表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
金盞花  作者: 大江いつ樹
15/15

終 キンセンカの想い出

◇ ◇



 ゆるゆると、やけに重たく感じる瞼を持ち上げた。

 視界に広がるのはよく見慣れた寝室の天井。室内は明るいがまだ昼ではない。常識的な朝の時間である事だけは理解した。


「……旦那様?」


 アミールは起き上がって、ロゼックが眠っていた場所である筈のソファに視線を向けた。クッションは綺麗に元の位置に戻されていて掛布も畳まれている。姿は無かった。小さな溜息がこぼれてしまう。約束を破られた事に対する怒りがほんの少しだけ胸中に広がるが、しかし過保護で心配性のロゼックは「わかった」と言いつつも約束を守る気が最初からさらさら無さそうなのは分かっていた。


 久々のロゼックの休日である今日は絶対に早起きをしたい。どんなに深く眠ってしまっていても起こしてほしい、と、お願いしていたのだが。


 自力で早起きする事が不可能になっている時点で、睡眠を優先すべき、とロゼックはあっさりと判断していたのだろう。とても眠いだけで体調は大丈夫だから、と何度も言ったのだが、ロゼックからの対応は重病人そのもののようになってしまっている。




 マナンに手伝ってもらいながら簡単に身支度を整えて、アミールが向かった先は屋敷の中庭だ。近づく度に聞こえてくる元気で楽しそうな笑い声に、アミールの頬は自然と緩んでいく。

 中庭へと続く扉を開けると、花壇の前にしゃがみこむ二人の大小の背中が見えた。


「リリーナ」


 歩み寄りながらアミールが声をかけると、しゃがんでいた小さな少女の背中が勢いよく振り返った。

 背中まであるふわふわとした猫毛の金髪が空気を含んで膨らんで靡き、翡翠色のまん丸な瞳が目一杯見開かれている。目が合った瞬間に満面の笑みを浮かべたリリーナは、素早く立ち上がると全速力で駆け寄ってくる。


「おかあさま! おはようござ――っ!?」


 リリーナを受け止めようと両手を広げて待っていたが、そうはならなかった。すぐにリリーナの後を追いかけたロゼックの両腕により抱きかかえられていたからだ。


「こら。母様には突進したら駄目だぞって、さっき言ったばかりだろう?」

「あっ!」


 そうだった、と落ち込んだ様子のリリーナに、ロゼックは呆れ笑いを浮かべている。しょぼくれている娘の表情に、アミールはくすくすと笑った。


「おはよう、リリーナ」

「おはようございます。おかあさま」

「今日もお寝坊さんをしてしまったわ。ごめんね」


 リリーナと約束をしていたのだ。

 ロゼックは今日が久々の休日だった。しかし与えられた休日は今日一日だけで、また翌日から三週間程、任務の関係で国外に行ってしまう。家族で過ごす貴重な一日。朝から夜まで沢山の時間を家族皆で過ごそうね、と。

 そう約束していたのに朝食を一緒に食べる事は出来なかった。


 アミールが眉を下げて謝ると、リリーナはにっこりと笑った。


「いいえ! いっぱいねむって、おなかの赤ちゃんをまもってくれているのよね。おかあさま、おからだはだいじょうぶ?」


 そう尋ねてくるリリーナは本当に心配そうで、アミールはお腹に両手をあてて微笑んだ。心優しい娘の言葉に胸がふわりと温かくなる。


「とても元気よ。いっぱい眠ったおかげで。ありがとう、リリーナ」


 えへへ、と明るく笑うリリーナはロゼックそっくりだと、アミールは思う。


「確かにスッキリした顔をしてるな」


 リリーナを抱き上げたまま、相変わらず眩しい程の美しい微笑みを向けてくるロゼックに対して、アミールは笑顔で向き合う事が出来なかった。


「起こしてくださいってお願いしたのに……」

「そうだっけ? ごめん、忘れてた」


 悪びれる様子もなくあっさりと言われてしまい、もう、とアミールは肩を下げてしまう。しかしよく眠ったおかげで体調が良いのは事実で、責める事など出来る訳がなかった。



 久しぶりにやっと三人一緒に過ごす時間が始まったかと思えば、すぐにその時間は中断となった。


 リチャードが庭園へとやって来て家庭教師の来訪を告げた。リリーナの行儀作法の勉強の時間が迫っていたのだ。リリーナは五歳を迎えたと同時に行儀作法の勉強を開始した。一週間に二日、休憩を挟みながら午前中の二時間程。しっかりとその予定は組み込まれていて、運悪くロゼックの休日と重なってしまった。

