泥と青
魔力が天高く聳え立つ虹色の塔を作り上げる。帝国の壁内からでも見えるほどに巨大だ。
エメラマが漂わせる魔力の量は周辺にいる魔物たちに異変を生じさせる。魔物たちはビクビクと震えながら逃げ惑っている。この場から少しでも遠くに行きたいという気持ちが行動に表れている。エメラマの魔力が見えない棘のように殺気立っていて、その場に留まっていられないようだ。
地震に似た現象にサファイアは動じることなく、状況を冷静に把握しようとしていた。
エメラマが仕掛けた罠魔法が炸裂したのだ。
大規模広範囲魔法。地形自体を変動させてしまうほどの魔法はサファイアも初めてだった。襲い掛かってくる地動を上手く避けながら移動しながらも目線はエメラマから離れることはない。
エメラマの方もサファイアが自分から視線を外さないことに気付く。ここまで荒れている環境のなかでも一切隙を見せない。少しでも目線を切ったら石の雨をお見舞いしてやろうというエメラマの魂胆はどうやら透けて見えていたようだ。
手強いとは理解していたし、必ず勝てるとも考えていなかったが、ぶっちゃけた話ここまで勝ち筋が見えない相手だとは思わなかった。エメラマはどうすればいいだろうと悩む。そして悩んだ結果、一気に攻勢に出る。迷っていても仕方ない。相手も同じように出方を伺っている。ならばそれにあえて答えてあげよう。
エメラマの周囲に存在する赤土が無重力状態のように宙を漂いはじめる。一つ一つの粒が結合を繰り替えし、密集した塊は鋼をも超える強度を持つ物質へと変わる。
「鋭利尖」
エメラマの呟きと同時に赤土の塊は鋭い針のような形状に変化する。
人差し指を軽く動かす。それが発射の合図となる。
食事に群がる虫のように土の棘がサファイア目掛けて一直線で飛んでいく。
まだ。まだ終わらない。これだけじゃない。
エメラマは追撃の手を緩めない。鋭利尖の行く末を見届けることなく、新たな魔法を行使する。
「地中樹根」
地面が盛り上がり、一本の鞭のようにしなる土の根が出現する。荒々しく振られ、地面を叩き、陥没させる。狙いはサファイア。土の根は下敷きにするべく即座に動いた。
そんなもので倒せると本気で思っているのか……サファイアはそんな挑戦的な眼をしていた。
勘違いをするな……エメラマは同じように視線で発する。お前の実力を見せてみろという試験的な魔法だと。
それを理解したのか、サファイアはニヤッと笑う。
「いいだろう。私の剣を見せてやろう」
青白い光の剣を構え、今まさに飛んでくる土の棘と巨大な土の根を迎え撃つ。
届かぬ間に宙を鋭い一閃が刻まれる。その斬閃が生み出すものは全てを一刀両断する究極の傷痕。
「無我の傷痕」だ。
そうだ、その技の名前を聞いたことがある。何故今まで思い出すこともなかったのか。神話の剣豪が用いた技の名前。その効力もまさに今目の前で起きた現象そのものだ。
ということはつまり……
「神話上の人物の生まれ変わりとでも言うの?」
魔力を断ち切る一振りで全てを無力化した。軽く宙を斬っただけでバラバラに霧散していく大地の一辺。
「私に魔法は効かない。よってエメラマ、魔導士であるお前が勝つことはできない」
サファイアは力強く断言する。
エメラマの職業は魔導皇で、魔導士の上級職である。そしてサファイアは剣士の最上級職である剣神だ。剣神を極めた者だけが会得できる技能、「無我の傷痕」はサファイアの言う通りあらゆる魔法を斬り、無効化することができるというもの。これは魔導士にとっては脅威でしかない。職業だけを考えれば魔導士と剣士の実力の上下が決まっていると一般的には考えられている。もちろん個人の特殊能力などを鑑みれば勝敗は変わってくる。
「職業だけを考えればその通りだね。でもそれだけで勝負は決まらない。そうでしょ?」
エメラマに焦りは見えない。それがハッタリなのかどうかはサファイアには判断できなかった。
「そうだな。そう言うからには何か見せてくれるのか?」
「う~ん、もうちょっと待ってくれれば」
「すまないが、待つつもりはない。お前を拘束する。……本当は殺したいがな」
「感情が揺さぶられる姿。うん……いいね。もっと見たいな」
サファイアの体が突風と化し、銀閃が煌めく。
