魔導士アリア
時々夢を見る。
ぼやけた顔の人間がこちらに向かって手を振っている光景を。それが誰なのかは分からない。なんせ顔がぼやけてしまっているから。
でも不思議と知っているような、いや知っているという言葉で表すには足りないほど親愛を抱いていたような、何の根拠もないのだが、そう感じてしまうのだ。
あなたは誰?
………………
そう問い掛けても答えは返ってこない。ただ私に向かって手を振っているだけ。
私に似ている手。でも似ていない手。
何度問い掛けても結果は同じだった。いつの日か問い掛けるのを止めてしまった。
でもいつも見るその夢は不快ではなかったし、私にとってはかけがえのないものになっていた。
ああまたこの夢だと、夢の中で安堵する。その幸福たる安寧を心の内側で噛み締めると同時に現実がアリアを引き戻すのだ……
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「アリア、もう起きる時間よ」
「ん、ん~、ん?」
「ん~じゃなくて、起きる時間だって」
声の主はアリアがくるまっていた布団を強引に引き剥がした。ごろんと勢いよく床に転がる寝間着姿のアリア。痛い。あと寒い。
「さぶっ!」
声にも出してしまうほどの寒さだった。
「寒いわけない。今は夏」
冷静な突っ込みでアリアは目覚める。夏でも朝が寒い日だってあるし、というか朝は寒いものでしょう?なんていうとまた突っ込まれるから自重した。
「……ミィちゃん、相変わらず早いね。というか強いねぇ、朝」
「いやわりと普通だと思うけど」
「普通って何?普通って」
「普通は普通。てかそういうのいいから。早く着替えなさい」
食い下がってみたが、すぐに一蹴された。
ミィちゃんと呼んでいるが、この母親みたいなことを言う少女はミッチェル。アリアの仲間の一人だ。ミッチェルだからミィちゃん、他の女子の仲間が一人いるのだが、彼女もミィちゃんと呼んでいる。ミッチェルは最初その呼び名が気に入らなかったらしく、拒否反応を示していたが、すぐに諦めたようでこれが定着した。
「今日はまず冒険者ギルドによって依頼を確認しないとね」
ミィちゃんは鏡に前で服装のチェックをしている。
右を向いて、左を向いて、また右を向いてと念入りに確認していた。
「昨日はクタクタになったのに、またか~」
昨日はゴブリン退治の依頼を受けて一日掛けてそれを達成した。余裕だろうなんて鷹を括っていたが、予想よりも遥かにしんどかった。ゴブリンってあんな強かったっけ、と何度思ったことか。
アリアの冒険者パーティは5人のメンバーで構成されている。
というかまず冒険者とは何かを説明しないといけない気がする。冒険者というのはギルドの依頼を達成してその見返りとして報酬を貰う職業だ。ギルドに張り出される依頼を本当に多種多様で人探しや身辺調査、モンスター討伐や素材納品などがあったりする。なかには身内の結婚の後押しなんていうちょっとよく分からない依頼があったりもする。
それはギルドに依頼を打診するのがその国の国民がほとんどだからだ。困ったことがあればギルドに打診。この依頼を張り出してくれと言えばギルドはどんな内容でも検討してくれる。
ただそれに見合うお金をギルドに納める必要がある。そのお金の一部が冒険者の報酬になるためだ。
困難な依頼ほど報酬は高くなる、つまりギルドに難しいと判断された依頼は高額な金銭を納める必要が出てくるということだ。
といっても難しい依頼をこなせるほど今のアリアのパーティのレベルは高くない。ゴブリン退治で手こずるのだからそれは明白だ。
今は地味で簡単な依頼をこつこつと達成していくしか冒険者として生きていく道はない。
アリアは欠伸をしながらベッドから体を起こした。
朝の日差しが目に入り、たちまち瞼が閉じてしまう。
「はあ………あれ?モモは?」
「もうギルドに向かったよ」
「え?あの子いつも私よりも起きるの遅いのに。どうしたの?」
「昨日の失敗が効いてるんじゃない?」
「昨日は仕方ない気がするけど。あんなにゴブリンいると思わなかったし」
