女が緊張した面持ちで聞いてきた。
名前は何と言ったか、移動中に聞いたんだが……そうだ、たしかモモだ。
「職業の傀儡師が使う武具だ。人の形を模様したそれを操って戦うのが傀儡師なんだ」
「ということはこれを作ったのは職業傀儡師ってことですね……」
「うん、そういうことだよね。つまりあの町長は傀儡師、それか誰かに人形を提供していたのかもしれないね」
頭の良さそうな少年、トウマは床に散らばった人形の一部分を拾い上げてからそう言った。
この部屋に入った瞬間は恐怖で顔を引き攣らせていた新米冒険者一行だったが、今はもう落ち着きを取り戻している。
どんなに経験が浅くても彼らはやはり冒険者なのだろう。
「こういう場合は皇帝陛下に報告するのが筋だな。あまりにも危険すぎる」
ガントが部屋を歩き回りながら他の皆に伝える。他の者も一様にその言葉に頷きを返す。
独りよがりにならないし、仲間の意見を聞こうとする姿勢がそれぞれに見られる。個人として強くなるかどうかは未知数だが、パーティとしては確実に強くなるだろう。
レイトにはそんな未来がうっすらと見えていた。