神との出会い、そして懇願
突如として青年の体を包み込む黄金の光。それは天高くまで昇り、一本の柱を形成していた。
光の粒子が踊り狂い、朝の露と混じり合うことによって花火のように光が弾け飛んでいる。
何だこれ……?青年は今野外でできたての香り良きパンを頬張っていたところだった。せっかくのふわふわの食感を味わうことも出来ず、青年はただ困惑した表情を浮かべている。
周囲に人影はない。それもそのはず、ここは青年がよく訪れる秘密基地のようなものだからだ。いや秘密基地というと他に家があるように思われるか。彼の住まう場所はここしかないのだから。
光の輝きはより一層強くなり、眩しさで目が開けられなくなるほどだった。
新手の敵かとも思ったが、どうも攻撃性の魔法ではないらしい。
青年は目を瞑りながら口をモグモグさせて時が経つのを待った。周囲から敵意や害意は感じられない。だが、辺りに静謐な空気が満ちるのは分かった。眩しかった光は消え失せ、自由に目を開けられる状態となった。
「ここは……?」
さっきまでは青年は山の上にいた。だが今は神殿のような空間に立っていた。名残といえば右手に持つ食べかけのパンくらい。あまりの環境の違いに多少戸惑いはあったが、戸惑ったからといって何かが変わるわけでもない。……そう考えると客観的に状況を判断できた。
一番に考えられるのは転移魔法だ。ただ自分以外の誰か、もしくは何かを転移させるのはかなりの高等魔法で普通の魔導士は使えない。それにその魔法は転移させる物質に物理的に触れていなければならない。青年は誰にも触れられていない。ということは転移魔法ではないということになる。では何か……
分からない。結果として導かれるのは謎という漢字一文字だけ。
魔法に対しての知識は人並み外れていると自負しているが、それでも何も
浮かばなかった。
「まあ分からないものを考えても仕方ないか。疲れるだけだ」
青年はその場に胡坐をかいて天井を見上げる。見たことのない奇妙な紋章が描かれたステンドグラスが張り巡らされていた。床一面も透き通るほど磨かれた大理石で作られている。
すげーな……ここ。
青年は世界中の多くの神殿や聖堂に赴いた経験があるが、ここまで高尚な光景を目にしたことはない。
どこか現実感のない、夢の世界のような感覚がする。
「あまり動じていないようだな……さすがは下界最強の生物だ」
いつの間にか青年の前に白銀のローブを身に纏った人のような存在が立っていた。姿形は間違いなく人。でも存在が放つ空気は人間のものじゃない。生物というよりも寺院や宝玉といった神聖なる物と同じ空気を漂わせていた。
「人間……じゃないな。天使族か?」
「ほほう、知っているのか?」
「少しだけな」
天使族は文献で特徴をちらっと見たことがあるだけだが、何から何まで合致していた。
存在すると明記されていたが、誰もその姿を目にしたことはない。ただその文献を記した者は出会ったのだろう。それじゃなきゃ存在を明記することなどできない。そう思い立ったのはいいが、その文献が記されたのは三百年前なのだ。記した奴が死霊族じゃなきゃ間違いなく既に死んでいるだろう。
「じゃ説明は不要か」
「ん?いや、しろよ。説明」
説明は頼むよ?天使族がどうとかはいいからさ、何で俺ここに呼ばれたの?
「そうか?」
「これでも戸惑ってるんだ。何が何だかよく分かってない。何で俺はここに転移?させられたんだ?」
今の状況が転移という言葉で正解なのか分からず青年は疑問を抱いた。
「転移で合っている。私たちは召喚と呼んではいるが、同じようなものだ。まあ下界にはない異能だからな。疑問を抱いても仕方ない。お前、いや名前は確かレイト スノーヘルだったか?レイトを呼んだのは頼みたいことがあったからだ。承諾してくれるならばすぐに下界に帰還させよう」
あれは転移で合ってるらしい。そして下界というよく分からん単語が出てきた。ただ内容から考えるとレイトが生きていた世界がここではそう呼ばれているのだろう。ということはつまり今レイトは異なる世界にいるということだ。異世界転移させる魔法なんて聞いたこともないし、存在していいものじゃない、絶対。それに何でか名前知られてるし、承諾してくれるなら、帰還させる?いや言い方が柔らかいだけで完全に脅迫でしょう、それ。
レイトは心の中でため息をつく。決して表情には出さない。
「質問がある、えっと何個かあるんだが」
「何だ?」
質問は拒否だと言われなくてレイトは少しホッとした。さすがにそこまで鬼畜ではないらしい。まあやってることと言ってることは鬼畜そのものだけど。
「まずここは俺がいた世界じゃないってことでいいんだな?」
「ああ、そうだな。ここはお前がいた世界ではない。より上位の、いやこの言い方は誤解を生むか。簡単に言えば神が住まう世界というやつだ。お前たちが住む世界を構築したのはここにいるファストレイス様だ」
天使族は世界を構築することができる、レイトは自分が文献を記すときがあればそう書こうと現実逃避気味に思った。神が住まう世界って下界に存在する聖書のなかの世界と同じような感じなのだろうか。あまりの環境の変化にさすがに笑いがこみ上げてくる。
「ファストレイス、様?は神なのか?というか天使族は神様ってことか?」
「そうだ。お前たちが言う天使族は神のことだ。そして悪魔族が邪神のこと」
「ほう、そうなのか」
一応納得しとくけど、その内容は心でしっかりと咀嚼しないと理解するのは難しそうだ。
「あとは何かあるか?」
「いや、もう本題に入ってくれ。聞いてると疲労が溜まる」