モモはアリアのパーティのメンバーだ。彼女は付与術士の職業に就いているので主に後方支援がメインとなる。上位の付与術士になれば前衛を張れるようなスキルを覚えることができるそうだが、それは雲の上のような話だ。
昨日は帝国の外れの村に赴き、そこに出没するというゴブリンを退治するという依頼を受けた。
村には防護柵が張り巡らされていたが、所々が突き破られていて意味を成していないようだった。
どうせ数匹だろうと予想していたのだが、待ち構えていると二十を超える個体が次々と現れた。冒険者になって初めての驚愕と恐怖と不安が入り交じった複雑な感情が湧き出てきたのをアリアは自覚した。
モモは特に魔力の消耗が激しく、付与魔法を行使できなくなるほどだった。後半はメンバーに付与魔法が掛かっていない状態で戦闘を行うことになってしまった。それをモモは悔いていたし、反省していた。
でもアリアとしてはそれを仕方ないと思っていた。ゴブリンは第一陣と第二陣に分かれてきたのだ。第一陣はさっきも言ったように二十ほどの個体。そして第二陣は半分ほどの十匹ほどだった。第二陣を相手にしているとき、前半のような動きが出来ていた者は一人もいなかった。正直誰かが死んでもおかしくない状況だったと思う。
奇跡的に皆生き残った。こんな風にいつも通りの朝を迎えられるのは当たり前じゃない。ミィちゃんに朝起こしてもらって何気ない会話ができるのも当たり前のことではないのだ。あの時死んでいたかもしれない。そうなれば残された者たちの全てが変わってしまうだろう。アリアはパーティのメンバーが死ぬ想像をした。あり得ない、あってたまるかと想像を霧散させる。そして同時にどんな依頼でも気を抜かないようにしようと心に決めた。
疲れているからといって少し気を緩めすぎていたとアリアは反省した。
顔を洗い、身だしなみを整えてから宿屋を出る。
アリア、ミッチェル、モモの三人は同じ宿屋に泊まっている。一泊で5カパーという破格の値段でありながら、しっかりとしたふかふかのベッドが完備されているので彼女らはこの宿屋の常連となっている。
まあ常連というかこの古今亭が家のような存在になっている。
男子メンバーは……よく分からない。たまに野宿したりもするらしいが、それはお金がピンチの時くらいで、いつもは色んな宿を転々としているらしい。
「あれそういえばミィちゃん、新しい杖買うって言ってなかったっけ?」
「あ~、う~ん……正直迷ってる。だってあの杖、40カパーもするんだよ?8日分の宿泊代じゃん。なんか勿体ないなぁって思ってね」
確かに40カパーは高い、と思う。そんな価格の武器をアリアは購入した経験がない。アリアは背中に背負っていた杖を手に取る。この魔導士の杖で3カパーだ。もっとも安価な値段で買える杖として有名で多くの新米冒険者が手にしている武器である。ミィちゃんが持ってるのはもっと良い杖らしいけど、それがいくらしたのかは聞いてないから分からない。
まあとにかく40カパーは新米冒険者には高いということだ。
「ミィちゃんは治癒士だからその良い杖使ったら魔法の回復効果が上がるとかあるのかな?」
「私が欲しい杖はまさにそうだよ。クザンロッドっていう名前の杖で回復効果微増だったはず」
「いいじゃん。回復効果が増えるならパーティにとってもメリットがあるし」
アリアは杖の購入費をパーティで負担することを提案したが、ミィちゃんは首を横に振った。
自分で扱う武器は自分で貯めたお金で買いたいとのこと。でもそうかもしれない、アリアもみんなのお金で買った武器は壊さないようにしようと思って大切に扱うような気がする。
そんな話をしているうちに冒険者ギルドに到着した。
アルキメデス大帝国東区カルカッタの冒険者ギルド……ここがアリアのパーティが頻繁に訪れている場所だ。というかこのギルド以外の他のギルドに立ち寄った経験はまだない。
もちろんアルキメデスにはカルカッタの冒険者ギルド以外にも多くのギルドが存在する。一番有名で、規模も大きく、優れた冒険者が訪れる場所はやはり中央区ノーバスの冒険者ギルドだろう。帝国の冒険者ギルドの総本山であり、冒険者ならばこぞって目標に掲げるギルドだ。あの場所のSランクの任務を受けたいとアリアも強く思っている。
