イチゴうさぎの奇跡 6
並び始めて1時間。
並び直して30分。
ようやく自分の番になった。
長かった。
俺は苦難の時を噛み締めながらレジの前に進む。後は注文するだけでこの苦行も終わる。
「ぴょ「ご注文はお決まりでしょうか?」……」
にこやかな笑みを浮かべる店員。
な、何。先手を取られただと
俺は少し狼狽える。
なんだ、この笑顔は?
この店に入ってから感じていた妙な違和感に俺は気付いた。
コンビニなどでは緊張した顔で一歩腰を引いて対応してくるのが常なのに、何故この女はこんな笑顔を見せて来るのだ。
それに店の奥からも何か視線を感じる。
なんだ、この生温かい視線は。
敵意は感じられないが……
分からん。この店の連中は何を企んでいるのだ。
ここは慎重に立ち回る必要が……「あの、お客さま。注文はお決まりでしょうか?」あるか……
はっ!
店員の言葉に俺は我にかえる。
そ、そうだ。俺はケーキを買いに来ただけだ。
落ち着け。相手がどんな企みを持っていようと、俺は俺の意を通せばいいのだ。
それが俺の流儀!
ふっ、注文が決まっているか、だと?
勿論だ。言ってやろう。順番を待っている間、ずっと練習していたのだからな。
いいか、言うぞ!
「ぴょんヒャン……」
しまった、噛んだ!
俺は固まった。固まったまま視線を店員にゆっくりと下ろす。店員は固まったままの俺を不思議そうに見つめていた。
いかん、いかん。なんとか誤魔化さねば。
大丈夫だ。まだ、間に合う
その時、キョトンとしていた女の顔がパァーと明るくなった。
「ああ、平昌冬のパウダースノーケーキですか!」
そ、そんなのあるのか!そう言えばオリンピックやってたな。
いや、違う。断じて違うぞ。そんなものを飼いにきたのてはない!
断ろうと口を開きかけた俺に対して店員は申し訳なさそうな表情になる。
「済みません。そのケーキですが2月末で生産終了しました」
なっ?! 生産終了だと?
その言葉に俺は衝撃を……いや、待て。
そのピョンチャンナンチャラが生産終了でもダメージを受ける必要は微塵もない。俺は最初からそんなケーキを買いに来た訳ではないといっているだろ!
落ち着け自分!!
「いや、そうではない」
「はい?」
「俺が欲しいケーキはそれではない」
「ああ、そうでしたか。それではなにを?」
俺は呼吸を、整える。今度は噛まないように慎重に言う。
「ぴょん」
「ぴよん?」
「ぴょん」
「ぴょん?」
くっ、この女はなぜ、いちいち復唱してくる。
いや、気をとられるな。集中するんだ
「う、うさぎの」
「うさぎの?」
「……イチゴ」
「イチゴ?」
「レアチーズケーキだ」
「あっ、はーい。
『ぴょんぴょんうさぎのイチゴレアチーズケーキ』ですね!
ごめんなさい。売り切れでーす」
ぐはぁ、ここまで引っ張っておいて売り切れか!
「し、しかし、俺の目の前の客は確か買って行ったぞ」
「はい、あれが最後でした」
「ぬぁ、最後……」
俺は両手、両膝を大地につけ、うなだれる。
「くっ、買い損ねた。あのバカヤンキーが余りにうざくて、つい手を出してしまったのがいけなかった。
ああ、俺のバカ、バカ、バカ」
俺は額を大地に打ちつける。母なる大地よ、俺のやり場のない怒りを受け止めてくれ。
「わっ、わっ。
お客さま、止めてください。床が割れます。
ほ、他のケーキはどうでしょう。
えっと、『パオパオゾウさんの鼻長ーいでショートケーキ』とか『ことぶきツルカメモンブラン』とかもありますよ」
「それでは彼女の望みを叶えることはできん。できんのだよ」
「わーっ。だから、床に頭突きするのは止めてください。床にはなんの罪もないですからー!」
むう
俺は頭突きをしようとする頭を止める。
確かに大地にはなんの罪もない。全ては自分のミスだ。それを黙って受け入れてくれる大地に俺は甘えていたのだ。この店員はそれを俺に教えてくれた。ケーキのネーミングは頂けないが良い店のようだ。
俺は立ち上がる。
「そうだな。騒がせてすまなかった」
俺は静かに微笑むと出口へと向かった。
2018/05/05 初稿
2019/03/27 少し修正
2019/09/14 改行などのルールを統一のため修正
前回、サイヤ人ばりの格闘センスを見せた健君。うって変わって勘違い残念番長な面が露呈しています。
ただ、今回の舞台がケーキ屋と言う彼にとって超アウェーであった点を考慮してやって下さい。
本来はもうちょっと落ち着いてます。(多分)
次話は5月6日 10:00を予定しております。