2 つのる不安
アミールが謁見の間から退室すると突然肩を掴まれた。
びくりと大きく肩を震わせながら振り返る。後ろに立っていたのは一緒に退室したロゼックだ。
「二妃殿下。顔色が悪いですよ」
「え? 大丈、っ!」
大丈夫よ、と言いきる前にあっけなく横抱きにされてしまう。
ドレスを着ているにも関わらず、ロゼックは何の重さも感じていない様子で抱えたかと思えば足早に歩き出してしまう。アミールは慌てて、落ちないようにバランスをとるために仕方なく彼の首に両腕を巻き付けた。
「相変わらず軽いなー。ちゃんと食べなきゃダメですよ?」
「……」
「あれ、いつもみたいな可愛らしい反論も無いですね?」
「……」
「安心して。すぐにお部屋に連れていきますから」
にっこりと。
聞き分けの悪い幼子を相手にするかのように微笑むロゼックは相変わらず輝くような美麗な笑みで、マゼウ殿下以上に王子様らしかった。アミールは決して具合が悪い訳ではない。一ヶ月後は彼が夫となるという現実を受け入れきれず言葉が出てこないのだ。
ロゼックはアミール以外の成人した女性に対しては決してこんな口調で話さない。
彼にとってアミールは王太子の妃という護衛対象であり、そして子どもでもあるのだ。……子どもではないのに。
嫁いですぐの時はアミールも抵抗した。許容範囲を越えた接し方をされたら、さすがにそれを許すわけにはいかない。
しかしロゼックはどこ吹く風。
嫁いだ後の数ヵ月間は根気強く注意したが、ロゼックはまったく直さなかった。直そうとする努力すらも感じられなかった。
しかし口調と接し方以外においては、間違いなく、この国で確実にアミールの身を命懸けで護る人はロゼックなのだと痛感する日々だった。
ロゼックがそばにいて周囲に目を光らせてくれている。弱小国の王女で子どものような妃として侮る人々に対して、ロゼック自身こそ子ども扱いするくせに、自分以外がそのような扱いをしようものなら剣呑な微笑と口調、時には実力で相手を黙らせてしまう。本気で怒らせたらとてつもなく怖い人、という印象がアミールにはあった。
アミールにとっては心強く感謝の尽きない相手ではあるのだ。
悪い人ではない。
好きか嫌いかと言われたら間違いなく好きだ。第二妃を護衛する近衛騎士としての職務はきちんと果たしてくれているから。
だから、どんなに自分の事を子ども扱いしたとしても。
私生活が乱れに乱れていたとしても。
諦めていたアミールはもう深く気にする事も無かったのだが。
「今日の予定はもう全て終わりです。すぐに侍女達を呼んで参ります」
「ロゼック、待って」
アミールがロゼックを引き留めるのはとても珍しい事だった。
二妃の私室を退室しようとしたロゼックも驚いた様子で青色の瞳を瞬かせている。
マゼウ殿下との結婚は最初から離縁という終わりに向かっての生活だったが、ロゼックとの結婚は違う。未来を共に築いていく関係になる筈なのだが、アミールには想像もつかない。
ナノリルカ国では立派な成人女性だったのに、ここサルジャン帝国においては子どもっぽい容姿を持つ異国の王女なのだ。マゼウ殿下とは結婚式の時ですらも唇を合わせた事がない清らかな関係だということをロゼックは知らない。
マゼウ殿下から、身体の関係はあったことを前提に下賜の話は進める、と最初のうちに説明は受けていて、アミールも納得していた。滞りなく離縁するためにもそれが一番だと分かっていたからだ。
元王女で王太子妃だが、求められている務めを果たす事の出来なかった子どもじみた女を妻にする事になってしまった、と、彼こそ本当は嫌なのではないだろうか?
