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金盞花  作者: 大江いつ樹
10/15

10 同志の華

***


 サルジャン帝国の王太子マゼウは王位継承者第一位の王族だ。


 父親である国王陛下はとても厳格で国民想いの人であり、常に帝国の平和と一層の発展のために惜しみなく尽力する人だ。妃は正妃である母ただ一人だが、決して仲の良い夫婦という関係でもない。伯爵令嬢だった母とは政略結婚で結ばれ、早々に男児であるマゼウが生まれた。とんとん拍子に事が運び無事に後継者も生まれ、父はすぐに公務や政務にかかりきりになった。

 複数の貴族達が娘を二妃、三妃に是非、と話を持ちかける事もあったが、父は全く興味を示さなかった。既に正妃を娶り男児が生まれた。自身の築く王家としての形は既に完成されている、と。


 まるで妻と息子を深く愛しているからこその言動に聞こえなくもないが、それは違う。


 帝国のために生きる――それが父、現国王という人だ。



 母とマゼウは父に放置される形になった。

 しかし母はこれは幸いとばかりに楽しそうに生活をしていた。楽観的な性格の母にとって、堅物の父と一緒にいる時間は大変なものだったらしく、夫婦としての時間が少なくなる程に元気になっていく。しかし王妃としての勤めを粛々とこなし、決して父に逆らうこともなかったので、これはこれで二人の夫婦関係は良好と言えた。


 マゼウの性格や気性は父と同じだった。


 王太子、次期国王として。常に一番に政務を優先し、帝国の平和と繁栄のためにのみ専念する。

 マゼウの意思は揺らがず、強固なものになっていた。





 マゼウは王太子としての義務を果たし勉学と公務に励み、幼い頃から忙しい日々を過ごしていた。心身の成長を重ね、本格的に剣術や馬術、護身術を身につける段階へと入り、一時的にだが騎士団に身を置く事になった。


 この時期に出会ったのがロゼック・トノイという、とんでもない美貌を持った一つ年上の騎士見習いだった。



「今日も俺と組むのは殿下なんですね」

「不満かい?」

「まさか。光栄に思っていますよ。けど殿下()()そろそろ俺に飽きていませんか? 他のヤツと組みたいって思いません?」

「本音が出たね。私()実は少々飽きているが、隊長命令なら仕方ないだろう?」


 あー確かに、と、まったく悪びれもしない様子で笑いながら後頭部を掻くロゼックの事を、マゼウも微笑みながらも注意深く視ていた。


 マゼウがロゼックの事を気に入った理由の一番は、優れた剣術や身体能力だけではない。彼の人間離れした、清廉さを感じさせる美貌と容姿。そんな清らかそうな見た目とは裏腹に、一筋縄ではいかないような心の歪みを感じさせるちぐはぐさがある。


 彼はおそらく()()()だ。


 一見すると儚げな麗しの美青年だが、会話をすると大きく印象が変わる。ロゼックは老若男女に平等に愛想が良い。壁を感じさせない気さくさもある。家柄が良く実力もあるため、騎士団の男達は当然として、その他の者達にも人気だった。女性人気は言わずもがな。


 しかし、ふとした時に見せるロゼックの表情はとても冷たかった。

 誰が相手でも決して心を開くこと無く、深く関わったり親しくなろうとする様子がない。


 表情変化はロゼックが一人きりになった時、たった一呼吸する瞬間にだけ見せるようなほんのわずかな時間。何の感情も乗せていない無表情。冷めきった青色の瞳。他の者達はそんなロゼックの様子に全く気付いていなかったが、彼を注視していたマゼウはすぐにわずかな変化に気がついた。


 彼がそんな表情を見せる時の大半は女性と会話した後だという事にも。



「ロゼックは女性が嫌いなのかい?」


 国境警備の遠征中。

 火の夜番をしていた時に尋ねると、ロゼックはマゼウが想像していた以上の反応を見せた。気だるそうに火を見ていたロゼックは、冷や水を浴びせられたように大きく目を見開いてマゼウを凝視したのだ。