二人がギルドの中に入っていくと既に数人の冒険者の姿があった。みんな早起きだなと思ったのと同時にこっちこっち!とアリア達に声が掛かる。
「ずいぶん遅かったね」
「どうせアリアが起きなかったんだろ?」
二人の少年が隅にある小さな円卓に向かい合った状態で座っていた。
「正解」
「ごめんごめん、悪かったって。もう寝坊しないから、絶対」
アリアは顔の前で手を合わせた。
少年二人の口調は攻めているものではない。いつもの軽口、挨拶みたいなものだ。
「あれ?モモはどこさ?」
ミィちゃんが少年二人に尋ねる。二人の名前はガンドとトウマ。アリアのパーティでかけがえのない前衛の二人だ。
ガンドはカップに入っていたカフェモカを飲みながらギルドの受付を指差した。そちらに視線をやるとモモが受付嬢と話をしているのが目に入った。
「何してるの?あれ」
「次に受ける依頼の相談してくるって言ってたぞ」
アリアはモモに近付き、声を掛けた。受付嬢の話を熱心に聞いているようだった。
「モモ、なんか良い依頼はあった?」
「あったよ!これなんかどう!?」
少し興奮した様子でアリアの顔の前に依頼の張り紙を広げた。
シルバーウルフ五匹の討伐。
場所は大帝国領モラリアの外れにある洞窟。
報酬は50シルバー。
モモが興奮したのもわかる気がする。50シルバーなんていう報酬は少なくともこのギルドでは聞いたことがない破格の金額だ。嘘じゃないかと疑ってしまうほどだ。
モモもそれを受付に確認していたのだろう。
「すいません、これホントですか?報酬50シルバーって……」
アリアも再度確認する。答えがどう返ってくるか予想はできたが、それでも自分で確認したかった。
「ええ、事実です。依頼者の方からも既に金銭は受け取っておりますので、この依頼を達成していただければ50シルバーの報酬を受けることができます」
「シルバーウルフ五匹の討伐、っていうのも間違いないですよね?他のもっと強いモンスターがいるとかはないですよね?」
「その懸念は最もです。今回の依頼についてはギルドの方でも多少疑念があったので、依頼の偽りがないかどうか調査をしました。結果として問題なし、つまりシルバーウルフ五匹の討伐で間違いないという結果になりました。それ以外の強力な魔物の姿は確認されませんでした」
「そうですか、わかりました。どうもありがとうございます」
「ねえ、アリア。これにしよう?」
「一度みんなのところに行って許可をとらないと」
「あ、そうだね。ごめん、ちょっと焦りすぎちゃった」
反省反省とモモは頭を掻いた。
昨日の失敗を何とかして挽回したいという気持ちが焦りに繋がっているのだろうか?憶測でしか分からないが、そう思えてならなかった。それは良い結果にならない気がする。モモの行動には注意をしておく必要があるかもしれない。
ミィちゃん、ガンド、トウマの三人のもとに戻り、依頼について話すとみんな同じように胡散臭いと感じたようだった。しかしこんなにも最高の依頼が存在しないのも事実だ。
アリアは四人の表情を順々に見つめていく。
みんな思っていることは同じのようだ。あとは覚悟の問題。
「シルバーウルフはゴブリンよりも強い。でも五匹なら問題ない、と思う」
「ああ、そう思う。この依頼を受けるべきだ。じゃないと他に取られちまうぜ」
ガンドは覚悟を決めているようだ。
「俺も受けた方がいいと思う。50シルバーを逃す手はないよ」
トウマも同様。アリアはミィちゃんに目を向ける。
「うん、私も覚悟を決めたよ。安全圏の依頼ばかり受けても上は目指せないもんね」
モモはというと……聞くまでもないようだ。
「全員、賛成だね。うん……私もみんなと同じ気持ちだよ」
「よし!決まったな!んじゃ、早速受付行こうぜ!」
ガントはやる気満々に立ち上がり、アリアの持っていた依頼が書かれた紙を手に取った。
「よし、トウマ行くぞ。俺らで受付済ましてくるわ」
「うん、わかった。お願いね」
「あれれ?最弱アリア派のみなさんじゃないですかぁ~?こんなところで何をしてるんですかね~」