レイトは頭を抱えたかったが、なんとか我慢した。
ファストレイスはコホンと一つ軽い咳をしてから口を開く。
「レイトよ、お前をここに呼んだ理由、それはお前に下界の七帝魔神を倒してほしいのだ」
しちていまじん?何それ?俺を勇者だと勘違いしてるんじゃないか?レイトの心に大きな疑問符が浮かぶ。
「何で俺なんだ?俺の職業は勇者じゃないぞ」
「勇者などという職で勝てるような相手ではない。そんな低俗なものじゃないんだ」
ファストレイスは首を横に振った。
この言い草からしてファストレイスはレイトの職業を知っているようだ。神というのは本当に全知全能なのかもしれない。
「だから俺を呼んだってことか?」
「お前は下界で最強の生物だ。それは間違いない。私が構築した世界だからこそ分かる」
自信満々だ。
「んじゃあ、その七帝魔神だか何だか知らないが、それもなんとかなるんじゃないか?神様なんだから」
レイトはファストレイスの背後に一瞬目を向けた。が、すぐに目を戻した。
「はっはっはっ、それが出来ればお前を呼んではいない。その七帝魔神は異分子でな。この世界にいる邪神が作り出した存在なんだ。それを送り込んできたわけだ。正直私にはどうすることもできん。私が作ったものならば消去するのは容易いんだかな」
「そういうことか。話は分かった。その七帝魔神は何のために送り込まれたんだ?んで、そいつらは俺らの世界で何をするつもりなんだ?」
「それも謎だ。何が目的かは一切分かってない。だが必ず消さなければならない、そうしなければお前たちの世界は終焉を迎える、間違いなく」
ファストレイスは確信した様子でそう断言する。
神様なのだからこの発言は信用度は高いだろう。全面的に信用するかは別として。
だがどちらにしろレイトに選択肢はないだろう。どんな無理難題な頼み事だったとしても受諾しなければ元の世界には帰れないのだから。
「分かったよ。その七帝魔神をぶっ潰せばいいんだな?」
レイトは観念したように言った。
「さすが話が早いな」
「早く帰りたいからな」
「懸命な判断だ」
ファストレイスはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。その表情が物語ることが何なのかは分からないが、そんなことはどうでもよかった。レイトはただただ早く帰りたいだけだった。
「七帝魔神がどこにいるかは分からないが、一つだけ手掛かりがある。それはアルキメデス大帝国の帝国魔導長官シラヌイが知っている」
「へぇ……」
誰もが聞いたことがある名前だ。世界的にも非常に有名な魔導士で世界に四人しか存在しない魔導神の職業に就いているほどだ。
レイトはシラヌイに会ったことはない。相手は大帝国の権力者。浮浪の身であるレイトが会えるような身分の人物ではない。
「シラヌイは魔神について調べているようだ。私より少なくとも現地にいる奴の方が詳しいだろう」
俺が言うのも何だけど神様なんだからもうちょっとトラブルへの対応力を身に付けた方がいい気がするぞ。
レイトがそんな風に思うと、すぐにファストレイスはむすっとした表情を見せる。
「トラブルに弱いな、こいつ……と思っただろう?」
「え、何で分かった?まさか神様って心読めんの?」
「馬鹿者。顔に出てるわ」
レイトはそのまま転移した時と同じように光の柱に包まれる。神殿の美麗な光景は名残惜しかったが、これで帰れると思うと、心が弛緩した。
光の輝きが収まり次にレイトが視認したのは自らの秘密基地だった。
レイトが消えてファストレイスは大きく息を吐いた。下界の人間と話すだけでここまで疲労が溜まるとは思ってもみなかった。
レイト スノーヘル、神ですらその奥底を推し量ることができない強大な力を持つ人間。
「気付かれていたようだぞ?お前の存在も」
「ええ、そうね。目が合ったのが自分でも分かったわ」
ファストレイスの背後には確かに何もなかったが、女性らしき声が聞こえた瞬間、何もない場所に女性が出現した。
「私の透明化を初見で見切るなんてたいした子ね。あの子が下界最強なのも頷けるわ」
「女神フィラネの透明化は神界でも一番の隠れ見だからなあ。ショックじゃないか?」
「ふふ、いいえ。全く。私なんかが測れる器じゃないわ。悔しいとも思わない」
女神フィラネは楽しそうに表情を緩ませる。
フィラネはファストレイスが構築した世界、いわゆる下界と呼ばれる場所に魔法という理を生み出した神様だ。熱魔法、水魔法、風魔法、土魔法、雷魔法、闇魔法、光魔法、七種類の基本魔法をはじめとして特殊魔法と言われる重力魔法、金属魔法、精霊魔法、付与魔法、召喚魔法などがある。特殊魔法のほかに固有魔法というその人にしか使えない唯一の魔法もあり、多種多様なものが存在している。それを生み出したのがフィラネだ。
ほかにも大陸の生成をした神や深海を生成した神、全てに神が密接に関係しているのだ。
それを下界に住まう者はもちろん知らないし、これからも知ることはないだろう。
「でも真面目な話、あの子は何者なの?下界には職業があるから、最初は勇者かと思ったけど」
「勇者は下界で最強の存在ではない。最強の存在は魔導神や戦神だったはずだが……そんな感じもしなかったな」
「あんたが分からないなら誰も分からないんじゃない?」
「直接聞いとけばよかったか……」
ファストレイスは額を抑える。
すると突然耳に届く緊急の銀鐘が鳴り響く。
「何だ?またか?」
「また邪神の気まぐれみたいよ」
「仕方ない。行くか」
「これも仕事ね」
二人は同時に深い深いため息をついた。