紅 ~火村道代の独白~
※この作品は、過去に別ペンネームで『野いちご』にケータイ小説風に書いたものを、少しアレンジしてまとめた作品です。
もしかするとこれが霊夢というものだったのでしょうか。
教育実習を数日後に控えた二十歳の誕生日。その昼下がりに教育大学のキャンパスのカフェでうたた寝していた私は、とても摩訶不思議な夢を見たのです。
そこはまるで、中世ヨーロッパのような世界の町でした。
冒険もののゲームで、後に勇者と讃えられる冒険者が旅の始めに訪れるような小さくものどかな田舎町。名をウィークスといいます。
ただ、個人的な印象としては町と言うよりも、ラテン語でその名が意味する通りの「村」のような場所に思えました。
夢の中の私の視点はまるで昔のコンピュータRPGのように、特定の人物を中心に空の上から見下ろすようなものになっていました。
夢の中での特定の人物というのは、この町の長の孫娘。ウィークスの宿屋兼酒場で客室係兼ウェイトレスとして働いている彼女は、名をウィア・エクレーシアといいました。
姓名ともにラテン語だとすると、意味は……「道」と「教会」になります。
シルバーブロンドのやわらかそうなショートヘアと大きくて碧い瞳が印象的な美人で、明るくて元気でそのうえ気立てもいいと評判の看板娘。
なぜか私は、彼女が前世の自分であると直感しました。しかも、彼女の心が手に取るようにわかったのです。
ウィアには恋人がいました。
同じ町に住む、ポルタ・コリッサ。高校生くらいに見えるウィアより、二~三歳くらい年上に見える青年で、ちなみに姓名の意味は「門」と「丘」です。茶色がかった黒いざんばら髪の、お世辞にもイケメンとは言えない顔立ちをした、冴えない感じの若者。
それでも、ウィアが彼に想いを寄せているのは、誰の目から見ても明らかでした。
ポルタは決して頭が良くはありません。
しかし、家業であるヤギの放牧に関する事やいつも往復している丘の事、それにいざという時に限っては、とても頼もしく。
何よりもウィアは、彼の不器用な優しさをとても愛おしく想っていたのです。
ポルタがウィアを愛している事も、誰もが知っていました。ウィアも気付いてはいましたが、彼からはっきりと言葉にされるまで、待っていました。
しかしウィアは、ポルタから愛の言葉を聞くことが出来ぬまま、彼と引き離されてしまったのです。
あるよく晴れた日。
お休みをもらったウィアは、ヤギの放牧に行くポルタに付き添って、ヤギたちを引き連れて丘の頂上まで行きました。そこでウィアお手製のお弁当を広げて食べていた時です。
突然、青空を引き裂く蒼い稲妻が二度も二人を襲ったのです。いえ、二人をというよりも、稲妻は二度とも、なぜかウィアを狙っていました。
一度目は、ポルタのおかげでうまく躱す事が出来たのですが、その際、ポルタは足を挫いてしまいます。
二度目の落雷直前、ポルタはポケットから銀貨のようなものを取り出して、その手を高々と空に向かって伸ばしたのです。それはまるで、もう一度落雷がある事を知っているかのようでした。
すると、再びウィアを狙った二度目の落雷が確かに発生し、しかも不思議なことに、稲妻は急に進路を変えて、銀貨を掲げた彼に直撃したのでした。
これはあくまでも私の憶測に過ぎませんが。
もしかするとポルタには、蒼い稲妻の正体がわかっていたのかもしれません。だからポルタは、ウィアを助けることが出来たのでしょう。
ですが、あの稲妻や銀貨のようなものが何なのか、なぜ稲妻を引き寄せたのか、なぜポルタがそれを持っていたのかなど、わからないことが多々あります。
確かなのは、文字通りの青天の霹靂によってポルタが命を落としてしまったということです。
その日以降、ウィアは笑顔も明るさも失ってしまい、彼以外の誰とも交際・結婚する気になれず。周囲の反対を押し切って、城下の修道院に入って修道女となり。
数年後、シスターとなって町に戻ってきました。
その胸元には、銀の十字架のほかに、あの稲妻を結晶化したような蒼い石が光っていました。
それはあの時、稲妻の衝撃によって弾けた銀貨のようなものの中にあったもので。ウィアはそれをペンダントにして、ずっと大切に持っていたのでした。
やがて、町の教会で子供たちと日々を過ごすうちに子供たちの人気者となっていく過程でウィアは、かつての笑顔に満ちた自分を取り戻していきました。