三人はギルドを出ようとしたが、聞きたくない声が鼓膜を不快に揺らした。
最悪という言葉がアリアだけでなく他の者の頭にも浮かんだ。そして同時に小さく溜息を漏らす。ストレスが込められている不幸せな溜息だった。
「無視だよ、無視」
「「うん」」
ミィちゃんとモモは同時に頷いた。
「昨日はゴブリンに苦戦したんだって?」
がはははっと爆笑する男を無視して三人はギルドを出ようとする。
お前ら辞めちまえよだとか、冒険者の恥だとかいつも通りの悪口がホースから出る水のように噴射される。でも抗体ができるほど言われ慣れているので全く問題ない。
と思った矢先、男は何を血迷ったか突然モモの腕を強引に掴んだ。
「ちょ……やめて!」
痛かったのか、モモは眉を不快気に曲げた。
「何してるの!放しなさいよ!」
苦痛に満ちた声を出したモモを庇うようにアリアは男の腕を取り押さえる。手を出してくるなんて思わなかった。まさかという驚きとあり得ないほどの怒りが沸々と湧き出てくる。
男は容易く腕を離して、またもアリア達を挑発してくる。
「け、おお?何だやるか?」
アリアは男を強く睨みつける。
「ボーグ、その辺にしときなさい」
突然名前を呼ばれた男はつまんねぇとでも言いたげな様子でアリアから離れる。
「ちっ、邪魔が入った。だがお前らみたいな雑魚が冒険者をやってるってのは気に入らねぇ。もう俺の視界に入るんじゃねぇぞ」
ボーグはギルドの依頼掲示板の方へ歩いていった。
アリアは小さく息を吐く。内心ホッとした。ここで小競り合いが起きたらギルド出入り禁止になるのは間違いないからだ。
「あなたたち、大丈夫?」
「あ、はい。ありがとうございます、リディアさん」
淡い栗色の艶やかな長い髪を肩まで伸ばし、薄紅色の蝶々がモチーフとなった髪飾りをつけた大人の女性。大人の女性といってもアリア達から見ての話だ。二十代中盤の若い女性というのが一般的な印象だろう。
彼女はリディア インストラグル。カルカッタに出入りする冒険者のなかでは五本の指に入る実力者だ。実力があるに加えて人格者でもあり、何よりもアリア達のような末端の冒険者にも優しく接してくれる。モモもミィちゃんもリディアと対峙し、自然な笑顔を浮かべていた。
アリアは感謝を込めて深々と頭を下げた。
「いいって。ボーグのああいうのはどうにかして止めさせたいんだけど、さすがにそれは難しいし。これくらいしか出来ないんだよね」
あのムカつく最低野郎はボーグという名前の冒険者だ。リディアと同じくカルカッタ五本の指に入る実力者であると同時に帝国貴族本家の家柄なのだ。アルカハム家は特に大帝国東地区で絶大な権力を持っているため、このカルカッタ市では好き放題やっている。もしボーグが何か目に見えた不利益を被った場合、その者が冒険者ならば確実に冒険者稼業を引退しなければならなくなるだろう。アルカハム家によるギルドへの圧力によって、それが可能性として起こりうるというだけで冒険者達は恐れを抱いているのだ。
だからこそこの町にいる者はボーグの行為に口出ししない。見て見ぬふりをする。そりゃあそうだ、仕事がなくなるのが一番辛いだろうし。アリアは何度も我慢していた。これが初めての暴言ではないのだ。でも今回は仲間に危害を加えようとしたように見えた。それだけは絶対に許せない。
こうしてリディアに感謝しつつもボーグに対する腹の虫は収まっていなかった。
「あいつには近づくんじゃないよ?百害あって一利なしだから」
「はい、ありがとうございます」
リディアは背を向けてギルドを出ていった。
「おーい、ん?……どした?」
ガンドはギルドの中にいたにもかかわらず、どうやらボーグの行いに気付かなかったらしい。隣にいたトウマは気付いていたようだが、何が起きていたか説明はしなかった。説明すればまず間違いなくボーグに殴りかかるだろう。トウマの賢明な判断だ。
「ううん、何でもない。受付、終わったの?」
「おう!終わったぜ!えっとどこだっけ……モラリアだっけか?早速向かおうぜ!」
ガンドは先頭をきってギルドの外に出ていった。