 勉強熱心で、それどころか学ぶ事に積極的な姿勢はアミールとそっくりだった。行儀作法の勉強を嫌がるどころか大真面目に取り組むリリーナは、その日に何を学んだかをいつも楽しそうにアミールに報告し、勉強の成果を披露してくれる。


 マナンに手を握られたリリーナは寂しそうにアミールを見上げた後、不安そうにロゼックを見上げた。


「きょうはおしごと、ないんですよね?」

「ああ、無いよ」

「まっててくださいますか?」

「もちろん。母様とちゃんと待ってるから。今日は何を習うんだろうな? 報告を楽しみに待ってるよ」


 言いながらしゃがんだロゼックがリリーナの頭を撫でると、リリーナはパッと笑顔を見せて「はい!」と元気よく頷いた。



 リリーナがマナンとリチャードと共に中庭から去っていくと、ロゼックは立ち上がりながら切なそうに扉を見つめて小さな溜息を吐き出している。憂いを帯びた表情を浮かべていた。


「どうしたの? 暗い表情をしているわ」

「さっきのリリーナ、見ただろう? 天使だよ。もう全てが信じられない程可愛すぎる。溜息しか出て来ないんだ」

「ええ。リリーナはとっても可愛いわ。とくに笑顔は日に日に旦那様そっくりになっていますね」

「何言ってるんだ、アミール?」


 青い瞳を鋭く細めたロゼックの真剣な眼差しに射られて、うんうんと素直に同意していたアミールは先の言葉をこくりと飲み込んだ。

 ロゼックはアミールと向きあうように跪くと両手を伸ばし、頬を包むように触れてくる。どちらからともなく自然と顔を寄せあい、「おはよう」と朝の挨拶と共に口づけた。


「……リリーナはどんどんアミールに似ていってる」


 コツリと額と額が触れ合ったかと思えば、ロゼックはどこかぼうっとして、感動した様子で呟いた。アミールは驚いて目を見張ってしまう。


「リリーナは旦那様似よ? 屋敷の皆も言っているじゃない」

「アミールも使用人達も分かってないな。むしろどうして分からないんだ? リリーナのあの可愛さはアミールと同じだよ」

「私似と言うのは旦那様だけだわ」

「それがおかしい。顔もだし、表情だって俺はあんな風に優しくはないし。とにかく誰がなんと言おうとリリーナはアミールにそっくりだよ」


 きっぱりと言い切り反論を受け付けない、と言うような姿勢に、アミールは呆れ果てつつも笑ってしまった。瞳の色は確かにアミールと全く同じだが、ロゼック以外の人々は誰がどう見てもリリーナはロゼック似だと断言するのに。



 結婚して七年。


 ミンスティン侯爵夫妻の件が終わりを告げると、ロゼックはアミールだけではなく貴族社会の人々に大きな動揺を走らせる程の愛妻家に様変わりした。老若男女や身分に関係なく気さくな態度なのは昔から変わらない評判そのままだが、女性相手への軟派な言動を一切とらなくなったのだ。

 結婚して半年が経ってからの急変に、人々は訝しみ、さらには夫婦仲まで疑われたりもしたが、ロゼックは全く動じず揺らぐ事無くアミールに一途で誠実だった。


 二妃殿下と専任近衛騎士という二人の主従関係の姿も人々の記憶にもまだまだ鮮明だった時だ。結婚してしばしの間は、主従ではなく夫婦となった二人は社交界の注目の的でもあった。

 しかし全く動じる事も無く、堂々とアミールを妻として愛し慈しむ姿に、人々は驚愕し、呆然とし、そのあまりの熱心さに苦笑したり。ロゼックに憧れていた女性達が嘆いたりと一年程は騒がしかったが、七年も経過した今ではすっかり仲の良い夫婦として有名になっている。