第二妃殿下と近衛騎士という立場だからこそ良好だったと言える関係が、夫婦となった途端どうなってしまうのだろう。
「まだ間に合うわ。ロゼックはこの結婚を不満に思っても、言いづらかったはずよね。私から殿下に取り消してもらうようにお願いしてみるわ」
「二妃殿下」
ロゼックは微笑んではいたが、その微笑みはいつもの親しみは皆無な冷ややかさだった。
アミールは思わず後退りしそうになってしまう。
「勝手に私の気持ちを結論付けないでください。怒りますよ」
「……もう怒っている気がするのだけど」
「あれ、気づいてます? 怒っていますよ。私は二妃殿下と結婚できる幸運に喜んでいるのに」
「……幸運。……そう」
アミールは察した。
容姿は関係ないのだ。
たとえ一度離縁したという事実があっても、帝国の王太子殿下がきちんと愛した元第二妃であり、元一国の王女を妻にするというのは、ロゼック本人にとっても伯爵家という家柄にとっても名誉な事であり恩恵があるのだろう。
飄々としていて軽い軟派な男性ではあるものの、やはり貴族として、全て計算尽くしで考えた上で結婚を望んだのか。
アミールと結婚して、夫婦関係が破綻しないようにほどほどに気をつけつつ、上手く女遊びを継続するつもりなのかもしれない。
あっさりと納得したアミールに対して、ロゼックが笑顔を消した。
「すんなり納得されると、それはそれでどんな大きな誤解をして納得されてしまったのかと気になるな」
ロゼックは困った様子でため息をついたかと思えば、跪いてアミールと視線を合わせた。
「二妃殿下が臣下に下賜される可能性が高いと殿下から話には聞いていました。私はその時から二妃殿下と結婚したいと何度も立候補していたんですからね?」
「嘘はやめてね」
「嘘じゃないですよ? そんな風に思われていると傷付きますって」
「私は知っているわよ。ロゼックが好きな女性の容姿は、背が高くて細いのに胸とお尻が大きな金髪美人なのでしょう? そういう貴族のお家柄がきちんとした初婚の女性は帝国には沢山いるわ。だから私ではなくても……ロゼック?」
ロゼックが愕然とした表情を浮かべたかと思えば、大きな両手で自分の顔を覆って項垂れるように下を向いた。
本っ当に嫌だ、そういう風に思われても仕方ないって分かってたけどさ、くそっ腹立つな――何やら呪文のように貴族令息らしからぬ言葉をぶつぶつと呟いている。
悲愴感まで漂ってきて、さすがのアミールも驚いてしまい、戸惑いながらもロゼックの広い背中にそっと手を置いて撫でた。
「そうよね、やっぱり嫌よね。安心して。私がちゃんと殿下に取り消してもらうように言うから」
「いや、だから。違いますって!」
「!?」
勢い良く顔を上げたロゼックは身体を捻ると、背中を撫でていたアミールの手を掴んだ。
びっくりしたアミールが固まってしまっていると、「せっかく二妃殿下に背中を撫でられる奇跡がおきたのに……でもあのままにさせたら破談まっしぐらだし……」と、またもアミールには訳の分からない事をロゼックは愚痴るように呟いている。
終始不満そうなロゼックの表情に、アミールの方が困惑して不安になった。
「ロゼック……本当はどうなりたいの?」
「どう? 二妃殿下の夫になりたいですよ」
ロゼックにとって、アミールの第二妃殿下、元ナノリルカ国の第四王女という立場が、好みの女性からかけ離れている容姿だとしても妻にしたいと思える程に魅力的だったのかとアミールは改めて驚いた。彼は意外と野心があるのかもしれない。その野心を満足させる魅力が自分の立場にあるからこそ。
アミールが眉を下げると、ムッとしていた様子のロゼックも、吹っ切ったように裏のありそうな微笑みを浮かべた。
「時間はたっぷりあります。二妃殿下、覚悟しておいてください」
「覚悟?」
「はい。嫌となる程、鬱陶しくなる程に私に愛される覚悟を」
「無理よ。ロゼックの子どもとして愛される覚悟なんて持てないわ」
「…………そうくるか」
まぁいいや、と呟いたかと思えば、ロゼックは普段通り優雅な微笑を浮かべて、侍女を呼んできますねと扉を閉めてしまった。
愛される覚悟、と言われても。
夫に我が子のように愛されても全く嬉しくはないのに。そもそも女遊びをやめるつもりはあるのだろうか?