モラリアは石門を抜けた先にある最初の町だ。帝国領にある町のなかで主にジャガイモの生産が豊富で、ビシソワーズとかいう名前のスープがモラリアの家庭の味だという話をよく聞く。アリアは飲んだことがないので、いまいちピンと来ていない。
この機会にビシソワーズとかいうのを飲んでみるのも手かもしれない。
カルカッタを東にずっと進んでいくと首が痛くなるほど見上げなければ到底視界に収まらない巨大な石門が見えてきた。
馬車を使わず、ずっと歩いていたアリア達一行には疲労の色が見て取れる。
初めて見た人はこの巨大な石門に腰を抜かすほど驚く。実際そんな行商人や冒険者を目にしたこともある。それは滑稽な姿ではあるけれど、気持ちがわかるので微笑ましさも感じる。
アリアも今はもう何も思わないけど、子供の頃はよく石門を見にここに足を運んだものだ。
でも、それにしてもでかい。
昔、母に聞いたことがある。何でこんなでかい必要があるのかって。人が通るくらいならもっと小さく作ればいいじゃんって当時の私は思ってた。
大帝国の繁栄を他国からの来賓に見せるためだと知ったときはなるほどと思った。つまりアルキメデス大帝国はこんなにも発展しているんだと示すことで大帝国と戦争をしたところで勝てっこないと思わせるのが狙いなのだろう。
アリアが生まれるずっと前から存在している石門は東西南北の四方に設置されている。他の三つも似たような作りで大きさは全て同じ。
ここを抜ければ広大な平原が広がっている。名前はエルシャワ平原、だったと思う。
石門を抜ける際に少々面倒だが、帝国国民の身分証の提示をしなければならない決まりがある。
アリア達はいつもその写真付きの身分証を携帯している。これを無くすと他国の人みたいに入国する際にお金を払わなければいけなくなる。しかも1シルバーという新米冒険者にとっては大金だ。100カパーと言った方が多く感じるかもしれない。というかアリアは未だにシルバー、いわゆる銀貨というものを見慣れていない。金貨など持ってのほか。白金貨など本当にあるのかも疑わしいと思っているほどだ。
まあそんなこんなでトラブルもなくスムーズに提示を終えたアリア達一行は荷車でごった返す石門入り口を速やかに後にする。
エルシャワ平原に出れば歩いて一時間半ほどでモラリアの町だ。季節を考えれば暑くてもおかしくないが、幸運なことに今日は涼しい。日が出ているのにもかかわらず涼しいのは珍しい気がする。
時折ガントの大食い話で盛り上がりつつ、アリア達は最低限の疲労でモラリアに到着することができた。
「ここがモラリアかぁ~」
「モモは初めてだった?」
「そうなの。アリアは来たことあるんだっけ?」
モモの視線は横手に広がっているジャガイモ畑に向けられている。
「一度だけね。でも一日もいなかったから全然詳しくないよ」
「ビシソワーズが有名だよね?」
「あ、それ知ってる。ちょっと興味あるんだよね」
「奇遇だね。モモも飲んでみたい」
「おいおい、なに盛り上がってんだ。はやいところ依頼済ませちゃおうぜ」
盛り上がる二人に釘を刺すようにガンドは言った。何だかいつもよりも張り切っている様子だ。いや張り切りすぎている気がする。
「もっとリラックスしていこうよ!」
「何言ってんだ、モモ。昨日の苦戦を忘れたのか?」
「いや忘れてないよ!てか忘れないよ、昨日の今日だよ?」
「じゃあそんな気を抜くなよ」
「気を抜いてるつもりは……リラックスしてる良い状態だよ?」
「まあまあ、ガント。まだ町に着いたばかりだよ?少しは休まないと。今日は一泊しよう。疲れた状態でシルバーウルフ五匹の討伐は難しいと思うし」
ガントは仕方ねえなと呟き、町のなかに入っていく。こういう時にガントの逸る気持ちを抑える役割をしてくれるのはトウマしかいない。いつも本当に心強い。
モラリアの町は石門内部の町並みとは違い、高い建物はなく平屋ばかりで町というより村といった感じだった。すれ違う人はほとんどが高齢者で子供の姿はまだ一度も見ていない。
トウマが言うにはモラリアに住む80%の人が60歳以上の人族種で、ここで生まれ育った若者は門内の仕事に就く者が多いらしい。なかには農家で働こうと考える者もいだが、それはごく稀だという。
