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金盞花  作者: 大江いつ樹
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1 新たな夫


 両手を胸の前でそっと合わせて、アミールは一度だけ深呼吸をした。


 あと一ヶ月で結婚して三年になる。

 子どもはいない。出来るわけがなかった。

 夫は一度もアミールを抱いてはいないのだから。




「第二妃殿下のお越しです」


 侍従によって開かれる両開きの大きな扉。

 サルジャン帝国王城の謁見の間。

 中にいたのはサルジャン帝国の国王陛下と王太子殿下。そして、アミールの近衛騎士の三人だった。


 アミールは少しだけ戸惑った。

 なぜロゼックがここに?



 困惑の表情を見せるアミールに対して、アミールの近衛騎士ロゼック・トノイは普段と変わらず優雅に微笑んでいる。


 ふわりとした柔らかそうな金髪に、透き通った美しい春空のような青色の瞳。すらりと高い背丈に、引き締まった身体。

 まるで絵本の中の王子様そのものの容姿を持つ美しい近衛騎士ロゼック。

 しかし彼の本性は残念そのものだ。

 愉快そうに軽口をたたき、女性を口説くことを生き甲斐にしているような色男で、軟派(ナンパ)な騎士。この軟派騎士ロゼックが、アミールがサルジャン帝国の王太子殿下の第二妃として嫁いだ日から専任近衛騎士として護衛についた。


 アミールはロゼックの事が苦手だった。

 彼はいつもアミールに対して忠実で親切だが、日頃の態度はアミールの事を王子の妃としてではなく、小さな幼いお姫様を護るような、そんな態度で接してくる。

 アミールは二十歳の立派な成人女性だ。

 それなのにロゼックは彼女の事を清々しいほどに一貫して子ども扱いしていた。


 しかし子ども扱いされる事は無理もなく、アミールは既に諦めていた。

 二十歳になったのにも関わらず、アミールの容姿はここサルジャン帝国において良くて十四歳前後に間違われる事が多々な程に小柄な容姿をしていたのだ。サルジャン帝国の一般的な女性に比べてアミールはとても小さかった。

 サルジャン帝国の王太子殿下に嫁ぐまで、アミールはその事実を知らなかった。いかに自分の祖国はとても小柄な人々ばかりだったのかということを。



「アミール。こちらにおいで」

「はい」


 王太子マゼウ殿下――夫に呼ばれて、アミールは礼をとったあと、三人の男達が控え待つ場所へと向かった。


 中央には義父であるサルジャン帝国の国王陛下が玉座に座っている。玉座の左端に立つのは夫である王太子マゼウ殿下。玉座とマゼウ殿下が立つ場所から三段下がった右側に、近衛騎士ロゼックが立ち控えていた。

 アミールが玉座の前から離れた場所、ロゼックの隣に立つ。ロゼックはすぐさま玉座に向かって姿勢を正すと跪いて頭を下げた。


「あと一ヶ月でアミール妃がマゼウに嫁いで三年になる。しかしついに子は出来なかった。今も身籠ってはいないと聞いているが、違いないな、アミール妃?」

「はい」


 単刀直入に国王陛下に聞かれ、アミールはわずかに瞼を震わせながらも静かな口調で返事をした。

 次いで陛下はマゼウ殿下にも同じ質問をする。マゼウ殿下もやはり穏やかな受け答えで頷いた。陛下は何も知らない。まさかマゼウ殿下がアミールを一度も抱いていないとは思ってもいない。


 サルジャン帝国の男性王族は三人の妃を持つことが出来る。

 正妃以外の第二妃、第三妃は、その立場に収まり続けるには条件があった。嫁いで三年以内に子どもを授かる事。子どもを授かる事が出来なかった場合、離縁する決まりがあった。