しかしその後、平和な日々はそう長くは続きませんでした。
真夜中に、何者かからの襲撃に遭ったのです。
誰が何のためにそうしたのかはわかりませんが、町のあちらこちらに火が放たれ、町は瞬く間に火の海と化しました。ウィアは、その日、母屋に泊まりに来ていた子供たちを避難させたところで、逃げ遅れた子供がいることに気付き、戻って助け出したまでは良かったのですが。自らは行く手を炎に阻まれ、完全に逃げ遅れてしまいました。
しかしウィアは、これが天命と悟り。その場で静かに十字を切り、手の中に十字架とあの石を握りしめ、神に祈りを捧げる体勢のまま、炎に呑み込まれていきました……。
――目を覚ましてすぐ腕時計を見ると、カフェに入った時間からまだ三十分と経っていませんでした。
ちなみに。神仏のような人知を超えた存在によるお告げの事を天啓といい、そういった摩訶不思議な夢の事を霊夢というのですが。
私がカトリック系の高校に通っていたせいでしょうか。それとも、私が欧州人の血が混じったクォーターだからでしょうか。いずれにしろ、なぜか私にはあの夢が、霊夢のように思えて仕方ありませんでした。
夢の中で見たウィアの年齢が最初、高校生くらいだと仮定して、夢の中での時間を計算すると。どんなに少なく見積っても、十年は経過していたはずです。
自分の魂が体から抜け出して、時間旅行していた……とか? ――いやいや、有り得ません。
しかし、この三十分未満の間に、十年以上にも渡る夢を見るなんて事が、普通有り得るでしょうか。それも、自分の前世の夢を。
それに、謎の銀貨の中にあった、あの石。
(これとそっくり……っていうかまさか、これとまったく同じもの?)
カバンからスマートフォンを取り出して目の前に掲げ、揺れるストラップの先。
スイス人の祖母からもらった、私の宝物。
夢で見たものと同じ「蒼」としか言いようのない深く鮮やかな青色をした、この石。
お祖母さまは
「かつてこれは、ペンダントに付いていたんだよ。でも持ち主が火事に遭って、鎖の部分は溶けて無くなってしまった」
と言っていました。偶然……でしょうか。
冷静になって、この夢が霊夢である可能性を感じた理由を考えると。夢の内容が、どこかの誰かからのメッセージであるように感じたからなのかもしれません。
この場合のどこかの誰かというのはもちろん、前世の私。ウィア・エクレーシア。
ウィアは最期の瞬間、天に向かってこのように祈っていました。
(願わくば、次の世で彼と再び逢いまみえませんことを)
もし仮に、本当に私がウィアの来世の姿であるならば。つまりあの夢は
『貴女に、ポルタの来世の姿をした人物と出逢ってもらいたい』
というウィアの願いが込められていると言えなくもないのでは?
それを自覚したお陰かどうかは定かではありませんが。その成就は、意外と早く、そして予想外の形で成されたのです。
「あの。火村先生ってもしかして、前世にウィアって名前じゃなかったですか?」
自らがとんでもない妄想癖の持ち主だと思われる可能性をものともせずに、藪から棒にこんなことを訊いてきた人物は。
私の教育実習先の高校の男子生徒、だったのです。
他の人がこう訊かれたら妄言以外の何ものでもないでしょうが私は違います。
それに、適当な当てずっぽうでもありません。
その男子生徒は、前世の私の名前だけにとどまらず、ウィアとポルタの境遇や仕事や性格に至るまで全て言い当て。さらには蒼い稲妻とあの銀貨のようなもの、それと蒼い石のことまで、明確に知っていたのです。
これは十中八九、この男子生徒こそがポルタの来世の姿であるとみて、まず間違いないでしょう。
しかしこの時点ではまだ、確証がありません。物証も欠けています。
物証といっても、私がウィアであった物証はありますが、彼がポルタだったと示す物証は何ひとつ残っていません。ですから私は、彼に向かって
「あの、ごめんなさい。たぶん人違いですよ」
とだけ言ってその場を後にしました。
「え、でも、そのストラップ……」
という声を、背中で受け止めて。
いずれ、
「ずっと否定していてごめんね。本当は私も、彼女も、ずっと君に逢いたかったの」
私が彼にこのように告げる日が、必ず来ます。
それがいつか。
この時の私たちはまだ、知るよしもありませんでした。