「話には聞いてたけど門外の過疎化は深刻みたいだね……いやここまでとは」
トウマは博識で大帝国に関する知識だけでなく幅広い分野の知識を学んでいる。学ぶこと自体が彼の趣味なのだ。その知識で助けられたことが何度あったことか。
「おじいちゃんおばあちゃんばかりだねぇ。でも元気そう」
「やっぱり畑仕事で足腰鍛えられてんじゃねぇか?」
モモとガンドは畑を耕している町民の姿を見ていた。アリアも視線を向けてみたが、確かに力強いし、何より動きにキレがあるように感じる。
「お、何じゃい?君ら」
やはりこちらに気付いた。そりゃあ気付くよね、だって一分以上は見ていた気がするもの。
アリアは一度頭を下げてから門内の冒険者です、と名乗った。
「おお、そうかい。冒険者さんかい。ん?……ってことは依頼を受けてくれたのかい?」
これは話が早いかもしれない。これから町長に会って依頼についての話を聞かせてもらおうと思っていたところだった。その前にビシソワーズなるものを頂こうとは思っていたけれど。
「はい、カルカッタの冒険者ギルドで依頼を受けました。シルバーウルフ五匹の討伐でしたよね?」
「そうじゃ、その依頼じゃ。これはこれはありがたい。わしはモラリア町長のヒックスじゃ。よろしくな」
まさかの町長さんだった。偶然とは奇妙なものだ。
「町長が畑仕事してるとは思わないよね、普通」
「うん、びっくり」
ミィちゃんとモモの言葉にアリアも同意だった。
でもそれくらい町民との垣根というものが存在しないからなのかもしれない。
土だらけになりながらふうっと一息ついてから町長のヒックスは持っていた鍬を手放す。
「んじゃ、腰を落ち着かせて話をしよう。こちらへどうぞ」
案内されたのは畑から見て右側にあった一軒家だ。ここが町長が住んでいる家らしい。周囲の家と大きさから何から至って変わらない。
モラリアには貴族は一人もおらず、平民だけなので自ずと町長に選ばれる人も平民になる。豪勢さとは正反対の質素な生活地域だということか。
玄関の扉を開けるとおかえりなさいという透き通るような女性の声が聞こえてきた。姿は見えないが、カチャカチャと食器を洗う音がする。
「ただいま、リザ。さぁどうぞ、入って。こちらの部屋に」
「お邪魔します」
テーブルを挟んで焦げ茶色のソファが向かい合っている。自室ではなく、どうやら来客用の部屋らしい。
この家に部屋は三つしかないのに、一つは来客用というのはそれだけ多くの人が訪れてくるのだろう。想像しただけで大変なのが分かる。
お茶を用意してくれたのはヒックスの娘さんだった。リザという名前でおそらく十代半ばくらいの年齢だろうか。鼻筋が通った綺麗な少女で、年齢には似つかない大人びた首飾りをしているのが印象的だった。
濃くもなく薄くもない優しい風味のお茶。魔法でも使っているのでは?と思ってしまうくらいに美味かった。
アリア以外も一口飲んだお茶のおいしさに驚いているようだった。うめぇというガンドの声が聞こえた気がした。
「美味しいですね、このお茶。どこのですか?」
「南のガルーナという町で栽培されている茶葉でね。前に飲む機会があってその時に娘が気に入ったんだよ。それを取り寄せてるんだ」
「いやー、娘さんの気持ちもわかります!これは気に入りますよ!」
特にモモは気に入っているようで、飲むたびに表情を緩めている。
でもガルーナはここからかなり南にある町なので、茶葉を取り寄せるには相当の手数料が掛かるのではないか。
「依頼はシルバーウルフ5匹の討伐でよろしかったですよね?」
「ああ、そうだ。場所はモガ洞窟と言ってな。モガ山の入山口にひっそりとある洞窟なんじゃが、最近シルバーウルフの目撃が多くなってな。迂闊に近づけん」
「あの、すみません。トウマと言います。五匹、というのは正確な数なのでしょうか?もっと多くいるという場合は?」
「正直なところ、五匹というのは最後に確認した数なんじゃ。……今から五日前じゃな。その時は間違いなく五匹じゃった。洞窟に入って確認してもらったからな」
「確認した人がいらっしゃるんですか?」
「ああ、ただそやつは町におらんのだ」