 人目を惹き付けるロゼックの容姿の魅力は三十を過ぎた今も健在だ。


 ロゼックの容姿に惚れ込み、勇敢にも色仕掛けまがいの事をしかける女性は社交シーズンになると毎年の如く必ず現われるが、ロゼックは当然ながらにそのような女性を相手にする事はなかった。社交界では常にアミールのそばから離れようとせず、ロゼックに束縛されて夜会を満足に楽しむ事が出来ないアミールが可哀想だと、最近ではそんな噂が笑い話として広がっている始末だ。


 しかしアミールは苦痛に思う事も、束縛されているという認識も無い。むしろ常にそばで守ってくれるだけではなく、惜しみなく愛情を注いでくれるロゼックに常に感謝していた。不安に思う事も傷付く事も、全く無くなっていた。

 娘のリリーナが生まれてすっかり子煩悩になり、夫としてだけではなく、リリーナにとっての唯一で頼もしい父親として家族を大切にして護ってくれる姿に、アミールのロゼックに対する想いは大きくなるばかりだった。


 そして今ではお腹の中にもう一人、新たな家族の命が宿っている。

 男の子でも女の子でもどちらでも良い。無事に元気に生まれてきてくれれば、と。二人目の命を授かったと報告をした時も、嬉しそうに涙目で喜んでくれたロゼックに、この人と夫婦になれた事は本当に幸福な事だったとアミールは強く思った。

 


「さっき、リリーナと楽しそうに笑っておられましたけど。何のお話をしていたの?」


 アミールが尋ねると、ロゼックはにやりと愉快そうに笑ってアミールの片手をとって花壇へと誘導した。


「この花の事で、少し、ね」


 立ち止まったロゼックが見下ろす視線の先にある花を見て、アミールは首を傾げた。


「キンセンカですか?」

「そう。ナノリルカ国ではマルナと言うんだって?」

「よくご存じね。説明した事があったかしら?」


 驚いてロゼックを見上げたが、ロゼックは笑いながら首を振った。


「つい最近殿下が教えて下さったんだ。アミールとの結婚前に、キンセンカは食用花ではないかと真剣に聞かれた事があるって。食べたくなったのかなと思って聞いたら、いいえ、って言われて笑われたと言っていたが。記憶にあるか?」

「覚えているわ。覚えているけど……」


 なぜ殿下は、そのようなささやかな会話をした事をロゼックに話したのだろうか?

 アミールは不思議に思いながらキンセンカを見下ろした。

 帝国に嫁ぐまでは祖国ではマルナ――キンセンカは間違いなく食用としてのみ流通しており、観賞用として見た事が無かったのは事実だ。


「クレア妃がさ。つい最近、殿下にご提案されたんだよ。キンセンカは食べる事が出来るらしいから試しに食べてみないか、って」

「妃殿下が、キンセンカを?」

「ああ。クレア妃は特別に花に詳しいお方という訳でも無いのに、突然なんでそんな事を言うのかと殿下が聞いたんだ。そしたらアミールから聞いた事がある、って、興味津々で返事をされたんだよ。俺も知らなかったから驚いた」

「ええ、確かにお伝えした事があるわ。王城にご招待して頂いて、庭園でお茶会をして過ごした時に。覚えて下さっていたのね」

「好奇心旺盛な人だからさ。ちょうどその時に殿下のそばにいたのが俺だったから、ついでにって感じでアミールとの事を教えてくれたんだ。知っていたかと聞かれたが、知るわけないよな。誰が好き好んで元夫との思い出をわざわざ妻に聞く現夫がいると思う?」

「……旦那様。お顔が怖いわ」


 ロゼックは微笑を浮かべながら楽しそうに話してはいるものの、恐らく無意識なのだろう。空気はどんどん険悪になっていき、自分の口からマゼウ殿下とアミールの夫婦時代の事を話題に出しておきながら、勝手に嫉妬心を膨らませている。

 アミールが困ってしまい指摘すると、やっと気付いたらしいロゼックは目を瞬き、しまった、と呟きながら眉間に皺を寄せて片手で口元を覆った。


「あー、未だに殿下に嫉妬出来る自分が信じられない」

「私以上に常に殿下のお側におられる旦那様なら、十分にもう分かっておられるでしょう? 殿下にとっての最愛の人は妃殿下よ」


 苦笑しつつもはっきりとアミールが言うと、ロゼックも同様に「そうだな」と同意して頷いた。その時のロゼックの穏やかな微笑を浮かべた横顔に、アミールの心に幸せな感情が広がっていく。

