僕のヒーローアカゴケミドロ 10
夕暮れ刻
窓辺から差し込む西日に唯は目を細める。
病院の中庭がよく見えた。
中庭の真ん中には真新しい舞台がある。舞台の上には『アオインジャーショー』と書かれた大きな看板が掲げられていた。明後日の日曜日にアオインジャーのショーが開かれることになっている。
ふうっとため息をつくと唯は視線を部屋の中へと向けた。夕日でオレンジ色に染まった病室の奥では唯の母親がいそいそと唯の替えの寝巻きをたたんでいた。
「今日の頭の検査が異常無しで母さんほっとしたよ」
唯は、自分が背中を見つめているのを知っているような絶妙なタイミングで母親が喋り始めたのに少し驚いた。まるで背中に目があるかのようだ。
「これで明日明後日には退院だよ」
「えっ、そうなの?
足が治るまで入院するんじゃないの?」
てっきりそう思っていた唯は驚いて聞いた。そこでようやく母親は唯の方に顔を向ける。
呆れた、という表情だった。
「あんたね、一日の入院費が幾らかかると思ってるんだい。
元々、入院したのは歩道橋から飛び降りた時に頭を打ってるかもってことでの検査入院なのよ。
検査が終われば後は家から通院よ。
全く、ライダーだか、なにレンジャーか知らないけど、実際に自分も真似して飛び降りて、足の骨折るって馬鹿なの?」
母親の言葉に唯は慌てて目をそらした。歩道橋から飛び降りた理由を問い詰められた時、苦し紛れについた嘘が特撮ヒーローみたいに飛べるかどうか試してみた、だった。
後ろめたさを布団のシワを数えることで紛らし、ほとぼりが冷めたころを見計らって、視線を再び母親に戻したら、とたんに母親と目が合った。目をそらしていた唯とは真逆に母親はじっと自分の顔を見ていたことに唯はどきりとした。
「あんたさぁ」
母親がおもむろに言った。
「何か隠してない?」
その今一番して欲しくない質問にどぎまぎしながら、辛うじて、「別に」と答えたが、喉にものが詰まっているような不快な気持ちになった。
この気持ちは、この間、公園でアカゴケミドロと会話した時からずっと感じているものだ。寝ても覚めても胸の片隅に引っ掛かっていた。
「あのさ、母さん」
その居心地の悪さに耐えきれなくなり、
唯はつい口を開く。
「もしも、あることをしないと誰かが困ったことになるとして、でも、それをすると自分が嫌な思いをするかもしれないとしたら、母さんならどうする?」
「ええっ、なんだい?
また、急に小難しい質問をしてくるね」
と、言いながらも母親は余り動じた様子ではなかった。どこかそんな謎々のような質問が来ることを予測していたかのようだった。
「うーん。困る人がいるなら自分が困ったことになるとしても、その何かをして困っている人を助けます!って言いたいけどね。
正直、お母さん、そんな熱血なことは言えないかな。
でも、困った人を放っておくのも気分悪いからねぇ……
まあ、相手の困り具合と自分の困り具合との相談かな」
「なにそれ。答えになっていないよ」
「大人の判断と言いなさい。
だって相手の困り事が明日のお昼ご飯のメニューが決まらない程度なのに、こっちの困り事が明日から住むところが無くなっちゃうとかだったら釣り合いがとれないでしょう。
さすがにそこまでは馬鹿になりきれないなぁ」
「そ、そうだよね。自分が損するのが分かっているのに余計なことするのは馬鹿だよね。
だって、無理に何かしても自分は困るだけで、得になることが何もないんだもんね」
「あーー、馬鹿って言ったけど、お母さん、そんな人たちを馬鹿にはしてないよ。
むしろ逆。
世の中にはね、損得関係なく動いちゃう人っているの。
お母さんにはちょっと真似できないから、そういう人は尊敬するわ」
「尊敬?ただの馬鹿じゃない」
「あはは。馬鹿じゃないの。そう言うことも全部理解した上で自分が正しいと思った事をやるとても勇気のある人よ。
あんたの好きなヒーローなんてみんなそういう類いの人種じゃない」
「ヒーローと一緒?」
母親の言葉を理解しようと唯は母親の言葉を反芻してみた。そして、がっかりしたように呟いた。
「じゃあ、尚更僕には無理だ。ヒーローなんて夢物語の世界だけだもの」
「そうかしらねぇ。お母さんはそうは思わないけど。
唯だってその気になればヒーローになれると思うよ。少なくともその素質はあると思う。
素質があるからずっと悩んでるんじゃないの?」
「えっ?な、なにいってるのさ。僕は別に悩んでなんていないよ」
唯は慌てて否定する。
「本当に?」
「本当だよ」
心臓が早鐘のように鳴り響いた。喉から飛び出そうなところをぐっと飲み下す。
「ふ~ん、なら良いけど」
幸いなことに母親はそれ以上は追求してこなかった。唯はほっと胸を撫で下ろす。しかし、すぐに落ち着かない気持ちになる。不思議なことに、なんでもっと突っ込んで来てくれないんだろうと物足りなく思った。
もう少し聞いてくれたなら洗いざらい話せたのに。そしたら楽になれるのにと思った。
(楽になる?今、僕、苦しいのか?)