*
他者の目がある時にマゼウ殿下と共に過ごす時は間違いなく夫婦だった。
夫婦を装うように細心の注意を互いにはらっていた。
周囲に怪しまれないようにするために、アミールとマゼウ殿下は必ず夫婦の寝室で一緒のベッドで寝起きしていた。
大人二人どころか、五人は横並び出来そうな程に大きく豪奢なベッド。小柄なアミールと帝国の平均男性よりも背の高いマゼウ殿下が横並びに眠ったとしても十分に余裕がある。
結婚して三年。
二人の絆は確かに強固で深いものになっている。
それは夫婦としてではなく、互いに王族という立場として国を想い、喜びや悲しみを分かち合う。同志としての絆だった。そして、兄妹のような家族としての空気感も確かに生まれるようになっていた。
誰もいない二人だけの空間で、眠る前に語らうのが三年間の日課だった。
「今日は機嫌が悪そうだね」
「理由はおわかりでしょう?」
「ロゼックの事かい?」
今日の出来事を思い返しただけで疲労感を覚えてしまう。
最終決定は陛下とはいえ、マゼウ殿下がアミールの下賜先にロゼックを推薦したからこその決定は事実だ。
マゼウ殿下も分かっている。
ロゼックの乱れきった私生活。近衛騎士としての護衛としての役目は果たすが、日常的なアミールへの態度は不敬すれすれなもので、いつも困っていたことを。
それなのに彼を夫に推薦してしまうなんて。
「アミール」
もやもやとしていたアミールはマゼウ殿下を直視できず、背中を向けて、ベッドから落ちてしまうのではというすれすれの端に距離をとって身体を丸めていたのだが。
素早く伸びてきたマゼウ殿下の片腕に腹をとられて、いとも簡単に身体の向きを回されてしまう。二人は向かいあうようにベッドに横たわっていた。
アミールの腹に回されていたマゼウ殿下の左手はゆっくりと上がり、アミールの冷たくなった頬を撫でる。
「信じられないのも無理はないと承知で言うが、他の候補者とは比較にならなかったんだ。彼が一番、アミールを大切にして幸せにする男なのだと確信した上で決めた事だ」
「殿下以上に?」
「私と比較しては駄目だ。大切にするという意味合いが私とロゼックでは全く違う」
「それは、そうですわ。殿下は私の事を妃として、元王女として敬意を持って下さっています。ロゼックは、私の事を子どもなお姫様として見た上で頼もしく護ってくれております。違って当然です」
「アミール……本気で怒っているな?」
「怒ってはいません。困惑しているだけです」
アミールはどうしてもこの決定に納得出来なかった。
困ったような、悲しそうな漆黒の眼差しに耐えきれず、アミールは顔を背けて大きな枕にそのまま沈めてしまう。行き場を失ったマゼウ殿下の左手は、遠慮がちにアミールの焦茶色の真っ直ぐな髪を撫でていく。
「……寂しいです、殿下」
あと一ヶ月で終わってしまう。
王太子殿下の第二妃殿下という立場から、伯爵家の次期当主の妻になる。
今のように気安く顔を合わせる事も話す事も出来なくなってしまう。アミールにとって、ここサルジャン帝国において誰よりも特別な人。
祖国から帝国に嫁ぐ時よりもアミールは不安をつのらせていた。
「寂しく思わないでくれ」
マゼウ殿下は躊躇いなくアミールの小さな背中に腕を回すと、力強く抱き寄せた。頼もしい兄が気弱になっている妹の心身を案じるように。
「離縁したとしてもアミールは私にとっての特別だ。誰よりも国を想う者同士として。それに、永遠の別れになる訳では無い。ロゼックはアミールとの結婚と同時に私専任の近衛騎士になる。舞踏会や夜会でも会える。孤独や寂しさを感じる事は一切無いよ」
「……はい」
アミールの降嫁にあたり、マゼウ殿下は王家管轄の侍女マナンを継続してアミールの侍女として仕えさせると説明する。驚いたアミールが顔を上げた。
「それは本当ですか?」
複数ついてくれる侍女の中で、アミールが一番心を砕いて行動を共にする事が出来ていたのがマナンだ。彼女は結婚にも男にも興味が無いと豪語する二十八歳の女性で、最初こそ子どもっぽいアミールの容姿に困惑していた様子だが、今ではすっかり良き信頼関係を築いていた。
「本当だ。マナンは君に仕え続けると同時に、君の様子をこちらに伝えるように命じている。些細な事でも遠慮無く彼女に話すんだ。確実に私の耳にも入る事になる」
「それは……ありがたく思います。けれど、ロゼックに対して失礼ではないですか? 最初から彼の事を信じられないと言っているみたいですが」
事実、現時点ですでにアミールはロゼックが誠実な夫となってくれるとは思いづらかったのだが、その本心は迷いながらも胸中に留めておいた。
「ロゼックも承知している。むしろこの条件を受け入れる事が結婚を許す条件だと言ったらあっさり受け入れた」
そんなやり取りがあったなんて、とアミールも思わず驚いて翡翠色の瞳を見開いた。
「ロゼックとの結婚生活はきっとアミールにとって幸せなものになるはずだ。そんなに気落ちしてくれるな。頼むよ」
ずるいわ、とアミールは思ってしまう。
マゼウ殿下にそこまで言われてしまったら。彼を困らせたい訳では無い。信頼している人だからこそ。
アミールが「分かりました」と渋々ではあるものの微笑んで頷くと、マゼウ殿下もホッとした様子で目尻を優しく下げた。