地面の土が沼のようにドロドロに変化する。液状化した地面に足を取られないようサファイアは跳躍する。エメラマがさっきまで座り込んでいた丸岩は沼のなかにゆっくりと沈み込んでいた。
どうやらエメラマは地形を変化させる魔法が得意なようだ。地形変化は大規模魔法なので、魔力の消費はかなり激しいはず。ただ全く魔力が不足しそうな雰囲気はない。
サファイアが今まで戦ってきた相手、その中に魔導皇の職業を持つ者は一人しかいない。
その魔導士と比較した際にエメラマは魔法だけに特化したタイプだといえる。魔法以外の戦闘力は皆無だ。動きがない分、そこは戦いやすい。魔法にだけ注意しておけばいい。地面や空気などの環境の変化は問題ない。飛んでくる魔法も無効化できる。踏み込めないほど隙がないわけじゃない。
でも……
何か不安がよぎる。
倒せるであろう機会はあるのにどうも泳がされているようにも思う。ここまで戦闘中に迷いが生じるのは初めてだ。
サファイアはエメラマの周囲を凄い速さで走り続けている。
こちらの迷いを見透かしているのか、エメラマはサファイアを見てにこりと笑っている。
「隊長!大変です!中央区で反乱です。首謀者はアンノウンの最高幹部たちです!」
ヴェンとリュートの二人がサファイアのもとに駆け付けた。
南地区の騎士のなかでは優秀な二人で、サファイアの護衛としていつも傍に控えている。そんな彼らがもたらした話は予想もしていなかったものだった。
ヴェンとリュ-トの二人に南地区を任せて、サファイアはルージュ平原に出向いたのだが、壁内ではより深刻な事態となっているようだ。
まさか目の前のエメラマだけでなく他の最高幹部も動き出しているなんて。
今すぐにでも皇帝陛下のもとへ飛んでいきたいが、このままエメラマを放置するわけにもいかない。
出来るだけ早く倒すしかない、長剣を握る手に力が入る。
「こいつをすぐに倒して中央区に行く。ヴェン、リュート……お前達は先に中央区に急げ。皇帝陛下をお守りするんだ」
「我々も戦います!隊長!」
「いや私一人でいい。一人で十分だ。すぐに片をつける」
ヴェンとリュートは目を見合わせて、頷きを示した。
二人が遠ざかっていく姿を眠たげな目で見ながらエメラマは口を開く。
「本当に一人でいいの?人数が多い方がいいんじゃない?あ、それとも雑魚は足手まといって感じ?」
「あの二人は強い。お前よりもな」
「ふふふ、冗談?あんまり面白くないよ?」
「割りと本気で言ったんだがな」
「ならセンスないよ」
「一つだけ聞く。お前らの目的はなんだ?何がしたくてこんなことをする?」
何がしたい?そんな質問をするならば相手が違う。エメラマはアンノウンの目的など二の次。世話になっているから多少は達成しようと試みてはいるが、一番は自分の欲求を発散する。自分のしたいこと、そしてすべきことはただそれだけだった。
サファイアも言葉なくそれを察する。目の前にいる幼い子供が持つ欲は人を殺すことだけだと。目の奥の暗闇がそう訴えかけてくるのだ。
「……すぐに終わらせる。全て、な」
「楽しみ。でもあなたは中央区へは行けない。それはもう決定事項……」
エメラマは自らの目の前で音を立てて両手を合わせた。
彼女が呟いた言葉は「泥王召喚」。魔法の種類についてはあまり詳しくないが、それでも普通じゃない、特殊な魔法なのは理解できる。
言葉が紡がれたすぐ後に大地が上下に揺れ始める。地中に眠っていた古代の魔力が間欠泉のように噴出して、その全てがエメラマの体に纏わりついていく。
やがて大きなどす黒い繭が平原のど真ん中に鎮座して、静寂が訪れる。
風の音や衣が擦れる音も聞こえるくらい無の世界が続いていた。
パンパンに膨らんだ繭は破裂し、粘性の強い泥が溢れ出てくる。泥は獣を模した化け物の形に変異し、平原に恐れを撒いていく。魔物の姿は皆無。隣の森や他の地域に避難していったようだ。
泥王。
エメラマの深層のなかに潜んでいた魔力の化け物。
母親のお腹のなかで自我を持ったあの時からずっとエメラマの深層には「泥王」がいた。本人も自らの心の奥、その裏側に何かがいることは自覚していた。それがいったい何なのか知ったのは生まれ出てから初めて人の死に様を見た時だった。
動かない物体と化した人の器に視線を向けると、心の奥から愉悦に満ちた声が聞こえてきたのだ。