「その反応を見ると、やっぱりそうみたいだね」

「……全く態度には出ていなかったと思いますが」

「隠すのも上手だよね。私は偶然気付いたけど、他の人達は多分全く気がついていないよ」

「偶然ですか」


 胡散臭そうに息を吐いて目を細め。半笑いを浮かべるロゼックは、そんな歪んだ微笑すらも甘やかで美しかった。


「殿下、結構俺の事を見ていましたよね? てっきりこの容姿のせいかなと思っていたんですけど、もしかして別の理由で?」

「別の理由さ。堂々と観察出来てラクだった。眺める理由は綺麗だからと言えば誰にも何も怪しまれないしね」


 ロゼックが嫌そうに眉を寄せ、マゼウは笑った。


「見習いを終えたら私の専任になってほしい」

「え?」


 思ってもみなかった言葉らしい。ロゼックは素直に驚き、素っ頓狂な声を出していた。


「専任って。実力は当然として、絶対的な忠誠心と優秀な頭脳が必要って聞いています。俺より優秀なヤツは他にもいるでしょう? 忠誠心に関しても人並みですし」

「実力と頭脳はその通りだが、絶対的な忠誠心は違う。むしろロゼックみたいに人並み以下でも少しあるくらいがちょうど良いかな」

「今、さらっと人並み以下に見られていた事実を知って衝撃を受けたんですけど」

「日頃の私への態度でわかるよ。忠誠心ゼロな訳ではないのは分かっているから」

「……えーと、つまり結局、専任近衛騎士に選ばれるために必要なモノというのは?」


 ロゼックに尋ねられたマゼウは笑みを深めた。ばち、と篝火が爆ぜる。


「自身に関する周囲の視線や噂話に臆する事なく、ただ確実に我々を護り、命じられたら()()()()()()()でも粛々と完遂する。忠誠心とは違い一番に必要な事だ」

「……」

「出来るよね? ロゼックなら。給金も破格だよ」

「出来ません、って言ったらどうなりますかね」

「その言葉で逃げるのは許さないよって言うだけかな」


 引き受けます、と。

 専任になることを了承したロゼックには、指名された事に対して喜ぶ事も、名誉な事ですと感激する様子も全く無かった。それどころか少々面倒くさそうに肩を落とすロゼックを見て、やはり彼は専任に相応しい者だとマゼウは確信した。


 ロゼックの持つ容姿、頭脳、実力――周囲と打ち解けようとせずに一定の距離を保って傍観するような立場を崩さない姿勢を貫く姿。マゼウにとっては都合の良い手駒を手に入れたにすぎなかった。





 ――ナノリルカ国の第四王女をお前の第二妃として迎え入れる事にした。しかし決して子を成すな。ミンスティン侯爵令嬢(正妃候補)との結婚は恐らく白紙になるが、それでもいずれは誰かしら国内貴族から正妃を迎えるお前にとって、王位継承についての揉め事の火種は少ない方が良い。この結婚は、あくまでもナノリルカ国が属国となった事の証明で、三年後に離縁を前提としたものだ。王女への説明と下賜先についての判断はお前に一任する。



 アミール王女との初めての面会を後日に控え、父から内密に命じられた事だ。


 自然資源豊富なナノリルカ国は魅力的な土地だった。

 帝国はずっと狙っていた。ナノリルカ国を属国へと抱え込む機会を。

 父もマゼウも戦争は望んでいなかった。力で簡単にねじ伏せる事は可能な事ではあったが、数多の人々の心に不信感をつのらせる事になる。ナノリルカ国民の大多数が、属国となる事に対して受け入れるしかないという諦め、あるいは納得をしてもらいたいと常々考えていた。


 その機会が今、巡ってきたという訳だ。

 逃すわけにはいかない。


 だからこそ、結婚する事自体に関してはマゼウはなんら不満は無い。

 王位継承についての揉め事を避けるためにも子を成さずに離縁を前提とする事にも納得していた。歴代の帝国王で、複数の妃を持ち多数の子を成した者ほど、命の奪い合いにまで発展した泥沼で熾烈な王位継承争いをした記述が残されている。