「それは何故でしょう?何か用事が?」
「体調を崩してな。洞窟に潜ったことでストレスが溜まってしまったのかもしれんのぉ」
ヒックスはその人物を心から気遣っているように少し俯き気味で言った。
「……そうでしたか。それは気の毒に。しかし五日前に五匹だったということは多くても十匹もいないかな……」
「そうなの?」
こういう時に話を進めてくれるトウマの存在は本当にありがたい。正直言うとトウマがこのパーティのリーダーをやった方がいいのではないかと何度も思ったし、いまだに思っているくらいだ。
「うん、おおよそだけどね。シルバーウルフは基本的に群れをなさないし、多くても十五匹くらいが最高かな。でもそれは平原や森林の場合。今回は洞窟だからそれよりももっと少ないはずだよ。まあ確実なことは言えないけど」
「すごいね、さすがトウマ!私たちの頭脳だね!」
モモの言葉にアリアも同意の印として頷きを示す。
「ううん、そんなことないさ。これくらいね」
「まあ今日はもう暗くなるから、どこかに泊まった方がいい。宿は決まってるかい?」
まだ日が暮れているわけではないが、依頼を達成した時には真夜中になっているだろう。そうなると帰ってくるまでの道のりにモンスターが多発する恐れがある。
「いいえ、まだ」
「じゃあこちらで手配しよう」
「本当ですか?それは助かります」
モラリアを訪れたことがあるのはアリアとトウマだけだが、二人共ここ周辺の土地に詳しくはない。だからこそヒックスの申し出は願ってもないことだった。
それからヒックスと何気ない話をした。町長としての苦悩や娘との思い出などヒックスはとても話しをするのが好きなようだった。特に娘さんの話になると表情が明らかに変わり、心からの笑顔を見せていた。
ああこんなにも娘さんを愛しているんだなと不思議と羨ましくなるほどだった。
アリアの両親はもういない。母親は自分が赤ちゃんの頃に亡くなったと聞いたし、父親は五年前に隣国との戦争で帰らぬ人となった。母親は覚えていないが、父親との思い出は記憶にある。といっても戦争に駆り出されてほんの少ししか一緒にはいられなかったのだが。でもそれは彼女にとって最も大切なかけがえのない記憶となっている。
軍人であった父親とは似ても似つかないが、ヒックスの父としての姿を自らの父に重ねてしまうのはアリアにとって必然だった。
ヒックスの家を後にする時にはすっかり肌寒くなっており、燃えるような夕焼けがおどろおどろしさを感じさせた。カルカッタではこんな夕焼けは見たことがない。アリアは目を細めてじっとその光景を見つめていた。
「うわあ、なんかすごいね、今日の空!」
「うん、なんか変な感じ」
「アリア、こういう時は綺麗……っていうもんじゃないの?」
「じゃあモモはこれ綺麗だと思うの?」
「うーん、綺麗?だと思えば綺麗じゃない?ね、ミィちゃん?」
ミィちゃんはあまり興味がなさそうだった。お腹が減ったとしきりに言っていたので、今は何か食べたいと思っているのだろう。
確かにお腹は減った。
「ミィちゃん、何食べよっか?」
「お腹が膨れるものがいいな」
「じゃあビシソワーズじゃ駄目だね」
「それと何かならいいんじゃない?それだけしか食べちゃいけないなんてことないんだから」
カルカッタからモラリアへの移動中に昼の食事は済ませてあったが、握り飯一個だけだったので物足りなかった。げんに今、非常に腹が減っている。ジャガイモで作ったスープでは満足できないだろう。
「んじゃあよ!肉だ!肉を食おうぜ!」
ヒックスにもらったモラリアの地図を確認しながら宿屋へ向かった。モラリアの町自体そこまで広くはないので、迷うことなく宿に着くことができた。
宿屋の主人に飯屋について聞くとこの宿でも提供してるとのことだった。しかももし宿で食べるなら無料で提供してやってくれとヒックスに言われているらしい。
そういうことならば宿屋で食べた方がいいということになった。わざわざお金を使う必要はない。ド貧乏なんだから。
初めてのビシソワーズは冷たい喉ごしとじゃがいもの甘さが程よくて美味だった。
明日の依頼の達成、頑張ろう……