 敬愛するマゼウ殿下と、親しき友人であるクレア妃の二人を想って。



 クレア妃はマゼウ殿下の正妃だ。


 ミンスティン侯爵令嬢との婚約が破談となり、新たな婚約者として選ばれたのが、アミールと同い年のクレア・ノルトン伯爵令嬢。

 ノルトン伯爵令嬢は語学の勉強を目的として友好国に留学中である珍しい令嬢として当時は有名で、それ以外に情報が無かった。ノルトン伯爵家という家柄は騎士一族の貴族で、騎士一族を名乗る事が許されている数少ない貴族家の中では最古参の名門貴族だ。


 クレア妃は社交界に出た事がなく、誰の目にも触れられた事のないまま国王陛下によって決められた相手だった。今回は正妃を迎えるという事もあり、アミールと行った時とは比較にならない程に国をあげての盛大な結婚式が四年前に行われた。


 その結婚式で初めてクレア妃を見た時、アミールは驚愕した。


 すらりと背が高く凜とした佇まい。

 帝国貴族令嬢にはあるまじき髪型とされている、肩の上でぱっつりと切りそろえられた赤茶色の短髪。意思の強そうな金色の瞳を持ち、花嫁のためのウエディングドレスを身に纏って堂々とマゼウ殿下の隣に立つクレア妃はとても気高く、美しかった。クレア妃の佇まいを見て、アミールは彼女が社交界に出なかった理由が留学中というのは嘘かもしれない、と、直感ながらそう思った。


 その勘は当たっていた。

 マゼウ殿下からの許しを得たロゼックがこっそりと教えてくれたのだ。クレア妃は身分を隠し、国王陛下の妻――王妃の専任の女性近衛騎士レミル・ルノスと偽名を名乗り主に外国で活躍していた、と。


 三年間、マゼウ殿下の第二妃として王族に名を連ねていたアミールだが、自身とマゼウ殿下の専任の近衛騎士以外とは全く接点が無かったため、クレア妃の存在を知らなかった。終始驚いていたのはアミールだけで、マゼウ殿下は当然として、同じ王族の専任という立場であるロゼックもクレア妃の事をよく知っていた。

 マゼウ殿下もロゼックも、この結婚は有益である、と断言した。


 帝国を導く良き王太子夫婦になると思う、と、淀みなくロゼックが教えてくれた事で、アミールはこの結婚はマゼウ殿下にとって有益というだけではない特別な結婚となったのではないかと、そう思えた。


 アミールは二人の結婚を心から祝福した。

 クレア妃の人柄は分からないが、マゼウ殿下の元妻である自分との接点を持つ事はおそらく嫌がられるだろう。クレア妃と関わる事はこの先無いのだろうが、それでもマゼウ殿下とクレア妃には幸せになって欲しいと、アミールは強く願っていた。

 そんな風に思っていたのだが。



「クレア妃はアミールの事を心配しておられたよ。悪阻は大丈夫か、元気にしているか、って。体調が落ち着いて気晴らしがしたくなったらいつでもリリーナを連れて遊びに来てくれと言っていた。けれど絶対に無理はするな、アミールが許してくれるのならば私から会いに行くから、とも」

「そんな風におっしゃってくださるなんて。有難いし嬉しいわ。リリーナと一緒に必ずお伺いさせて頂きますとお伝えしておいてね? 妃殿下とラネウ王子にお会い出来る事を楽しみにしております、って」

「んー……分かったよ。間違いなく喜ばれる」


 身重のアミールの身体を心配するあまり、自分が同伴出来ないアミールの外出に消極的なロゼックは少々不満そうに承諾した。



 マゼウ殿下の正妃となったクレア妃が真っ先に望んだのはアミールとの対面だった。逆らう事など出来ず、恐縮しきりで緊張しながら対面を果たしたが、クレア妃はマゼウ殿下から全ての真実を聞かされて全てを知っていた。