ーーー死は始まりで終わりじゃない。全ては有から無へと変わるのだーーー
何を言っているのか、何を言いたいのか未だによく分からないが、泥王と名乗ったその存在は憎しみや悲しみ、恐怖や絶望が最高の好物となるらしい。それから数ヶ月の間に自分のなかに生まれる思考がエメラマのものなのか、それとも泥王の影響下で生じたものなのか定かでなくなった。今この時もそれは変わらない。濁りあったような不明瞭な状態だ。
自分なのに自分でない。よく分からない存在が自分なのだ。
可愛らしい幼女の姿はどこかに消え失せ、代わりにサファイアの目の前に現れたのは泥を被った怪物だった。
「サア、タノシモウカ」
サファイアの表情が変わるところを見たかったが、やはり怪物を見ても顔色ひとつ変えない。少し残念だが、命を落としそうになった時はさすがに表情を一変させるだろう。それを楽しみにしておこう。
どちらが先に動き出したかは分からない。けれど静寂だった二人の間に火花が散るような攻撃性が生まれ始めた。
泥の幕が円柱状に広がり、エメラマとサファイアを同じ空間に包み込む。
地の利は間違いなくエメラマに有利だ。泥王を解放している状態でもエメラマ自身の意志が顕在できるように訓練し、自由に操れるようになった。これを身に付けるのに長い時間を要した。解放した途端、記憶を無くし、意識を取り戻した時には目の前の全ての生命を消し炭にしていることも多々あった。エメラマの力を確立させるしかるべき犠牲だった。
サファイアは動きを止めない。目まぐるしく動き、その俊敏さに目を奪われる。左右に視線を振り、エメラマが狙いを定められないようにしている。
掴めそうで掴みきれない。サファイアはまだ一度足りとも本気を出していない。ここまで底が見えない相手はエメラマにとっては初めてだ。
泥の弾丸が飛び交うなかでサファイアの動きは今以上に遥かに加速する。銀色に光る長剣が泥王となったエメラマを切り刻む。
強い。純粋な戦闘力ならば自分など相手にならない、エメラマはそう確信した。泥で塗り固められた身体が剥ぎ取られていく。再生速度よりもサファイアが破壊していく速度の方がより速い。
エメラマの意志が色濃く発現する。
「気になる。気になる、すごく」
「どうした?あまり芳しくない表情だが?私を倒すんじゃなかったのか?」
「うん、その気持ちは変わらない。でもここまでとは。サファイア ブルーバ―ド、あなたの強さの秘密を教えて?どうしたらここまで」
力への好奇心が湯水のように湧いてくる。敵だとしてもこんなにも超常なる力を持つ相手は尊敬に値する。
「どうしたらここまで強くなれるの?」
「強さに渇望するのならアンノウンから出ることをお薦めする。そんな小さな世界にいては私は越えられない」
小さな世界。そうか、私がいた場所は窮屈でせまい世界だったんだ。ならばここから出れば新しい自分になれるとそういうことなのだろうか。
アンノウンに未練はない。いやもちろん愛着はある。でも帝国を支配するという計画が成功しようが失敗しようが正直どちらでもいいと思っている。まあカムイの仇というかカムイが殺されたときに感じた憎しみを晴らしたいという気持ちはあるから帝国なんて滅べばいいとは思っているけど、それも幼子ながら懐かしいとすら思える。
殺戮の欲求さえ満たせる場所ならばエメラマはどこに身を置いてもいいと考えている。
ここではないどこかへ力を求める方がいいのかもしれない。
「あなたに勝てないのは理解した。でも中央区にあなたを向かわせるわけにはいかない。一応仕事だから目的は最低限果たす」
エメラマは全ての魔力を解放する。解き放たれた魔力は地面を泥に変えるだけでなく、巨大な岩や空に浮かぶ雲、そして空気、それら全てを泥に変化させた。
泥鬼門。エメラマが発動する最大規模の魔法である。そしてこの魔法はエメラマ自身も泥に変わってしまう自爆の魔法でもある。
逃れられる時間も場所も隙もない。たとえサファイアであっても。泥に呑み込まれるその瞬間もサファイアの表情に焦りが生まれることはなかった。それがエメラマには不満だった。もし何かの間違いで目を覚まし、この世界にいられたなら新しい世界で真なる力を手に入れる旅にでも出よう。ああ楽しみだと想像し、エメラマは悲壮感を見せることなく泥へと変わっていった。