 アミールがマゼウ殿下の第二妃として嫁いで二年と十一ヶ月。

 子どもがいないアミールの離縁は確定だった。



 結婚前。

 アミールはナノリルカ国の第四王女だった。

 大海原にぽつんと一つだけ存在していた小さな島国。それがナノリルカ国だ。


 国力も弱く、王族とは言っても国民達との距離はとても近い。人々が手と手を取り合い協力しあいながら、裕福とは言えないものの貧しい訳でも飢えている訳でもなく、大自然と海の恵みに感謝しながら自然豊かな国で暮らしていた。三人の姉王女と二人の弟王子のいるアミールも、十六歳のその時までは確かに平穏で幸せに暮らしていた。


 その暮らしが終わりを迎えたのは、北の大陸国ハルメデン大国が、小さいながらも自然資源豊富なナノリルカ国を我が物にしようと、数多の戦艦と共に奇襲を仕掛けてやって来たのがきっかけだ。

 その危機を救ってくれたのが、昔から国交があり、弱小国のナノリルカ国の後ろ盾として存在していた南の大陸帝国であるサルジャン帝国だった。


 ハルメデン大国に勝利し、ナノリルカ国を護ったサルジャン帝国。

 ナノリルカ国は感謝の印として多くの自然資源を帝国に渡したが、帝国の国王陛下はそれだけでは不足だと突っぱねた。


 ナノリルカ国の王女をサルジャン帝国の王太子殿下の第二妃として嫁がせるように命じたのだ。


 ナノリルカ国は受け入れるしかなかった。

 あくまでも定期的に交流がある関係として長年に渡り国交を持っていたが、その関係は終わらせると帝国に言い渡されたも同然。王女を嫁がせ強固な結びつきを周辺諸国に知らしめると同時に、自然資源豊かだが弱小国のナノリルカ国は、実質的に帝国の属国という立場に下った事の証明としての婚姻だった。


 その政略結婚の駒として帝国のマゼウ殿下に嫁ぐ事になったのがアミール第四王女。

 当時十七歳のアミールはまさに美しい盛りの娘。

 ナノリルカ国の国王陛下夫妻――アミールの両親は、四人いる王女の中で、一番の美姫であり心優しく冷静な娘を帝国に嫁がせたつもりだった。帝国に攻められでもしたらナノリルカ国は一瞬で滅びてしまう。自衛のためにも、ナノリルカ国としてはアミールを嫁がせる事が精一杯の誠意だった。


 しかし現実は残酷だった。


 帝国の一般的な女性と比べると、アミールの容姿はあまりにも幼かった。

 長年国交があったとはいえ、それは書状や物資のやり取りのみで、人同士の積極的な交流はほとんど無かった。ナノリルカ国の王族も人々も、帝国の人々が皆こんなにも大柄で背も高く豊満な体つきの人間ばかりだとは知らなかったのだ。



「一ヶ月後、アミール妃はマゼウの第二妃としての立場を退いてもらう。そして、我が国の臣下の妻として下賜する事になった」

「はい」


 全て予想していた通りの流れ。


 アミールはちらりと夫のマゼウ殿下を見た。マゼウ殿下は静かな、優しい眼差しでアミールを見ている。

 夫婦だが、本物の夫婦ではない。

 彼に対して恋愛感情を抱いている訳でもない。

 しかし人として、帝国の王太子殿下として、確かにアミールはマゼウ殿下の事を敬愛し感謝の気持ちを抱いていた。


 夫婦関係の終わりは、今までのように容易く会話出来なくなる事を意味する。

 その現実がアミールは寂しかった。

 これ以上目を合わせ続ける事も出来ず、もう一度陛下へと視線を戻す。約三年前の、会話だけで終わった静かな初夜を思い出していた。



『私はアミールを第二妃に縛り続けるつもりは無いんだ』


 緊張して身体を硬くしていたアミールをベッドからおろして、優しくソファへと誘導して片手をとりながらマゼウ殿下は静かに語った。


 アミールは第二妃として三歳年上のマゼウ殿下に嫁いだが、彼は今回が初婚だった。正妃はすでに決まっていた。婚約者がいたのだ。

 サルジャン帝国の侯爵家の娘。

 マゼウ殿下よりも十歳も年下の婚約者は、当時まだ十歳のあどけない少女だった。当然マゼウ殿下の意思ではなく、国王陛下によって決められた政略的な婚約だ。正妃となる婚約者が存在している事実は知っていたが、その候補者がまだ十歳の少女と今初めて知ったアミールはとても驚いた。