 身も心も本物の夫婦ではなかった真実を。

 背の高いクレア妃は戸惑った様子で身を屈めて視線を合わせ、しかしアミール以上に緊張した面持ちで両手をそっと握りしめてくれた。大きな冷たい手のひらに包まれて、アミールは気付いてしまった。

 クレア妃の優しさと抱えている不安を。


『私が殿下の正妃として選ばれた事で、真っ先に浮かんだのは二妃殿下……いいえ、トノイ夫人の事でした。トノイ夫人と殿下は相思相愛の仲睦まじいご夫婦であられていたと認識しておりました。離縁も不本意なものだった筈で……ですが先日、殿下が……』

『殿下がお話した事が全てです。偽りなき真実です』

『……では。今は、幸せなのですね?』

『はい。もちろん、殿下と過ごした三年間も幸せでしたが、それは夫婦としての幸せではありません。志を同じくしていた者同士としての幸せです。私は今、ロゼックの妻として、リリーナの母として日々を過ごす事が出来てとても幸せです。妃殿下。どうかマゼウ殿下とお幸せに。ご結婚おめでとうございます』


 ぽろりと一筋の涙をこぼして、『ありがとう』と言った微笑んだクレア妃を、アミールは思わず抱きしめていた。


 伯爵令嬢であり凜とした美麗な女性近衛騎士だったクレア妃は、殿下の正妃という立場になり、大きな重圧と既に闘い始めている。臣下の妻として、マゼウ殿下だけではなくクレア妃を支えたいと心から思った。


 容姿は正反対で性格も違うが二人はすぐに親しくなった。

 今では娘のリリーナと、マゼウ殿下とクレア妃の子どもである三歳になったばかりのラネウ王子も加わり、夫同士は強固な主従関係という事情もあり、すっかり家族皆での交流が出来上がっていた。



「違う、違う。俺が言いたかったのはクレア妃の事じゃなくてさ」


 気を取り直したように、ロゼックはもう一度視線をキンセンカへと向けた。


「リリーナに教えてやったんだ。母様の祖国ではこのキンセンカは食べ物らしいぞ、って。そしたら、食べてみたい! って」

「まぁ。そうなの?」

「そう。リリーナは花を食べる事に対して全く違和感を感じていなかった。美味しいのかな? って。にこにこしていたよ」

「食用花とはいえ味わうわけではなくて、彩りとして添えている事が多くて。本当にそのまま食べる人は少数だったのよ。食べるとしても野菜や果物と少量の花弁だけを和えたものがあったくらいだったような……」

「なるほどね。けど、人生何事も経験だな。いつか食べさせてみようか?」

「駄目とは言わないけど、帝国のキンセンカはあくまでも観賞用だから。食べるとしたらきちんと食用で栽培されたものじゃなきゃ駄目よ」


 二人は顔を見合わせて、キンセンカをそのまま食べた時のリリーナの反応を互いに想像し、笑い合った。



「そろそろ戻ろう。朝食は?」

「食べていないわ。少しだけいただくつもりよ」

「そっか。じゃあ食堂じゃなくて、私室にそのまま運んでもらおう」


 ロゼックに手を引かれて、ゆっくりとした足取りで中庭を後にする。

 歩みを進めつつもアミールはロゼックを見上げると、視線に気づいたロゼックは「どうした?」と穏やかに微笑みながら尋ねてくる。


 優しく引かれる手から伝わるぬくもりにホッとする。大切な愛する人。もう片方の手をお腹にあてて、勉強に励むリリーナを想い、改めて想う。


「幸せだな、と。そう思いました」

「ん? どうしたんだ、急に」

「特別な理由はないわ。でも今、どうしてかは分かりませんが強くそう思いました。だからお伝えしただけよ」


 嬉しそうに言いながら笑うアミールを、ロゼックは何度か目を瞬きながら見つめた後、微笑んだ。蕩けそうな程に甘やかに。


「俺もだよ」


 そう言うと、ロゼックは身を屈ませて引いていたアミールの手を持ち上げる。

 小さな細い指先に優しく唇を寄せた。



 春のあたたかな空気に包まれて。

 優しい陽射しの中で微笑みあう二人の幸せを祝福するかのように。

 瑞々しい花弁を広げて、黄金色のキンセンカは凛と力強く咲いていた。








 * 金盞花 fin *

 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