 そんな馬鹿げだ事態に発展させたくはない、というのは父もマゼウも同じ気持ちだ。むしろ三人も妻を持つ事が可能である現行の決まりが嫌な程だった。

 マゼウ自身も、正妃以外の妃との間に子を成す事は望んでいない。そもそも自分の意思にのみ結婚の判断が委ねられていたら、二妃と三妃を娶る気も一切無かった。

 万が一にも子を授からなかった場合、帝国規範では王族との血縁関係がある公爵家子息へと王位継承が移る事になるが、それで構わないと考えているからだ。



 王太子殿下の執務室に戻ると、今まで一言も発していなかった専任の近衛騎士が口を開いた。


「先程の話しぶりですと、国王陛下はミンスティン侯爵夫妻は違法薬物に関わっているとほぼ確信しているご様子ですね」


 マゼウには三人の専任近衛騎士がいる。

 その三人のうち、マゼウが物心つく頃には既に特別な護衛として側にいた最古参であり一番専任であるのが近衛騎士タートフ。

 四十を迎えたばかりの彼は、国王陛下からアミール王女を離縁前提として結婚生活をおくるようにと内密に命じられた時に、その場に立ち会う事を唯一許された専任近衛騎士だ。


 タートフが言うと、マゼウは椅子に座って深く背もたれに身体を預けた。


「そうだね。証拠を掴んだら、すぐにミンスティン侯爵令嬢とは婚約解消となる。彼女はまだ幼いが、仕方のない事だ」

「既に正妃に相応しいご令嬢には目星をつけておられるのでしょうか」

「おそらくは。まぁ、そこは陛下のご意向に従うまでさ。どうだ、タートフ。ミンスティン侯爵から証拠を掴めそうかい?」


 尋ねると、タートフは渋面を作った。


「申し訳ありません。いまだに進展しておりません」

「そうか。長期戦は覚悟の上さ。そちらの任務にかかりきりになることも出来ないしね。決してタートフとイロスが探っていると気付かれないように。継続して頼むよ」

「承知しました」


 ミンスティン侯爵と違法薬物についての水面下での調査は一番専任のタートフ、そしてもう一人の専任近衛騎士イロスに。夫人への色仕掛けでの調査はロゼックに任せて一年以上が経過している。三人の専任達が無能ではない事をマゼウ自身が正確に把握し、理解している。

 この件について焦ってはいない。


「私にとって今一番の問題はアミール王女の件だ。政略結婚で第二妃に、しかも離縁と下賜前提という彼女にとっては屈辱的結婚だからね」


 マゼウは短く息をはき、机の引き出しを開けて書類を取り出す。その書類はつい数日前にイロスによって調査報告されたもの。ナノリルカ国と第四王女アミールについての詳細が綴られている。


 らしくもなく、珍しくマゼウは悩んでいた。


「ナノリルカ国王は一番の美姫であり自慢の娘を私に嫁がせる、とアミール王女を選んでくれたらしいが。かえって面倒なんだよね。ナノリルカ国民にも一番人気の王女らしいし。あんまり粗雑に扱ったら反感を買ってしまいそうだ」

「粗雑に扱うおつもりなのですか」

「まさか。ただ、こちらがそのつもりがなくても、アミール王女がそのように捉える可能性もあるだろう」

「殿下は相変わらず女性が苦手でいらっしゃる」


 苦笑まじりに少々の心配を重ねた様子でタートフに言われて、マゼウはため息をついた。マゼウは言動には一切出ないが女性が少々苦手で、タートフにだけはその事実を知られてしまっている。

 ふと、ロゼックの事を思った。彼は女性を嫌悪対象として見ている。苦手と嫌悪では意味が違ってくるが、なんとなく彼と自分は似ている部分があると出会った時から思ってはいた。


「なんせあの母上の息子だからね。社交界でもいつも思うよ。女性の(したた)かさは重々分かっているつもりさ」

「離縁前提の結婚生活という事を直接ご説明された上で、結婚生活をされるご予定ですか?」

「まだ考えている。直接アミール王女と会ってから決めるよ。最後まで何も言わずに不仲な夫婦として離縁するか、それらしい理由を適当に説明した上で理解と協力を得て離縁まで事を運ぶか。……どちらもとても面倒くさいね」


 どんなに報告書に詳細が綴られていても、やはりその人柄は会ってみないと分からない。

 どのような公務、政務、戦場に身を置いたとしても、マゼウは緊張したり悩んだりはしない。しかし結婚については違うらしい。


 ただただ平穏に離縁出来れば良い。

 マゼウはそれだけを目標とし、報告書に視線を落として、何度目かも分からないため息を吐き出した。



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