『私の正妃となる婚約者はまだまだ幼くて。それこそ君みたいに小さな娘なんだ』

『小さく……』

『あぁ、すまない。アミールはもう十七歳、立派な淑女なのに』

『いいえ』

『怒ったかい?』

『い、いいえ』


 慌ててアミールが否定すると、マゼウ殿下は朗らかに笑った。艶やかな黒髪がさらりと揺れて、同じく漆黒の瞳が柔らかく細くなる。

 その笑顔と落ち着いた口調、優しく触れ合う手の温もりに、緊張で強張っていた筈のアミールは少しずつ落ち着く事が出来た。


『私はアミールを抱く事はない。子どもを授かってしまったら二度とここから離れられなくなる。君の未来の幸せのためにも、私の第二妃のままでいさせる訳にはいかない』

『私の幸せは帝国と祖国の平和と繁栄です。私の容姿が幼すぎて、……初夜が無理……だから、ですか?』


 本当の理由が知りたいからこそハッキリと聞いたが、こみ上げる羞恥心に、アミールは頬を染めて伏し目がちになってしまう。声も次第にか細くなってしまっていた。

 こんな事を聞かれるのは想定外だったのか、マゼウ殿下はびっくりした様子で漆黒の瞳を大きくさせて、やがて苦笑した。


『いいや、容姿を理由にこんな事を言うわけがないよ。……この帝国王族の世界に、アミールみたいな純真な女性を縛り付けるのは、ね。私のちっぽけな良心がとても痛むんだ』

『私も小国ではありましたが元王女です。純真だなんて。誤解されております。正攻法だけで平和を維持する事は困難なのだと理解しております』

『うん。それでも嫌なのさ。アミールが思っている以上にこの帝国は後ろで真っ黒な事に手を染めていると思って良いよ。真実を全て知ったら、アミールみたいな優しすぎる人は酷く悲しむし心を壊しかねない。私はそんな君を見たくはないし、こちら側に引き込みたくはない』


 弱小国とはいえ自分は第四王女だったのだ。

 政略結婚の駒となることに対して迷いは無かった。己の立場、祖国を護りたい、帝国の王太子妃としての役目を果たさなければ、という覚悟が確かにあった。第二妃という立場になることに文句など一つも言った事も無いのに。



 正式な結婚前に半年ほどマゼウ殿下と交流を持った。

 だが、交流を重ねる度に、マゼウ殿下はこの結婚に対して消極的な様子であった事をアミールは口には出さないだけで察してはいた。

 彼はいつも落ち着いていて人当たりの良い微笑みを崩さず、紳士的でとても優しかったが、アミールを見つめる瞳は、なぜか会う度に悲しさを感じるような色が濃くなっていた。

 帝国の王太子殿下にとって、弱小国の、しかも子どものような王女を妻にしなければいけない現実に嫌になってしまっているのかもしれない。

 しかし帝国の国王陛下によって命じられた婚姻を白紙に戻す事も出来ず、どうする事も出来なかった。


『私の立場としても陛下の決定には逆らえない。しかし自分が出来る限りの事はするつもりだ。帝国では、第二妃は三年間子どもを授かる事が無かったら離縁する事になっている』