唯は雷に撃たれたような衝撃を感じた。
頭の上に以前、アカゴケミドロが言っていた、『お前が正しいと思えばやれば良い』、という言葉が夕立の黒雲のように沸き立ち、ストンと自分の背骨に落ちた。あの時は、何かの皮肉のように響いた言葉がまるで違う意味に思えてきた。
(そうだ、言わなくちゃダメなんだ)
唯は心の底からそう思った。そして、
「母さん!ごめん。実は……」
思わず、唯は頬を紅潮させて叫んだ。
日曜日の昼下がりの病院の中庭。
普段なら日向ぼっこする入院患者や見舞い客の寛ぐ姿が疎らに見えるのどかな場所が、今日に限っては異様な興奮に包まれていた。
中庭のほぼ全体が即席の桟敷席に変わり、びっしりと親子連れに占拠されていた。
「うわぁはっはっはぁ」
舞台では、サングラスの男が一人の看護師を羽交い締めにして高笑いしていた。
「この看護師の命が惜しくば、私の言うことを聞くのですな!」
サングラスの男の言葉に医師らしき白衣の男が歯噛みをする。
「くっ、卑怯な!」
「黙りなさい。私の言うことを聞いて、病院に入院している子供たちを改造して私たちの戦闘員に仕立てるのです」
「こんな奴の言うことを聞いては駄目です。
私の命はどうなっても構いません。早く、早く、子供たちを連れて逃げて下さい!」
看護師が苦痛に顔を歪めながら必死に叫ぶ。
「そうは行きません。こんなこともあろうかと会場には私の配下を潜ましているのです」
サングラスの男の言葉に呼応するように、会場のそこここで戦闘員たちが奇声を上げて一斉に立ち上がった。
唯も会場でアオインジャーショーを見ていたが、座っていたすぐ横から突然戦闘員が現れたのには正直驚かされた。
そこには、さっきまで年配の男の人が座っていたと思ったのだがいつの間にか戦闘員に変わっていた。こんな子供のショーに妙だと思ったのだが、予め用意されたスタッフだったのだ。
結構、凝った演出だった。会場に子供たちの悲鳴が沸き起こる。
アオインジャーショーのボルテージは今や最高潮に達していた。
そんなアオインジャーショーの会場に向かう一団がいた。
集団の先頭を行くのは栗坂大悟。
「あの糞餓鬼。舐めたまねをしやがって。
ぜってー、思い知らせてやる」
大悟は、金色のとさかのような頭を振りながら呻くように呟いていた。
足早に角を曲がると子供たちの歓声とも悲鳴ともつかない声が聞こえてきた。
大勢の子供たちがショーに魅いっている。
大悟はうっすらと狂気を帯びた目を子供の群れに向ける。その目がギラリと鈍い光を放った。子供たちの集団に唯の姿を見つけたのだ。
大悟は肉食獣が獲物を見定めたように舌舐めずりをすると、音も立てずに子供たちの群れへとするすると移動した。
2018/11/24 初稿
《久しぶりのオマケ》
アオインジャー開催中
尚美『こんな奴の言うことを聞いては駄目です。
私の命はどうなっても構いません。
早く、早く、子供たちを連れて逃げて下さい!』
蛍 「う~ん、尚美さん頑張ってるわね」
亜美「頑張ってるのは認めるけど、
あの台詞、超恥ずかしくない?
私だったら、舌噛んで死んじゃうかも」
蛍 「おだまり、小娘!
あなたには、彼女の溢れんばかりの愛が分からんと
ですか!」
亜美「どこの方言よ、それ。
わっ!戦闘員がいきなりあちこちから現れた!
ど、ど、どこから現れたのかしら?」
蛍 「ふっ、これだから小娘は困るわ。
ショーが始まる時に、なんか年配の人が何人か
いたでしょう。」
亜美「う~ん。そういえば居たような。
妙にモコモコした服を来てた人がいたわね」
蛍 「戦闘員の服から上着を来てたのよ。
隙を見てマスクを被って、上着を脱げば、
あっという間に戦闘員の出来上がりよ」
亜美「ほえーー、凝った演出ねーー。
ご苦労なことだわ」
蛍 「これだから小娘は!
私たちの特撮への溢れんばかりの愛が
わからんと、ですか!」
亜美「だから、どこの国の人よ!」