『離縁……』

『そう。君を清らかなまま離縁する事を約束する。臣下に下賜する事になるが、その人選も私が責任を持って担うよ』


 初夜という時に離縁、下賜、新たな夫の話をされてしまうとは。

 おろおろと翡翠色の瞳を揺らすアミールに、マゼウ殿下は小さな子どもを慈しむようにアミールを腕の中へと抱き寄せた。


『アミールはナノリルカ国の王女として誠実にこの日を迎えてくれた。感謝しているよ。安心してくれ。私はこのサルジャン帝国で、君の幸せを考え、行動する人となる事を約束するから』


 ……やっぱり、私の事は子どもにしか見えていないのかもしれないわ。

 だからこんなに優しいのかもしれない。妻、という目ではどうしても見られなかった彼なりの苦肉の策が、離縁、なのかもしれない。


 アミールはマゼウ殿下の背中に遠慮がちに腕を回した。


『……ありがとうございます』


 マゼウ殿下の言葉を、アミールは小さな身体で懸命に受け入れた。まだ混乱している。しかし彼が離縁を望むのならばそれに従うべきなのだと思った。この帝国に嫁いだ自分の行い一つで、ナノリルカ国は繁栄するか、平穏を維持するか、滅びるかが決まってしまう。


 最初はそんな風に考えていた。

 けれど三年が経過して、アミールの考えや思いは変化していた。

 マゼウ殿下が離縁を望んだ()()()()()も、アミールはすでに理解している。




 コツ、という靴音が謁見の間に響く。


 マゼウ殿下は階段を降りてアミールの前まで歩みを進めると、片膝をついてアミールと視線を合わせた。

 漆黒の瞳と翡翠色の瞳が重なる。

 三年間の思い出が胸の中で溢れてくる。


「約三年間、私の妃として誠実に支えてくれた事に感謝している。ありがとう、アミール」

「勿体無きお言葉です」


 アミールは込み上げそうになる涙を何とかこらえて、ドレスを摘まんで膝をおって小さく頭を下げると、癖の無い真っ直ぐな焦茶色の髪がさらりと滑り流れていく。毛先が胸元で揺れていた。

 もう一度視線が合うと、マゼウ殿下は微かに笑みを浮かべて頷いた。


「まだあと一ヶ月は夫婦だ。よろしく頼むよ」

「はい」


 終始表情を緊張に強張らせていたアミールが微笑むと、マゼウ殿下は満足そうに頷き立ち上がる。そのままアミールの肩に腕を回して手を置くと、自身の片腕の中にアミールを抱き寄せた。


「ロゼック。立て」


 マゼウ殿下が命じると、跪いて頭を下げたままだったロゼックは素早く立ち上がり姿勢を正した。彼はこのような場でも、その表情は煌びやかな微笑みを浮かべていた。


「アミールは私にとって特別な女性だ。彼女を悲しませるような行いをするのは許さないからね」

「はい。承知しております」


 マゼウ殿下は厳しい表情で、強い眼差しでロゼックを見つめながら言うが、ロゼックは普段と変わらない様子で微笑んでいる。それどころか明らかな喜色を見せていた。


「アミール。君の下賜先はトノイ伯爵家の嫡子に決まった。ロゼック・トノイ。彼を次の夫と認める事にした」

「……え?」


 今はまだ自分の専任近衛騎士である彼が。

 休日ともなればフラリと姿を消し、その華やかで優美な美貌を駆使して数多の女性達を翻弄し、口説き落として恋の噂を流す彼が。

 何よりも、アミールの事を、ここサルジャン帝国で一番に()()()()()する彼が?


「陛下、殿下。私は二妃殿下を生涯愛し、心身をお護りし、幸せにする事を誓います」


 胸に手を当ててはっきりと誓うロゼックの華やかで妖艶な微笑みは、言葉を失っているアミールに真っ直ぐに向けられていた。

 ロゼックの堂々とした誓いの言葉を聞き、国王陛下はアミールとロゼックの結婚を正式に認め、今後の日取りについて説明し始めてしまっている。


 アミールは倒れないように立ち続ける事に必死で、国王陛下の言葉の半分も覚える事は出来なかった。

 


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